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ホテル日本閣殺人事件

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座標: 北緯36度58分01秒 東経139度50分10秒 / 北緯36.967072度 東経139.835991度 / 36.967072; 139.835991

ホテル日本閣殺人事件(ホテルにほんかくさつじんじけん)は、温泉旅館経営者夫婦と元夫の男女3人を殺害した女性を主犯とする1961年に発覚した連続殺人事件。主犯のKは日本戦後初めて死刑を執行された女性死刑囚として知られる。

事件の概要

被害者は当時栃木県塩原温泉郷にあったホテル日本閣の経営者夫婦とKの夫(死亡時)である。このうち最初に殺害されたのはKの夫で、1952年10月2日に熊谷市にあったKの自宅で風邪薬と偽り飲まされた青酸カリにより殺害された(熊谷事件)。次に殺されたのは経営者の妻であり、1960年2月8日に殺害目的で雇われたOの手により絞殺。遺体は土間の地下に埋められ行方不明とされた。さらに経営者の夫は、同年12月31日にOが首を絞め、Kが包丁でとどめを刺す形で殺害され、遺体は床下に埋められた[1]

第2第3の事件が発覚してKと共犯者のOが逮捕されたのは1961年2月20日であり、逮捕後の取り調べの中で、第1の事件(熊谷事件)が発覚した。KとOは死刑が確定し、Kの死刑は1970年6月11日に執行されている。

犯人

1908年埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の貧農の子として生まれ、16歳で上京して家政婦として働き、22歳で結婚[2][3]。戦後故郷に戻り闇商売で成功、1952年に夫が急死し、かねてより懇ろだった若い警官と同棲したが2年で破綻、1956年に行商先の塩原温泉で土産屋を開く[3]。翌年には食堂も開いて一財産を作り、ホテル日本閣の買収に乗り出し、日本閣経営者と温泉街の雑用係の男と共謀して1960年2月に経営者の妻を殺害して女将におさまり出資するも、経営者に騙されていたことを知り、同年末に雑用係とともに経営者を殺害[3]。夫婦の相次ぐ行方不明で警察が動き、共犯の雑用係の自供により事件発覚、1963年宇都宮地方裁判所の一審判決で死刑が言い渡された[3]裁判中の供述で、保険金目的で旅館に火をつけ共犯の雑用係も口封じに殺害するつもりだったことを明かした[3]。また、投書により10年前の前夫の不審死が発覚し[3]、1966年、最高裁上告棄却し死刑確定、1970年に処刑された。

関連書

  • 『誘う女: ドキュメント日本閣殺人事件』吉田和正、三一書房、1994
  • 『ある裁判の断層 塩原日本閣事件の巻き添えをうけた元巡査の明暗』大貫大八、落合書店、1967

脚注

  1. ^ 「「日本閣事件」控訴審判決」『日本経済新聞』昭和40年9月16日夕刊,7面
  2. ^ 『20世紀名言集大犯罪者篇』犯罪心理研究所、情報センター出版局、2001, p96
  3. ^ a b c d e f 『死刑囚の最後の瞬間』大塚公子、角川書店, 1996

関連項目