ノート:高木琢也

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プレースタイルの記述について[編集]

高木琢也と言えば、アジアの大砲っていうのが通り名ではありませんでしたか? ターゲットマンや、ポストプレーヤーの代名詞が高木琢也であったとプレースタイルにありますが出典をどなたか示して下さい。 本文中にも確かに代表での説明の表記として、アジアの大砲とあります。 しかし現在のプレースタイルの表記である、ターゲットマンやポストプレーヤーの代名詞といえば高木琢也と述べるのであれば、次の表記はどうでしょう。

「アジタの大砲と呼ばれ、加茂監督時代の日本代表におけるターゲットマンとして攻撃のキーマンであった。」と書いた方がより事実に即していると思われます。

1ヶ月程様子を見まして、反論が無ければ修正させて頂きます。--雨季雨季 2007年12月4日 (火) 10:31 (UTC)[返信]

個人成績における背番号[編集]

92年から96年までJリーグは変動背番号制度。高木は先発で出た試合であれば10番を着けていたが、彼だけが10番を背負ったわけではありません。特に怪我でほとんど試合に出ていなかった95年はほとんどジョン・ファンルーンが10番を着けています。また、先発からではなくベンチスタートであれば、12番から16番のどれかを着けています。そのため、個人成績の背番号欄に10番と明記するべきではないです。--218.40.21.125 2008年10月3日 (金) 07:13 (UTC)[返信]