八幡山城 (美濃国)
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八幡山城 (岐阜県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 未詳・非現存 |
築城主 | 未詳 |
築城年 | 未詳 |
主な改修者 | 未詳 |
主な城主 | 人見清蔵、人見清次 |
廃城年 | 未詳 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁 |
指定文化財 | 未指定[1] |
再建造物 | なし |
位置 |
北緯35度25分23.4秒 東経136度51分50.9秒 |
地図 |
八幡山城(はちまんやまじょう)は、岐阜県各務原市蘇原の加佐美神社の裏山である、加佐美山にあった16世紀代の日本の城である。
歴史[編集]
戦国時代に人見清蔵が城主だったが、斎藤龍興に攻められ城を陥とされた[2]のち、文禄3年(1594年)に人見清次が八幡宮(現在の加佐美神社)に25石の領土を寄進した[2]こと以外は、加佐美山(八幡山)に存在し、人見清蔵と人見清次が父子だったということしかわかっておらず、詳細な年代など一切わかっていない。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 小林義徳 1984年(昭和59年) 『蘇原の歴史』 蘇原の歴史刊行委員会