パウロ・ミランダ・ジ・オリヴェイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はミランダ第二姓(父方の)はジ・オリヴェイラです。
パウロ・ミランダ Football pictogram.svg
名前
本名 パウロ・ミランダ・ジ・オリヴェイラ
ラテン文字 Paulo Miranda de Oliveira
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1974-01-25) 1974年1月25日(45歳)
出身地 サンパウロ
身長 177cm
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 オエステFC
ポジション MF/DF(RB)
利き足 右足
ユース
ブラジルの旗 ピニェイロス
ブラジルの旗 パラナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1996 ブラジルの旗 パラナ
1997-1998 ブラジルの旗 アトレチコ・パラナエンセ
1999-2001 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ
2001-2004 フランスの旗 ボルドー 42 (2)
2003 ブラジルの旗 クルゼイロ(loan)
2004 ブラジルの旗 フラメンゴ(loan)
2004-2006 ブラジルの旗 サンカエターノ
2006 ブラジルの旗 コリチーバ(loan)
2007 ブラジルの旗 イツンビアラ
2008 ブラジルの旗 ジョインヴィレ
2008 アメリカ合衆国の旗 チーヴァスUSA 10 (1)
2009 ブラジルの旗 サンタ・ヘレナ
2010 ベネズエラの旗 デポルティーボ・アンゾアテグイ
代表歴
1992  ブラジル U-20
監督歴
2013 ブラジルの旗 オエステ-SC
2013 ブラジルの旗 ジェヌス
2014 ブラジルの旗 フランシスコ・ベウトロン
2014 ブラジルの旗 アンドラウス
1. 国内リーグ戦に限る。2018年4月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パウロ・ミランダPaulo Miranda)ことパウロ・ミランダ・ジ・オリヴェイラポルトガル語: Paulo Miranda de Oliveira1974年1月25日 - )は、ブラジルの元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはMFまたはDF

クラブ歴[編集]

1991年、パラナ・クルーベでプロとなった。カンピオナート・パラナエンセを6年間で5回制した他、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA昇格にも貢献した。1997年にアトレチコ・パラナエンセに移籍し、カンピオナート・パラナエンセのタイトルを獲得した。

1999年、CRヴァスコ・ダ・ガマに移籍。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAとコパ・メルコスール2000を制した他、右サイドバックとしてFIFAクラブ世界選手権2000決勝でもプレーしたが敗れた。

2001年にFCジロンダン・ボルドーに200万~300万ユーロで移籍。その後2003年にクルゼイロEC、2004年にCRフラメンゴにレンタル移籍した[1]。同年にADサンカエターノに移籍し、コリチーバFCにレンタル移籍[2]。サンカエターノでは彼自身の怪我もありクラブは降格、これによって契約を解除した。

2007年にイツンビアラECに移籍[3]。翌年、CAジュベントスへの移籍が破談となるとジョインヴィレECに移籍[4]。その後、クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAに移籍した[5]。翌年はサンタ・ヘレナECに在籍した。

2010年にデポルティーボ・アンゾアテグイに加入。アメリカ-RJオラリアACからのオファーもあったものの、給料面とスペイン語の学習、引退後の代理人としての可能性を踏まえた上でベネズエラに渡った[6]。ここでは攻撃的ミッドフィールダーとして起用された。2011年にパラナでトレーニングに参加したが契約には至らなかった。

代表歴[編集]

1992年にU-20代表としての出場経験がある。

監督歴[編集]

アベウ・ブラガマルセロ・オリヴェイラと話をして、選手引退後は指導者を目指す事とした[7]カンピオナート・カタリネンセ3部のオエステから指導者としてのキャリアを始め、カンピオナート・ロンドニエンセSCジェヌス・ジ・ポルト・ヴェーリョを経て[8]、パラナに戻って指導者を続けた[9]

タイトル[編集]

パラナ
アトレチコ・パラナエンセ
  • カンピオナート・パラナエンセ: 1998
ヴァスコ・ダ・ガマ
ジロンダン・ボルドー
クルゼイロ

参考文献[編集]

外部リンク[編集]