ノート:鬼切丸 (北野天満宮)

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ノート:鬼切安綱から転送)

銘の改竄の記述について[編集]

銘の改竄の記述について私の考えを述べさせてもらいます。

ふのさんは布施幸一氏の論説を「私見」とおっしゃられますが、私見であっても出典元の確かな「論説」であり、Wikipedia:検証可能性についても問題はないでしょう。現在まで布施氏よって論説の訂正がなされていない以上、ふのさんの望む形での削除や、曲解する形での修正は妥当ではないと考えます。

次に末兼俊彦氏の論説についてです。末兼氏の論説が最新のものであっても、あくまで布施氏の論説に比べて最新の論説でしかありません。末兼氏の論説が学会で統一された意見となっていない以上、最新の研究であっても布施氏の論説と並立しているにすぎません。そのため布施幸一氏の論説については「ネットに掲載されているのならこちらに記事として書かずに閲覧者にはページへ飛んで判断してもらう」とのふのさんの意見はWikipedia:中立的な観点から同意することは出来ません。2つの論説がある場合は、提唱された時代順に併記することが中立的な観点であると考えます。

Wikipedia:独自研究は載せないという方針があります。ふのさんが自ら「古備前説」とおっしゃるように、あくまで論説のひとつでしかなく、最新の研究がすべてであると決めつけて、布施氏の論説を一方的に削除をするなどの編集はお控えください。今後はノートで議論をしてからの編集をお願いいたします。--メメメ会話2020年5月31日 (日) 23:40 (UTC)[返信]


こんにちは。ご意見ありがとうございます。

本題から入らせていただきますが、まず、私見とされるのであれば「個人的な見解。自分ひとりの意見。」ということであり、メメメさんがおっしゃる「私見であっても出典元の確かな「論説」」になるかどうか甚だ疑問です。特にご本人が私見と認めていらっしゃる。そこを含めると適当な個人がネットで書き散らしたこともページのリンクのあれば出典元の確かな「論説」になるのでしょうか。

布施氏の私見とは布施氏の独自研究ということにはなりはしないでしょうか?

出典があればとおっしゃられますが、Wikipediaに乗せるのであれば布施氏のご意見一つ一つに根拠のある出典をお願いしたいくらいです。想像が多すぎます。 国立博物館が現物を研究しその名前を背に出した論と並立しているとは考えられません。(これも独自研究と言えばそうでしょうが持ち主とコラボしている責任が違うと思います)布施氏もあくまで個人の考えであるように考えます。

あと決めつけているって決めつけじゃないですかね。 末兼氏の論説が最新のものであっても、もちろんこれが最終結論ではありません。あくまで論の一つとなるでしょう。 新しい論があれば反するものであろうとそれを追記していくべきです。 しかし布施氏の考察は更新されることがなく学会で提唱できるものでしょうか。お言葉を返すようですがメメメさんが布施氏の推理を信じてすべてであると決めつけているのではないでしょうか。

編集する以上、生身の剣を見に行かれてますか?私の編集が出来てないのは申し訳ないですが、刀剣ゲームの影響で刀の展示会など多く行われているので情報は常に更新されております。いつまでも一つの私見だけを重要視して、他説は学会で統一されてるのか?など疑ってかかるのはどうかと思います。 私見を私見と認めるのならば、これは個人が楽しむ推測であり、博物館の解説と並べることが中立的でしょうか。

「昔はこんな考えをする人もいたが、今はこういう説になっている」という表現ならば的確で利用者もわかりやすいと思うのですが、布施氏の論は「否定できないだろう」など断定がすぎます。推論なのに無関係の刀も名前が出されており、悪影響を及ぼさないと限りません。(私見ですが、有名な刀なので、鬼切安綱の価値を上げるため有名な銘に偽造しようとしたみたいに取れます。鬼切安綱という刀の評判に良くないという考えです。これは辞典ですのであくまで誤解させない事実情報だけを書くことを求めています)布施浩一氏の推理が本当かどうかが議論の種になりかねない。 再度提案しますが、「銘の改竄の経緯については布施浩一が(リンク先)にて私見を述べている」などのリンクに変えるのはどうでしょうか。要約して書くより、実際原文を読んだ方が考えが固定されず解釈も変わるでしょうし本当に考える人に訴えるのではないでしょうか。

事実は「銘が改竄されている。その元の銘も違うのでは?という研究がある」だけですよね。現物から見ている情報だけです。「安綱から国綱になっている」「安綱も追刻ではないかと考えられている」どちらも存在する説です。 でもなんで改竄したか、犯人は誰だ、みたいな話は当事者が明かさない限り想像だと言わざるを得ません。 Wikipedia:独自研究は載せないという方針があるのであれば、やはり根拠がない私見であるのならば削除も考えるべきなのではと思います。

--funo会話2020年6月1日 (月) 01:59 (UTC)[返信]


布施幸一による私見を髭切、鬼切安綱、童子切安綱に記述したのはメメメさんでしょうか。なぜこちらどういった銘の改竄があるかの説明の前に、何々の影響を受けたから~みたいな根拠のない私見が先なのでしょうか。 以前は別の出典があったように思いますが消えたんですか。Wikipedia:信頼できる情報源を明記するべきではないでしょうか。 私見の主張は何が言いたいのかよくわかりません。ここは論文の発表の場ではありませんしまた知りたい情報の邪魔になるのではないでしょうか。


京のかたなの図録214Pに 「源氏の重宝『髭切』と伝わる太刀。出羽最上家に伝来し、江戸時代には鬼切丸と号され、明治十三年に同家から北野天満宮へと奉納された。重要文化財としての指定名称は「太刀 銘 安綱(鬼切)」であるが、現状茎に刻まれている銘は「国綱」である。国の字のくにがまえの縦線が明らかに後世の手による太い蹴彫でなされており、旧国宝指定時に編纂された付属の文書『鬼切丸伝来記写』にも、本来「安綱」と銘あったものに手を加えて「国綱」となしたものの、本阿弥伊勢大掾らが安綱の正真作と鑑定した、とある。指定名称はこれを受けての命名であるが、この『安綱』銘には多くの疑問が残る。」


の説明があるので、こちらと変更するのはいかがでしょうか。この後現存する童子切安綱や、太刀銘安家らとの比較しての銘ぶりの違いが説明されています。 また可能であれば、童子切安綱の項目ももっと良質で偏りのない研究に基づく、Wikipedia:信頼できる情報源ですっきりさせたいと考えています。

--funo会話2020年6月1日 (月) 08:22 (UTC)[返信]

横からすみません。とりあえず出典を明記して、色々な説を出してから重要度が高いものに主観を置いて掲載してはいかがでしょうか。二者間の議論だと揉めることも多いので、コメント依頼への掲載などもお勧めします。それから、ノート掲載時はインデントを付けて頂けますようよろしくお願い致します。--遡雨祈胡会話2020年8月24日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
「編集する以上、生身の剣を見に行かれてますか?」という発言について何かしら訂正があるかと思ってましたが、これ以上待っていても訂正はなさそうなので。
はっきりと申しますが、議論をする場で上記のような発言をする方と議論をしたいとは思いません。議論相手に対して最低限の信頼は持つべきですし、信頼を感じない相手と議論する価値はありませんし、私がふのさんに割く時間もありません。
私自身の話をするのであれば、編集する場合は可能な限りのフィールドワークはしていますし、自費出版の書籍であっても古書店を探し回ります。ですが「これだけ見て回った、こんな史料を集めた」などと言ったことはありません。他の編集者からもそのような発言をされたことは一度もありません。そこまでしないとWikipediaを編集してはいけないルールはありませんからね。
さて「博物館の解説と並べることが中立的でしょうか」という意見に答えておきます。ここはWikipediaであって博物館ではありません。ですので中立的であると私は考えています。
また「布施氏の推理を信じてすべてであると決めつけている」とおっしゃられますが、私は布施氏の推理を信じているなどとは言ってませんよ? 末兼俊彦氏より先に、布施幸一氏が私見を提唱しているのだから、歴史的経緯として順序立てて記述をしましょうと言っているのです。ふのさんが「メメメは布施氏の推理を信じてすべてであると決めつけていると決めつけている」だけなんですよね。
私の編集方針は、提唱者が在野であれ学芸員であれ、どのような立場でも主張は中立に扱うべきであると考えます。学説的に確定していないのであれば、なおさら中立に立つべきです。この項目については過去に布施幸一氏の私見があり、現在の末兼俊彦氏の新説がある。将来新たな説が提唱されるかもしれません。そうした歴史を意識して、提唱者の権威に関わらず、記事全体で順序を立てた記述をすることが大切であると考えます。
しかし、私はふのさんと議論をする気が一切起きませんし、この項目で中立な編集を心がけ続ける気力も失せましたので、私が布施幸一による私見を決めつけているというのであれば記述を削除しておきます。
今後はふのさんが責任をもって編集すればよろしいかと存じます。

--メメメ会話2020年9月11日 (金) 15:36 (UTC)[返信]