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ワンダーランド・カルカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワンダーランド・カルカー
Wunderland Kalkar
地図
ワンダーランド・カルカーの位置(ノルトライン=ヴェストファーレン州内)
ワンダーランド・カルカー
所在地ドイツの旗 ドイツカルカー
座標北緯51度45分51秒 東経6度19分34秒 / 北緯51.7641度 東経6.3261度 / 51.7641; 6.3261座標: 北緯51度45分51秒 東経6度19分34秒 / 北緯51.7641度 東経6.3261度 / 51.7641; 6.3261
総支配人Hennie van der Most
開業1995年
旧称Kernwasser-Wunderland
キャッチコピーUnbegrenzt erleben und genießen!
垂直スイング(冷却塔)

ワンダーランド・カルカー[注釈 1]ドイツ語Wunderland Kalkar。2005年まではKernwasser-Wunderland[注釈 2])は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州北西部のオランダ国境に近いカルカーにあるテーマパーク。一度も発電せずに閉鎖したカルカー高速増殖炉SNR-300英語版の跡地に、1995年に設置された。全面開業は2005年である[5]

ワンダーランド・カルカーは、ホテルやバー、飲食店に加えて、「ケルニー・ファミリーパーク」(Kernie's Familienpark)という名前の子供連れ家族のための遊園地を含む複合施設である。このテーマパークのコンセプトは、1回の入場料で乗り物に乗り放題、食べ放題、飲み放題であることを特色としている。

施設を運営するオランダ人経営者ヘンニー・ファン・デル・モスト (Hennie van der Most) は、はじめ金属屑類回収業から身を起こし、現在は解体工事会社のほか複数のテーマパークを所有している。テーマパークの多くはもともと他の目的でつくられた場所にある。

来場者は年60万人である。また、遊園地の繁忙期には約550人が雇用される[2]

経緯

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高速増殖炉SNR-300[5](またはカルカー増殖炉[4])は、日本のもんじゅと同時期にドイツで初めて運転される予定だった高速増殖炉である[4]1985年に試運転を開始したものの、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけにそれまで継続していた反対運動がさらに勢いを増したことで、本格運転に至らないまま、ノルトライン=ヴェストファーレン州政府から運転許可の取り消しを受けた。さらに、建設コストが当初予定の18億マルクから80億マルク以上になり[5]、原発推進の立場だった連邦与党のドイツキリスト教民主同盟は、1991年にコスト面の問題を理由に計画中止を発表した。ヘンニー・ファン・デル・モストが所有者である電気事業者から原子炉施設を買い取った後[4]は、まず遊園地の整備が始まり、冷却塔の外壁がクライミングウォール、中央制御室がレストラン、タービン室がトイレ、消防隊室がボウリング場、そして原子炉建屋がホテルに改装された[5]プルトニウム燃料が入ることのなかった原子炉自体も、「原子炉内探検ツアー」が体験できるよう、底部に電飾を施して見学者を受け入れた[4]。こうした経緯から、SNR-300をドイツの「脱原発」の原点とみなす意見もある[5]。2011年にドイツで制作されたドキュメンタリー映画『アンダー・コントロール』はドイツの原子力産業を題材としており、作中でワンダーランド・カルカーも紹介されている。(cf. アンダー・コントロール

アトラクション

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ワンダーランド・カルカーの主な施設

  • ホテル
  • レストラン
  • テニスコート

ケルニー・ファミリーパークの主なアトラクション

脚注

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注釈

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  1. ^ 「ecomom[エコマム]スペシャルリポート ドイツ原発跡地が遊園地に!」[1]で確認したカタカナ表記。他に、ワンダーランド・カルカル[2]ワンダーランド・カルカール[3]などの表記がみられる。
  2. ^ 「核の水ワンダーランド」[4]または「核水ワンダーランド」[5]の意。

出典

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  1. ^ シュピッツナーゲル典子 (2011年6月10日). “スペシャルリポート ドイツ原発跡地が遊園地に!”. ecomom[エコマム]. 日経BP社. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月26日閲覧。
  2. ^ a b 原発跡地の遊園地、ドイツ西部”. AFP BBNews (2011年6月4日). 2011年6月25日閲覧。
  3. ^ 廃止後に遊園地として生まれ変わったドイツのカルカール原発”. らばQ (2011年6月23日). 2011年6月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e 貞広貴志 (1998年10月14日). “[模索するドイツ](19)社民党「脱・原発」の行方(連載)”. 読売新聞東京朝刊 (読売新聞社): p. 7 
  5. ^ a b c d e f 益田肇 (2000年12月5日). “[脱原発の最前線]ドイツ見聞記/1 象徴 原子炉建屋、ホテルに”. 毎日新聞地方版/青森 (毎日新聞社) 

外部リンク

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