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侯昭儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭儀侯氏(しょうぎ こうし、生没年不詳)は、五代十国時代後唐の荘宗李存勗の妃嬪。

生涯

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才色兼備であった。初め、朱全忠配下の勇将の符道昭に正室として嫁いだ。天祐5年(908年)、符道昭は夾寨の戦いで戦死した。侯氏は後唐軍に捕らえられ、李存勗の側室となった。「夾寨夫人」と称され、寵愛を受け、常に李存勗の征戦に従った。

その後、側室の劉氏が長男の李継岌を産み、寵愛が増した。李存勗が後唐の皇帝として即位後、劉氏が皇后に立てられた(神閔敬皇后)。同光2年(924年)11月、侯氏は昭儀に封ぜられた。

明宗李嗣源が即位すると、劉皇后は賜死となり、荘宗の妃嬪らは実家に帰された。

伝記資料

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