ノート:NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」

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関連過去ログ[編集]

過去の議論についてはノート:プロジェクトJAPAN/過去ログ1も参照してください。

肩書きについて[編集]

理由がよく解らないのですが、wikipediaに項目が存在する人物についても肩書きがついているのはどういったことでしょうか。自称にしろ職歴にしろ、本項目についてその肩書きに価値が分からない”名誉教授”とか"歴史研究家""映画作家"というのは無用の記述に思えます。非専門家だけども肩書きがないと話せない人々という位置づけなのなら、ソースの信憑性がない存在なのだというのなら若干理解できますが、それは媒体の方につけておけばいいのではないでしょうか。というわけで、個別項目が存在する論者について、全面的に削除をします。復活をされる方は理由をお書きください。--Kulukulu 2009年8月28日 (金) 18:42 (UTC)[返信]

より正確に。読者がどういう立場の人の主張なのか正確に捉えられるように肩書きの事実を示しておけばよいのです。隠蔽する必要はありません。個人的思想で気に入らない部分を1人でどんどん除去しないようにお願いします。--220.147.7.194 2009年8月29日 (土) 02:39 (UTC)[返信]
そもそも「抗議団体の理事や会長である永山英樹」などとしっかり必要以上に肩書きを書き連ねておきながら、逆の同じことをされると全除去行為を行う姿勢っていかがなものでしょうね。あなたの思想を主張する場ではないんですよ。--220.147.7.194 2009年8月29日 (土) 02:45 (UTC)[返信]
永山氏については、批判された側の代表からの反論という立場つまり当事者ですから必要ですよ。逆に名誉教授や大学における前職は、学校名の宣伝ないし前述のように信憑性のない記述としてのマーキングという側面が出てきます。つまりこの議論においては拓大や台湾政府は無関係な存在なのにもかかわらず、非当事者の非専門家が前職を無理に押し出してバカな議論をしているという趣旨になるのですが、それは独自研究と呼んで差し支えないのではないでしょうか。私は220.147.194氏は、抗議団体寄りだと思っているのでなぜそんなに自虐的な独自研究をしているのか理解できません。個別記事がある方については削っておいた方が中立的な記事になると忠告をしておきます。
あとですね、経営委員会については決着がついたという報道がすでに複数のメディアから出ているので概要に復活させます。--Kulukulu 2009年8月29日 (土) 04:25 (UTC)[返信]
読者に分かりやすく肩書きの事実を記載しておけばよい。また誰がどこで主張したのかより正確に記すことは読者に誤解を与えないためにも必要。隠蔽する必要はない。また同じような内容をあちこちに重複させないこと。--218.217.154.28 2009年8月29日 (土) 05:53 (UTC)--218.217.154.28 2009年8月29日 (土) 05:56 (UTC)[返信]
218.226.121.74さんと218.217.154.28さんは同一人物でしょうか?218.217.154.28さんの提案を受け入れ、適切な肩書きとそれに対応する脚注にしたうえで、進展した事態についての要約を概要部に記載しているのに差し戻されてはかないません。せめて理由を書いてください。なお要約部について重複という議論をなさるのなら、それ相応のトピックを立てて検討する場を用意してください。以上の署名の無いコメントは、Kulukulu(会話履歴)さんによるものです。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 11:39 (UTC)[返信]
適切な肩書きとは思えません。英語研究者などとあなたの恣意的な記載としか思えません。反対します。大学教授と書いておけばよろしい。同じ内容をあちこちに書かないように。方針をお読みください。重複は除去です。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 11:39 (UTC)[返信]
なぜ大学教授として任じられた理由の最大の理由である英語学の専門家であるという事実が不適切なのか理解できません。教授職や名誉教授というのはその専門性に権威を与えるものです。非専門分野に顔を突っ込むのでしたら、別分野だけれども確かに専門家で有識者であるけれどもことを明記した方がよほど読者に対して親切です。他の方達については文句がないようなので名誉教授(英語学)にさせてもらいます。あとですね、重複は書いているつもりはありませんので、どこどこが重複しているか具体的にお願いします。概要部についておっしゃってるのなら筋違いです。経営委員会の顛末について要約しただけですから。--Kulukulu 2009年8月31日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
NHKの委員がどうのと複数回、書かれていたのは一目瞭然であり、かつ都合の良い部分のみ除去している編集を確認させていただきました。同じく都合の良い肩書きの記載(団体の説明などを隠す記載)も強く反対しておきます。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 12:13 (UTC)[返信]
それは誤解というものですよ。経営委員会については経緯の部分において時系列にそった記載がなされています。それを要約したものを概要に記載し直しただけです。Dondokkenさんが経営委員会の結論が不都合であるとみなしているように思えますけれど。
そんなに”中国経済うんちゃら”の部分が必要でしたら冗長ですが戻しておきますね。肩書きですけど名誉教授なんてものは専門が何か書いてあるのが普通です。"訃報 名誉教授"で検索して見てください。現職があれば省略されますけどね。あとですね、不適切な引用や誤字脱字を直してあったりしているので、エイヤッとばかり差し戻されると本当に困惑します。問題箇所の指摘がない限り、どんな理屈で戻されたのかさっぱり分かりません。変更部分については逐一理由を述べてくださいね。--Kulukulu 2009年8月31日 (月) 12:52 (UTC)[返信]

時系列?同じ出典をもとにNHK委員に関するネタを3度も書いておりますがな。[1] まったく必要のない編集です。渡部は英語学の専門家でありつつ、歴史に関する著書も多く出しており、読者に勘違いを与え、且つ恣意的な肩書きの記載は必要ない。ま、ここまで言ってわからないならば編集合戦でも勝手にどうぞ。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 13:03 (UTC)[返信]

渡辺のどの歴史関連の出版物が査読論文なのかわかりませんので、私の中では歴史学者として認識できません。もし学会誌に載るレベルの査読論文がないのでしたら専門性がないことが分かる歴史愛好家(〜)なり歴史家(〜)を着ければ問題ないですよ。その場合、名誉教授(専攻=英語学)よりもこの記事における妥当性がありますから是非編集されることをおすすめします。CiNiiで調べたところまったくないので愛好家でしょうねぇ。
NHK委員について同じ出典から3回というのはわかりません。時系列にそって小林の疑義(産経626)、語る会の日向の問題ない発言(赤旗2009-07-05)8月にまとめる方針(jcp20090715)、まとまった方針(mainichi20090826,別の方が貼った産経8/26日付け記事)それぞれ”経緯”の部分で経営委員会についてそれぞれ一回ずつ。要約部でも出典付きとして扱っているだけで、多くても2回ですが。同じ情報に複数の情報源を当てるのは他の方もされていますし、問題があるとするのなら具体的に指摘してください。--Kulukulu 2009年8月31日 (月) 14:11 (UTC)[返信]
誰も歴学者と書けなどと言っていないので、ずれた回答されても困るんですよね。渡部の詳細な肩書きを書けばこれまでの経歴、及び著書などから歴史評論家、政治評論家、名誉哲学博士など色々書けるでしょうね。しかし全部を書くわけにもいかない。ならば代表的称号(上智大学名誉教授)だけを書いておけばよく、それがNPOVですよ。いちいち「歴史と関係ない人!」とあなたが主張したいがために恣意的に「英語学」などと一部のみを切り取って書く必要はない。
また、冒頭のNHK委員に関するところは重複記載であり、且つ「捏造はなく」などと出典先に書かれてませんがどういうことでしょうか?まさかあなたが捏造して書いたのでしょうかね。とにかく同じことをくどく書く必要ないですわ。
「21世紀中国総研」も従来の説明のほうが出典にあっており、恣意的な操作は止めたほうがよろしいかと思われます。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 14:46 (UTC)[返信]
渡部に関して学界がどうのとしておきながら、岡田なるマスコミ出身者を「台湾専門家」とした肩書きに笑いました。ならば渡部も「歴史専門家」と書けますね。正確、且つNPOV的に代表的と思われる「拓殖大客員教授」の職業を記載しておきました。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
マスコミ出身者でも査読雑誌に受理されるような専門家がいるのですよ。岡田充氏はそのタイプですし、それで専門家として客員教授になっているんですよ。CiNii上で検索したらすぐ分かります。Dondokkenさんは渡部氏が歴史系の査読雑誌に論文が載せたことをご存知なんですね。具体的になんという論文ですか?--Kulukulu 2009年8月31日 (月) 22:00 (UTC)[返信]
放送法違反の疑い=捏造の疑いですから、その疑義に当たらないなら当然捏造もないという結論だという解釈をしただけですよ。経営委員会が認められる程度の捏造ならあったが問題ないとするのなら私の要約が間違いになりますけどね。--Kulukulu 2009年8月31日 (月) 22:31 (UTC)[返信]
ほう。査読雑誌に載れば「台湾専門家」の肩書きになれるわけですか。できればその論理の出典をお願いしたいところです。専門家(せんもんか)とは、技術・芸術その他特定の職域に精通した知識と能力のある人のこと(三省堂辞典)。うーん、抽象的ですね。歴史に精通した知識と能力と言えば渡部もあるように思えますしね。まあ、人によってその判断は違うでしょう。個々で判断が変わるような都合の良い表現はやめましょうよ、と。どうしても書きたいのならば自称はしてるようなので、「自称台湾専門家」ならばokですがね。「元共同通信台北支局長」「拓殖大客員教授」がNPOVな肩書きでしょう。
「捏造はなく」は、あなたが判断した表現であったと言うことですね。残念だが出典先にはない断定表現であり問題ありましたよ。他の方にも「捏造」と言われて除去された一文であったことも理解できます。--Dondokken 2009年9月1日 (火) 03:49 (UTC)[返信]
信頼できる情報源でも読んだらいいのではないでしょうか。学術分野ならば査読雑誌に載れば少なくとも当該分野における論理や資料の選択に関して専門家として信用に値します。また査読雑誌でなくても専門の大学院教育を修了するなり、専門職・教育職についていれば信頼できます。忘れているようですが私のもっとも基底的な主張は、”wikipedia内にページが作られている人物について肩書きは一般的に不要というのがもっともNPOVである。ただし関与の正当性を示す当事者性を示す肩書きは一般に必要であり、見解についての専門的権威を示す最低限の肩書きは読者に発言者の背景知にたいする情報を提供するので利便性が高まることがある。”
私にとってもっとも不可解なのは、名誉教授という肩書きについてあなたが自分の見解を述べていないことです。一般読者にとってな名誉教授という肩書きがなぜ便利なのか、必要なのか、それをまず述べてください。そのうえで専門性の帯びていない肩書きを非専門的であることを隠蔽したままつけると一般読者はどう考えると、あなたは考えているのか。専門性を帯びていないことを隠蔽したまま無関係の名誉称号を提示することになんの百科事典的な価値があるのか。あなたはNPOVという言葉だけで、私に判断のための情報を提供しておらず、適切な中立的見解を達成するためのコミュニケーションをしていません。
まぁ大体合意がとれたので返答しなくても構いませんが。--Kulukulu 2009年9月1日 (火) 08:39 (UTC)[返信]
肩書き不要ならwikipedia内に記事を持たない人物は何者なのか全く不明であり、読者もわけがわかりません。そもそも「抗議団体の理事や会長である永山」などと必要以上とも思える肩書きを書いておきながら今更肩書きなしを力説しても説得力もない。「専門家」の定義について出典は出なかったということで、kulukulu氏の主張は一応読んでおきました。--Dondokken 2009年9月1日 (火) 11:13 (UTC)[返信]
つまりwikipedia内にプロフィールがあれば肩書きは不要であり、一般化すればリンク先にプロフィールがあれば肩書きはいらないということですね。あと肩書きの詳しさに関しては根拠はないということで理解しました。したがって中村、金、櫻井、議員の所属政党etcはwikipedia内にページが存在するので不要ですね。永山に関しては、既に肩書きが出ていましたので重複になるものはいりません。削りました。--Kulukulu 2009年9月5日 (土) 12:12 (UTC)[返信]

(インデント戻す)リンクがない記事について語ったものであり、すべてを親切に読者がわかりやすいように書いておけば良い(そもそも、なぜ記事のない岡田の肩書きも消したのだろうか)。あまり意味のないくだらないことは止めなさいな。--Dondokken 2009年9月5日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

岡田は研究歴からは語っていますが職歴から語っているわけではないからですよ。むしろ親切さ云々するのなら、中台問題の論文を書いていることを示した方が建設的ですな。ついでに言えばWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「広告ではない」に大学名は該当するので、この記事に無関係な拓殖大学は削除に値します。彼自身の職歴を語るページなら有意義ですけどね。気になる人向けには脚注からプロフィールにリンクがあるし不親切もありません。ところで安易に人は肩書きに騙されるので無内容な肩書きはいらないという一般論なら、ソーカルの『知の欺瞞』で十分でしょう。--Kulukulu 2009年9月5日 (土) 15:43 (UTC)[返信]
「抗議団体の理事や会長である永山」も含めて肩書きすべてを消したらどうなります?誰がだれだかわからくなる。しかしWIKIPEDIA内に記事のある人物のみ肩書きを消すとPOVにもなりえますし、逆に一部のみ残すこともしかり。公平に全員の肩書きを判りやすく書いておけばよろしい。それがNPOVというものです。共産党やら隠蔽したい気持ちも理解できるのですが、個人的思想から隠蔽編集はお止めください。また、肩書きとは「~専門家」「~研究者」などは、どうしても個々で判断が難しい表現であり個人的な思想も入り込む可能性があるため、職業・所属団体を書くことが個人的な思想を入れずに済む中立的なものです。読者の手助けとなる肩書き記載を消し、しかも偏った一部のみの隠蔽はやめましょうよ。--Dondokken 2009年9月5日 (土) 16:24 (UTC)[返信]
あなたが個人的にもっともらしいと感じる前職や称号を必要としているのはPOVじゃないんですか?だいたい対立する異見をならべるときに、媒体の確かさは出典情報によって、また職歴はwikipedia内なり外部リンクで確認できる。そもそも学術論文だと所属はあくまで脚注ということご存知ですか?だいたいどこの誰が"職業・所属団体を書くことが個人的な思想を入れずに済む中立"などということを言っているのですか?選択する職にすら観点が入り込むんですよ。必要なのは中立な職を選択することではなく”どの立場から”の議論なのかを示すことで、多様な意見の存在を示すことです。分からなかったら書かなければいいのですよ。中村や渡部のどこに、〜大学名誉教授という観点が介在する見解が存在するんですか。それを示せなかったら冗長なり宣伝なりと断じられて当然です。--Kulukulu 2009年9月6日 (日) 10:16 (UTC)[返信]
個人的?中村や渡部が〜大学名誉教授ではないと言える人っているんですか?出典はうじゃうじゃ出せますよ?[2][3] 岡田が台湾専門家などと書いたように~専門家・~研究者というのは、編集者の個々の思想で判断が変わりますが(渡部を歴史研究者と表現する者もいる)、職業や所属団体は個々の思想で変えることはできません。また肩書きを消して永山などと急に名前を出しても読者はわかりにくい。ですから読者がわかりやすいように全員公平に職業or所属団体を書いておけば良いのです。読者の可読性からも隠蔽編集によるPOVであることからも徹底的にあなたの編集に反対いたします(職業が宣伝という主張は初耳で驚きましたわ)--Dondokken 2009年9月6日 (日) 13:42 (UTC)[返信]
公平にするために全員肩書きをなくすか、書くか、としたら、後者にすべきでしょう。Kulukuluさんの編集を拝見すると一部の人間のみ肩書きが残っており、印象操作と判断されてもいた仕方がないかと思います。--エツヨ 2009年9月7日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
肩書きの残し方については既に明示にしています。(1)見解がある所属によって立つのならば、名前が一番最初に出たときに当事者性を示すために示す.事例:NHK経営委員・NHK会長(2)批評・論文の要約において所属・肩書きはほぼ無関係であり、プロフィールを示すものがリンクによって示せるのならば削る。もしweb上にプロフィールがなく必要と考えられるならば脚注で代用する(3)引用において要約を簡便化する上で必要ならば肩書きとして使う(4)書くまでもないですが文章推敲の常識的に、名前が複数回に渡って出てくる場合、立場が異ならなければ二回目からは全て削る。
当然削り損ねていたりするものもあります。酒井亨の肩書きなどはど忘れですね。あとDondokkenさん、勘違いをされているようですが、”名誉教授という肩書きをかくことが中立である”理由についての出典です。中村は昭和史研究所所長という肩書きで先に示していますので、名誉教授という立場がなくとも文章は通じます。この肩書きこそ新聞をして歴史研究家なる見出しさせたものなので、新聞の意図を引用する上で必須であり、そもそも無関係の名誉教授なぞは後退します。というか大学と無関係の行動なのに大学名を出すことは、宣伝に値するのでwikipediaとして不適切という私の見解についての反論を書いてください。また永山も台湾研究フォーラム会長という肩書きで既出です。エツヨさんもですね、何故公平であるのかについて、どんな論理・出典によっているのかを書いてください。私は単純に、引用内容とも無関係であり、リンク先に十分なプロフィールがあるから冗長である肩書きは当然削るべきであるとしているに過ぎません。誤字脱字を直しているレベルをPOVだのNPOVだの言われても理解できません。--Kulukulu 2009年9月7日 (月) 09:13 (UTC)[返信]
職業(名誉教授、教授、講師)や所属団体が「中立的」の理由はすでに示しています。個々の思想と関係がない、だれもがそれを否定できないという「事実」です。中村で言えば、昭和ナントカ研究所所長も肩書きでしょうし、名誉教授も肩書きです。どちらも所属している団体であり、なんならダブルで書いても良いでしょう(エツヨ氏によって現在そうなっているようです)。名誉教授なのだからあなたが抵抗しても事実は変えられないのだから仕方がない。隠蔽は許されません。
(1)について。あなたの態度によっては譲歩も有り得ますが、しかし最初に出てくる岡田の肩書きを隠蔽したりと、どうも思想が入り込んでる姿が見受けられて説得力もありません。
(2)について。リンクしたもののみ削ると、偏った肩書きのみが残るリスクがあります。特にこのようなイデオロギーに関わる記事ではより公平な記載が大切です。リンクがない者がいるため全員肩書きは平等にNPOVの観点から記載しておけば良い。一言で済む肩書きを脚注に入れる必要はない。
(3)について。おっしゃっている主旨がよくわかりません。
(4)について。(1)の指摘と同様。--Dondokken 2009年9月7日 (月) 10:00 (UTC)[返信]

インデント差し戻し。まずDondokkennさんのいう中立とは「少なくとも無難な肩書きを読者に提供しなければ、読者は判断ができなく、職歴はそのなかでも無難な肩書きである」という意見であり、「肩書きによって読者がどう理解するのかについての見識やそれについての出典はない議論である」という理解でよいでしょうか?まあ後者についてはこの際どうでもよろしい。あなたはそれを調べる能力がないようですから。 NPOVに基づいた編集に必要なのは、ある主張がどちらかに肩入れをしているのならば、まさしくそれを記述することです。その偏りを適切に抽出することです。適切な偏りと言うのは、例えば時には当事者性(政治運動の団体名なり説明責任を示す役職名)であり、専門家の視点(メディア研究者なり歴史学者なり、主張の中で明言された適切な思想名)です。この記事における英文学や英語学という経歴での名誉教授というのはまさしく無縁としか言いようがありません。無縁・無難というのは議論において不必要に他ならない。事実だから動かせないという根拠薄弱な論理を振りかざすのならば中立的である年齢・性別・国籍・全ての学歴・全ての職歴・出身地・犯罪歴の有無etc全て書くことを考えてみればよろしい。実際上不要であることは明白です。なればこそ、なんらかのロジックであなたは名誉教授が他の肩書きよりも特筆すべきだと考えたのではないのですか?肩書きはまさしくPOVを編集者の視点から明示するものであり、それをコントロールする論理を持てないならば削られるのです。編集に必要なのは、事実だけどどうでもいいことではなく、編集上何故特筆すべきなのかを明言することです。「渡部や中村が名誉教授で、岡田が客員教授であるという理解がなければ、文章が破綻する」そういう文章にする方向で編集しなければ、学校名の宣伝か無意味な権威主義にしか思えず、いつまで立っても私は理解しようがありません。--130.54.130.245 2009年9月7日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

えっとkulukulu氏ということでよろしいのかな?まずそこをはっきりさせてください。多勢に見せられているなら困りますので。--Dondokken 2009年9月7日 (月) 16:51 (UTC)[返信]
kulukulu氏は質問に答えず編集を続行しているようです。困りましたね。--Dondokken 2009年9月12日 (土) 14:37 (UTC)[返信]

『「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議』の項目名について[編集]

NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」#「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議の項目名について、ノート:プロジェクトJAPAN#『「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議』の項目名についてにてご意見をお伺いしております。 --59.143.175.118 2009年9月5日 (土) 14:09 (UTC)[返信]

59.143.175.118さんが、JAPANデビュー及びプロジェクトJAPANで項目名「「JAPANデビュー」偏向・歪曲報道問題」を「「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議」へと改変したことについて、先ず利用者‐会話:59.143.175.118で話合いが持たれましたのでここに記します。
利用者‐会話:59.143.175.118で対話が持たれていましたが、返答もなくまた加筆部分を含めた一律差戻しを行ったので、これを戻しました。議論への参加をお願いします。
利用者‐会話:59.143.175.118でも記しましたが、IPさんが編輯の要約に書いた内容の説明もお願いします。IPさんがノート:プロジェクトJAPANで提議をしたようですので、主として以後そちらへ記したいと思います。--廿粁 2009年9月7日 (月) 01:35 (UTC)[返信]
ノート:プロジェクトJAPAN、『「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議』の項目名について、にて纏めに達しました。--廿粁 2009年11月16日 (月) 02:01 (UTC)[返信]

「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議の記述[編集]

産経新聞正論 (雑誌)チャンネル桜WiLLなど、右翼系メディアの記事の垂れ流し記述が多すぎ。しかも出来事を片っ端から並べていくんじゃなくて、もっとコンパクトに要約するべき。 --220.210.53.188 2009年9月17日 (木) 16:36 (UTC)[返信]

「産経新聞、正論、チャンネル桜、WiLLなど、右翼系メディアの記事」と似たような内容を、朝日新聞が朝日独自の取材よるものとして報じたようです。これを出典として当ウィキペディアの記事の加筆が行われたようですのでご確認戴ければと思います。--廿粁 2009年9月19日 (土) 00:47 (UTC)[返信]
「もっとコンパクトに要約」に関連して、Wikipedia:引用のガイドライン/草案(議論段階のものですが)から見ると、人のことは言えませんが発言の引用が過多に感じます。でも「コンパクトに」と矛盾しますが「厳しい意見1945件……」はもともと脚注用の羅列なので、本文に組み込むなら箇条書きっぽくない文章にしたほうがよいのかなと思います。--Tomoe280 2009年9月19日 (土) 09:16 (UTC)[返信]
(追記)後半を訂正します。「厳しい意見1945件……」はもともと脚注の移動ではなく別々に記されたものでした。あと、その部分を編集して本文(の括弧書き)に纏めました。--Tomoe280 2009年9月20日 (日) 06:35 (UTC)[返信]
重複する内容は省くのは良いが行き過ぎた要約は不要、反響の矮小化に繋がる。何でもかんでもコンパクトに要約すればいいというものではない、事は報道倫理に関する重要事なので事態を矮小化して記述するのには反対。--220.220.114.212 2009年9月21日 (月) 20:52 (UTC)[返信]
上記に『朝日新聞が朝日独自の取材よるものとして報じたようです』と書いてはいますが、図書館で今年発行された朝日新聞の記事検索をしたところ、これらの内容を報じたという記事が少なく(ほとんどベタ記事)、実際には毎日新聞の方が記事が多い。そのため、朝日がというのは、報じてもおかしくないからという先入観ではないでしょうか。それに、この番組に対し問題にしているのは、週刊新潮が初期に報じたほかはすべて安倍晋三が「Will」などに寄稿したようにみられるように、安倍に歴史観が近い立場の者ばかりである。それゆえに「中立的観点でない主観的な記事」と指摘されるのも、いたしかたがないといえます。それにしても10月になってこの話題に進展が見られないところをみると、一種の「祭り」にすぎなかったのではないかとも、思います。事実について記述するのは当然であるとしても、「捏造・偏向」があったとして、一方の立場にたった記述を増やした結果が現状であるといえます。そのため百科事典的な項目内容にし「中立的観点ではない」との指摘がないようにするには、ばっさりと記述を整理すべきだといえます。現状では番組だけでなくNHKに対する批判が主要となっており、別に「メディア問題」として項目名を作り分割したらいいようになっています。ここは「テレビ番組」の記事であり「論争」や「主張」を取り上げた記事ではない。蛇足ながら数多く箇条書きで記事を書かれると本当に雑多な物に見えてしまいます。--Carpkazu 2009年10月1日 (木) 17:07 (UTC)[返信]
私が指摘した「朝日新聞が朝日独自の取材よるものとして報じたようです」の記事は、ベタ記事ではありません。9月に報じられたものですので、再度ご確認いただければと思います。
安倍晋三がWiLLに寄稿したというのは、問題として持上がってから大分後のようです。Wikipedia:中立的な観点の云う中立的な観点は、辞書に云う「中立」ではありません。全ての観点からの意見を公正に考慮するというものです。Wikipedia:中立的な観点にはこうあります。「様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。」その意味で中立的な観点を、安倍晋三の歴史観を基にしたり、主観とするのは私としては疑問に思います。「一方の立場にたった記述を増やした」と感じられるのは、疑問や批判が多数あるのに対して、NHKが二度自身のウェブサイトで説明したのに留まっているからではないかと私は思います。ばっさり削除には反対です。--廿粁 2009年10月2日 (金) 00:32 (UTC)[返信]
朝日の記事というのは私が加筆したものかな?[4] だとすれば、ベタ記事なんてものではなく、写真つきのしっかりとした取材ですよ。都合の悪い新聞社の取材は「ベタ記事」などとして見ぬふりをし、批判は一方の観点からのみと思わせるミスリードはお止めいただきたい(尤も朝日新聞もウヨ記事だ!と主張されるなら別ですが)。
確か、Carpkazuさんがこの記事への移動を提案し、皆さんにナントカ同意をいただいて移動を実現したんですよね。その次は「メディア問題」?へ移動ですか。申し訳ありませんが、この番組の出来事ですので、この記事で記載するのは当然のことです。批判の声に反論があるならば、それも記載すれば良いだけであり、多方面から番組で流された主張の一つ一つについてなされている批判の事実を消す正当性は何もないことを申しておきます。一方的に垂れ流しされた番組への批判を消すことこそPOVですよ。--218.217.41.81 2009年10月3日 (土) 19:36 (UTC)[返信]
加筆修正致しました。「中立的な観点に基づく疑問」については如何でしょうか。--廿粁 2009年11月6日 (金) 00:38 (UTC)[返信]
特にないようですので、「中立的な観点に基づく疑問」についてのテンプレートを外しました。--廿粁 2009年11月13日 (金) 00:54 (UTC)[返信]

削除の説明[編集]

削除について説明いたします。

「NHK経営委員会委員からでた疑義について、経営委員会は議論を続け、後日NHKによる説明の結果、捏造はなく、経営委員が例外的に問題にすべき疑義には当たらないという結論に落ち着いた」[5]の削除について、「後日NHKによる(下略)」の当該部分の出典はこれだと思います。

「小丸委員長は「JAPANデビュー」について「重大な疑義のあるケースには当らないと思う」と語った。」毎日新聞平成21年8月26日より該当部分の抜粋。ウェブ上の記事より。

私は、これにより編輯要約で示した通であると判断し、又他の方から当該記述は他にもされており不要との指摘もなされていたことから、一文の削除を行いました。--廿粁 2009年9月26日 (土) 01:44 (UTC)修正--廿粁 2009年9月26日 (土) 02:25 (UTC)[返信]

なんか、削除することでどうしてもNHKに捏造があったという方向に内容にしたいとする意図がありありですが・・・ 安倍晋三氏が「Will」に寄稿した記事を完全に信じきっているようにしか思えません。正直いって疲れます。--Carpkazu 2009年10月1日 (木) 17:13 (UTC)[返信]
私は番組に出演した台湾人が放送後、先ず番組の問題点について声を上げたことを重視しています。当削除については出典先と記述された一文とを比べていただければ、ご理解いただけるのではと思います。--廿粁 2009年10月2日 (金) 00:32 (UTC)[返信]

「NHKによる問題の「隠蔽工作」」の項目の全削除について[編集]

この問題について報じられた記述について、「「隠蔽工作」と言えるものではない。」としてこの項目をばっさり削除していますが、削除ではなく「「隠蔽工作」と言えるものではない。」との根拠となっているものを書き加えてこの項目を充実したものにしていただければと私は思いますので戻しました。--廿粁 2009年10月7日 (水) 00:27 (UTC)[返信]

NHK側の謝罪があるのに、肝心な台湾人による指摘の出典がないのはなぜだろうか?廿粁サンはNHKに恨みでもあるのではないかと勘ぐりたくなるような熱の入れようですね。主筆されている項目全てが炎上しているのは、いかかなののでしょうか。--Carpkazu 2009年10月7日 (水) 14:17 (UTC)[返信]
この趣旨は、番組に出演した台湾人のビデオがユーチューブ明るみに出た隠蔽工作に上がっているのですぐご確認いただけるのではないかと思います。NHKはこれを否定しているようですが、しかしその後もこれに関しての報道が他にもあったようです。--廿粁 2009年10月9日 (金) 00:34 (UTC)[返信]
これも#「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議の記述と同じです。出典が無い上、隠蔽だと主張してるのは一右翼メディアのみ。その上内容は独自研究の恐れがあります。--110.163.208.172 2009年10月9日 (金) 11:20 (UTC)[返信]
110.163.208.172さんへ、議論が行われているさなか、当該部分[6]を項目ごとばっさりと削除を行う行為はお控えいただきたく思います。
「出典が無い」との指摘について、出典は明記されています。110.163.208.172さんの誤認ではないでしょうか。ご確認の上、コメントいただければと思います。110.163.208.172さんの編輯要約「根拠のない憶測記事、独自研究を載せるな」とのことですが、この点について何がそうなのか、具体的にご指摘いただければ、建設的なご議論になると思いますのでご回答いただければと思います。番組に出演した台湾人の別のVTR(NHKの隠蔽工作とパイワン族の誇り)がありましたので、列記されている出典にこれを加えたいと思います。--廿粁 2009年10月12日 (月) 02:45 (UTC)[返信]

可読性を考慮してインデントを戻しました。隠蔽工作の有無について議論があるのは事実ですし、このたび産経新聞(10月6日)もこの件を報道しましたので、出典を明記して両論併記とし、双方の意見・主張・証言を明記することで、事実に即した中立性のある記述になるのではないかと思います。隠蔽工作の有無についての議論を本項目から全て削除することは、かえって本項目の客観性を喪失し、現実の経過にも反することになるのではないかと考えます。この件につき、皆さまのご意見をいただければ幸いです。--Kamura tohru 2009年10月10日 (土) 12:37 (UTC)[返信]

一方が否定しているからもう一方の見解を削除するのではなく、双方の主張、見解を尊重しそれぞれ記載することは、中立的な観点からも重要だろうと思います。--廿粁 2009年10月12日 (月) 02:45 (UTC)[返信]
皆さん指摘されているように隠蔽工作、またはそれに類するものがあったとする報道は度々なされています。中立性を保とうとするのであればこれらの「隠蔽工作」に言及せざるを得ないのはいうまでもありません。これを独自研究、或いは中立性の観点から削除とするのは明らかにPOVです。--60.34.103.95 2009年10月12日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。他に反対意見はないでしょうか? 偏った内容になるのを避け、公平な内容にするためにも、反対意見があればお願いいたします。--Kamura tohru 2009年10月12日 (月) 22:40 (UTC)[返信]

反対じゃないですが、NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」という項目名に対して、「「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議」の節の分量、著しく多すぎると思います。百科事典の説明として、「事実なら何でも書いていい」というものでもありません。詳述したいなら分割も視野におかれては。少なくとも両論併記する必要はあるでしょう。--КОЛЯ 会話 2009年10月13日 (火) 00:22 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。「隠蔽工作」についてと言うよりは項目全体への提言ですね。「抗議・批判」が肥大化する原因の一つは「経過」が含まれているからではないかと思います。現在進行形の事柄を扱っているため雑然とした印象もありますし、КОЛЯさんが「詳述したいなら分割も視野におかれては。」と言われる通り、今後は「経過」の整理も必要ではないでしょうか。一案としましては、以下のような措置が可能かと思います。
  • 現在の「経過」を「「JAPANデビュー」第1回放送分をめぐる批判・抗議」の節から分離する
  • 同時に批判部分や発言部分を最低限必要なものだけ残して省略し、シェイプアップする
  • 「経過」から省略された批判、発言などはそれぞれ別項目に振り分ける
ただ、現在のところNHK側が個別の具体例に回答しない場合が多く、それが時間が経つほど事態を悪化させ、「批判・抗議」部分だけが増えていく原因になっていると考えられますので、仕方がない面もあるかと思います。そして、やはり両論併記されていれば、再掲載には問題はないということになりそうですね。--Kamura tohru 2009年10月13日 (火) 19:56 (UTC)[返信]
КОЛЯさんのご指摘に同感です。現状ではこの騒動に関連した出来事を1から10まですべて詰め込んでいるため、膨大な記述量になっています。しかし、この問題を説明するのに出来事すべてを並べる必要はありません。参照項目に至っては92項目にも及んでいて、記事としてとても見苦しいと言わざるを得ません。要約すべきは要約し、問題の本質ではないものは削るといった編集が急務だと思います。両論併記にしても、争点を明確にした上で必要なものに絞るべきでしょう。Kamura tohruさんの「同時に批判部分や発言部分を最低限必要なものだけ残して省略し、シェイプアップする」というご提案に賛成します。--59.143.175.118 2009年10月14日 (水) 09:50 (UTC)[返信]
「事実なら何でも書いていい」と意味不明なことが書かれているわけでもなく、経緯と番組の内容についての反応を一つ一つ載せているのみであり、番組でNHKが主張したことと、その反論を書くことはNPOVの観点からも必要なこと。そもそも、詳細に書くためにプロジェクトJAPANから分割されてつくられた記事であり、1から10まですべて詰め込めんで書いたら膨大な量となるとのことですが、それらが書かれてから考えればよいことであり、書かれてもいないのに予想して行動するべきではないと考えます。反論が気に入らないために、それこそ「隠蔽」したい思いで発言しているように思えてなりません。--218.217.38.140 2009年10月14日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
反応を一つ一つ載せるなどもってのほかです。ほぼ現在進行中の事柄であり、事件の全貌が、歴史的に振り返って眺められる位置に来てから編集を始めても遅すぎることはないでしょう。--КОЛЯ 会話 2009年10月14日 (水) 12:12 (UTC)[返信]
「もってのほか」と感想を言われても仕方がありません。公に主張された内容があるならば、その反論も記すことがNPOVの観点から必要なことであり、番組名の単なる羅列こそ避けるべき記載法ですよ(WIKIPEDIAはデータベースじゃない)。番組内容とそれに対して何があったのか広い観点で記載することこそ記事の発展となるものです。--218.217.38.140 2009年10月14日 (水) 14:26 (UTC)[返信]

双方の現時点での意見をまとめたので、インデントを戻しました。

  • A.「隠蔽工作」記載賛成派
1)事実重視。報道されたのは事実なのだから記載すべき
2)漸進主義。書いてから随時修正すればよい
3)元々この項目自体が「プロジェクトJAPAN」から分離されてつくられた記事であるから問題ない
  • B.「隠蔽工作」記載反対派
1)文章重視。「抗議・批判」だけが多すぎる。記述量が多くて見苦しい
2)完璧主義。事件が確定してから編集すべき
3)事実は適宜要約し、すべてを記載する必要はない
  • C.共通見解
1)両論併記すべき

私の意見では、敢えて言うなら文章の「量」や「完成度」は単に文章力や構成力の問題にすぎませんが、「隠蔽工作報道について記載しない」ことはウソになると考えます。なぜなら「NHKの隠蔽工作」についての報道は現実に存在しているからです。形よりも内容の方が重要であり、まずは稚拙でも事実が記載されている方が重要であると考えます(もちろん、ウソやデマは論外です)。なぜならwikipediaは後で書き直すことを前提にしており、何度でも編集が可能だからです。事実、他の多くの項目がそのような方法で、より正確でより分かりやすく修正され続けています。

また、誤解の無いように私の発言を補足させていただきますと、私自身は「隠蔽工作」項目の復活自体には賛成です。前述の通り、今後は経過やその他の項目を内容を損なわないようにシェイプアップしてゆくことは必要ですが、経過から省略された内容も事実である限り別の項目として残すべきだと考えています。したがって、現実に「隠蔽工作」というタイトルで報道されている以上、私は記述自体を禁止するという意見には反対です。まず「隠蔽工作」の項目を双方の意見が分かるように若干手直しして復活させ、後は随時このように議論して修正してゆくのが良いかと思います。--Kamura tohru 2009年10月14日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

私の意見は「反対派」に組み入れられたのでしょうか。「反対はしない」と明言しておいたのですが。--КОЛЯ 会話 2009年10月14日 (水) 17:55 (UTC)[返信]

Kamura tohru氏の意見に同意。除去理由が見当たらなかったので、この件に関して復活させました、ただしさすがに節名はPOVの感があったため中立的表現にしておきました。また、「伝えられた事実」及び「井沢の意見」としての書き方にしておきました。--218.217.38.140 2009年10月14日 (水) 16:56 (UTC)[返信]

>КОЛЯさんへ。失礼しました。ではКОЛЯさんは反対ではないということですので、反対意見のまとめを以下のように修正いたします。結局、記載することが問題なのではなく、文章技術の問題ということになるのでしょうか。
  • B.「隠蔽工作」記載反対派
1)文章重視。記述量が多くて見苦しい
2)事実は適宜要約し、すべてを記載する必要はない
また、「批判発生後にNHKが台湾再訪」も拝見しましたが、ソースを踏まえた文章になっていますし、双方の言い分も入っていて簡潔にまとめられていると思います。節名については同感でしたので、適切な措置だと思います。--Kamura tohru 2009年10月14日 (水) 19:56 (UTC)[返信]
「批判発生後にNHKが台湾再訪」に、実際にNHKの再訪を受けた柯徳三氏と藍昭光氏の証言を追加しました。これで(1)井上和彦氏、(2)再訪を受けた台湾人、(3)NHKの見解 という3者の意見をカバーできたと思います。--Kamura tohru 2009年10月16日 (金) 12:29 (UTC)[返信]
上記、最後の産経新聞報道については抗議取り下げの報道とそれに対するNHK公報のコメント紹介とのスタンスでした。同紙の報道趣旨は『「偏向報道」抗議者に「不問」求める訪台のNHK番組関係者』ですのでそのような形に修正させていただきました。--218.47.145.116 2009年10月17日 (土) 08:06 (UTC)[返信]
了解いたしました。抗議取り下げについては前段で書かれていたので産経新聞の記事からは削除していましたが、たしかに産経新聞がNHK側の見解しか報道していないように受け取られる可能性のある書き方になっていて、正しく報道内容を表現できていなかったと思います。適切な修正をしていただき、ありがとうございました。--Kamura tohru 2009年10月17日 (土) 18:30 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

以前、この項目は紆余曲折を経てプロジェクトJAPANから分割したのですが、当方が危惧していたように、番組シリーズに関する記述よりも「第一回」の放送内容に対する批判に関する記事のみが肥大化し、そのうえ雑多かつ把握しづらい内容になっています。最早番組に関する記事というよりも放送内容に対する批判ばかり目立っています。そのため一層のこと「番組に対する批判の経緯」と「訴訟」に関する節を分割し、整理することを提案します。これは節のタイトルが『「JAPANデビュー」第1回放送が偏向・捏造であったとする批判・抗議及び提訴』とごった煮状態であり、さもありなんという状態であり、内容もどちらかといえば「捏造」があったと主張する立場からの視点による記述が大部分を占め「観点」のタグを貼られても不思議ではない状況にあります。もっとも、この分割提案に対しては常連投稿者からは反対されるのは間違いないでしょうが、TBSビデオ問題という項目もあり、メディア問題として加筆する方が、よいように思います。--Carpkazu 2010年1月9日 (土) 09:47 (UTC)[返信]

とりあえず私の意見を書かせていただきます。この問題は現在進行形の問題であるため、私はまだ分割する必要はないのではないかと思っています。それよりは内容の整理が優先されるべきではないでしょうか。「批判」の部分が肥大化するのは、NHK(およびNHK擁護)側の反論が極端に少ないこと、パイワン族が批判するように真摯な回答が未だになされていないこと、「抗議撤回依頼書」の存在など批判を受けても仕方のない新事実の存在などが主な原因と思われますので、これらの点は編集者側の責任とは言い難いでしょう。--Kamura tohru 2010年1月9日 (土) 10:59 (UTC)[返信]
「番組シリーズに関する記述よりも「第一回」の放送内容に対する批判に関する記事のみが肥大化し、そのうえ雑多かつ把握しづらい内容」になっていると感じるのならば、内容に関する加筆をお願いします。すでにCarpkazu氏の提案で分割してできた記事ですし、簡単に分割提案を何度もして読者にアチコチに行かねばならない読みづらい状況にしないようお願いしたいところです。分割提案しまくるのでなく、加筆をしてくださいな。--220.147.8.133 2010年1月10日 (日) 01:47 (UTC)[返信]
提案に賛成します。--КОЛЯ 会話 2010年1月10日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
コメント正直な話、この項目を組み替えるならば、経緯を時系列にした表と、経緯を本文で入れて編集しますね。ちなみに、このように判りにくいように肥大化した加筆には殆ど関わっていませんし、加筆した部分が他の編集者によって書き換えられているので、把握していません。個人批判をする意図はないのですが、過去ログをみていただけたら判るとは思いますが、最初に番組の問題について分割提案したのですが、一部から強く反対されたため現在の形になった経緯があり、このような状況は予見していました。そのため「簡単に分割提案を何度もして」と220.147.8.133さんが批判するような事態は想定内でした。そのため、私が分割せずに編集するなら大幅に記述を削除して三分の一程度にしますが、それでは納得しない投稿者も少なくないはずですし、また元の木阿弥になるので、分割してすっきりさせた方が無難だと提案した次第です。まあ、個人的には訴訟が進行中であるとはいえ、既に社会からは忘れられかけているような番組であったといえます。--Carpkazu 2010年1月10日 (日) 13:41 (UTC)[返信]
そもそも番組プログラムだけ紹介することがwikipediaではないのですから、詳細に書かれているものを分ける必要はないですよ。他の内容も詳細に書かれて記事が肥大化したら考えればよいことです。--220.147.8.217 2010年1月10日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」に関する記事ですので、番組紹介の他に内容に関する事や批判や抗議などが特に記述されていても問題はないと思います。推移を見守りつつ、現状は分割の必要性は薄いのではないかと思います。NHKはこの問題について、番組には問題は全くないという姿勢ですが、一万人超の集団訴訟に発展した事態を象徴するかように批判や抗議、問題点の指摘は数多くあります。又同様の内容であっても、どの新聞出版社が報道したかなど立場による「中立的観点」から記述する必要が出てきており、記述量という点では増加する要因であると思います。--廿粁 2010年1月13日 (水) 03:13 (UTC)[返信]

JAPANデビュー 第1回[編集]

批判することを前提とした節の設置は明らかなWP:NPOV違反。まずは「第1回」という枠がきて、続いて「番組の内容」、「制作の背景」、「取材」、「撮影方法」、「評論家による評価」、「視聴率(大衆の反応)」など百科事典に最低限必要な節を経て、初めて今回の問題に触れることができる--211.16.221.154 2010年9月27日 (月) 11:19 (UTC)[返信]