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ベルトルト・フォン・バーデン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルトルト
Berthold
バーデン家家長
ベルトルト・フォン・バーデン (1931)
在位 1929年 - 1963年

全名
称号 バーデン辺境伯
出生 (1906-02-24) 1906年2月24日
ドイツの旗 ドイツ帝国
バーデン大公国の旗 バーデン大公国
カールスルーエ
死去 (1963-10-27) 1963年10月27日(57歳没)
西ドイツの旗 西ドイツ
バーデン=ヴュルテンベルク州
シュパイヒンゲン郊外
配偶者 テオドラ
子女
家名 ツェーリンゲン家
父親 マクシミリアン
母親 マリア・ルイーゼ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ベルトルト・フォン・バーデンドイツ語: Berthold von Baden, 1906年2月24日 - 1963年10月27日)は、ドイツの旧諸侯家門であるバーデン大公家の家長(1929年 - 1963年)。

生涯

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最後のドイツ帝国宰相を務めることになるバーデン大公子マクシミリアンと、その妻でハノーファー王太子エルンスト・アウグスト(2世)の長女であるマリア・ルイーゼの間の長男として生まれる。1929年にバーデン大公家家長だった父が死去すると、家督を継いだ。1931年8月17日にコンスタンツにおいて、ギリシャ王子アンドレアスの次女で又従妹(ともにデンマーク国王クリスチャン9世の曾孫にあたる)のセオドラと結婚し、間に2男1女を儲けた。

参考文献

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先代
マクシミリアン
バーデン大公家家長
1929年 - 1963年
次代
マクシミリアン・アンドレアス