ヘンリー・パーシヴァル・ドッジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ヘンリー・パーシヴァル・ドッジ

ヘンリー・パーシヴァル・ドッジ(Henry Percival Dodge, 1870年1月18日 - 1936年10月16日)は、アメリカ合衆国外交官

生涯[編集]

1870年にマサチューセッツ州ボストンにて誕生。父親はヘンリー・クリーヴス・ドッジ (Henry Cleaves Dodge)、母親はアリス・アルミア・ラム (Alice Almia Lamb) であった。彼は1982年にハーバード大学を卒業[1]。マーガレット・リシェ・アダムズ (Margaret Riché Adams) と結婚、死別後の1922年にアグネス・ペイジ=ブラウン (Agnes Page-Brown) と再婚[2]

1907年から1908年まで駐ホンジュラス公使、1907年から1909年まで駐エルサルバドル公使、1909年から1910年まで駐モロッコ公使、1911年から1913年まで駐パナマ公使、1919年から1926年まで駐スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国公使、1926年から1930年まで駐デンマーク公使[2]

1936年にスイスチューリッヒで死去[2]

出典[編集]

外交職
先代:
ウィリアム・ブルックス・ソースビー
在ホンジュラスアメリカ合衆国大使
1908年6月17日 - 1909年2月6日
次代:
フィリップ・マーシャル・ブラウン
先代:
ウィリアム・ローレンス・メリー
在エルサルバドルアメリカ合衆国大使
1908年7月1日 - 1909年2月6日
次代:
ウィリアム・ハイク
先代:
サミュエル・レネ・サムメア
在モロッコアメリカ合衆国大使
1909年6月9日 - 1910年7月10日
次代:
フレッド・ワーナー・カーペンター
先代:
トマス・クレランド・ドーソン
在パナマアメリカ合衆国大使
1911年11月9日 - 1913年6月10日
次代:
ウィリアム・ジェニングス・プライス
先代:
チャールズ・ジョセフ・ヴォピカ
在ユーゴスラビアアメリカ合衆国大使
1919年10月5日 - 1926年3月21日
次代:
ジョン・ダインリー ・プリンス
先代:
ジョン・ダインリー ・プリンス
在デンマークアメリカ合衆国大使
1926年8月24日 - 1930年3月1日
次代:
ラルフ・ハーマン・ブース