中野財閥

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中野財閥(なかのざいばつ)は、かつて新潟市に存在した地方財閥。

歴史[編集]

中野家の祖先は越前朝倉氏最後の当主・朝倉義景織田信長に滅ぼされたことによって、迫害を避けるため海路で越後に逃れ、後に新潟に土着し商売を始めたのが始まりだった。

中野財閥は新潟三大財閥(斎藤喜十郎財閥鍵冨三作財閥新潟白勢財閥)には数えられなかったものの、それらに次ぐ規模の財閥であった。鉄道海運を経営し、「新潟交通と言えば中野家」と称されるほど、交通分野では他の財閥の追随を許さなかった。また電力事業にも参入し、新潟電灯株式会社東北電力の一部となり消滅)を設立。新潟の近代化に大きく寄与した。

第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による財閥解体の指令により解体された。

現在事業を継承している会社は新潟交通新潟日産自動車など。

出典[編集]