プロジェクト‐ノート:キリスト教/カテゴリ構造について

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

カテゴリ構造について[編集]

これまでの経過[編集]

(以上作成: Hatukanezumi 2007年7月18日 (水) 09:48 (UTC))[返信]

旧約聖書[編集]

Wikipedia:削除依頼/Category:旧約聖書正典とそのノート、その他に先行する議論が存在しますが、それらを見なくとも、また、削除依頼を経由して来た人々に対しても理解できるよう詳細に解説します。カテゴリの提案内容は、次の通りです。

旧約聖書
 ├旧約聖書正典
 │ └第二正典
 └旧約聖書外典
   └第二正典

なお、削除依頼で提案されたように、上記より「旧約聖書正典」のみ削除した場合、

旧約聖書
 └旧約聖書外典
   └第二正典

という構造になります。すると、なぜ外典の下に正典があるのか、その説明が必要となるのですが、その良い説明文というのが私には思い浮かびません。この場合、正典が「旧約聖書」と「第二正典」に完全に分離してしまうため、第二正典に該当する記事には「旧約聖書」・「第二正典」2つのカテゴリを貼り付けるなどの処置を施さないと、「なぜ分離するのか!」などの無用の混乱を招く恐れがあるのですが、その場合には非効率的であるばかりか、カテゴリ「旧約聖書」の見通しがすこぶる悪くなります。従って、「旧約聖書正典」のみ削除するというのは現実的な提案ではありません。さらに付け加えるならば、「旧約聖書正典」・「旧約聖書外典」2つのカテゴリが張られているならば、「第二正典」は両論併記となるのですが、「旧約聖書正典」が存在しないとPOVになってしまう、とこうした理由もあります。

「第二正典」の下に「旧約聖書外典」を収めるという逆の構造は事実と反するので論外。なので、

旧約聖書
 ├第二正典
 └旧約聖書外典

という構造も考えられなくもないのですが、「旧約聖書正典」が駄目なら「第二正典」も駄目でしょう。なぜなら、削除依頼の本質は、「正典」という表現がPOVであるとのことですので。この点については削除依頼者宛てに、「旧約聖書正典」がPOVであるならば「東方正教会」(字義的には「東方の正統派教会」)もPOVであろう、という意味のメッセージを送っているのですが、これに対する反論は一向に示される気配がありません。

なお、削除依頼者は「分類は不可能なのであって、分類が可能であるとするRigel氏の発言は明らかにおかしい」というような主張を繰り返すばかりなので、以下に全分類を示します。

旧約聖書正典[編集]

文案
このカテゴリには、ユダヤ教及びキリスト教において、正典であることが認められている文書を収める。
  • ★ヤムニア会議、(正典)
  • Category:トーラー(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)
  • Category:第二正典
  • ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記
  • ヨブ記、詩篇、箴言、コヘレトの言葉、雅歌
  • イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書
  • ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書

なお、「Template:旧約聖書があるからそれでいいじゃないか」という意見に対しては、「その掲載順序はキリスト教POVである」という主張に対する反論を示すことができない、と返答しておきます(旧約聖書#諸教派の旧約聖書配列の一覧参照)。むしろ、記事名順に機械的に羅列しただけのカテゴリの方が、こうしたPOV要素を排除するのに適していると言えます。

さらに、「正典学」、「旧約聖書正典学」、「新約聖書正典学」へと言及したCRC(Christian Reformed Church:改革派教会)のページへのリンクも、記事名の正当性の論拠の一つとして示しておきます。

第二正典[編集]

文案
第二正典とは、トリエント公会議の席上で正典であることが正式に宣言された7つの文書の呼称として、ローマ・カトリック内で用いられる用語である。今日ではカトリック教会以外にも、東方正教会やエチオピア正教会でも、自分達の正典の一部をこう呼称する事例が認められる。
  • ★第二正典、トリエント公会議
  • トビト記、ユディト記、マカバイ記(1-2)、知恵の書(ソロモンの知恵)、シラ書(集会の書)、バルク書、エレミヤの手紙、エステル記補遺、ダニエル書補遺 … (カトリック)
  • 第1エズラ書(エスドラ記1)、マカバイ記(3-4)、続詩篇(詩篇151編)、オデス書、マナセの祈り、ソロモンの詩篇 … (東方正教会)
  • 第2エズラ書、ヨベル書、エノク書、Meqabyan(1-3)(エチオピア正教会)
  • 旧約聖書続編

トリエント公会議(16世紀)でカトリックが採用した、疑いようの無い「正式名称」であり、導入に問題があるとは思えません。ただし、現在の記事の定義のように、カトリック以外でも用いられているのかどうかには疑問を持ち、それを誰が記述したのかを調べると、…(汗)(単なるリダイレクトと間違われて統合元の記事が削除されてしまったらしい - Google のキャッシュによれば、削除は 2004年10月28日 (木) 19:48)。しかし、「東方正教会」を含める点は英語版も同じなので、必ずしもカトリック教会に限られた呼称であると考える必要はないものと思います。英語版では「エチオピア正教会」においても使用されるとの記述があります。

旧約聖書外典[編集]

文案
このカテゴリには、ユダヤ教において外典とみなされた文書の他、キリスト教のどの教派においても正典とはみなされない文書を収録する。なお、「外典」本来の意味は「隠されたもの」という意味でしかなく、決して侮蔑的な意味合いは存在しないのであるが、聖書学においては、学術的な記述として可能な限り、「外典」よりも「第二正典」の使用が推奨されている。
  • Category:第二正典
  • 詩篇第152-155篇、バルクの黙示録、マカバイ記(5-8)、他多数。

「外典」と「異端」とを直接結び付けて考える人もいましたので、以下の内容を示します。

  • 大人の教会学校のGoogleキャッシュ(「カトリック新聞」サイト内)。
    プロテスタントでは「聖書外典」とされています」と明記。プロテスタントが「外典」と呼ぶことをカトリックが証明しているように見えますし、「外典」という言葉にそれほど拒否反応を示しているわけでもないようです。
  • 日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.40 1999年9月号より(「新約聖書 布忠.COM」サイト内)。
    プロテスタントの坂井栄一牧師の著作」からの抜粋として、「プロテスタントでは外典(正典に準じるが聖書には含まれない、信仰の参考になる書)」と記しています。ここからは、プロテスタントが「外典」と呼ぶとき、そこに「異端」との意味を込めていないことが判ります。
  • MNS エンカルタ 百科事典
    外典の項より、「ヒエロニムスの造語」。ただしこの内容はちょっと怪しい。ヤムニア会議が考慮されていないのでは?。

新約聖書[編集]

新約聖書
 ├新約聖書正典
 └新約聖書外典

グノーシス主義
 └グノーシス文書
   └新約聖書外典

新約聖書については、正典・外典の区別が明確なので、これらの詳細な解説は省略します。「グノーシス文書」には、「Category:外典」から、オクシリンコス・パピルスを、「Category:グノーシス主義」から、ナグ・ハマディ写本、ヘルメス文書をそれぞれ移動。他に、死海文書も含めることが出来ます。

「Category:グノーシス主義」から「新約聖書外典」へ移動するのは、トマスによる福音書、フィリポによる福音書、マリアによる福音書の3つ。「Category:外典」から「新約聖書外典」へ移動するのは、ペトロによる福音書、ペトロの黙示録、ユダの福音書の3つになります。

コメント欄[編集]

トビト記の例を見れば判るとおり、現在のカテゴリのままではトビト記は「旧約聖書外典」にしか見えません。以前から「これはまずいよなぁ~」とは思いながら今まで手を出さなかったのですが、ちょうど良い機会でもあるので、カテゴリ構造の合意点を探ろうと思います。

それなりの見識を持ち合わせているであろう人々に声をかけておきます。以前から記憶にある人として、Gakuinryouさん、Johncapistranoさん、LRさん、この議論の存在に気付いていない可能性があるAphaiaさん、他に、バベルで{{User christian}}を貼り付けている人のうち、宗教関係の投稿や発言が認められる Milsanさん、トマさん、それから、聖書関連の投稿を精力的に行っている、おーたさんの計7名です。Rigel 2007年7月17日 (火) 08:48 (UTC)[返信]

声をかけていただきました、おーたです。正直に書きますと、私は旧約聖書正典のカテゴリーは削除したほうが良いと考えています。旧約聖書の下にサブカテゴリーを作って整理する理由が分らないというのがまずあります。七十人訳とマソラ・テクストで出てくる文書に限れば内容が膨れ上がる心配は無いでしょうし、それ以外の文書は偽典ということで扱いはおおよそ各教派で一致するでしょうし。
それから、これは大変Rigelさんには言いにくいことなのですが、正典/外典/第二正典/続編/偽典という問題についてRiegelさんの言動は少し無神経かなと思います。先ほど、聖書協会系の記事をまとめて翻訳していたのですが、この問題では19世紀に英国聖書協会が分裂騒ぎを起こすほどにセンシティブなテーマなのです。なるほど、共同訳作業ではカトリックとプロテスタントが「続編」という奇妙な呼び名で妥協を行いました。しかし、プロテスタントのすべての教派がこれに合意したわけではなく、新共同訳を認めない教派はまだ多くあります。東方正教会からすれば、続編にも入れてもらえない正典があります。そういう、結構もつれているままの教派間の問題にどうしてわざわざ踏み込まなくてはならないのか、どうやってPOVを保てるのか、そこが心配です。
なお、投稿履歴を見たところAphaiaさんはウキブレイクのようですよ。--おーた 2007年7月18日 (水) 13:55 (UTC)[返信]
キリスト者ではない (と思う) ですが、首をつっこんじゃったので一言。
正典以外についてカテゴリを作るのは無理があるようにおもいます。上で第二正典という用語が教派を問わず通用するという見解を述べておられますが、ネット上の情報でなく専門書に当たっての結論でなければ、独自研究の疑いを拭えません (また、実際に独自研究だろうとおもいます)。さらに、グノーシス文書 (と目されるもの) の扱いについての上の提案は、はっきり言って意味不明とおもいます。
各教派の正典のカテゴリを作るのであれば、カテゴリの機能の利用法としては理解できます (各記事のページ下部にたくさんのカテゴリが並ぶことになりますが、それほど邪魔にはならないでしょうし、中立性を担保する手段としてこのような手法もありでしょう)。また、カテゴリよりも各々の記事そのものを充実させるべきで、あまり凝ったカテゴリを作ることは奨められないと、わたしはおもいます。
あと、これまでの経過を見て、「正典」のカテゴリの話が、なぜ「正典とそれ以外を区別する」という話にすりかわってしまったのか、どうもよくわかりません (これについてはRigelさんの態度だけが問題ではないようにおもいます)。 --Hatukanezumi 2007年7月18日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
第二正典については独自研究じゃないでしょう。新共同訳の序文にも「旧約続編は従来、第二正典、アポクリファ、外典などと呼ばれてきたもので」とあります。--おーた 2007年7月18日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
そのあとに「この部分についてのカトリック教会の評価は定まっていますが、プロテスタント諸教会の間での見解は必ずしも一致していません」とありますので、上記引用とあわせると、「第二正典」という用語が教派をとわず通用するのかどうかは不明です。また、上のRigelさんの説明でも、カトリックやプロテスタントはともかく、ほかの教派で第二正典がどう扱われているのか、そもそもそういう用語で扱われているのかは十分に明らかではありません。さらに、おーたさん自身もおっしゃるように、新共同訳ではそういったいろいろな呼ばれかた、扱われかたをしてきたものを「旧約続編」という謎の用語でまとめてしまっているわけです。
実際のところはどうなのかはわたしは知りませんが、Rigelさんの挙げた典拠だけでは「第二正典」という用語を教派を問わずカテゴリ名に用いるに足る論拠にならない、という意味で、独自研究だろうと述べました。 --Hatukanezumi 2007年7月18日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
なるほど。「教派をとわず通用する」という部分が独自研究だということですね。失礼しました。--おーた 2007年7月18日 (水) 15:51 (UTC)[返信]

まぁ実際のところ、問題はそこなんですよね。「典拠を示せ」と言われても私には示すことができないし、それを「独自研究」だと非難されるのであれば、その非難は甘んじて受けましょう。しかしそれは同時に、日本語版、英語版の両記事に「独自研究」が紛れ込んでいるとの疑いを差し挟むことでもあるので、その部分をどうするかです。日本語版については、2004年6月25日に「マナセの祈り」を含んだ一覧を投稿している Siyajkak さんに頼めば、反論の余地の無い典拠を示してくれるものと確信はしていますが…(そこまでしてご自身の作業を中断させるのには忍びないのです)。もし、それが成されたならば、#第二正典の「エチオピア正教会」以外の分類は可能でしょう。同様に、英語版のノートで「エチオピア正教会」の典拠を求めることも出来るわけです(でも私は英語が苦手)。

おーたさんの「旧約聖書の下にサブカテゴリーを作って整理する理由が分らない」ですが、私は大項目(この場合は「旧約聖書」)というのは、どうしてもどこにもカテゴライズすることが出来ない、いわば「はみ出し者」的な記事以外は掲載されるべきではないと思っています。カテゴライズが可能であるならば、可能な限り分けませんか?。この場合、極端な話をすると、「旧約聖書の書物」だって良いわけです。少なくとも、これらを「旧約聖書」から追い出すだけでも、「旧約聖書」の見通しはだいぶ良くなるはずです。ただし、「旧約聖書の書物」を作成してしまった場合、「上記より「旧約聖書正典」のみ削除した場合」以下の説明と同様、「旧約聖書外典」は作成できないわけで、それ以上の分類が不可能になってしまいますが…。

ちなみに、「グノーシス文書…の扱いについての上の提案…意味不明」については、現に「Category:グノーシス文書」を作成している人がいることが説明の代わりになるでしょうか?。Rigel 2007年7月19日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

「カテゴライズが可能であるならば、可能な限り分けませんか?」というRiegelさんの意見には同意しません。単に「整理したいから整理したい」人の理屈にしか聞こえないのです。整理を強行することでPOVが保てないなら、整理するべきではありません。この場合は、まさにそれに該当します。そして、Riegelさんの提案は、「整理しているようで、かえって物事をややこしている」という事例に属しているように思われます。--おーた 2007年7月19日 (木) 14:22 (UTC)[返信]
Rigelさんの説明と提案に対するコメント欄なのですから、Rigelさん自身は、少し持論を展開するのを控えて、ほかのかたのコメントを待ってはどうですか。 --Hatukanezumi 2007年7月19日 (木) 10:31 (UTC)[返信]

先ほど良案(多分誰からも反論されないであろう)を思いつきました。この書き込みをすべきかどうか迷ったのですが、これが無いと皆さんの時間を無駄な労量に振り分けてしまいかねないため、あえて書き込みます(Hatukanezumi さんへ、いろいろと迷惑をかけているようですまないね)。同時に、この件に関する私の書き込みは、これが最後になることを宣言します。

なに、実に簡単な事です。基本は上の案そのままで、「第二正典」の東方正教会、エチオピア正教会の文書群を「第二正典」には含めずに、「旧約聖書正典」、「旧約聖書外典」2つのカテゴリを貼り付けることによって両論併記を実現する、というものです。つまり、もし論拠が示され、東方正教会、エチオピア正教会でも「第二正典」と呼ぶことが実証されたならば、その後にカテゴリだけを張り替えれば良い、というわけです。Rigel 2007年7月19日 (木) 11:53 (UTC)[返信]

呼ばれて来ました。分類意図はおぼろげに判りますが、階層の組み方か、カテゴリ命名が間違ってます。旧約聖書といったら厳密に正典しか指さない筈なのに「紀元前成立のヘブライ宗教文書の総称」としてもその語を使おうとするから混乱が生じるわけです。少なくとも、「旧約正典」と「旧約外典」とを全部合わせて「広義の旧約聖書」である、などという分類はありえません。これは「新約」でも全く同じですが。
また、私は「正典」「第二正典」というカテゴライズが必ずしもPOVとは思いません。割り切れば調整可能です。つまり、正典に入れる派がある文書はとりあえず「第二聖典」の地位は得るのであり、そのうち正典に入れない派がない文書が「正典」です(マルキオン派級にへんてこな人たちは論外ですが)。もともと何処の派にだって分類は「正典」と「それ以外」しかないのであり、「第二正典」という呼称そのものが「続編」と大差ない、「他派の正典」を指すことが前提のうっすら敬意を払いつつうっすら失礼な折衷概念なのですから、そこに厳密な定義や完全なNPOVを求めるのは「不能」なのではなく「無駄」なのです。
つまり、旧約正典と旧約外典を総称するカテゴリ名称を作るか探し出すかした上でそのまたサブカテゴリとして「旧約聖書正典=マソラ正典」を狭めに、派別に異なる「第二正典」を広めに、その何処にも属さないものを外典に三分類する。あるいは、それらを統合する概念の創出は諦めて、始めから三並列にする。このどちらかは可能だと思います。LR 2007年7月19日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
  • 中入り

どうやったって誰かが気分を悪くする分類しか出てきっこない、というLRさんのまとめにほぼ同感。ではNPOVは多数派をまず顧慮するということで最大勢力である西のやりかたでまとめる、としても、東はそこで一顧だにしなくていいほど少数勢力なのか(ユニオン神学校の中の人からすれは「それ何」なのかもしれませんが、それはまた話が別)、という問題が生じる。東方正教会で3億、東方諸教会合算して1億は、無視していいほど少数派でもないでしよう。とするとなんらかの目配りが必要です。

そこで、多数派がいう「公式」を採用しようというのがRigelさんで、「旧約聖書」の外延と内包が各派によって違うところを無理やり一個にまとめるところに問題があるので、それをやめればいい、少なくとも当面はというのが、おーたさんだと理解しました。そこで公式とは何かが問題になりますが、トレント公会議を「公式」というのは上で触れたようにあまりにもカトリックPOVだと思います。ここできついことをいえば、東はあれをそもそも公会議だと認めていません。離教状態にあるローマ主教が教会会議を開いてもその議決は教会法上の拘束力をもたない。でこれが億のオーダーでいるわけですから、それ無視するのはどうなのかなと。同じことは逆にプロテスタントの正典/外典にもいえます。彼等も億のオーダーで地上に存在しているのだから、それをまったく無視するのもやはりまずい。LRさんじゃないけど、誰にとってもうっすら敬意を払ってうっすら失礼な分類しかでてこない。

それは「中立に分ける」という努力がそもそも不毛だからなんだろうと私も思います。なので、私ははっきりあなたがたに言う。旧約聖書文書の内部で分類するのはやめましょうよ。不毛だから。

Rigel さんが旧約の各書を親カテゴリCategory:旧約聖書から子カテゴリに移したかったのは、心情としてはうっすらわかります。ヘルモン山とペリシテ人とハバクク書が同じカテゴリってのはなんだか設計悪い気がします。ただ、それは「旧約聖書の○○」という子カテゴリを量産したりすることでも解消できますよね。 また文書を文書としてくくるまでは出来るだろうと考えます。でもそのなかまで分類するのはここでは不要な行為だろうとも思いますね。

あと、もうひとつの欲求は旧約聖書偽典と正典・アポクリファは分けたいということなのかもしれません。書いておられないけど。で、それを解消するのに、次のような分類はどうでしょうね。

  • 旧約聖書 -- 旧約聖書文書(正典とどこかでされる文書はここ直下)
                         +
                         +--- 旧約聖書偽典

「正典」か「外典」か、というか日本語でそう呼んでいる分類のどちらにいくか(だからむしろ、トーラーかアポクリュファかのほうがいいかも)は、ヤムニアの時点でのアラマイ語ないしヘブライ語テキストのあるなしで決まるはずですが、ここには教派間の態度を反映した訳語のあやということがあって、訳語の争いがなかなかシビアなので私は手を出したくありません。新共同訳の先生がたが、数年をかけて、なにか不思議な用語(あれは実は聖公会で使われた実績のある語だという指摘もありますが)を繰り出して妥協する以外なかったような問題を数週間の議論で決着しようというほうが無理でしょう。そしてたかだか100以下なので実際問題として必要ないだろうというのは以前どこかに書きました。その一方、偽典とそうでない文書については学術的に争いのないところで(と理解していますが、錯誤でしたらご教示を御願いします)、なので、それはカテゴリとして付くっておこうかなと。なくても困らない気もしますが、あっても困りませんし、偽典と正典を同じカテゴリで混ぜるのは、うっすらどころかとてもいやがる人もいそうですよね(偏見)。

以上、だいぶ間が開きましたが、お座敷がかかっていたので不調法ながら一席つとめました次第。お後がよろしいようで(?) --Aphaia 2007年8月24日 (金) 12:09 (UTC)[返信]

記述順[編集]

(いつも思うのだが、なぜ東方教会を西方教会で挟み込む、カトリック-正教会-聖公会という並べ方があっさり通って居るのか…ローマ中心の視点でしかありません)Kliment.A.K. (2008年7月22日 (火) 04:21)

そうでしょうか? 私は、しかるべき敬意が払われている結果、カトリックのすぐ後ろに正教会が置かれるのだとかんがえます。カトリックより前にしろというのは、「コンスタンティノポリス中心視点」でも持ち込まない限り、世界的教勢から少々無理です。かといって、控えめに直されたような、西方教会の分派の後におくというのは、あんまりじゃないかなと気まずく思います。LR 2008年7月25日 (金) 00:11 (UTC)[返信]

LRさん、お答え申し上げます。
>私は、しかるべき敬意が払われている結果、カトリックのすぐ後ろに正教会が置かれるのだとかんがえます。
なるほど、善意に解釈すればそうなりますね。日本においては日本正教会が弱体である現状があるにも関らずこうした掲載順が行われて居ることについては、執筆された方の考察・配慮にまず敬意を表します。その敬意の念をまず申し上げた上で、以下批判点を挙げます。
>カトリックより前にしろというのは、「コンスタンティノポリス中心視点」でも持ち込まない限り、世界的教勢から少々無理です。
それがそうでも無いのです。
  • 珍妙パターン:カトリック・正教会・プロテスタント
という並べ方が罷り通っているのは私の知る限り日本語版だけです。英語版をはじめとした各国語版ウィキペディアを見ればすぐ分かるのですが、以下の並べ方がスタンダードです。
※このうち、東方教会については東方諸教会を先に持ってくるケースも多いです。
私は記事編集の際、世界的スタンダードに則って記述順を決めています。少しでも「東方教会」「西方教会」の分類について慣れた人であれば、「カトリック・正教会・プロテスタント」の並べ方はとんでもなく妙なものに映ります。東方教会から西方教会まで超教派的に網羅したキリスト教関連書籍を著しておいでの八木谷涼子氏の著作・WEBサイトでも、私と同様の考え方で掲載順が決められているようですね(教派いろいろ対照表)。
つまり「正統性が高いか否か」云々よりも、教派の歴史的経緯によって順序を決めるのが正しいという事です。私としてはパターン1を推しております。と申しますのは別に正教会贔屓だからという理由ではなく(修道院の記事では東方諸教会をトップに持って行きました)、それが最も合理的だからです。
パターン2も「東方・西方」の分類と謂う意味では悪くありません。私もパターン1ばかり使っているとPOVを疑われますのでパターン2を使うケースも御座います(実際、今回のケースがそうであります)。ただしそれでも「パターン1の方が合理的」と申します理由は以下の通りです。
  • 東方教会と西方教会という上位分類がしっかりとなされている - 珍妙パターンではこれがなされていませんが、パターン2ではこれはなされています。
  • 正教会もしくは東方諸教会カトリック教会が隣り合わせになっており、距離感が反映されている - キリロス・ルカリスの例もあるように、聖公会・プロテスタントと距離が近いと目される正教会関係者は過去から現在に至るまで居ない訳では無いのですが、歴史的分岐の経緯としては東方正教会とローマ・カトリックは直接に分かれている事は疑いえません。さらに、カトリック教会は正教徒と東方諸教会信徒に聖体拝領を認めていますので、この点での距離感の問題もクリアしています。パターン2ではLRさん仰るように、プロテスタントの分派の直後に東方教会が置かれる事になり、距離感についての違和感が増してしまいます。
記事ごとにこうした記述順は臨機応変に決められるべきであり、今回の話し合いがきっかけとなって杓子定規なルールが作られる事になってしまうのは私の本意ではなく、統一ルール作成には現時点では基本的に反対です。ただし、一定程度、「どうしてこのような記載順がなされているのか」という事についての意思疎通は必要だと思い、書かせて頂きました。--Kliment A.K. 2008年7月30日 (水) 06:15 (UTC)[返信]
分離した歴史的経緯による距離感を反映した並び順、という考え方にしたがって、隣同士が近くなるように並べると、ネストリウス派、非カルケドン派、正教会、カトリック、聖公会、プロテスタント諸派、という並び順になるのでしょうか・・・?--Peccafly 2008年7月30日 (水) 16:13 (UTC)[返信]

Peccaflyさん、基本的にはそういう事になるかと思います。

なお、発言を一部撤回させて頂きます。英語版で私が関る事の多い領域(つまり、東方教会と西方教会の違いに敏感な編集者達が集う記事領域)では私の主張する並べ方が一般的なのですが、確認して参りましたところ、あまり私がタッチしない領域の記事では「珍妙パターン」の並べ方も英語版で多く見られました。撤回部分に横線を引かせて頂きました事を報告申し上げますとともに、認識不足をお詫び申し上げます。--Kliment A.K. 2008年7月30日 (水) 16:37 (UTC)[返信]