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今井信是

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
今井信是
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 享禄4年4月12日1531年4月28日)?
別名 浦信是[1]、浦兵庫、通称:兵庫助
主君 武田信虎
氏族 今井氏(甲斐源氏逸見氏)
父母 父:今井信慶[1]
兄弟 信是矢戸源三
信元虎意貞恵信隣
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今井 信是(いまい のぶこれ)は、戦国時代武将武田氏の家臣。甲斐国逸見の領主。

生涯

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今井氏甲斐源氏逸見氏の流れを汲む名族であるが、府中(表)今井家ではなく、浦(裏)今井家の一族であるため、通称の兵庫助から浦兵庫と言われる[1]

永正6年(1509年)、信濃国諏訪頼満に攻められた際、息子・今井信隣の室に頼満の娘を迎えて和睦した[1][2]。永正16年(1519年)1月、信是は主君・武田信虎に対して反乱を起こすが、4月に鎮圧されて降伏した[3]。永正17年(1520年)5月、信虎の甲斐国人に対する甲府集住政策に対して栗原信友大井信達らと共に反発して信虎を蔑視、甲府から退去して反乱を起こした(『勝山記』)。しかし6月8日の都塚の戦い、6月10日の今諏訪の戦いで栗原、今井、大井らは信虎に大敗[4]。信是は大井信達と共に信虎に降り、降伏の条件として息子・信元に家督を譲った[2]

以後、信是の活動は史料で確認できない[2]享禄4年(1531年)に信元の起こした反乱(河原辺の戦い)で戦死したともされるが、定かではない。

脚注

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  1. ^ a b c d 柴辻 2007, p. 191.
  2. ^ a b c 柴辻 2007, p. 192.
  3. ^ 柴辻 2007, p. 60.
  4. ^ 柴辻 2007, p. 61.

参考文献

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  • 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年。ISBN 978-4-404-03423-6 

関連項目

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