兵瀬古墳
兵瀬古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所属 | 壱岐古墳群 |
所在地 | 長崎県壱岐市芦辺町国分本村触1154 |
位置 | 北緯33度48分9.73秒 東経129度42分42.35秒 / 北緯33.8027028度 東経129.7117639度座標: 北緯33度48分9.73秒 東経129度42分42.35秒 / 北緯33.8027028度 東経129.7117639度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径53.5m 高さ13m |
埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式箱式石棺) |
出土品 | 須恵器片 |
築造時期 | 6世紀末 |
史跡 | 国の史跡「壱岐古墳群」に包含 |
地図 |
兵瀬古墳(ひょうぜこふん)は、長崎県壱岐市芦辺町国分本村触にある古墳。形状は円墳。壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
概要
[編集]古墳名 | 形状 | 規模 | 築造時期 |
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対馬塚古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長63m | 6c後半 |
双六古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長91m | 6c後半 |
笹塚古墳 | 円墳 | 直径66m | 6c後半-末 |
兵瀬古墳 | 円墳 | 直径54m | 6c後半-末 |
掛木古墳 | 円墳 | 直径18-22.5m | 6c後半-末 |
鬼の窟古墳 | 円墳 | 直径45m | 6c後半-末 |
壱岐島中央部、南東方向へ延びる丘陵斜面上(標高105メートル)において、斜面を切断して築造された大型円墳である[1]。2004年(平成16年)に墳丘測量・石室実測調査が実施されている[1]。
墳形は円形で、直径約53.5メートル・高さ約13メートルを測る[1]。墳丘は2段築成。墳丘の東・北・西側には丘陵との切り離し溝が認められ、周溝を含めた古墳全体としては直径約65.2メートルにおよぶ[1](壱岐島では周溝は唯一の例)。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。玄室・中室・前室・羨道からなる3室構造の石室で、石室全長12.36メートルを測る大型石室である。玄室内には組合式箱式石棺を据え、現在は部材が遺存する。石室内は未調査のため副葬品は詳らかでないが、石室実測調査の際に中室で須恵器片が採集されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀末頃と推定され、7世紀前半頃までの追葬が想定される[2]。
古墳域は2009年(平成21年)に国の史跡に指定されている(史跡「壱岐古墳群」のうち)。
遺跡歴
[編集]埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。玄室・中室・前室・羨道からなる3室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:12.36メートル
- 玄室:長さ2.9メートル、幅2.48メートル、高さ2.87メートル
- 中室:長さ2.52メートル、幅1.81メートル、現在高さ1.24メートル
- 前室:長さ2.70メートル、幅1.77メートル、現在高さ1.33-1.47メートル
玄室の平面形は長方形に近い方形、中室・前室の平面形は長方形である。前室の右側壁には、大小2隻の船、大きい船の舳先から伸びた線1本、線の先端に斑点のある球状表現の線刻が認められる[1]。
玄室には奥壁に接して組合式箱式石棺を据えており、現在は長側壁2枚の部材が倒れ込だ状態である。奥壁側の石は長さ1.95メートル・幅1.1メートル・厚さ0.15メートル、手前側の石は長さ1.90メートル・幅1.07メートル・厚さ0.13メートルを測る[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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玄室(開口部方向)
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中室(開口部方向)
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中室(玄室方向)
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前室(開口部方向)
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前室(玄室方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
関連施設
[編集]- 壱岐市立一支国博物館(壱岐市芦辺町深江鶴亀触)
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 「兵瀬古墳」『壱岐の島の古墳群~現状調査』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。
- 「壱岐古墳群」『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『兵瀬古墳 -市内遺跡発掘調査事業に伴う発掘調査-』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第4集〉、2005年。
外部リンク
[編集]- 壱岐古墳群 - 長崎県ホームページ「長崎県の文化財」