フィオナ・グラハム

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Sayuki playing flute

フィオナ・グラハムは、メルボルン生まれの人類学者、日本で芸者として働くオーストラリア人である。

2007年12月、1年間の修行期間を経て、グラハムは紗幸という芸名で浅草で正式に芸者としてお披露目した[1]。これは外国人の芸者としては初めてで、永住権を保有している。今では早稲田大学国際教養学部で日本社会における芸者文化を教え、いくつかの芸の修行を受け、横笛三味線などを主な芸としている。

略歴[編集]

彼女は慶應義塾大学で、最初の学位である心理学学位を取得し、白人女性として初めて同校を卒業しました。[2]またオックスフォード大学において社会人類学の博士号とMBAを取得している。2001年にオックスフォード大学で博士号を取得する前は、日本で何年にもわたって報道によるフィールドワークを行っていた。その間報道通信社で働いていたり、ロイター通信社ジャーナリストとして、またNHKで番組製作者として働いていたりした。

経歴[編集]

彼女は15歳の時に交換留学生として来日している[3]

紗幸が芸者として活動するきっかけとなったのは、映画SAYURIである。芸者の世界を知らない西洋人がこれを観たときに、あくまでフィクションにもかかわらず、現実と勘違いしかねず、そのイメージを払拭したいということだった。しかし今では、「プロジェクトとして始めましたが今はそれ以上に没頭しています。がんばって一人前の芸者になりたい」と語っている[3]

アメリカの文化人類学者ライザ・ダルビーが、1970年代に京都の花柳界について研究して論文を書き上げ、その一環で芸者としてお座敷に出ているが正式な修業期間を経ず、正式にお披露目はしていない[4]

紗幸氏は外国人だからと特別扱いされることはなく通常の修行期間を経て、2007年12月18日に正式に芸者としてお披露目を果たした。その後、4年間の修行に伴い浅草の慣例で個人の置屋を持つことができるという決まりだったが、「外国人だから」という理由で拒否された経緯がある。東京浅草組合は芸者は4年以上活動した上で、組合が認めた場合には個人事業主として芸者を雇いあげ、新たに置屋を運営できる、としているが、当時のケースは異例のことであった。現在、紗幸氏は谷中で独立し置屋を持ち、浅草や、他の花柳界の芸妓と共に座敷に上がっている。また、これまで計8人の半玉を置屋で抱え、育てた経歴を持ち、不定期に冬季のみニセコ芸妓組合で働くこともあるが、通常は都内での活動を中心としている。本人は現在、置屋活動ページにおいて定期的に半玉の募集も行い(http://www.sayuki.net/ja/)、将来的に抱える半玉と共に東京の他地区の花柳界に復帰する可能性もあると語っている。[5]

Sayuki in Tokyo with one of her trainees


著書[編集]


出典[編集]

外部リンク[編集]