フィリップ・エマニュエル・ド・ロレーヌ

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メルクール公フィリップ=エマニュエル、1600年頃

フィリップ=エマニュエル・ド・ロレーヌPhilippe-Emmanuel de Lorraine, duc de Mercœur et de Penthièvre, marquis de Nomeny, Baron d'Ancenis, 1558年9月9日ノムニー、現ムルト=エ=モゼル県 - 1602年2月19日ニュルンベルク)は、ドイツ=フランス系のロレーヌ公爵家の一員で、フランスの貴族、軍人。メルクール公(在位:1577年 - 1602年)及びパンティエーヴル公爵(在位:1576年 - 1602年)。

生涯[編集]

ロレーヌ公アントワーヌの息子であるメルクール公ニコラと、その2番目の妻でヌムール公フィリップの娘ジャンヌ・ド・サヴォワの間の長男として生まれた。異母姉のルイーズはフランス王アンリ3世の王妃となった。1576年、パンティエーヴル公セバスティアンの一人娘で女子相続人のマリー・ド・リュクサンブール(1562年 - 1623年)と結婚し、パンティエーヴル公爵位を継承した。

1582年、義兄の国王アンリ3世によりブルターニュ半島の知事に任命された。フィリップ=エマニュエルはブルターニュにおけるカトリック同盟の指導者となり、1588年にはブルターニュにおけるカトリック教会の守護者となることを宣言した。妻マリーが旧ブルターニュ公爵領の統治者の血筋を引くことを背景に、フィリップ=エマニュエルはブルターニュに自らを統治者とする独立国家を樹立する野心を抱いており、ナントに政権を樹立した。

フィリップ=エマニュエルは1592年スペイン軍の支援を受け、国王アンリ4世が彼の野心を砕くために派遣したモンパンシエ公 (enの軍勢をクラオンで撃退した。しかし国王軍はイングランドの軍事支援を受け、すぐに優勢に立った。やがてブルターニュ以外のカトリック同盟を降伏させ、ユグノー戦争で優位に立ったアンリ4世はフィリップ=エマニュエルを逮捕・連行させ、1598年3月20日アンジェにおいて、自分に忠誠を誓わせた。

野心を挫かれたフィリップ=エマニュエルはハンガリーに移り、そこで神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に仕えてトルコ人と戦った。1599年にはセーケシュフェヘールヴァールを占領している。

子女[編集]

妻マリーとの間に2人の子女をもうけた。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]

先代:
マリー・ド・リュクサンブール
パンティエーヴル公
1576年 - 1602年
妻マリーと共治
次代:
フランソワーズ
先代:
ニコラ
メルクール公
1577年 - 1602年
次代:
フランソワーズ