伊藤恭太郎

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伊藤 恭太郎(いとう きょうたろう、1870年 - 1929年11月)は、日本医師政治家開業医西田川郡医師会2代会長、鶴岡市医師会初代会長、鶴岡市会議員

略歴[編集]

  • 1870年明治3年) - 羽前国田川郡鶴岡(現・鶴岡市)に自由民権運動家・伊藤雄次郎の長男として生れる。
  • 1883年(明治16年) - 朝暘学校卒業
  • 進藤悠哉の医学舎に入門。
  • 1889年(明治22年) - 東京医学校済生学舎入学
  • 1892年(明治25年) - 同学舎 卒業
  • 1893年(明治26年) - 医術開業免許を取得し鶴岡に開業する。
  • 1896年(明治29年) - 鶴岡町町医 選任
  • 1899年(明治32年) - 鶴岡に疫病が流行ったため、避病院の設置を提唱して実現させる。
  • 1921年大正10年) - 西田川郡郡医 兼任
    • 町野范曹の後を受けて西田川郡医師会2代会長 就任。
  • 1924年(大正13年) - 鶴岡市議会議員 当選
    • 鶴岡市医師会初代会長 就任
  • 1929年昭和4年)11月 - 死去。享年60。

親族[編集]

  • 父:伊藤雄次郎 - 自由民権運動家
  • 姉:伊藤鶴代 - 女子教育

出典・参考文献[編集]

  • 『鶴岡地区医師会百年史』 鶴岡地区医師会(編纂・出版) 1992年