フィオナ・グラハム

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Sayuki playing flute

フィオナ・グラハムは、オーストラリアメルボルン生まれ、芸者紗幸」として独立を果たしている。日本永住権保持者。

2007年12月、1年間の修行期間を経て、グラハムは紗幸という芸名で浅草で芸者としてお披露目した[1]。多岐に渡る修行を経たのち、横笛三味線などを主な芸としている。

略歴[編集]

現在は江東区深川にて深川芸者復活のため、後進の育成を主たる目的として活動を続けている。

経歴[編集]

彼女は15歳の時に交換留学生として来日している[2]

慶應義塾大学(心理学学位)卒業。日本企業で働いたのち、オックスフォード大学MBA(経営学修士)修了、同大学院社会人類学類博士課程修了。アカデミアにおいては一貫して国際社会における日本文化に関する研究を続けている。(日本の企業社会、伝統的体育部会の活動、そして日本のアニメをはじめとするポップカルチャーについて日本国内でフィールドワーク等)

研究員、講師歴任: シンガポール国立大学日本研究課 上智大学 慶應義塾大学 早稲田大学(-現在に至る)等

その他、企業、教育機関、公館問わず講演経験多数。

番組制作[編集]

大学院修了後はジャーナリストとして多数の番組制作、メディア出演。比較文化的ドキュメンタリーの制作と監督を務め、これまでNHKやナショナル・ジオグラフィック・チャンネル(アメリカ)、チャンネル4およびBBC(イギリス)で数多くのドキュメンタリー番組を制作してきた。また、外国人としては極めて異例ながら、NHKにて日本人視聴者を対象にした番組を監督、司会、そしてナレーションを日本語で行った。主に人間関係を深く追求した社会事象に関するドキュメンタリー番組の制作を行っていた。

紗幸が芸者として活動するきっかけとなったのは、映画SAYURIである。芸者の世界を知らない西洋人がこれを観たときに、あくまでフィクションにもかかわらず、現実と勘違いしかねず、そのイメージを払拭したいという決意による。浅草見番にて修行、お披露目を経た。しかし今では、「プロジェクトとして始めましたが、今はそれ以上に没頭しています。一人前の芸者になりたい」と語っている[2]

過去にはアメリカの文化人類学者ライザ・ダルビーが1970年代に芸者としてお座敷に出ているが、彼女は正式な修業期間を経ていない。[3] 一方グラハムは外国人だからと特別扱いされることはなく通常1年ほどの修行期間を経て、2007年12月18日に正式に芸者としてお披露目を果たしている[2]これに対して浅草見番は「短期で勉強をしたいということだったので芸者になることを特別に認めた経緯がある」と説明した。[4]

Sayuki in Tokyo with one of her trainees

東京浅草組合は芸者は4年以上活動した上で、置屋の推薦を受け、組合が認めた場合には独立できると語っている。しかし紗幸の独立に関してはそもそも想定していなかったようである。組合は芸者として働くには日本国籍を有するという条件が規約にあると語っている。[5]

紗幸は永住権を取得しており、失われつつある芸者文化の復興に歴史的意義を見出している。20年前に見番が消滅している深川に移動し、0からのスタートを志し置屋を置く。国内外メディアからの取材は絶えず訪れ続けており、海外での知名度も高い。学術界での経歴もふまえ、海外での講演経験多数。 近年はテレビ番組やメディア記事を見た芸者・半玉希望者からの応募が増えている。彼女たちを置屋に受け入れ、深川活性化のため地域との交流を図り力を注いでいる。


著書[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]