ヨアヒム (アンハルト=デッサウ侯)

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ヨアヒム
Joachim
アンハルト=デッサウ
在位 1516年 - 1561年

出生 (1509-08-07) 1509年8月7日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンハルト=デッサウ侯領、デッサウ
死去 (1561-12-06) 1561年12月6日(52歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンハルト=デッサウ侯領、デッサウ
家名 アスカーニエン家
父親 アンハルト=デッサウ侯エルンスト
母親 マルガレーテ・フォン・ミュンスターベルク
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ヨアヒム(Joachim, 1509年8月7日 - 1561年12月6日)は、アンハルト=デッサウ侯(在位:1516年 - 1561年)。

生涯[編集]

ヨアヒムは、アンハルト=デッサウ侯エルンスト(1451年 - 1516年)とミュンスターベルク公ハインリヒ1世の娘マルガレーテ(1473年 - 1530年)の間に末息子として生まれた[1]。大学で教育を受けた後、ヨアヒムは主にザクセン公ゲオルクの宮廷で暮らしたが[1]、ゲオルクはヨアヒムがルター派の教義に改宗するのを阻止できなかった。

当初、ヨアヒムは兄のヨハン4世、ゲオルク3世とともに統治したが、1546年に領地を分割し、ヨアヒムはデッサウ、リッペネ、イェスニッツ、ヴェルリッツ、ラグーンを受け取った[2][3]。ヨアヒムは建築活動を活発に展開し、治安規則を発した。デッサウでは、1554年に聖マリア教会の塔を改修した。ヨアヒムは孤独とみなされていたが、ルターメランヒトン、ヨアヒム・カメラリウスの親しい友人であった[2]。ヨアヒムは未婚で子供も残さずに亡くなり、領地は兄ヨハン4世の息子たちの手に渡った。

脚注[編集]

  1. ^ a b Gleditsch 1842, p. 56.
  2. ^ a b Gleditsch 1842, p. 57.
  3. ^ Heine 1866, p. 58.

参考文献[編集]

先代
エルンスト
アンハルト=デッサウ
1516年 - 1561年
(1546年までヨハン4世、ゲオルク3世と共同統治
次代
ヨアヒム・エルンスト
ベルンハルト7世