パリ条約 (1920年)
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パリ条約(1920年) | |
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署名 | 1920年10月28日 |
署名場所 | パリ |
締約国 | 連合国とルーマニア |
主な内容 | ベッサラビアに対するルーマニアの主権を承認 |
1920年のパリ条約(パリじょうやく)は、ルーマニア王国と第一次世界大戦の連合国の間で結ばれた条約。ルーマニアにベッサラビア(モルダヴィア民主共和国)の主権を認めた[1]。しかし、この条約は、日本が批准しなかったために、発効することはなかった[2]。
概要
[編集]1918年4月9日(旧暦3月27日)、ロシア内戦の混乱の中、ベッサラビアの国家議会であるスファトゥル・ツァーリーは、ルーマニア王国との統合を、賛成86票、反対3票、欠席36で可決したが、これはロシア側には、ルーマニアによる侵略と見なされた[3]。
ヴェルサイユ条約と同様に、この条約には国際連盟との契約が盛り込まれていたため、アメリカ合衆国はこれを批准しなかった。合衆国は当初、ロシアが条約交渉に参加していないことを理由に調印も拒んでいた[4]。
1920年10月28日のパリ条約は、正式にベッサラビアとルーマニアの統合を承認した。ソビエト連邦と日本は、この統合を承認することはなかった[5]。
脚注
[編集]- ^ Malbone W. Graham (October 1944). “The Legal Status of the Bukovina and Bessarabia”. The American Journal of International Law (American Society of International Law) 38 (4): 667–673. doi:10.2307/2192802. JSTOR 2192802.
- ^ Ioan Bulei (March 1998). “Roma, 1924-1927”. Magazin Istoric (Fundaţia Culturală Magazin Istoric) (3). オリジナルの2007年10月17日時点におけるアーカイブ。 2008年2月26日閲覧。.
- ^ Edward Ozhiganov, The Republic of Moldova: Transdniester and the 14th Army In: Alexei Arbatov et al., (eds.) Managing Conflict in the Former Soviet Union: Russian and American Perspectives (Cambridge: The MIT Press, 1997) pp. 145-209.
- ^ Wayne S Vucinich, Bessarabia In: Collier's Encyclopedia (Crowell Collier and MacMillan Inc., 1967) vol. 4, p. 103
- ^ Altin Iliriani. “Romanian Unity and Moldavian Integration from the 19th Century until WW II”. European Research and Information Center, Eastern Mediterranean University, Famagusta - Northern Cyprus. 2007年12月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Text of the treaty at Australian Treaty Series.