冬の遊び

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冬の遊び(ふゆのあそび)は上方落語の演目の一つ。長らく途絶えていたが三代目桂米朝により復活した。

あらすじ[編集]

江戸吉原、京の島原、大阪の新町は三大廓と呼ばれ、格式も高い。そこの最高級の遊女は太夫職とよばれた。新町では、花見のころに道中という太夫の仮装パレードが行われていた。今年は奉行所の通達で真夏に変更されたのだが、手違いから有力なスポンサーである堂島の米相場の方に通達が行っていなかった。

果たしてその当日、堂島の米問屋の旦那たちが新町に来て、わしらへ挨拶がないと苦情を言いだし「栴檀太夫を座敷に呼んでくれ。」と無理難題を吹っ掛ける。「今、道中の最中で」「知らんがな。ほたら呼ばれへんいうのやな。ほな帰るわ。わしらいらんらしい。」贔屓をしくじっては一大事。仲居の機転で、道中に参加していた奉行所の役人らの関係者を「ちょっと一服」と言って誤魔化し、栴檀太夫を連れてくるが、何と道中の仮装である能楽の「船弁慶」の知盛の恰好である。これには旦那衆も「さすが、新町で太夫職を張ることだけあるわい。こんな恰好で汗一つかかんのやさかい。どや、今日は太夫の心中だてで、冬の恰好しよか。」「それがええ。」と、冬の衣装に炬燵を炊いて、障子を締め切る騒ぎになる。

みんなで大汗かいて散在するが、幇間が我慢できずに服を脱いで褌一つになり、井戸水を浴びてしまう。怒った旦那が「こら、何でお前だけ、服脱ぐねん。」「へえ。寒行の真似ごとです。」

概略[編集]

新町(大阪市西区)のお茶屋は歌舞伎「廓文章」の舞台となった「吉田屋」など「九軒」と呼ばれる九つのお茶屋が格式が高かった。だが、その後援者は、商都の経済を牛耳っていた、堂島の米問屋、雑喉場(ざこば)と呼ばれた魚市、天満の青物問屋の3つで、花柳界にとってはなくてはならない存在であった。

お大尽、格式ある店の仲居、太夫職の遊女など登場する人物の幅の広さが求められ、手ごわい演目である。サゲは別のものであったが、1970年代後半に桂米朝によって改作された。