ヴラディミル・ストイチェフ

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ヴラディミル・ストイチェフブルガリア語: Владимир Димитров Стойчев1892年2月24日 - 1990年4月27日)は、ブルガリアの軍人。大将。ブルガリア人民共和国英雄(2度)。

経歴[編集]

1911年、ウィーンのテレジア士官学校を卒業。1912年~1913年のバルカン戦争に義勇兵として従軍。第一次世界大戦には、騎兵中隊長として従軍。

1929年、軍事アカデミーを卒業。1930年~1934年、駐仏、駐伊駐在武官。1935年、反王政的見解のため軍から解雇。1937年から反ファシスト運動に参加し、再三逮捕・追放された。

1944年の九月蜂起に参加。ブルガリアが連合国側に寝返った後、第1軍司令官に任命され、ソ連軍と共にクリヴァ・パランカ、クマノヴォ、スコプル方面で攻勢を開始した。同年、ブルガリア共産党に入党。同年末、ウィーン方面に進出。この時、第1軍は、6個歩兵師団(第3、第8、第10、第11、第12、第16)、約10万人を擁した。第1軍は、バラトン防衛作戦に参加し、ドラヴァの戦いで戦死者1,357人、負傷者3,895人の損害を出した。その後、ハンガリー及びオーストリア方面への攻勢を続け、1945年5月15日、オーストリアの国境線上でイギリス軍と会合した。第1軍は、1944年12月~1945年5月の間、1万5千人以上を失った。

1945年、ストイチェフは、ブルガリア代表としてワシントンに派遣され、駐国連ブルガリア代表を務めた。1947年~1951年、最高体育・スポーツ委員会議長。1982年から終身名誉議長。

パーソナル[編集]

ブルガリア人民共和国英雄(1978年、1982年)、社会主義労働英雄(1964年)。

参考文献[編集]

"Кто был кто во второй мировой войне. Союзники СССР.", Залесский К.А., М., 2004