マルス・ラフィコフ

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マルス・ラフィコフ
Mars Zakirovich Rafikov
宇宙飛行士
国籍 ソビエト連邦
生誕 (1933-09-29) 1933年9月29日
ジャララバードキルギス・ソビエト社会主義共和国
死没 2000年7月23日(2000-07-23)(66歳)
アルマトイカザフスタン
他の職業 ジェット戦闘機のパイロット
階級 ソ連空軍
選抜試験 Air Force Group 1

マルス・ラフィコフ(Mars Zakirovich Rafikov、1933年9月29日 - 2000年7月23日)は、ソビエト連邦宇宙飛行士であったが、規律上の理由によりソビエト連邦の宇宙開発計画から解雇された。

キャリア[編集]

26歳の軍人であったラフィコフは、ユーリ・ガガーリンらとともに、1960年3月7日に最初の20人の宇宙飛行士に選ばれた。

1962年3月24日、「モスクワのレストランで女性を追いかけまわして「いちゃついた」こと等を含め、様々な違反」により解雇された[1]。ガガーリン等の他の宇宙飛行士も同様のことを行っていたが、その地位と国際的な評判のために、公式な懲戒は受けなかった。ゲルマン・チトフは後に、彼の解雇の真の理由は、妻との離婚のためだったと示唆した[2]

軍には留まり、アフガニスタン紛争にはパイロットとして従軍した[3]

宇宙開発計画のイメージを守るため、ラフィコフの解雇理由を隠す努力が行われた。解雇された他の宇宙飛行士と同様に検閲を受け、宇宙飛行士の写真の中の彼の写真は塗りつぶされた。これが「失われたコスモノート」の陰謀論に繋がったが、実際の理由はしばしばありふれたものである[4]

出典[編集]

  1. ^ Asif Siddiqi, "Sputnik and the Soviet Space Challenge", 2000, p. 374
  2. ^ Johnson's Russia List”. www.cdi.org (1999年4月29日). 2006年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月10日閲覧。
  3. ^ Cosmonaut Biography: Mars Rafikov”. 2024年5月10日閲覧。
  4. ^ The Straight Dope: Are there really "Lost Cosmonauts" stranded in space?”. www.straightdope.com. 2003年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月10日閲覧。

外部リンク[編集]