ヤーン・キルシプー

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ヤーン・キルシプー

ヤーン・キルシプー(Jaan Kirsipuu、1969年7月17日 - )、エストニアタルトゥ出身の元自転車プロロードレース選手。1992年プロデビュー。2006年に引退したが翌年復帰。鋭い切れ味のゴールスプリントを武器に活躍したスプリンター。勝利を追求する貪欲な走りと魁偉な容貌から「ブルドッグ」の異名をとった。

所属チーム[編集]

  • 1992-95年 シャザル(Chazal)
  • 1996-99年 カジノ(Casino)
  • 2000-2004年 AG2R
  • 2005-2006年 クレディ・アグリコル(Credit Agricole)
  • 2007-2008年 CFC/Ruutmeeter
  • 2009〜 Giant-Veoila〜LUFTA

経歴[編集]

 当初はステージレースの区間優勝を狙うスプリンターであったが、弱小チームのためアシストも貧弱で勝利数は伸び悩んだ。ところがカジノに移籍した翌年の1997年には才能が開花。98年にはUCI公認プロレースの年間最多勝を挙げるまでになった。この勝利数増加の背景には、プレステージが高くとも自分に不向きな戦術を強いられるレースはあえてキャンセルし、確実に勝てるレースを優先[1]、チーム監督もこれを許したことが揚げられる。  こうした「勝てる」レースを優先してメジャーなレースの勝ち星が無かったことと、自転車競技のマイナーなエストニア出身ということも重なり、強さの割にメディアの注目を集めることはなかったが、1999年のツール・ド・フランスの第1ステージで遂に区間優勝を果たし、第2ステージでマイヨ・ジョーヌを獲得、一躍注目を集めることになる。第2ステージ以降の区間優勝争いでは強力なアシスト陣を擁するトム・ステールスマリオ・チポリーニの後塵を拝したものの、彼らが集団落車の巻き添えや走路妨害による降格処分でもたつく間にもこまめにボーナスタイムを稼ぎ続け、第2ステージから第7ステージまでマイヨ・ジョーヌを守りきる健闘を見せた[2]。この活躍で一躍トップスプリンターとして名を上げることになるが、山岳ステージ最難関のガリビエ峠入り口であっさりとリタイア。引退までにツール・ド・フランス出場13回、区間優勝は4回を数えるが、チポリーニ同様一度として完走することは無かった。

 その後も毎年コンスタントに2ケタ勝利を挙げ続け、引退までに遂に130勝。チポリーニやローラン・ジャラベールといった大スターの知名度には及ばないものの、数少ない「プロ100勝越え」を果たした選手となった。

2006年にいったんは引退したが翌年地元チームで復帰。プロチームには所属せずコンチネンタルチームに所属し、小規模のレースが中心であるが勝利を重ねている。2009年ツール・ド・北海道にも来日し、第3、第4ステージの二区間で連勝。 2011年現在もアジアのコンチネンタルチームに所属し現役を続行。インタビューで「新しい国を訪れて、異文化を見ること、そして新しい友達をつくるため」レースを続けていると語った。

主な勝利[編集]

グランツール[編集]

  • 1998年 ブエルタ・ア・エスパーニャ区間1勝
  • 1999年 ツール・ド・フランス区間1勝
  • 2001年 ツール・ド・フランス区間1勝
  • 2002年 ツール・ド・フランス区間1勝
  • 2004年 ツール・ド・フランス区間1勝

ステージレース[編集]

  • 1998年 ダンケルクの4日間区間1勝
  • 1999年 パリ - ニース区間1勝 ダンケルクの4日間区間2勝 ツール・ド・ロワズ区間1勝、総合優勝
  • 2000年 パリ - ニース区間1勝 ダンケルクの4日間区間1勝 カタロニア1週間区間1勝
  • 2001年 ダンケルクの4日間区間4勝
  • 2003年 ダンケルクの4日間区間1勝
  • 2006年 エトワール・ド・ベセージュ区間2勝
  • 2009年 ツール・ド・北海道区間2勝

ワンデーレース[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 一例として、当時ワールドカップシリーズの開幕戦であったミラノ - サンレモは出場せず、グランプリ・ド・ショレ=ペイ・ド・ロワーヌに出場し三連覇を果たしている。
  2. ^ この年カンティーナ・トッロチームのメカニックとしてレースを間近で見ていた永井孝樹は「キルシプーのラスト50mの伸びはチポリーニが止まって見える」と絶賛している。

外部リンク[編集]