フリードリヒ・フレーベル博物館

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Fröbel-Museum

フリードリヒ・フレーベル博物館(フリードリヒ・フレーベルはくぶつかん、Friedrich-Fröbel-Museum)は、1839年にフリードリヒ・フレーベルが、ザクセンアンハルト州のバート・ブランケンブルクで「遊びと作業の施設」(Spiel- und Beschäftigungsanstalt)を開設、後に幼稚園[1]と、のち改称した施設を再利用して、1982年に開館したものである。

歴史[編集]

1908年8月6日にブランケンブルク(1911年以降は、バート・ブランゲンブルクに改称)に開設されたフレーベルハウスは、そのなかに幼稚園と幼稚園の先生たちの休息室が設けられていたのだが、これを再利用して、1910年8月、フレーベル記念館として再発足した。

エレオノール・ヘールヴァルト(Eleonore Heerwart)によるフリードリヒ・フレーベル及びその未亡人ルイーゼ・フレーベルの遺品である当時の家具、文書、書籍が、この日の博物館の基本的なコレクションである。1945年に博物館は、フレーベルハウスから切り離されて、「沈黙」(Silentanium)協会の建物と、イエナ大学教育学部のそれに移された。 フリードリヒ・フレーベルの生誕200年に当たる1982年から、フリードリヒ・フレーベル博物館は、元々あるべき場所に、もちろん倉庫にしまい込むのではなく、館のなかに保管、展示されることになった。

この博物館の教育的な意図は、フレーベルの生涯の歩み、彼の教育思想をその人柄を反映した彼の生の文章と結び合わせて紹介しフレーベルの教育学の今日に至るまでの影響の歴史をドイツ国内から世界に広げて語るということにある

博物館には充実した図書館が付属している。ここには3,000冊を超えるドイツ国内外のフレーベル、及びフレーベルに関しての文献が揃っている。 図書館には、例えば専門雑誌「幼稚園」の全巻なども揃えられている。

この博物館の最も貴重な宝物としては、主著「人の教育」の印刷原稿、1840年の「いくつかの思いつき」… フレーベルの教育論、教育学や学校制度や授業の方法についての草稿が、そのコレクションの筆頭に挙げられることだろう。膨大な個々の原稿もこのテーマに関連している。フレーベル自身の著作の中では、1826年の「人の教育」、1844年の「母の歌と愛撫の歌」、6編のカイルハウ論文集、1838年と1840年の「心を同じくする人たちのための日曜週報」、1850年の「週報」、1851年の「フリードリヒ・フレーベルの活動たより」、並びに恩物の使用について手引きが挙げられるだろう

施設で提供しているものには、博物館の幼稚園のスペースで開催される(子どもと大人向けの)フレーベルの遊びと作業のための恩物を使ったデモンストレーションの紹介などがある。さらに、博物館は、フレーベルやこの流れをくむ人たちや幼稚園について研究している世界中の研究者にとっての研究施設でもある。

脚注[編集]

  1. ^ Kindergarten、この名称の最初の使用例

参考文献[編集]

  • Joachim Peege: Fröbel-Museum vorher und nacher. Erkenntnisse aus einigen Besuchen in Bad Blankenburg „vor und nach der Wende“. Mainz 1993
  • Margitta Rockstein: Das Friedrich-Fröbel-Museum Bad Blankenburg/Thüringen. in: Helmut Heiland/Karl Neumann (Hrsg.): Friedrich Fröbel in internationaler Perspektive. Fröbelforschung in Japan und Deutschland. Weinheim 1998, S. 187–189
  • Margitta Rockstein: Zur Geschichte des Blankenburger Fröbelnachlasses. in: Friedrich-Fröbel-Museum (Hrsg.): Anfänge des Kindergartens. Bad Blankenburg 1999, S. 109–112

外部リンク[編集]