ハンス・シェレンベルク
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ハンス・シェレンベルク Hans Scherenberg | |
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生誕 |
1910年10月28日 ドイツ帝国 ザクセン王国 ドレスデン |
死没 |
2000年11月17日(90歳没) ドイツ バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト |
国籍 | ザクセン王国( ドイツ帝国) → ドイツ国 → ドイツ国 → 連合国軍占領下のドイツ → 西ドイツ → ドイツ |
職業 | 自動車技術者 |
前任者 | フリッツ・ナリンガー |
後任者 | ヴェルナー・ブライトシュベルト |
ハンス・シェレンベルク(Hans Scherenberg、1910年10月28日 - 2000年11月17日)は、ドイツの自動車技術者である。
経歴
[編集]1930年から1935年にかけてシュトゥットガルト工科大学とカールスルーエ工科大学で学び、その後、ダイムラー・ベンツにテストエンジニアとして入社した[W 1][W 2]。
同社では燃料直接噴射ポンプを備えたDB601エンジンの開発に携わった。この経験から、1942年に「4ストローク高高度航空機エンジンのバルブ制御」に関する論文を著し、シュトゥットガルト工科大学で博士号を取得した[W 2]。
グートブロート
[編集]第二次世界大戦後はエンジン技術者であるアドルフ・シニューレの設計事務所で働き、1948年にドイツの自動車会社であるグートブロートに移った[W 1]。
同社では戦前の知見を活かすとともに、ボッシュとの協働により、燃料直噴エンジン搭載車としては世界初となるグートブロート・シュペリオールの開発全般を手掛けた[W 1]。
ダイムラー・ベンツ
[編集]1952年に車両設計の責任者としてダイムラー・ベンツに復帰した。同社においても燃料直噴エンジンに携わるとともに、自動変速機の開発に関与した。
1965年には引退するフリッツ・ナリンガーの跡を受けて、車両の研究開発全体の責任者となる。1970年に、排気ガスの浄化やパッシブセーフティの調査研究を行うための部門を設立した[W 1]。
1977年に引退し、その職責はヴェルナー・ブライトシュベルトに引き継がれた。
その後
[編集]1982年から1985年にかけて、オーストリア科学アカデミーの総長を務めた[W 1]。
栄典
[編集]- 1969年・名誉評議員(カールスルーエ工科大学)
- 1970年・名誉博士(ベルリン工科大学)
- 1973年・名誉教授(シュトゥットガルト工科大学)
- 1975年・ディーゼルリング(ドイツモータージャーナリスト協会)
- 1977年・ヴィルヘルム・エクスナー・メダル
- 1981年・ヴェルナー・フォン・ジーメンス・リング
脚注
[編集]出典
[編集]- ウェブサイト
- ^ a b c d e “Hans Scherenberg” (ドイツ語). WILHELM EXNER MEDAILLE. 2022年1月30日閲覧。
- ^ a b “HANS SCHERENBERG – Ringträger 1981” (ドイツ語). Stiftung Werner-von-Siemens-Ring. 2022年1月30日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hans Scherenberg - ヴィルヘルム・エクスナー・メダル
- Hans Scherenberg - ヴェルナー・フォン・ジーメンス・リング