フィオナ・グラハム

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Sayuki playing flute

フィオナ・グラハムは、メルボルン生まれの自称芸者業を経験したオーストラリア人である。

2007年12月、1年間の修行期間を経て、グラハムは紗幸という芸名で浅草で芸者としてお披露目した[1]。本人いわく、いくつかの芸の修行を受け、横笛三味線などを主な芸としているが現在除籍となっており花柳界で認められているかは定かではない。

略歴[編集]

花柳界で所属が困難となり現在は江東区深川で外国人観光者のみに向けて芸者活動を続けている。置屋にて民泊を運営しながら、ビザのない外国籍滞在者もしくは観光者に無償で労働させ、対価として住居を提供している。一部屋に3〜4人ほどが滞在する。

経歴[編集]

彼女は15歳の時に交換留学生として来日している[2]

紗幸が芸者として活動するきっかけとなったのは、映画SAYURIである。芸者の世界を知らない西洋人がこれを観たときに、あくまでフィクションにもかかわらず、現実と勘違いしかねず、そのイメージを払拭したいということだった。しかし今では、「プロジェクトとして始めましたが今はそれ以上に没頭しています。がんばって一人前の芸者になりたい」と語っている[2]

アメリカの文化人類学者ライザ・ダルビーが外国人初の芸者であるという意見があるが、1970年代に芸者としてお座敷に出ているが正式な修業期間を経ていない。[3]。外国人だからと特別扱いされることはなく通常1年ほどの修行期間を経て、2007年12月18日に正式に芸者としてお披露目を果たしていると紗幸は語っているが、[2]これに対して浅草組合は「短期で勉強をしたいということだったので芸者になることを特別に認めた経緯がある」と解明した。[4]

Sayuki in Tokyo with one of her trainees

東京浅草組合は芸者は4年以上活動した上で、置屋の推薦を受け、組合が認めた場合には独立できると語っている。しかし浅草組合いわく、紗幸の独立に関してはそもそも想定していなかったようである。組合は芸者として働くには日本国籍を有するという条件が規約にあると語っている。[5]また、紗幸の主張に反して、「業界の名声を傷つける」との理由で芸者協会から除名された事実がある。[6] 本人は日本からは外国人であることで差別を受けたと主張しており、活動資金や賃金、労働条件においても置屋に出入りする弟子や無償労働者との誤解ある。

著書[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]