伊香保神社掲額事件

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伊香保神社掲額事件(いかほじんじゃけいがくじけん)とは、文政年間に発生した北辰一刀流馬庭念流抗争事件

概要[編集]

北辰一刀流創始者千葉周作は、1820年(文政3年)から廻国剣術修行の旅に出て、各地で他流試合を行なった。3年目の1822年(文政5年)、上州一の剣豪といわれる馬庭念流の小泉弥兵衛を破り、小泉をはじめ100名を超える人々が千葉に入門した。そのほとんどが馬庭念流の門人であった。

入門者たちが伊香保神社へ北辰一刀流の額を奉納しようとすると、その情報が馬庭村に伝わった。馬庭念流は戦国時代剣客樋口定次以来上州で連綿と続く流派で、新興勢力の北辰一刀流の進出を許せば面目にかかわるとして一同は憤激した。

掲額を阻止するため、馬庭念流一門500余名のほか、同じくらいの数のやくざ者や、鉄砲を持った猟師まで集まり、気勢を上げた。事態を重くみた当代樋口定輝は大事を制止するため伊香保へ向かったが、これを見た人々は、当主の出馬だと勘違いして、いよいよ騒ぎは大きくなったという。

村役人木暮武太夫代官所の取成しもあって千葉は上州から撤退し、事なきを得た。

この結果、上州(現・群馬県)において北辰一刀流は明治中期に至るまで、教える者がほとんどいなくなった。その後千葉は江戸に戻り、日本橋品川町に玄武館(後に神田於玉ヶ池に移転)と言う北辰一刀流の道場を設立した。

事件を扱った作品[編集]

参考文献[編集]