内藤信直 (三郎右衛門)

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内藤 信直(ないとう のぶなお、? - 明暦2年8月30日1656年10月17日))は、江戸時代前期の旗本内藤信広の子。金弥、三郎右衛門。母は三宅康信の娘。妻は荒川定安の娘。

寛永12年(1635年)に将軍徳川家光に初めて御目見し、翌13年に書院番の番士となる。16年に300俵となるが、慶安3年(1656年)8月7日、父・信広の遺領から1000石の采地を分与された。

明暦2年(1656年)、駿府城の守衛の際に病となり、江戸への帰途において死去したという。

法名は宗円。葬地は父・信広に同じとされている(「寛政譜」13巻206頁)。嗣子なく絶家となった。

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