ホルヘ・ゴンサレス

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ホルヘ・ゴンサレス
出生名 Jorge Humberto González Ríos
生誕 (1964-12-06) 1964年12月6日(59歳)
出身地  チリ サンティアゴ
ジャンル ラテン・ポップロックシンセポップ
職業 シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー
担当楽器 ギター、ベース、コントラバス、キーボード、シンセサイザー、ピアノ、パーカッション、ドラム。
活動期間 1979年 -
レーベル Fusión、EMI/Odeón、キャピトル、BMG、アレスセ、ワーナーミュージック、カデンサ
共同作業者 Los Prisioneros

ホルヘ・ウンベルト・ゴンサレス・リオスJorge Humberto González Ríos1964年12月6日)はチリサンティアゴ出身のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。非常に不遜な性格でチリでデビューの頃から注目された。チリのアーティストで最高のシンガーソングライターの一人と考えられている[1]。彼の歌詞の内容は、政治的、社会的正義について普通に書かれている。

1980年代にロックバンドロス・プリシオネロスのヴォーカリストとして、最も大事なチリ人のミュージシャンの一人だと考えられている。

略歴[編集]

サンティアゴ、サン・ミゲル区に子供から暮らし、学校での友人クラウディオ・ナレアとミゲル・タピアと共に1979年にバンドを結成した。学校を卒業したらチリ大学で音楽に入学したが、1年間の後に勉強をやめた。1983年にロス・プリシオネロスが一枚目のアルバム「La Voz de los 80」を発売し、作詞・作曲を担当した楽曲が1曲以外全曲だった。

1991年、バンド脱退後、ロンドンでEMIと契約し、ソロ活動を開始した。1993年に1枚目のソロアルバムをリリース。セールスの予想が達成されなかったから、2ndアルバム「El Futuro」のリリース後、EMIとの契約を終了させた。

1997年〜1998年の間、マルティーン・ショップフと共にバンド"Gonzalo Martínez"として活動していた。この期間には「テクノクンビア」という新しい音楽ジャンルを作り出し、1枚のアルバムをリリースした。

2000年、コカイン中毒でキューバリハビリセンターに入院することにした。

2001年、ロス・プリシオネロスが再結成し、2005年までバンドのリーダーとして活動していた。

2006年、妻ロレート・オテーロと共にエレクトロニック音楽デュオ"Los Updates"を結成[2]

ディスコグラフィ[編集]

ソロ
  • Jorge González(1993年)
  • El futuro se fue(1994年)
  • Mi destino: confesiones de una estrella de rock(1999年)
  • Libro(2012年)
  • Naked Tunes (2014年)
  • Mixed Feelings (2015年)
  • Trenes (2015年)
Los Updates
  • Los Updates EP(2007年)
  • First If You Please(2008年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]