ミン・リー

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Minh Le

ミン・リー
国籍 カナダの旗 カナダ
別名 グースマン (Gooseman)[1]
民族 ベトナム人
出身校 カナダ サイモンフレーザー大学[2]
職業 プログラマ
活動期間 1996-
雇用者 フェイスパンチ・スタジオ
著名な実績 ハーフライフカウンターストライク(ジェス・クリフと共同制作)
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ミン・「グースマン」・リー(Minh "Gooseman" Le、ベトナム語: レ・ミン/Lê Minh)は、ベトナム系カナダ人英語版[3]プログラマ、ゲームディヴェロッパー。

1999年、ジェス・クリフ英語版と共同でハーフライフカウンターストライクを開発した。後ハーフライフのディヴェロッパーであるヴァルヴ・コーポレーションの社員となり、韓国にてファーストパーソン・シューティングゲームTactical Intervention英語版の開発に従事した。2016年7月のインタビューではイギリスのゲーム開発会社フェイスパンチ・スタジオ英語版のもとでファーストパーソン・シューティングゲームRust英語版の開発を担当したことを明かしている[4]。ゲームの開発チームが少人数であったこともあり、リーはプログラマとしてだけではなくモデラーやデザイナーとしても作品に携わってきた。

経歴[編集]

1996年、リーはidソフトウェアが開発したファーストパーソン・シューティングゲームQuakeと出会い、同作品のソフトウェア開発キットでゲームの開発を始めた。約1年後にQuakeのMod作品ネイビー・シールズ(Navy SEALs)を完成させた[5]。リーはQuakeのMod作品Action Quake2英語版のMod作品の開発中にカウンターストライクのアイディアを思いつき、Action Quake2のウェブマスターであったジェス・クリフと友人になった。

リーはサイモンフレイザー大学の4年次在籍中ハーフライフのMod作品であるカウンターストライクの開発に取り掛かった[1] 。2001年のインタビューでリーは当時を振り返り「週に20時間を開発のために費やし、開発のために学業のため以上の努力をした」と語っている[5]。カウンターストライクは1999年6月に第1ベータ版がリリースされた。その後の数か月間、ゲームの人気が急騰する中開発チームはすぐに更にいくつかのベータ版を産みだした[5]。その後リーはコンピューター科学の学位を得てサイモンフレーザー大学を卒業した[6]

4版目のベータ版が発売される時期までという約束で、ハーフライフの開発を担当したヴァルヴ・コーポレーションが支援を始めた[7]。2000年、ヴァルヴはカウンターストライクの権利を購入した。さらにValveはリーとクリフを社員として雇用し、二人はアメリカ合衆国ワシントン州ベルビューにて開発に従事するようになった。同地でリーはカウンターストライクの開発を続け、また様々なゲームに関わった。しかしカウンターストライク2の開発中、ヴァルヴは最終的に同作品の開発プロジェクトを無期限の保留措置とした[8]

カウンターストライク2の開発が見送られた後、リーは自身のプロジェクトを進めるためにヴァルヴを退社した[8]。少人数のグループで2年間このプロジェクトに従事し続けた後の2008年、リーは韓国へ赴いた。同国のソフト開発会社FIX Koreaがオンラインゲームへの参入を決定し、CEOのチェ・インチョが欧州留学中の友人のツテでリーにコンタクトを取ってきたのがきっかけであった[3]。リーの手による新しいゲーム作品は後に、カウンターストライクと類似するスタイルのシューティングゲームTactical Interventionである事が明かされた[9]

2014年、韓国を離れたリーはイギリスのゲーム開発会社フェイスパンチ・スタジオに参加[10]。2016年6月29日から7月1日にかけてバルセロナで開催された国際会議Gamelab 2016にスピーカーのひとりとして参加した[10]

評価[編集]

2003年、GameSpy英語版の編集者は、発売されて5年が経ってなおハーフライフが人気作品であったという理由によりミン・リーを表彰した[11]IGNはジェス・クリフとミン・リーを「ゲーム史上に残る100人のトップゲームクリエイター」の14番目にランクしている[12]

脚注[編集]

  1. ^ a b James Yu (2001年1月25日). “Gooseman Counter-Strike Interview” (英語). FiringSquad. 2006年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月2日閲覧。
  2. ^ 50 (of the) Greatest SFU People from the Past 50 Years (英語) 2015.9.7付記事
  3. ^ a b 小林真名実 FIX Korea CEO; Incho Choi インタビュー 映像産業振興機構 2016.7.17 23:45 (UTC) 閲覧
  4. ^ Sara Borondo Minh Le, creador de Counter Strike (スペイン語) VANDAL 2016.7.11付記事
  5. ^ a b c John McLean-Foreman (2001年5月30日). “Interview with Minh Le” (英語). ゲーマスートラ英語版. 2009年9月28日閲覧。
  6. ^ Interview - Minh Le of Counter Strike team” (英語). ユーロゲーマー (2000年10月3日). 2006年12月2日閲覧。
  7. ^ Development a la mod” (英語). レッド・ヘリング英語版 (2001年5月8日). 2010年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月28日閲覧。
  8. ^ a b Ben Min (2009年9月28日). “The Next Counterstrike: A conversation with Minh Le and a look at Tactical Intervention.” (英語). 2009年9月28日閲覧。
  9. ^ Breckon, Nick (2009年9月28日). “Counter-Strike Creator Reveals 'Tactical Intervention'”. Chacknews英語版. 2009年9月28日閲覧。
  10. ^ a b Ponentes estelares (スペイン語) Gamelab 2016公式サイト 2016.8.5 04:39 (UTC) 閲覧
  11. ^ Kevin Bowen (2003年2月9日). “Top Ten Reasons Half-Life is Still #1”. GameSpy英語版. 2005年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月2日閲覧。
  12. ^ Top 100 Game Creators of All Time”. IGN. 2014年9月26日閲覧。

外部リンク[編集]