今井順斎

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今井 順斎(いまい じゅんさい、万治元年(1658年) – 享保3年8月1718年))は、江戸時代中期の日本の篆刻家である。

を健、を元昌、順斎は。はじめ松浦姓を名乗ったが今井姓に復した。長崎の人。

略伝[編集]

松浦静軒の子で、代々続く医業を継いだ。様々な師に就いて医業を研鑽し一家を成した。

傍らで篆刻を嗜み、篆学に精しく(一説に亡命したの石周麟に学んだという)鉄筆を揮った。貞享3年(1686年)に江戸に出て、池永一峰の家に寓居してともに篆刻を研鑽した。一峰の『一刀万象』に序文を寄せ、そのタイトルも順斎が名付けたという。篆刻の黎明期にあって以降の装飾的な印風を排撃し古印を尊ぶ姿勢を示している。法帖模刻したが、技術が未開発で劣悪だった。貞享年間に榊原篁洲細井広沢と正面刷の技法を編み出して以来、法帖の精度が格段に高まった。後にこの方法を世に紹介している。

元禄2年(1689年)10月、医師として水戸藩に仕え、正徳5年(1715年)3月には幕府侍医に至る。

出典[編集]

関連項目[編集]