ハジ・モハンマド・チャムカニ

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ハジ・モハンマド・チャムカニHaji Mohammad Chamkani, 1947年 - 2012年)は、アフガニスタンの政治家。革命評議会議長パクティヤー州出身。父は村の長老で、小地主だった。ムッラーパシュトゥーン人部族のジルガ議長。パシュトゥーン人部族における権威。

ザーヒル・シャー統治時代、議会人民院(下院)議員、後に上院議員に選出。

1986年1月16日、革命評議会副議長[1]。11月20日、バブラク・カールマル議長の退任に伴い、革命評議会議長代行に選出[2]。1987年9月30日、ムハンマド・ナジーブッラーが革命評議会議長に選出され、チャムカニは第一副議長とされた[3]

1990年代、ターリバーン側に移り、ムハンマド・オマルの顧問となった。

2001年末、指名手配。2002年2月、カンダハール州タフタ・プリ市において、アメリカ海兵隊により逮捕。

2012年、死去。

脚注[編集]

  1. ^ 「重要日誌 1986年」(1987年)、594ページ。
  2. ^ 1986年のアフガニスタン, p. 599.
  3. ^ 1987年のアフガニスタン, p. 641.

参考文献[編集]

  • 吉村文成『撤兵と政権交替 1986年のアフガニスタンアジア経済研究所、1987年、589-600頁。doi:10.20561/00039061ISBN 9784258010875https://doi.org/10.20561/00039061 
  • 伊沢紘樹『近づく撤兵の足音 1987年のアフガニスタン』アジア経済研究所、1988年、631-644頁。doi:10.20561/00039037ISBN 9784258010882https://doi.org/10.20561/00039037 


先代
バブラク・カールマル
革命評議会議長
(代行)
1986年 - 1987年
次代
ムハンマド・ナジーブッラー