ノート:音階/過去ログ1
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内容をよりよくするために
[編集]この項目、めちゃくちゃです。特に「音階の例」の♯と♭の区別が理論的にありえないものばかりです。ド♯とレ♭は論理的にも調律的にも違います。それと、シを"B"と表現するのはジャズ・ポップス限定です。ジャズ・ポップスは、クラシックの一部分を「おしゃれに/耳に気持ちがいいように」切り取ったものなので、論理的にまったく普遍性がありません。知識のある人が音階を英語(エー・ビー・シー)で言うと、それは自動的に「これはジャズ・ポップスに限った話ですよ」という意味になります。普通日本の音楽の現場ではシは"H"(ハー)で、"B"(ベー)はシ♭を指します。というか、音楽理論で英語を使うことはまず(「絶対に」と言ってもいいくらい)ありません。なぜなら、英語圏は、音楽理論の発達に影響を与えなかったからです。現代日本の音楽教育でも、音の高さ〔絶対的な表現〕を表現したり、オクターブの重なりを無視した場合に音名を指し示す場合はドイツ語(アー・ベー・チェー…。ただしフランス人はフランス語を使う)、音程〔相対的な表現。この項はこれですね〕はイタリア語(ドレミ)を使います。全体的にありえないことが多く混乱した記述が多いので、ちゃんと知識のある人が最初から書き直した方が早いかもしれません。それと、それと、「音列」だとか「音組織」なんていう言葉もありません。もし「音列 line(s) of sound(s)」と言ったら、それは「旋律」の意味になりますし、「音組織 (the/a) organization(s) of (the/a) sound(s)」と言ったら、「音の世界のパイプオルガン化」というわけのわからない意味になってしまいます。音楽は現代では芸術の一部分にすぎませんが、古代ギリシャの時代は哲学・学問の根幹にかかわるものだったので、皆さんが思っている以上に深い知識(少なくとも古代ギリシャから19世紀までの哲学)が必要です。私は、音大を出た後、国立の哲学科を出直しました。求めすぎかもしれませんが、音楽の高等教育を受けた人がこの項目を見たら、その人はもうウィキペディアを信用しないでしょう。私は音楽もウィキペディアも大好きなので、こういうのはやめてもらいたいです。こういうことにならないように、日本語では音の名前に「イロハ」を使うんです。--Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 11:56 (UTC)
- Akkeyyyy さん、音大を出られたとのことなので、信頼できる出典を多数お持ちかと思います。Akkeyyyy さんが直していただければとても良い項目になるかと思います。それが手間ならば、信頼できる出典となり得る文献名の一覧だけでもノートに示していただければ、他の知識のある方がきちんと直してくれるかもしれません。--魔私利戸 2010年5月17日 (月) 12:18 (UTC)
- 魔私利戸 さん、あのですね、音楽理論の世界には、「出典」というのはない…というか、私が言ったような「決まり」になっているのです。出典とか文献というものがあるとすれば、それは、「古代ギリシャから現代までの音楽・美学・哲学の主要な文献の全部」です。たとえば、日本語で『』でくくった文字列は、「書籍の題名」という意味に自動的になりますよね。じゃあ、「『』でくくられた日本語は、なぜ書籍の題名なのか」ということを論ずる「出典」があるでしょうか? ありえませんよね? わかってもらえますかね、私の言っている意味…。だから、私は音楽のために哲学科まで出たのです。そうするしか、音楽を理解する術がなかったからです。--Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 12:28 (UTC)
- ウィキペディアはどういうものかについて Wikipedia:検証可能性 をご覧ください。要点を引用すると、次の通りです。
ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。
- --魔私利戸 2010年5月17日 (月) 12:37 (UTC)
- うーん…それなら一つ文献を挙げます。皆読む本ですが、石桁『楽典』です。音楽高校の一年生の前半で修了する程度の本であって、最低限の知識ですが、教師なしで理解するのは難しいと思います。なぜなら、これとて、「決まりの集まり」だからです。たとえれば、英語に「I am Akkeyyyy.」から入るようなもので、言語学の知識なしに "be" が根源的に「存在」を示す、ということを理解するのは難しいでしょう。ただ、「I am akkeyyyy.」は「私はアッキーです」という意味だ、と丸暗記するしかありません。そこに「検証」というものはありえません。それはこの本が不完全だからとか、論理的裏づけがないからとかいうことではなしに、音楽の基礎は、有史以前からの「決まりの集まり」だからです…たとえば、「あ」はなぜ"あ"と読むべきか、が論証できたり、検証できたりするでしょうか? また、「1+1=2」という命題が数学的に「証明」されたのは、20世紀後半になってからです(byゲーデル)。音楽と言うのは、上に書いた通り、あまりにも人間の根幹にかかわっているので、真実かどうかとか、検証できるかとか、そういうことを越えていて、もう「このやり方をスタンダードにしよう」というしかないのです。たとえば、世界に客観存在(他者)というものがあるかどうかとか、世界は本当に存在するのかとか、「検証」できないですよね? それと同じです。あまりにも歴史が古すぎます。音楽理論の個々を「検証」するのは、「本当にウィキペディアに書かれていることはは検証可能か」を「検証」しようとするようなものです。その結果は、自己言及の繰り返しです(「我思う故に我あり」、我が存在すること以外にに検証可能なことはない)。--Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 12:58 (UTC)
- ウィキペディアの言う検証とは、そういった根源的なレベルのものまでは要求していません。信頼のおける文献において「『あ』という文字は“あ”と発音する」、と書いてあれば(実際は文章でなくて表形式で発音記号か何かで示してあるでしょう)、それでいいのです。ウィキペディアに執筆されている説明が、信頼できる参考文献のここに書かれているよと示せればそれでいいのです(現在の「音階」の項目がそれを満たしているかと言えば言い難いですが……)。Wikipedia:検証可能性 で言っているのはその程度のレベルです。方針には
- 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
- 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
- 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
- とあります。
- 演奏者や指揮者が心得ているような、音階、あるいは音楽の本当の本質を知りたい人にはウィキペディアだけでは不向きかも知れません。そうした人は音大やちゃんとした師弟関係で学ぶなど生で経験を積んでいくしかないでしょう。師から学ぶようなことは、師の実地の経験から出てくるもので出典がない場合が多いので、ウィキペディアでは規約上そこまでの記述はできませんが、本当に学びたい人の助けになるような記述は規約を守った範囲の記述でも可能かもしれません。
- 「ここに書かれている事柄にはウィキペディアの方針により内容的に制約があります。より本質的な知識や技能を身に付けたい人は専門的な教育機関やきちんとした師弟関係で学ぶことをお勧めします。」のようなテンプレートがあればいいのですけどね。--魔私利戸 2010年5月17日 (月) 13:41 (UTC)
- ウィキペディアの言う検証とは、そういった根源的なレベルのものまでは要求していません。信頼のおける文献において「『あ』という文字は“あ”と発音する」、と書いてあれば(実際は文章でなくて表形式で発音記号か何かで示してあるでしょう)、それでいいのです。ウィキペディアに執筆されている説明が、信頼できる参考文献のここに書かれているよと示せればそれでいいのです(現在の「音階」の項目がそれを満たしているかと言えば言い難いですが……)。Wikipedia:検証可能性 で言っているのはその程度のレベルです。方針には
- ここまでのまとめ
--魔私利戸 2010年5月17日 (月) 13:52 (UTC)
- 私は、自分が書いたものに手が加えられて堕落してゆくのがいやなので、本文は書きたくありません…私がここに、私が学んできたことを総合的に、大前提として基礎だけ書いておきますので、誰かこれをもとに書いてくれればと思います。音楽理論と言うのは、「音階」ひとつ切り取っても、ものすごく難しく、長い歴史の上に立っているので、一つ一つ出典を出すことはできないし、美学・哲学の基礎的な本などを読めばなんとなくわかると思いますから、聞きかじりの知識でなく、下記の基礎をまず聞いてください。
- まず、「音階」というのは、クラシックでは、作曲するためのシステム(道具)の一つです。現代では、「普通」の12分割のものものあれば、24分割のもの、48分割のもの、36分割のものなどをはじめとして、色々な分割率のものも普通にあります。音階のない曲もたくさんあります。
- 音階の始まりは、人間がことばを話す前の、鳴き声のようなものが始まりです。そうすると、誰かが、「ものすごく協和する音の高さ同士の関係がある」ということに気付きました。これがオクターブです。周波数で1:2です。基数が1と2なので、完全に(最も単純に)「協和」します。「協和」させること、これが音階と言うものの歴史の全てであり、趣旨です。「さて、オクターブの間にもたくさんの音の高さがあるな。どういう風に区切ろうか」、これが具体的な音程と言うものに対する思考・制定の始まりです。オクターブの次に「協和」するのは、「完全5度」(たとえばドを基準に言うと、と上のソ)で、周波数は2:3です。これが2つ目の基礎です。さらに、この全5度を、「裏返した」のが全4度です(例を続けると、ドと下のソです。上向きに言うと、ドとファです)。周波数の基数は、3:4です。完全5度と完全4度はいわば双子で、2と3を基数とする周波数の関係で、上向きに協和させるか、下向きに協和させるかの違いでしかありません。したがって、音階の基礎は、ドとファとソ(和声学で言うとI・IV・V)です。人間は、音においては、下を基準として上に向かって考える傾向があったようで、どちらかというとソの方が「根源的」と考えられています。そのため、ソは「ドミナント」、ファは「サブ・ドミナント」と言います。「ドミナント」というのはラテン語で「支配する」という意味で、つまり、ソがドを支配するということになります。なぜ「支配」かというと、「ソ無しにドを規定できない」からです。「ド」だけ歌っても、それは一つの音にすぎず、システムになりません。ところが、他の音と組み合わせることにより「システム」ができます。人間は「協和」させたいので、「ソ」を選びました。「ソ(V)が存在することによって、はじめてド(基音、I)というものが規定される」、これが「ドミナント」ということです。ただ、人間は素朴な状態では「どれがもっとも協和しているか」がわからなかったので、さまざまなドミナントが考えられました。これにより、さまざまな音階が発生しました。たとえば、今で言うドが基音で、レがドミナントである音階もあります。これをもとに、「できるだけ協和するように」オクターブを区切っていったものが、色々な「音階」です。お分かりと思いますが、たとえば現代のdur(長調)で言えば、たとえばD durなら、ドミナントはラで、サブドミナントはソです。皆色々試しました。そうして、「これ以上複雑な周波数比は『協和している』とは言えないだろう」と皆が感じた妥協点が、音階の12音です。ただし、実は12音というのはいきすぎで、すでにシステムとして成立しないところまで分けてしまっています。たとえば、C durの場合、オクターブを12に分けると、どうしてもミが非常に複雑な周波数比(協和しない。無理数)になりますので、単純にするためには、C durの曲のEはピアノ(十二平均律)のミよりも少し高い音にしなければなりません。ですから、C durのEとD durのEは、違う音です。ピアノは、転調するたびにいちいち調律することは当然できないので、妥協点として、単純にオクターブを12分割しています。が、奏者が音程を変えられる管弦楽器や、「ストップ」と呼ばれる機能によって「楽器の調を変えられる」オルガンなどでは、きちんと協和するミを出します。また、調律のしかたにも、支配音を基準にしたり、全体の均質性を重視したり、どういう順番に音同士を協和させていくかにより、すさまじい数の調律が存在します。…あとはざっと書きます…音階と言うのは、以上の通り明らかに恣意的です(もちろんオルガンやピアノはもっと後に発明された)。ですから、音階は12分割とは限りません。哲学・美学・音楽理論家×作曲家×楽器の種類の数だけあるといってもいいくらいです。古代ギリシャになると、古代ギリシャの言語における典型的な音程の影響で(まだ詩と音が分離されていなかった)、ものすごく諸説ありますが、だいたい20~30くらいの有名な音階があったと言われています(ただし12音まで分けてしまうとどう聞いても協和していないというのは物理的な問題なので変えられず、現代に至っています)。で、その中のいくつかは、「この音階はこういう言葉に適合的だから人間の育成に良くない」とか、「この音階は人間の善をめざめさせる」とか言われて、政治的に規制されたり奨励されたりしました(この辺からが有史で、紀元前10~15世紀ごろ)。で、色々あっていきなり紀元後5、6世紀ですが、キリスト教会の都合で、これらがさらに絞られ、24個になりました。その中でもっとも「ポジティブ」とされたのが現代のdur、「ネガティブ」とされたのがmoll、「中立」とされたのがmolldurです。…以上は基礎中の基礎ですが、音楽理論や音楽美学の本にはほとんど書いてありません。哲学を読まないといけません。以上は一つ一つ出典がありますが、私はそれを正確に探し出す時間がありません。以上の前提がないと、音階というものは正確に語れません。
- まとめると、「周波数比1:1(I-I)が第一の基礎、2:3(I-V)が第2の基礎、それを裏返した3:4(I-IV)が第3の基礎、これをくり返すと12音くらいまで「協和」と言える音高の集合ができる。この集合の作り方が音階であり、このようにして全ての音階は算出され、逸脱してはならないとされてきたのであり、普遍的に有効で、世界中で、時期の差こそあれ、同じ道をたどってきた」ということです。
- まめ知識 オルガンはなぜオルガンと言うか? それは、もっとも合理的に演奏できる楽器でありながら協和する音階を生産できなかった鍵盤楽器が、機械の力で、完全に協和する音を生産できるようになり、神の完全性を体現できると考えられた。だから教会にはオルガンはあるが、ピアノは不協和な音階しか生産できないから、神の完全性を体現することができず、教会からは排除されている。organとは、ラテン語で「システム、宇宙の組成、神の意志としての(予定調和的な)世界」の意味です。
- 以上、本文執筆者様のご参考になれば。音楽はそう簡単なものではないので、私の知識を足しにしてください。
- --Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 17:16 (UTC)
Akkeyyyyさんの主張は、失礼ながら生半可な知識と独自研究の混合したものです。このページを編集した利用者のほとんどの方がAkkeyyyyさんより見識があると言えます。英語音名を用いているのは主にポピュラー音楽での名称と分類を説明している節ですし、英語圏に行けばクラシック音楽でも英語音名を使います。日本でドイツ語音名を使うのは日本のクラシック音楽が歴史的にドイツの影響を強く受けてきたからに過ぎず、国際的に音名はドイツ語音名が主流という訳ではありません。またイタリアでは「ド、レ、ミ」などは音名であって階名ではありません。私も音大を出ていますし、和声や対位法を現代音楽の作曲家に個人的に師事して学んだこともありますが、現在の内容は民族音階がポピュラー音楽の観点から説明されている点が少々問題かとは思うものの、「めちゃくちゃ」というような酷いものではなく、全面的に書き直すような必要は感じません。そもそも百科辞典の「音階」の項目に、師弟関係から学ぶ師匠の経験則のようなものが入り込む余地も必要もありません。「音列」という言葉をご存知なければ十二音技法の項目をお読み下さい。れっきとした音楽用語です。--白胡麻赤飯 2010年5月17日 (月) 17:13 (UTC)
- エート私はこれで飯を食っているんですけど…専門はストラヴィンスキー~ケージです。十二音技法ですが、私にはその用語ズバリの出版物があり、自分で言うのもなんですが、多分世界で私が一番精通しています。研究のために自分で100曲以上作曲しました(結果は「不毛」でした)はっきり言って、シェーンベルク本人よりも知ってます。学部時代の焼き直しですが、「スパッとまとめて、しかも詳細な解説付き」なので、東大の美学芸術学はじめ授業で使われています。海外でも引用されるので、わけのわからない言語で問い合わせがよくあります。(これ、誰だか完璧わかっちゃうな…)。一応説明しますが、シェーンベルクは「作曲家」であって、美学者とか理論家ではありませんよ。十二音技法についても出版したくなかったのです。なぜなら底が浅くて書くことがない。一言で説明できてしまう。「12平均律を前提として全ての時空の次元を均質化しようとした音楽であり、先行者後継者共になし。」心ある学者は十二音技法がいかにくだらないか知っているので、恥ずかしいです。でも、なぜか日本では需要が…。シェーンベルクが言った言葉を「音楽用語だ」と言ってしまったら、私がスペシャリストであるためには、作曲家たちが書いた何万冊もの、半分詩のような世迷い本をすべて暗記せねばならず、1回の人生では足りません…クセナキスなどに至っては…
- 私が言っている中に経験則がありましたか?すべて原理的な説明と、日本の現場における慣習についての説明です。あと、「音名」とか「階名」とかは、右も左もわからない高校生や理論を知らないまま間違って大学に入ってしまった演奏科の人などに、最初に "This is a pen" として教えるだけで、研究ではもちろん使いませんし、できるだけ早く上記のようなちゃんとした説明を与えねばなりません。英語で言ってごらんなさい。それらは区別できない概念だということがわかりますから。…ま、ウィキペディアの限界は、このへんですよね。有象無象が…普段ウィキペディアにお世話になっているので、私も貢献しようかと思ったのですが…ムダでしたかね。こういう子には、ホントに普段から苦労してるんです。やたらとわけのわからない発言を積極的にする…別に無知が悪いわけではないけど(やる気のない学生の方が嫌だ)いちいち「無知の知」を諭してたら他の学生の勉強が進まないし…--Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 17:30 (UTC)
- まあこういう人への対応は後回しにして、要点を書きます。
- 1) 欧米(英含む)でも、音高と音程を区別する時には、理論の話をする場合、音高およびオクターブ内部で話をする場合は、ドイツ語です。用法は上記の通り。歌ったり、オクターブの重層性が存在することを前提に言う場合は、イタリア語(ドイツ含む)か、母国語です…が、イタリア語は歌うのに都合がよい(子音・母音でできている)ので、普通はドレミです。私が中学生の時留学したイギリスの王立芸大でもそうやって教えていました。
- 2) 「スケール」は「音階」の訳と言うことは、実はできません。「スケール」は、音階を、演奏者が音として「現実化」するという前提の場合のみそう呼ばれ、日本で言う「音階」に相当するのは "(soud) system (of sound)" です。「スケール」は、1つのオクターブ内部でのドからシまでを指すのではなく、演奏される楽器の最大音域を行き来する(つまり、その楽器が出せる音の一番下から一番上まで)を、その楽譜を見て演奏することを前提として記譜されたものを指します(「スケール」は「音域(の大きさ)」の意)。ピアノで言う《ハノン》のようなものですね。なぜ日本で「音階」を「スケール」と訳すかと言うと、「欧米に、『音階』に相当する言葉が無い」ため、「大体同じ意味」である「スケール」と言います。なぜ欧米に「音階」に相当する言葉が無いかと言うと、まず第一に "system" という言葉の方が正しいことと、第二に、その歴史の長さゆえに音階と言うものがあまりにも自明のものなので、専用の言葉で指し示す必要さえないからです(たとえば、「楽器が出す音」をわざわざ特別な言葉を作って「モジョジョ」と言いませんよね。「音」は意味が自明なので「音」で良いのです。「音階以外のシステムが無い」から、その言葉はいらないわけです。逆に言うと、日本には日本の「システム」があるため、「日本のsystem」と「西洋のsystem」とを総合して「音階」という言葉を作り出したわけです(明治時代の学者が)。日本人が理論の話をする時は、「システム」と言うと、その言葉は日本ではあまりにも広い意味で使われていて意味不明になるので、はっきり「音階」と言います。これは欧米でも勘違いしている人がけっこういます(特にアメリカ人)が、ちゃんとした理論の教育を受けた人は、自分の知識を示すため、「スケール」という言葉を避けます。
- このあたりが「音階」に関する避けて通れない基礎知識でしょうか…細部や、事実の集積は、お願いします。原理的な話の出典は、公共図書館にでも行って、紀元700年あたりまでなら「哲学書」を、それ以降紀元1700年までなら「美学書」を、それ以降なら、「音楽理論」を(ただしアヤシイものや作曲家が書いたものは×。"Musicology" などの信頼できる学会誌の出典から、「当時の音楽美学や理論」として引用されているものをたどってください)…しかし、こんな自明なことにまで、ウィキペディアは「出典」にこだわるのかどうか…ネットの有象無象を底上げするためですかね。--Akkeyyyy 2010年5月17日 (月) 19:36 (UTC)
なんかすごい議論に水を差す様で悪いのですが ド#とレ♭の議論以前に「音」と言うところで議論するのは無駄だと思います。
なぜなら「音階」は人が勝手に区切ったもので、音は無限に存在すると思います。
ですから、私は「ド+2000Hz」「2000Hz」というのも間違いではないと思うし「ド#」と表記するのも間違いではない(2000は適当な値ですが)と考えています。
従って、人が区切ったものですから完全な表記は難しい つまり、ド#・レ♭ は(論理的に、物理的に)同じものでないとしても
便宜的に同じものと扱い、使うというのが一般的だと思います。
Akkeyyyy さんが仰るとおりに「無知の知を教えるのは~」はもっともだと思いますが、やはりインターネット上のことですので、利用者がもっとも必要としている情報を載せることが一番いいと思うのですが、その中にはその情報で物足りない人や何を言っているのかさっぱりという方も合わせて多数居ることは私でも分かっています。ですから、多くの人がインターネットを利用するからこそ多くの人が分かりやすい内容で載せるのがよいのではないでしょうか。 自分が必要と感じたならば(Wikipediaなら)書き加えることもできますし、不要と思えば消すことも可能なわけで、「決まり」となっているのであれば、その旨を書き加えた上で編集を行えばいいとおもいます。
出展を示せと言われていたらしいのでこれはどうでしょう ISBN13:978-4276100008
--Ritneko 2010年6月23日 (水) 09:44 (UTC)
まあ、誰もAkkeyyyyさんの十二音技法に対する個人的評価など訊ねていないのですよ。「音階」の項目とは何の関係もありませんからね。この方は哲学に関しては専門家かもしれませんが、音楽に関してはかなり素人臭い方です。結局、自分の知識を開陳して悦に入りたかっただけなのではないでしょうか。こんな人の教科書(?)を読まされる生徒さんも可哀想ですね。「音楽用語」とは、実際に作曲家や演奏家の間で使われている言葉のことであって、学者が勝手に「これは音楽用語ではない」などと上から決め付けるものではないのです。「これで飯を食っている」なんてwikipediaの利用者にはそれぞれの専門分野で飯を食ってる方は沢山いらっしゃいますから、誇ることでも何でもないですよ。「多分世界で私が一番精通しています。」などと自称する人の言葉は信用しない方が良いでしょう。まともな見識のあるひとはこのような言葉は口が裂けても言わないからです。不毛だったのは「Akkeyyyyさんが『作曲』した」100曲以上の12音音楽でしょうね。ストラヴィンスキー後期の音列技法作品の足元にも及ばない曲でしょうから聴きたくもありませんが(笑)。英語版を見れば英語音名も「スケール」という言葉も普通に使われています。これ以上この具体性の全く無い提案を相手にする必要も議論する必要も無いでしょう。--白胡麻赤飯 2010年7月1日 (木) 15:53 (UTC)
- 提案ですが、ここまでの議論(Akkeyyyyさん発起)を終了し、議論を終了(ページのタグを取り外す)してはいかがでしょうか。
以前のノート
[編集]長音階と短音階は音階、それ以外は旋法というのが一般的ではないでしょうか。
コードトーン
テンションノート
アボイドノート
は、日本では一般的でないのでは?少なくともクラシックの世界では使わない言葉ですね。
compUT/OSer 11:51 2003年11月17日 (UTC)
「さまざまな音階」のところに、あたかも音階がテンション・ノートを持つかのように書かれていますが、テンション・ノートは和音が決まらないと決まりません。
「音組織」に関するさまざまな用語:「音律」「旋法」「音階」「調」を個別でなく1箇所にまとめて(つまり「音組織」という項目で)説明するのが良いのではないでしょうか。楽語辞典などによれば「音階」と「旋法」はレヴェルの違う言葉のようです。音楽之友社の「新音楽辞典(楽語)」では「旋法」の項に「日本の各音階にはそれぞれひとつの旋法しかないともいえる。」という表現が見られます。--Ach 2004年11月19日 (金) 18:35 (UTC)
コンポジットは、鍵盤と違って、音域の狭い楽器をジャズなどで演奏する上で、編み出されたといいますか、やむをえない方式かと思います。よく、「クラシックとは無関係」と書かれているものがありますが、それ自体や成立過程は関係ないとしても、作り出された当初に、無関係なはずはないと思われますしね。まして、マイルス・デイヴィスは、クラシックをかなり研究してましたし。以上、蛇足。WR 2007年5月18日 (金) 10:47 (UTC)
クラシックに限定されていたり、多少間違いがあったのでわかりやすく書き直しておきました。--むほむほさん 2008年9月6日 (土) 10:37 (UTC)
調性に基づく音階~の所の項目の長音階などの名前は7つのスケールの総称ではないのではないでしょうか。とりあえず残しておきましたが、例えばメジャースケールの所はクラシックでは教会旋法に該当するので長音階とはまた違うものだと思います。長音階と短音階はそれぞれの個別の項目があるので無理やり入れるのではなく、そのスケールの箇所で別名などを書き加えればいいと思います。--むほむほさん 2008年12月5日 (金) 01:47 (UTC)
なぜ英語の名称の方を優先するのか必然的な理由がわかりません。ポピュラーでは「メジャースケール」と言うのが一般的かもしれませんが、クラシックでは「長音階」と言う方が一般的です。どちらのジャンルを優先すべきか、と言う問題ではなくて、ここは日本語版ですし、ページ名も「スケール」ではなく「音階」なのですから、まず日本語の名称が先にあってよいのではないでしょうか(日本語名称があまり一般的でないものについては別ですが)。--Gruppetto 2008年12月5日 (金) 05:19 (UTC)
英語の名称というわけではなく、長音階とこの項目は少し違うと思います。日本語だと教会旋法がそれに該当する言葉だと思います。メジャースケールはこの7つのスケールを含めた総称の様な感じでも使いますが長音階はそういう使い方はしないので括弧で覆うなどの方がいいと思います。そもそもこれはギリシャ語なのでアイオニアンの所でも日本語的な言い回しはイオニア音階などです。ただ、実際の音は同じなので括弧で書いておけばいいのではないでしょうか。
また、教会旋法より下部分は調性に基づく音階での上では日本語名や概念も存在すると思いますが、派生したスケールは現代になってアメリカのジャズの人たちが開拓していったもので、日本語名称自体ないのでやはり総称の所はカタカナでの方を先に書いて別名として括弧するべきではないでしょうか。日本語を先に書くとしても「、」ではなく別名を括弧で囲う方がいいと思います。--むほむほさん 2008年12月5日 (金) 17:44 (UTC)
「出展を明記せよ・ノートページで議論」タグの除去
[編集]出展は「楽典」(出版社多数)で検証可能ですのでタグは除去しました。 これにより、ノートページでの議論が終了・収拾したと判断し「ノートページでの議論:内容をよりよくするために」を除去しました。 --りと 2010年10月26日 (火) 13:45 (UTC)