ライオンカン

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ライオンカン
LION-KAN
情報
旧名称 ライオン舘
完成 1922年
開館 1922年8月1日
閉館 1999年11月5日
最終公演 ディープ・ブルー[1]
収容人員 500[2]
用途 映画上映
所在地 760-0041
香川県高松市百間町9番地5
位置 北緯34度20分42.4秒 東経134度3分6秒 / 北緯34.345111度 東経134.05167度 / 34.345111; 134.05167 (ライオンカン
LION-KAN
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座標: 北緯34度20分42.4秒 東経134度3分6秒 / 北緯34.345111度 東経134.05167度 / 34.345111; 134.05167 (ライオンカン
LION-KAN
)
アクセス ことでん琴平線片原町駅より徒歩3分
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ライオンカン(LION-KAN)は、かつて香川県高松市にあった映画館である。

歴史[編集]

1922年(大正11年)8月1日、矢野米により開館した。同館の名称は、矢野米の夫である矢野庄太郎が経営し、成功を収めていた矢野サーカスライオンにあやかって付けられた[3]。このため開館初期は本物のライオンの展示も行われている。開業8年を経た1930年(昭和5年)の時点では、高松市内の映画館は当館の他、玉藻座、高松劇場、昭和館の4館が存在していた[注 1]

当初は、松竹映画専門館であったが、戦後は洋画ロードショー館として再建[5]。入場者は1958年(昭和33年)にピークに達し、約50万人を記録したが、以後次第に減少し、シネマコンプレックス進出の影響もあり、1999年(平成11年)11月5日に閉館し、77年の歴史に幕を閉じた。

現在、「ライオンカン」の名称は、同館があった通りの愛称(ライオン通り)と、跡地に建てられた穴吹興産のマンションの名称(アルファステイツライオン館)として残っている[3][6]

年表[編集]

  • 1922年(大正11年)8月1日 - 開館。
  • 1945年(昭和20年)7月4日 - 高松空襲により全壊[5]
  • 1946年(昭和21年) - 再建。
  • 1969年(昭和44年) - ボウリング場や喫茶店も入居する新館が開館。オーエスと業務提携を開始。
  • 1999年(平成11年)11月5日 - 閉館。
  • 2009年(平成21年)6月 - 跡地にアルファステイツライオン館が竣工[6]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1930年の映画館(四国地方) 「消えた映画館の記憶」を参照した[4]

出典[編集]

  1. ^ 館蔵品検索. “ディープ・ブルー立て看板”. 歴史資料. 香川県立ミュージアム. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ 館蔵品検索. “表示「定員500人」”. 歴史資料. 香川県立ミュージアム. 2013年5月26日閲覧。
  3. ^ a b “高松「ライオンカン」跡地、分譲マンション建設へ”. 四国新聞. (2007年10月3日). https://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/economy/article.aspx?id=20071003000088 2013年5月26日閲覧。 
  4. ^ 『日本映画事業総覧 第4囘(昭和5年版)』 国際映画通信社、1930年
  5. ^ a b 館蔵品検索. “ライオンカン資料(1)”. 歴史資料. 香川県立ミュージアム. 2013年5月25日閲覧。
  6. ^ a b 物件資料. “アルファステイツライオン館”. 株式会社穴吹ハウシングサービス. 2013年5月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]