仮説実験授業

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仮説実験授業(かせつじっけんじゅぎょう)(Hypothesis-Experiment Class (HEC) )は、科学上の最も一般的で基礎的な概念を問題―予想―討論―実験の過程を通して確実に定着させていこうとする教育法である[1]。1963年(昭和38年)に板倉聖宣が科学史研究の成果をふまえて提唱[2]した[3]

概要[編集]

仮説実験授業は教科書学習指導案の機能を兼ね備えた「授業書」(HEC Classbooks (Jugyōsho) )により授業を進めるのが基本である[4]。授業書には予め問題と選択肢が用意されており、学習者はその選択肢に基づいて実験結果を予想する[4]。さらに、複数の学習者がその予想を話し合った上で実験に臨み、実験結果と仮説を比較検討する[3]。このプロセスを繰り返すことにより、学習者が概念・法則を獲得するに至るとする[3]。板倉は基礎的・基本的な概念に関わるもの常識的に考えると誤答するもの正答が簡単な実験によって判明するものという3つの条件に当てはまる課題が仮説実験授業に適するとしているという[5]。したがって、自然科学理科)に限らず、人文科学社会科学社会科)分野への適用も可能である[3]

歴史[編集]

1947年に文部省を中心とする生活単元の問題解決学習の科学教育が開始され,やがてこれと対極をなす民間の組織体として1954年に科学教育研究協議会(科教協)が発足し,自然科学の教育運動が推進されたが,双方共に科学的認識の成立論と教育内容の構成論に難があり,十分な効果を収めることはできなかった。仮説実験授業の理論と実践は,そこを能動的な認識論の確立をもって突破し,科学教育を科学的に研究する方法を開拓したのである[6]

授業書の例[編集]

たとえば、授業書〈ふりこと振動〉1974年5月版の【問題1】はこのようになっている。

  • 問題1
    • 2本の同じ長さの糸に,同じ重さのおもりをつり下げてふりこを作りました。この2つのふりこを横にひっぱって静かにはなすとき,振りはばが大きい方と小さい方とでは,1回往復するのにかかる時間は,どちらが長いと思いますか。(略)
  • 予想 10回振れる時間は,
    • ア - 振りはばが大きい方が時間がかかる。
    • イ - 振りはばが小さい方が時間かがかる。
    • ウ - どちらもほとんど同じ時間がかかる。
  • 討論
    • どうしてそうなると思いますか。みんなで討論しましょう。
  • 実験のやり方(略)
  • 実験の結果
    • ふりこが往復する時間は[(記述欄)](自分で結果を記入する)

このような「問題-予想-討論-(予想変更)-実験」を、一連の実験群が並べられた《授業書》に沿って繰り返していく。問題と問題の間に「おはなし」と呼ばれる読み物が挿入され、科学的認識の醸成を助けることもある。

理論[編集]

仮説実験授業がこれまでの教育理論と大きく違うのは、認識論に基づく実験科学であるという点である。

その授業理論は、板倉聖宣自身の科学史研究[7]から明らかにした「科学的認識の成立過程」[8]に基づいている。

文献[2]で板倉が提示した科学的認識の成立条件は、3つにまとめることができる。

  • A.すべて認識というものは、実践・実験によってのみ成立する。
  • B.科学的認識は法則的認識であり、仮説を実験的に検証することによってのみ成立する。
  • C.科学的認識は社会的認識である。

Aについて、板倉はここでいう実践や実験というものは「人間が対象に対して目的意識的に問いかける活動をいう」[9]とし、「対象を積極的に知ろうという意欲がなければ、たとえ眼前である種の自然現象が行われようとそれは実験ではないし、その自然現象の事実は当然無視されて注目をよばないことになるだろう。学校での生徒実験などではこのような現象がしばしばみられるのである」と従来の実験観を批判した。[10]

Bについては、「従来の理科教育では、最初に一連の実験事実を示して、次にそれらの事実から一つの理論を帰納的に導き出すことによっておわるという方法が、帰納法的な教育方として理想的なものと考えられ広く用いられてきたが、最初に示された実験事実がいかに典型的であっても、それをどう理解するかということは多くの場合一義的には決まらない」として、従来の科学教育を「「実験」をたてとしながらひどい押しつけを行っていることになる」[11]と批判した。

そこから仮説実験授業では「仮説(誰でも持っている直感的常識的な認識による予想)→(目的意識的な問いかけとしての)実験」をくりかえすことで、直感的常識的な認識と、科学的認識の予想を対立させるような「問題」を設定し、実験でどの予想が正しかったかを確認し、おしつけなく、子どもたちが正しい科学的認識を獲得できるように、授業を設計するのである。その具体化は後で述べる「授業書」として実現されている。

Cについて板倉は「科学者の仕事は、真理を悟ることではなく、それをだれでもが認めなければならないような形で証明してみせることである」から、「クラスの多くの児童・生徒たちに十分に納得がいくような形で証明されていない法則や理論は、それらのクラスにとって科学であるとは主張することはできないのである」[12]として、「科学上の新しい理論・発見はしばしばそれまで社会的に広く認められていた科学や常識や先入観を否定するものとして、それらの反対を覚悟の上で提出され、その反対・疑問を克服するような明快な根拠によって支えられなければならないものである」とする。

板倉は従来の科学教育が十分に子供たちに納得できるものではない「押しつけ」であり、「このことは従来あまり重要視されなかったことであって、従来の科学教育の失敗がここに起因にしていることが少なくない」[13]と指摘した。

内容[編集]

1.名称[編集]

仮説実験授業とは「科学的認識の成立過程」において述べた板倉の仮説的な理論(前述のA、B、C)にもとづいて運営される科学教育の方法と内容をさすものである。この授業が「仮説実験」の名で呼ばれるのは、科学的認識の基礎が仮説実験とにあるという「理論」の考え考え方を科学教育に意識的にトコトンまで適用して展開されるものだからである。[14]

2.目標[編集]

  • 1.目指す概念と法則をすべての子どもたちが使いこなせるようにする。
  • 2.クラスのすべての子どもたちが科学とこの授業とが好きになるように組織する。
  • 3.以上のような授業が特別のベテラン教師でなくても、教育に熱意のある教師なら誰でも実現できるような一切の準備だてをする。

1については、一連の問題が行われた後の最終的な段階の問題では、クラスの全員が目指す概念と法則を用いて、実験以前に正しくその答を示すことができるように、授業書の問題の配列を考慮する[15]というものである。

2について板倉は「目標1を体得させることができたとしても、そのためにかえってその授業に対する興味がうすれ、科学がきらいになるのでは意味がない」[16]とする。

3については「ゆきとどいた授業書、テスト問題や研究問題、練習問題、読物、実験装置、授業参考資料などの提供をさすものであって、それぞれの教師がとくべつに授業プランを作成したり、参考資料を準備しなくてもすむようにするということである」[17]とした。

3.授業書[編集]

仮説実験授業の授業書の例

仮説実験授業は「授業書」に従って行われる。授業書とは「問題を中心に構成され、このほかに研究問題、練習問題、質問、新しい科学の言葉、法則・理論のまとめ、読み物、資料などの各構成要素からなっている。」[18]

仮説実験授業における「問題」とは「すべての児童・生徒たちが各自で予想をたて、自分自身で考えて討論に参加し、実験に訴えてその真否を明らかにすることを要求するもの」[19]である。

問題に対する児童生徒の予想は、問題に示されている「選択肢」を選ぶことで行う。ここで、選択肢は単なる「当て物」ではなく、目標とする概念・法則に対する直感的常識的認識に基づく予想科学的認識に基づく予想が対立するように設定しなくてはならないことを指摘しておきたい。これには教えたい概念・法則に対する認識過程の研究が必要であり、授業書を作る上で最も難しい高度な研究である。扱う概念に対する認識過程の解明が不十分な状態では、有効な問題配列を作成することは困難であり、単なる当て物や押しつけによる正解への誘導にしかならなくなる。

認識過程の研究は板倉の「科学的認識の成立過程」による科学史研究が大いに参考になるが、科学史の展開通りに授業書の問題を配列すればうまくいくというものではなく、実際の児童・生徒たちの認識過程も研究して明らかにする必要もある。それには多くの場合実験授業が必要である。

科学教育の研究はそれ自体が高度な専門的研究を必要とするものなのである。

4.授業運営法[編集]

仮説実験授業は授業書で教育内容を規定しているが、その授業運営方法も明確に規定されているのが特色となっている。詳しくは文献[20]を参照すること。

ここでは概略を述べる。

授業書の予習は有害無益である。
授業書は一度に配らず、問題ごとに1枚ずつ配っていく。子どもたちには1ページずつファイルさせていく。
問題を理解し、実験方法を理解し、予想を立てる。
問題の意味を理解できたら予想を選ばせる。初めて習う概念であれば最初のうちは当てずっぽうでもかまわない。しかしどんな概念・法則であれ、子どもたちはあらかじめ何らかの先入観や常識にもとづいて予想ができることが、これまでの授業結果で明らかである。予想がきまったら手を上げてもらいクラス全員の予想分布を集計し、黒板に板書する。これは「自分とは違う予想を立てる人がいる」という子ども自身の認識につながる。「科学的認識は社会的な認識である」という、板倉の認識論の一つの側面である。
各自の予想に対して理由を発表し、反論があれば討論を行う。
この場合無理に理由をいわせる必要はない。理由が出なければ実験に移れば良いのである。これまでの授業結果では小学校では非常に盛り上がる討論となることが多く、中学・高校と年齢が進むにつれ討論が起こりにくくなるという傾向が報告されている。
教師は聞き役であり、討論がスムーズに行われるように交通整理をする役目を行い、正しい予想に誘導することはしない。
討論がおわったら、予想変更を問う。科学的認識が社会的認識である以上、子どもたちの意見交換とその結果生じる予想変更は、子どもたちが自分の考えを客観的に検討し、主体的に予想を選ぶことにつながる。なお、特定の意見が子どもたちの支持を集めて予想変更したからといって、実験結果が当たるという保証はない。このことから「真理は多数決ではなく、実験で決まる」という科学の民主的側面を、自然に子どもたちは学んでいくことが多数報告されている[21]
実験結果を示す。
授業書に従い実験結果を示す。授業書では実験が困難なものは「読み物」で事実を示すようになっている。このさい実験後の解説はしない。重要なのは「どの予想が正しかったのか」であり、教師は子どもたち全員に実験結果が分かるように運営しなければならない。実験結果を確認させて授業書の「結果」欄に記入させる。
これを繰り返すことで授業が進められる。
授業の進度は子どもたち次第である。
討論が長びくと進まないこともあるし、意見がでなければどんどん進む。
授業書がおわったら評価と感想を書いてもらう。
授業の評価は通常5段階で行う。
「5とてもたのしかった、4たのしかった、3ふつう、2つまらなかった、1とてもつまらなかった」というのが標準的な評価である。これまでの授業結果ではほとんどが平均4点台になっている。
感想は授業の途中で書いてもらっても良いが、終了後の感想は書いてもらった方が良い。特に中高生で反応が少ない授業であっても、感想では感動していたり、いろいろ考えていることが多くの授業結果で示されている。[22]
教師が生徒の気持ちを分かっているとは限らないのであり、本当のことは聞いてみなくては分からない。これを仮説実験授業を長く実践した小学校教師、西川浩司は「授業の値打ちは子どもが決める」と表現した。[23]

実験科学としての仮説実験授業[編集]

仮説実験授業は授業書と授業運営法がセットになっている。これは教師の行動を制約していることになる。科学的認識を子どもたちに成立させるには、十分な研究に基づいた方法によって行わなければ効果は上がらない。授業書という「規格化された授業方法」のおかげで、仮説実験授業には予想分布や討論で出る意見などの授業結果に再現性がある。

授業とは日々繰り返される行為である。再現性のある現象は科学的研究の対象となる。仮説実験授業は授業書と授業運営法によって、授業を実験科学の対象にすることに成功したのである。

授業書の授業結果に再現性があること自体、科学的認識には年齢や世代を超えた共通性が存在していることの証拠であり、板倉の「科学的認識の成立過程」の理論が実験的に正しいことを示しているのである。

授業書を用いることで授業の成功と失敗の条件が規定され、授業書は実験授業のフィードバックでより効果の上がるものに改訂することができる。これによって「研究の積み上げ」が可能になり、確実な効果の上がる多くの授業書を作ることが実現できたのである。[24]

なお、こうした仮説実験授業の運営方法については、提唱当時から「教師の主体性を奪っているのではないか」という批判があるが、実験結果は「教師も子どもたちと一緒に授業を楽しんでいる」ことが示されている。毎年7月と1月の2回開かれている仮説実験授業研究会の全国合宿研究会では、教師の主体的な研究によって実験方法を効果的に示す工夫や、授業書の効果的な運営方法の研究が数多く発表されてきた[25]。 これらの結果から「教師の主体性を奪う」という批判(それは批判者の主観的予想である)は実験的に否定されている。

仮説実験授業の教育史上の位置づけ[編集]

塚本浩司はその論文[26]で「(1960年代に確立した)仮説実験授業の基礎理論が1980 年代以降の英米における教育研究と非常に類似した問題意識に基づいている」ことを明らかにした。この事実が仮説実験授業の理論であることを知らないまま、海外に理論が伝わったのか、英米で再発見されたのかは分からない。しかし、歴史的事実として板倉の仮説実験授業の理論は、国際的な教育史上でも先駆的な独自な科学教育の理論だったということは言えるだろう。

これまで仮説実験授業の理論を英訳したものは、個人的な論文で言及される程度のものしかなかったが、2019年に『科学と方法』が英訳出版された[27]。これによってようやく仮説実験授業で使われる用語の英語表記が確定し、欧米の科学教育界にも、仮説実験授業の理論が認知されやすくなったと思われる。

仮説実験授業の拡張[編集]

板倉が提唱した仮説実験授業の理論は、科学教育だけではなく広く教育活動全般にも適用され、その理論の有効性を示している。これは「授業の研究を実験科学にすることに成功した」ために、「研究の積み上げ」が可能になったことによる必然的結果であろう。以下に、どのような発展があったのかを具体的に述べる。

キミ子方式の発見による美術教育の改革[編集]

1978年に板倉は松本キミ子(当時は小中学校の産休補助教員)と出会い[28]、彼女の美術教育の実践を知った。

板倉はすぐに仮説実験授業研究会に松本キミ子の美術の授業を紹介し[29]、仮説実験授業研究会の中に、その独自の絵の授業「キミ子方式」は急速に広まった。

キミ子方式とは、

  1. 水彩絵の具の三原色と白のみですべての色を作る。
  2. りんかく線は描かない。
  3. 描く対象に合わせて一定の手順で部分から描き始めて隣へ隣へと描いていく。
  4. 紙の大きさに絵を合わせないで、絵に合わせて紙を切り抜いたり、継ぎ足したりする。

などのこれまでの絵の書き方の常識に反する独自の教え方であった[30]

板倉がキミ子方式を高く評価したのは「松本さんの実践を見ると、絵の授業でも明らかに授業の法則性を問題にしうることがわかる」[31]と、その「再現可能性」を評価したからであった。板倉はそれまで「芸術の授業となると、先生の個性・能力に依存するところが大きくて、その授業の法則を一般化してとりだすことはなかなかできないだろう」と考えていた[32]のだが、松本キミ子の絵の授業を知って認識を新たにしたのである。その時点では、既存の美術教育界には全く松本キミ子の授業方法は受け入れられず無視されていたのだが、板倉だけは「教育を実験科学にする」という問題意識を持っていたために、キミ子方式を「繰り返し再現可能な=実験的な研究の積み上げが可能な授業理論」として評価することができたのである。さらに板倉がキミ子方式を評価したのは、その授業を受けた子どもたちが「たのしかった。また描きたい」と非常に歓迎していることも重要であった。

仮説実験授業提唱時から、板倉は「その授業を子どもたちが嫌いになってしまっては意味が無い」と主張していたのだから、キミ子方式は「たのしさの再現性」という点でも高く評価できたのである。

また、キミ子方式は「特別な教師でなくても真似することが可能なレベル」まで授業方法が構築されていた。事実、仮説実験授業研究会の中でキミ子方式が知られるようになってすぐに、キミ子方式の絵の授業をそのまま実践して成果を出した教師が出現した[33]。この点でもキミ子方式が、検証可能で、繰り返し再現できる教育の理論であることは明らかであった。

キミ子方式は「授業研究を実験科学にする」ときの研究対象を、科学教育から大きく広げる最初のきっかけとなった画期的な理論であった。

仮説実験授業研究会ではその後、美術分野でも多くの研究が行われるようになって[34]今日までに多くの授業プランが作成され、月刊誌『たのしい授業』(仮説社)に発表されている。

イメージ検証授業の提唱[編集]

板倉は1981年の講演で、「とくに社会科学の授業を考えているうちに、いまから17〜18年ほど前に私自身の提唱した仮説実験授業とは別に、「イメージ検証授業」と名付けられるような理論を構築しなければならないのではないか、と考えるようになった」として、「イメージ検証授業」という概念を初めて発表した[35]

仮説実験授業は「科学上のもっとも基礎的・一般的な法則・概念を教えて、科学とはどのようなものかということを体験させることを目的とした授業」[36]である。しかし、1980年当時までに作られた授業書の中には必ずしもその定義に当てはまらないと思われるものも存在していた。

たとえば宇宙の広大さをイメージさせる〈宇宙への道〉、江戸時代から明治時代への時代区分を教える〈日本歴史入門〉がそのような授業書であった。

板倉はこれら2つの授業書を例にあげながら、「宇宙や地球についての正しいイメージを作り育てる」という授業は「基本的な概念ではあるが、多くのものに共通する一般的な概念・法則というわけにはいかない」[37]から、これは仮説実験授業の授業書というわけにはいかない[38]とした。そこで「イメージ検証授業」と名付けたらどうだろうかと提唱したのである。

〈日本歴史入門〉も同様に、歴史の発展の法則を教えるという意図もあるが、一番の目的は「江戸時代とか近・現代の社会とかのイメージを正しく伝えることを第一番のねらいとしている」[39]ので「イメージ検証授業」と呼んで、仮説実験授業とは区別した方が良いと考えたのである。

イメージ検証授業は「イメージは事実の重ね合わせによって作られる」[40]、「基本的な予想の当たる元になるイメージを教える」[41]という基本的な考えによって作られた授業書である。

板倉は「仮説実験授業もイメージ検証授業の一種で、その授業で取り上げる概念・イメージが科学的に明確に定義しうるとき、イメージ検証授業は仮説実験授業となる」[42]として、イメージ検証授業を従来の仮説実験授業よりも広い概念[43]として提唱している。

このようにイメージ検証授業という概念は、それまでに作成された多様な授業書の理論的位置づけの見直しと、仮説実験授業の研究対象が科学教育以外にも拡張されたことを示している。

仮説証明授業の提唱[編集]

1993年に板倉は「数学でも仮説実験授業のようなたのしい授業が可能である」ということを明らかにし、その授業を仮説証明授業と呼ぶことを提唱した[44]

このとき板倉は、「数学というのは実験で真理が決まるのではなくて、〈証明〉という手続きによって真理が決まる」という考えを述べている[45]

そして、板倉は「これまでの数学の授業が楽しくならなかったのは、「実験がないからではなくて、魅力的な仮説が提示されていないために、その証明を理解する意欲も生じなかったからだ」と考えるべきだ」[46]。従来の数学教育では「あまり分からせよう、分からせようと努力するからいけない」[47]「あまりにも一生懸命に「これはこうでしょ、これはこうでしょ」とたたみかける。それでつまらなくしているんです。分かりやすくさえすれば数学が楽しくなると勘違いしている。分からせることだけを大切にして、楽しさを犠牲にしている」[48]と従来の数学教育の問題点を明らかにした。

そこで板倉は「これまでの数学教育は〈証明の仕方がまずかった〉というよりも、〈証明しよう〉という意欲を起こさせるのに失敗してきた」[49]のだと考えたのである。

その問題の解決のためには「証明の前に仮説がはっきり提示されていることが重要である」から、「数学の授業でも(科学の授業と)同じようにして、証明の前に仮説をはっきりさせるようにした「仮説証明授業」をやれば、それでたのしい授業ができそうだ」[50]と考えたのである。

板倉は仮説証明授業を具体化した、授業書案〈勾配と角度〉を発表し[51]、実際に数学でも仮説実験授業と同等なたのしい授業が実現できることを示している。これ以降、数学教育も実験科学の研究対象として確立し、仮説証明授業の授業書が作られていった[52][53]

たのしい授業の提唱[編集]

1983年に板倉は新しい月刊誌『たのしい授業』を仮説社から創刊した。その創刊前の宣伝パンフレットには「たのしい授業の実現こそ、子ども・教師・学校・教育・研究をよみがえらせる一番確かな、一番の早道である」とその意義を宣言している[54]

板倉が「たのしい授業」を前面に押し出す方向に踏み出したのは「今、日本の教育は明治以来かつてないほど荒廃しています。それは教育の量的拡大がかなり満足すべき状態に達してきたという状況によると言っても良いでしょう」[55]と、1980年当時の日本の教育の状況を見たからである。

そして「制度の枠を超えて大胆な研究をすすめることなしには、この教育の荒廃を救う道はない」と創刊の言葉で述べた。

雑誌『たのしい授業』は「そのような現実の中で楽しく生きる知恵を生み出す媒体として創刊される」[56]と創刊の目的を明らかにしている。

板倉が「たのしい授業」を宣言できたのは仮説実験授業の研究成果が確固たるものになったことが裏付けとしてある。

板倉は1991年の『たのしい授業』の101号で「私たちは反発の声を予想しながらも、あえて「たのしい授業」と題した本誌を創刊した」[57]と当時の様子を振り返っている。

現在では「たのしい授業」という言葉は教育関係者に一定の市民権を得て普及したと言えるが、一方で板倉は「具体的な手立てを提供することなしに「たのしい授業」という言葉だけが普及したら、それこそ現場の教師や子どもたちを苦しめるだけのことになっていく」[58]と警鐘も鳴らしている。そこには誰でも再現可能な「実験科学としての授業の研究」を打ち立てることが、たのしい授業を実現する唯一の道であるという板倉の主張が込められているのである。

仮説実験授業は「たのしさ」を前面に打ち出すことで、「誰でも再現可能なたのしい授業を作り出す理論」として、当初の科学教育から研究対象を大きく広げたのである。

ものづくりの授業[編集]

『たのしい授業』の刊行によって、仮説実験授業研究会では「ものづくりの授業」が大きく発展した。従来も工作の授業は存在していたが、『たのしい授業』に掲載されるものづくりは「誰がやってもうまくできる」[59]ことが検証されたものであったため、読者の信頼を得て、多くの学校で実践されることとなった[60]

これは「授業を実験科学の対象にする」「教育の研究を実験科学として確立する」という仮説実験授業の理論があったからこそ実現されたことなのである。

そしてものづくりにも「たのしさ」が重要視されているのはいうまでもない。

山本正次の「よみかた授業」[編集]

仮説実験授業は科学教育を超えて、国語教育も実験科学にすることに成功している。仮説実験授業を実践してきた山本正次は「読み方授業書プラン」[61][62]を開発し、誰でも授業プランの通りに授業すれば、一定の効果を上げられる国語の授業の具体化に成功した。

「ミニ授業書」の提唱[編集]

板倉聖宣は従来の授業書に加えて、ミニ授業書という形式を1984年頃から提案している。[63]

ミニ授業書は小さい判型で一つの話題について簡潔に「仮説・実験」を行えるようになっている。授業書を作るには広範な研究が必要で、作成には大きな努力が必要だが、ミニ授業書は比較的手軽に作ることができる。[64]

原子論の教育[編集]

 仮説実験授業提唱前に刊行した『物理学入門』[65]で,板倉は「原子論からみた力学入門」を書いている。この中の「原子論と重さの概念」[66]は仮説実験授業の授業書〈ものとその重さ〉で物質不滅の法則を原子論的に明らかにしていくことで具体化された。「原子論からみた固体と力」[67]は授業書〈ばねと力〉によって「弾性を持った原子の集合体としての〈固体のばねモデル〉」で具体化された。このように板倉は当初から原子論的なものの見方考え方が,科学教育で大きな効果を上げることを予想していた。

 1971年に板倉は『もしも原子がみえたなら』[68]という絵本を刊行した。

発泡スチロール球で作成した1億倍実体積分子模型

これは実体積分子模型を全面にだして,空気を作る分子を生き生きとイメージしていくものだった。この絵本は1974年に研究会員の平林浩よって授業書化され[69],仮説実験授業研究会の中で「空気中の1億倍実体積分子図の色塗りをしながらお話を読んでいく」という授業が広まった。その授業によって小学生低学年から大人まで,だれでも分子模型をイメージすることが大好きになることが分かった[70]

 1985年に板倉と吉村七郎の共著記事「分子模型の作り方」が発表[71]され,発泡スチロール球を使った分子模型作りが開発された。その結果「原子や分子の授業は,自分たちで分子模型を作った方がずっと楽しい」ということが確認された[72]。そして1992年,平尾二三夫によって「ユニポスカキャップ法」[73]が発表され,空気中の分子だけでなくブドウ糖,砂糖,石けん,ベンゼンなどの大きな模型まで簡単に作れるようになった。小学校ではこれらの授業書と分子模型を用いて小学校1~2年でも原子や分子を楽しく教えることができることが実証された。
現在では高分子や結晶などの分子模型も作られるようになり,原子をイメージして世界を眺める楽しさが,仮説実験授業を中心とした科学入門教育の中で普及定着している。

仮説実験授業研究会と仮説社[編集]

授業書の開発は仮説実験授業研究会(Association for Studies in Hypothesis-Experiment Class (ASHEC) )が中心となって行っている[3]。また、仮説社が仮説実験授業に関する書籍を扱っている。授業書本体や、その実施に必要な実験器具、授業の準備の助けとなる実験ノートなども、仮説社で入手することができる。

脚注[編集]

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  1. ^ 朝日新聞社編『現代人物事典』(1977年)の「板倉聖宣」の項。
  2. ^ 板倉聖宣,「ふりこと振動―仮説・実験授業のためのテキスト」,『理科教室』,国土社,1963年11月号
  3. ^ a b c d e 碓井岑夫 2003, p. 102.
  4. ^ a b 小林重章 2011, p. 40.
  5. ^ 竹綱誠一郎 1999, p. 128.
  6. ^ 庄司和晃「板倉聖宣」『現代人物事典』朝日新聞社,1977年,p.117。
  7. ^ 板倉聖宣、「古典力学と電磁気学の成立過程とその比較研究」、『科学の形成と論理』、季節社、1973、pp.103-236(1957年の板倉27歳の時の博士論文)
  8. ^ 板倉聖宣、『科学と方法』、季節社、1969、pp.203-218
  9. ^ 『科学と方法』、p.203
  10. ^ 『科学と方法』、p.205
  11. ^ 『科学と方法』、p.211
  12. ^ 『科学と方法』、p.215
  13. ^ 『科学と方法』、P.217
  14. ^ 『科学と方法』、p.219
  15. ^ 『科学と方法』、p.221
  16. ^ 『科学と方法』、p.221
  17. ^ 『科学と方法』、p.223
  18. ^ 『科学と方法』、p.227
  19. ^ 『科学と方法』、p.227
  20. ^ 板倉聖宣、『仮説実験授業のABC 第5版―楽しい授業への招待』、仮説社、2011
  21. ^ 西川浩司、『授業のねうちは子どもがきめる―たのしい教師は自然発生しない』、仮説社、2001
  22. ^ 仮説実験授業を行った教師が「主体的に楽しんでいる様子」は月刊誌『たのしい授業』(仮説社、1983年創刊)に多くの記事が掲載されていることでわかる。
  23. ^ 西川浩司、『授業のねうちは子どもがきめる―たのしい教師は自然発生しない』、仮説社、2001
  24. ^ 『仮説実験授業のABC 第5版―楽しい授業への招待』
  25. ^ 仮説実験授業の全国合宿研究会では毎年多くのレポートが発表され,多くの人々の意欲的な活動が見られる。
  26. ^ 塚本浩司、「仮説実験授業の理論と、1980 年以降の英米における"新しい物理教育研究”」、物理教育、第52巻2号、2004
  27. ^ Kiyonobu ITAKURA、『HYPOTHESIS-EXPERIMENT CLASS (Kasetsu): With Practical Materials for Fun and Innovative Science Classes』、京都大学学術出版会 、2019
  28. ^ 「プロフィール」、キミ子方式公認HP/キミコ・プラン・ドゥ(http://www.kimiko-method.com/profile.htm)
  29. ^ 板倉聖宣、「絵を描くことと文章を書くこと-松本キミ子さんの『絵の描けない子は私の教師』を読んで」、『授業科学研究 2』、1979、仮説社、pp.57-63
  30. ^ 松本キミ子、「絵の描けない子は私の教師」、『授業科学研究 2』、1979、仮説社、pp.5-56
  31. ^ 『授業科学研究 2』、p.58
  32. ^ 『授業科学研究 2』、p.58
  33. ^ 『授業科学研究 2』、1979、仮説社、に伊藤篤子と干台治男の実践結果が掲載されている。
  34. ^ 毎年開かれている仮説実験授業研究会の全国合宿研究会でも、毎回美術分科会が設定されるほど資料が集まっていることからも、美術教育が実験科学の対象として仮説実験授業研究会の中に定着していることがわかる。
  35. ^ 板倉聖宣、「イメージ検証授業の提唱」、『授業科学研究 12』、仮説社、1982、pp.5-37
  36. ^ 『授業科学研究 12』、p.6
  37. ^ 『授業科学研究 12』、p.19
  38. ^ 『授業科学研究 12』、p.19
  39. ^ 『授業科学研究 12』、p.21
  40. ^ 『授業科学研究 12』、p.32
  41. ^ 『授業科学研究 12』、p.34
  42. ^ 『授業科学研究 12』、p.37
  43. ^ 『授業科学研究 12』、p.37
  44. ^ 板倉聖宣、「たのしい授業の思想と数学教育-仮説証明授業の提唱-」、『たのしい授業 1993年7月号』No.130仮説社、pp.6-36
  45. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.8
  46. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.22
  47. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.22
  48. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.23
  49. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.23
  50. ^ 『たのしい授業 1993年7月号』、p.22
  51. ^ 板倉聖宣、「授業書案とその解説〈勾配と角度〉」、『たのしい授業 1993年7月号』No.130、仮説社、pp.38-63
  52. ^ 出口陽生、「授業書〈図形と証明〉」、『仮説実験授業研究8』、仮説社、1999、pp.93-193
  53. ^ 松崎重広・板倉聖宣、「授業書〈広さと面積〉とその解説」、『仮説実験授業研究4』、仮説社、1994、pp.120-178
  54. ^ 『たのしい授業 1991年3月臨時増刊号-たのしい授業ハンドブック』(No.101)扉の裏に再掲載されている。
  55. ^ 『たのしい授業 1991年3月臨時増刊号-たのしい授業ハンドブック』の扉に再掲載されている。
  56. ^ 同上
  57. ^ 『たのしい授業 1991年3月臨時増刊号-たのしい授業ハンドブック』、p.2
  58. ^ 『たのしい授業 1991年3月臨時増刊号-たのしい授業ハンドブック』、p.2
  59. ^ 『たのしい授業 1991年3月臨時増刊号-たのしい授業ハンドブック』、p.14
  60. ^ 『たのしい授業』に掲載されたものづくりの記事は、その後『ものづくりハンドブック』(仮説社)としてまとめられたが、2019年5月現在で第10巻が刊行されるほどの活発な研究分野となっている。
  61. ^ 山本正次、『よみかた授業プラン集』、仮説社、1992
  62. ^ 山本正次・松口一巳、『国語の授業―きく・はなす・よむ・かく (やまねこブックレット教育) 』、仮説社、2015
  63. ^ 板倉、『下町主義の教育研究』(仮説社、1995)の145ぺからの(1995.3.31現在)著書目録には、1984年以前には、ミニ授業書はなく、『(ミニ物知り問題集)世界の国ぐに』1984.5刊、『(観光案内ミニ授業書)鹿児島と明治維新』1984.7刊となっている。そこから推測されるのは、1984年5月〜7月の間に「ミニ授業書」という概念か発想が出来たと思われる。
  64. ^ たとえば、板倉聖宣、『焼き肉と唐辛子』(仮説社、1988)などがある。
  65. ^ 板倉聖宣・江沢洋,『物理学入門 科学教育の現代化』,国土社,1964年。雑誌『科学朝日』1962年10月号からの連載記事をまとめた単行本である。
  66. ^ 『物理学入門』,pp.10-31
  67. ^ 『物理学入門』,pp.68-80
  68. ^ いたずら博士の科学の本『もしも原子がみえたなら』1971年10月,国土社
  69. ^ 『日本理科教育史』の「年表」による。
  70. ^ 板倉聖宣,「分子模型とたのしい授業」,『分子模型を作ろう』,仮説社,1992,p.6
  71. ^ 『たのしい授業』1985年12月号,仮説社。
  72. ^ 「分子模型とたのしい授業」,p.6
  73. ^ 平尾二三夫・板倉聖宣,『分子模型を作ろう』(仮説社,1992年)で使われている分子模型の作り方。水性のユニポスカでスチロ-ル球の色を塗り,キャップで球に丸く印を付けてカッターで分子の結合面を切る方法である。

参考文献[編集]

  • 碓井岑夫「仮説実験授業」『新版学校教育辞典』今野喜清・新井郁男・児島邦宏、教育出版、2003年、102頁。ISBN 4-316-34950-3
  • 小林重章「仮説実験授業」『新版教育小事典第3版』平原春好・寺﨑昌男、学陽書房、2011年、40頁。ISBN 978-4-313-61033-0
  • 竹綱誠一郎、鎌原雅彦『やさしい教育心理学』有斐閣〈有斐閣アルマ〉、1999年。ISBN 4-641-12068-4
  • 板倉聖宣・江沢洋『物理学入門 科学教育の現代化』国土社、1964年。
  • 板倉聖宣『科学の形成と論理』季節社、1973年。
  • 板倉聖宣『仮説実験授業のABC 第5版』仮説社、2011年。ISBN 978-4-7735-0229-9
  • Kiyonobu Itakura (2019). Hypothesis-Experiment Class (Kasetsu). Kyoto University Press and Trans pacific press in Australia. ISBN 978-1-925608-87-8. 
  • 板倉聖宣『仮説実験授業―授業書〈ばねと力〉によるその具体化―』仮説社、1974年。ISBN 978-4773500035
  • 板倉聖宣『科学と方法』季節社、1969年。ISBN 978-4873690018
  • 板倉聖宣『日本理科教育史(増補版)』仮説社、2009年。ISBN 978-4773502121
  • 板倉聖宣『もしも原子がみえたなら―いたずらはかせのかがくの本 (いたずらはかせのかがくの本 新版)』仮説社、2008年。ISBN 978-4773502107

関連項目[編集]

外部リンク[編集]