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兵瀬古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兵瀬古墳
墳丘・石室開口部
所属 壱岐古墳群
所在地 長崎県壱岐市芦辺町国分本村触1154
位置 北緯33度48分9.73秒 東経129度42分42.35秒 / 北緯33.8027028度 東経129.7117639度 / 33.8027028; 129.7117639座標: 北緯33度48分9.73秒 東経129度42分42.35秒 / 北緯33.8027028度 東経129.7117639度 / 33.8027028; 129.7117639
形状 円墳
規模 直径53.5m
高さ13m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
(内部に組合式箱式石棺
出土品 須恵器
築造時期 6世紀
史跡 国の史跡「壱岐古墳群」に包含
地図
兵瀬古墳の位置(長崎県内)
兵瀬古墳
兵瀬古墳
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兵瀬古墳(ひょうぜこふん)は、長崎県壱岐市芦辺町国分本村触にある古墳。形状は円墳壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。

概要

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史跡「壱岐古墳群」6基
古墳名 形状 規模 築造時期
対馬塚古墳 前方後円墳 墳丘長63m 6c後半
双六古墳 前方後円墳 墳丘長91m 6c後半
笹塚古墳 円墳 直径66m 6c後半-末
兵瀬古墳 円墳 直径54m 6c後半-末
掛木古墳 円墳 直径18-22.5m 6c後半-末
鬼の窟古墳 円墳 直径45m 6c後半-末

壱岐島中央部、南東方向へ延びる丘陵斜面上(標高105メートル)において、斜面を切断して築造された大型円墳である[1]2004年平成16年)に墳丘測量・石室実測調査が実施されている[1]

墳形は円形で、直径約53.5メートル・高さ約13メートルを測る[1]。墳丘は2段築成。墳丘の東・北・西側には丘陵との切り離し溝が認められ、周溝を含めた古墳全体としては直径約65.2メートルにおよぶ[1](壱岐島では周溝は唯一の例)。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。玄室・中室・前室・羨道からなる3室構造の石室で、石室全長12.36メートルを測る大型石室である。玄室内には組合式箱式石棺を据え、現在は部材が遺存する。石室内は未調査のため副葬品は詳らかでないが、石室実測調査の際に中室で須恵器片が採集されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀末頃と推定され、7世紀前半頃までの追葬が想定される[2]

古墳域は2009年(平成21年)に国の史跡に指定されている(史跡「壱岐古墳群」のうち)。

遺跡歴

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  • 2004年度(平成16年度)、墳丘測量・石室実測調査(壱岐市教育委員会、2005年に報告集刊行)。
  • 2009年(平成21年)2月12日、国の史跡に指定(史跡「壱岐古墳群」のうち)。

埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。玄室・中室・前室・羨道からなる3室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:12.36メートル
  • 玄室:長さ2.9メートル、幅2.48メートル、高さ2.87メートル
  • 中室:長さ2.52メートル、幅1.81メートル、現在高さ1.24メートル
  • 前室:長さ2.70メートル、幅1.77メートル、現在高さ1.33-1.47メートル

玄室の平面形は長方形に近い方形、中室・前室の平面形は長方形である。前室の右側壁には、大小2隻の船、大きい船の舳先から伸びた線1本、線の先端に斑点のある球状表現の線刻が認められる[1]

玄室には奥壁に接して組合式箱式石棺を据えており、現在は長側壁2枚の部材が倒れ込だ状態である。奥壁側の石は長さ1.95メートル・幅1.1メートル・厚さ0.15メートル、手前側の石は長さ1.90メートル・幅1.07メートル・厚さ0.13メートルを測る[1]

関連施設

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 壱岐の島の古墳群 2012.
  2. ^ 兵瀬古墳(長崎県教育庁学芸文化課「長崎県の遺跡大辞典」)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 「兵瀬古墳」『壱岐の島の古墳群~現状調査』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。 
  • 「壱岐古墳群」『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『兵瀬古墳 -市内遺跡発掘調査事業に伴う発掘調査-』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第4集〉、2005年。 

外部リンク

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