下毛野公時
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 長保2年(1000年) |
死没 | 寛仁元年(1017年)[1] |
別名 | 近衛府官人「第一の者」 |
官位 | 無位、随身・相撲使 |
主君 |
一条天皇→三条天皇→後一条天皇 藤原道長 |
氏族 | 下毛野朝臣 |
父母 | 父:下毛野公友、母:尾張兼時娘 |
特記 事項 | 童話「金太郎」のモデルとなったとされる[1]。 |
下毛野 公時(しもつけの の きんとき)は、平安時代中期の官人。童話「金太郎」のモデル[1]。
略歴
[編集]下毛野氏は、10世紀以降に代々下級武官を務めた氏族であった[2]。公時は近衛府の下級官人であった下毛野公友を父、尾張兼時の娘を母として長保2年(1000年)に出生した。
寛弘6年(1009年)には、近衛舎人となっており、18歳で死去するまでには番長となり、その間三条天皇の行幸に際しての歌舞(東遊)や、騎射(真手結)、相撲使を務め、併行して藤原道長の随身ともなっていた。
寛仁元年(1017年)8月24日以前に相撲使として赴いた筑紫にて死去。享年18。
伝説化
[編集]→詳細は「金太郎」を参照
存命中、近衛府官人「第一の者」と言われ、死後もその評判は衰えなかった[1]。『今昔物語集』では既に源頼光の郎党としての「公時」が見られており、伝説化の始まりと言える[1]。その後鎌倉時代から中世末期にかけ、「頼光四天王」伝説の定着により、次第に「金太郎」伝説となっていったと考えられている[1]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 川島茂裕(著)、国立歴史民俗博物館(編)「下毛野公時と金太郎伝説の成立」『国立歴史民俗博物館研究報告 第45集 田中稔教授追悼号』、国立歴史民俗博物館、1992年12月、NCID AN00377607。
- “【下毛野氏(しもつけぬうじ)】” ( ). 世界大百科事典 第2版 (1998年10月). 2014年7月25日閲覧。
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年