ノート:音楽
- 音楽プロデューサなどの裏方系でも有名な人って、項目を新しく作った方がいいでしょうか?それとも、音楽家ということで、音楽家・ミュージシャンのところに追加していった方がいいでしょうか?
- Oga 05:39 2003年2月21日 (UTC)
レコーディングプロデューサーであれば、今回追加したレコード音楽の中でいかがでしょう。 クラシック畑だと、ジョン・カルショウ、ウォルター・レッグ、エリック・スミスとか。
まだ記事はかいてありませんが、録音技術と再生機器は別項目として、生演奏に対するレコードと いう視点で書いたらどうかなと思います。録音エンジニアも取り上げるべきですね。
sphl 09:49 2003年3月19日 (UTC)
■う~ん、議論は記事じゃなくてここでしたほうがいいと思うんですが... sphl 09:57 2003年3月20日 (UTC)
音楽家>編曲に貼ってしまいました。加筆もしてます。
あと音楽が西洋vs非西洋のバトルになってますね。
snufkin 15:51 2003年3月21日 (UTC)
■語調が全体的に緩慢で、百科辞典的にあるべき厳格さを失っているように感じます。ヒンドゥスターニー音楽におけるハーモニーの重要性の欠如については、ヒンドゥー語の音楽用語まで記述するのは蛇足だと思いました。賛成意見多数でしたら手を加えようと思います。
■音楽の三要素に関する記述を別見出しにした後、西洋音楽のように明快に三要素に分けられていない音楽もある、という意味が残るのであれば賛成です。snufkin 16:01 2003年3月22日 (UTC)
音楽、と言う言葉を説明するのに1ジャンルだけ出てくるのはなんか変ですね。初め西洋東洋なく音楽、という言葉をさらりと説明するつもりではじめの何行かを書いたのですが・・・。「リズムとメロディー、場合によってはハーモニーを組み合わせ」ぐらいで洋の東西、細かい特例などは抜きで音楽を観察した内容になると良いと思います。英語版は鳥の歌とか書いてあったような。各項目に関して、それぞれ研究もされており、文献もかなりの量あるので、無理に1ページに押し込めるよりもそれぞれ別個の項目にしたほうがすっきり、しかもそれぞれが充実するのではないでしょうか。意見ばかりで、記事を書く度量が追い付いておりませんが。suisui 19:01 2003年3月22日 (UTC)
- >議論は記事じゃなくてここでしたほうがいい
- もっともです。記事の文章にカチンときたので勢いで書いてしまいました。すいません。
- >語調が全体的に緩慢で、百科辞典的にあるべき厳格さを失っているように感じます。
- 勢いで書いてしまったことを反省しています。「音楽家(作曲家と演奏家)」の項に書いたもののなかで「語調が全体的に緩慢で、百科辞典的にあるべき厳格さを失っている」部分と思われたのではないか、という部分を削りました。
- >ヒンドゥスターニー音楽におけるハーモニーの重要性欠如
- 揚げ足取り、と思われるかもしれませんが、「ヒンドゥスターニー音楽ではハーモニーの重要性が欠如している」のではなくて「西洋音楽ではハーモニーという音楽の要素が重要である」という点がヒンドゥースターニー音楽からみれば変です。
- >ヒンドゥー語の音楽用語
- 揚げ足取りかもしれませんが、「ヒンディー語」だとおもいます。
- >ヒンドゥー語の音楽用語まで記述するのは蛇足
- そこまで書かないとわかりづらいと思います。蛇足ではないと思います。記事の元の文章が「西洋音楽中心主義」なので。
- >西洋音楽のように明快に三要素に分けられていない音楽もある
- 「明快に三要素にわかれている西洋音楽」のほうが特殊ではないでしょうか?
- >1ジャンルだけ出てくるのはなんか変
- もっともです。西洋音楽のみでてくるのは変です。
- >西洋東洋なく音楽、という言葉をさらりと説明
- そうなっていないと思います。いちじるしく「西洋音楽以外の音楽の視点」が欠けているのではないでしょうか?ものすごく偏っているように感じました。
- >細かい特例
- 「音楽」項には、「西洋音楽の音楽理論に沿って一般的に音楽を定義すると、ある程度秩序あるリズム、メロディー、ハーモニーを組み合わせて、音と静寂が作り出す時間ともいえる。」と書いてあります。西洋音楽という「細かい特例」を抜いて「全体的に音楽を観察した内容になると良い」と思います。
- TS 2003/3/23
私の書いた数行が西洋に偏っている、というのには賛成です。実際、おはずかしいながら東洋音楽について知っていることはほとんどないといえると思います。音楽にはどちらも、どちらでもないものも含まれると思っているのですが、音楽というものが共有しているのはどういった点なのでしょうか?
記事としては、音楽の定義があって、そのなかに東洋音楽、西洋音楽、そのほか様々な地域、宗教などで分けられる音楽の定義が収まって当然だと思っております。その、どれにも偏っていない「音楽」の説明(定義)には具体例はおそらく不要で、「耳で聞く」(耳以外で聞くものもあるかもしれません)「声や体や楽器やその他の物で音を出す」「各部分は主に時間軸において無秩序ではない」など、共通している要素はあるはずです。
私は音楽は好きですが無教養の素人ですし、はじめの数行は説明がなくて寂しいから書いたものなので、全面書き換えてもらってかまいません。もとよりGFDLは一応理解しているつもりなので、そんな許可を出すものでもありません。私の知識では不十分なのは非常によく分かっております。西洋の音楽に偏っている記事から、偏っていない記事にするにはどうしたらいいでしょうか?お知恵を拝借できませんでしょうか?suisui 03:50 2003年3月23日 (UTC)
■記事の元の文章は明らかに「西洋音楽中心主義」ですが、追加された文章は「反西洋音楽中心主義」と思います。「’三要素’という普遍的なもの」という認識がすでに「西洋音楽中心主義」だという苛立ちは共有できるつもりです。
だからこそ、
> 音楽の三要素に関する記述を別見出しに
と書いたのです。最近の’三要素’は、楽理から離れ多方面から研究されているので、音楽を知る便利な道具になり得ます
(もちろん絶対的な基準としてではありません)。とはいえ、日本では「西洋音楽中心主義」が強力なのが現実ですから「音楽」項にその影響がでるのが自然だと思います。・・・などと偉そうに書いてしまいましたが・・・今は具体案が出せません・・・。
自覚的に「西洋音楽中心主義」の影響を記述するのが理想だと思いますが・・・snufkin 04:23 2003年3月23日 (UTC)
■Snufkinさん、Suisuiさん、TSさん、ご意見どうもありがとうございます。 3月19日版が「西洋音楽」(西洋古典音楽)にバイアスが掛かっていることは 確かにそうなのです。ただ、(今よりもさらに)生半可な知識で各地域・各時代 にまで話を広げると収集がつかなくなりそうなので、可能な範囲で書きました。 結果的に、TSさんの気を悪くさせてしまったようで、申し訳ありません。
英語版でも、Musicの項目はごくあっさりとしか書いてないので、そのほうが 無難なのかも知れません(Suisuiさんはそういうお考えで、2月18日版をお書き になったのですね。そこまでは意識できていませんでした。)
私の意見としては、「音楽」はかなり広範囲に扱う項目ですし、トップページ 直下の項目ですので、「ある程度まとまった概観+個別のトピック」という形態が 事典としては良いように感じています。そのため、3月19日版では項目の順番を整理 したあと、それぞれについて言及するような内容にしたわけですが、今読み返すと あまり成功していないような気もしますが。
皆さんの意見を伺いたいのですが、「西洋と非西洋」に限らず、各地域、 各時代、各ジャンルを公平に扱うための良い記述方法はどうしたらいいの でしょうか。音楽のジャンル一覧にしても音楽家にしても、 そういう問題をはらんでいると思います。。
Wikipediaのメディアとしての性格を利用すれば幾つかの切り口でまとめることが できるので、工夫次第で、個々の部分はともかく、「総体としては客観的」なまとめ方が できるものだとは思います。例えば、
- トピック中心(現状の項目に、不足分を追加していく?)
- 時代で区分して立項
- 地域で区分して立項
- ジャンルで区分して立項
など。もちろん共通の話題は別途立てればいいと思います。
各ジャンルに閉じた記事を書いてしまうと、はなっから興味の無い あるいは知らないジャンルの記事が百科事典の閲覧者の目に触れにくくなるような 気がしますので、そういう意味では話題を拾い上げて上の階層にリンクを 見せておく記事が欲しいように思います。 (これは、「必要な記事を検索する」という利用方法以外に、「気に入った 項目周辺を読む」という楽しみかたを想定しています)
今回の例でいうと、「音楽の地域性」とか「各国の音楽と歴史」とかいう 項目はいかがでしょうか。「世界の民族音楽」(昔NHK-FMにそういう番組が ありましたね)では、何となく「隔離」しているみたいで気がひけます。 TSさんに、そういう項目で記事を執筆していただくのを楽しみにしています。 sphl 05:03 2003年3月23日 (UTC)
>音楽というものが共有しているのはどういった点なのか?
答えるのがとてもむずかしいです。はじめて中央アジアの国モンゴルの「のどうた(ホーミー)」を聞いたとき、中年の男性が苦しげにうめいているだけのように思えました。(実際には違います。)西アフリカのフルべ(フラニ)族の牛飼いの少年が吹く笛の音楽を聞いたとき、笛を吹くとき同時に息をウエッと漏らすので(どうもこの人たちはそういう吹き方をする?らしいです)聞いていて気持ち悪くなりました。いろいろな音楽を聞くたびに、音楽とは何なのか、という常識が崩されていきます。
世界の音楽の一部しか知らない私の限られた知識では答えるのがとてもむずかしいです。勉強不足ですいません。
>記事としては、音楽の定義があって、そのなかに東洋音楽、西洋音楽、そのほか様々な地域、宗教などで分けられる音楽の定義が収まって
そういう書き方に賛成です。
>どれにも偏っていない「音楽」の説明(定義)
上にも書きましたが、書くのはとても難しいのではないでしょうか?
>具体例は不要
おっしゃっている意味がわかりました、確かにそういう意味では具体例は不要だと思います。
>共通している要素
あるのか、ないのか、あるとしたらどのような要素なのか・・・
>西洋の音楽に偏っている記事から、偏っていない記事にするにはどうしたらいいか?
繰り返しになりますが、わたしも「どうしたらいいでしょうか?」と皆さんに聞きたいです。私が書くと「非西洋の音楽に偏った記事」になりそうです。
>追加された文章は「反西洋音楽中心主義」
もっともです。
>だからこそ音楽の三要素に関する記述を別見出しに
とくに異論ありません。
>生半可な知識で各地域・各時代にまで話を広げると収集がつかなくなりそうなので、可能な範囲で書き
わたしも「生半可な知識で収集のつかない書き方」をしています。気を悪くしていません。むしろ私の頭に血の上った書き込みのほうが皆さんの気を悪くしてしまっています。すいません。
>「西洋と非西洋」に限らず、各地域、各時代、各ジャンルを公平に扱うための良い記述方法はどうしたらいいのでしょうか。
とてもむずかしいです。(さっきから、むずかしい、むずかしい、と同じことばかり書いてますね・・・)わたしもわかりません。どうしたらいいのでしょうか?
>まとめ方
事典としての使い勝手ははなはだ悪くなりますが、「まとめ方」もいろいろあるので、いろいろなまとめ方をずらっと並べればいいのではないでしょうか?どうでしょうか?
- トピック中心(現状の項目に、不足分を追加していく)
- 時代で区分して立項
- 地域で区分して立項
- ジャンルで区分して立項
使いにくく、見づらくなりますが、全部併記すればよいと思います。
>各ジャンルに閉じた記事を書いてしまうと、はなっから興味の無いあるいは知らないジャンルの記事が百科事典の閲覧者の目に触れにくくなるような気がするので、そういう意味では話題を拾い上げて上の階層にリンクを見せておく記事が欲しい
いいですね。
>「音楽の地域性」とか「各国の音楽と歴史」とかいう項目を書く
いいと思います。でも私には荷が重いです。
TS 2003/3/23
■区分案
- 「邦楽」
- これより下部で、雅楽、民謡、邦楽、歌謡曲を網羅
- 「各国の音楽」
- これより下部で、シャンソン、タンゴ、インド音楽などを網羅
- 「西洋音楽(or クラシック音楽)」
- これより下部で、グレゴリオ聖歌(宗教音楽時代)~現代音楽を網羅
- 「ポピュラー音楽」
- これより下部で、ジャズ、ロックなどを網羅
既存の「音楽家」、「ジャンル」を上記四項目に分散します。
というのはどうでしょうか。例えば同じリストにモーニング娘とシェーンベルクを列記する必要を感じないからです。snufkin 04:48 2003年3月24日 (UTC)
Snufkinさんの案は、
「音楽」項の
音楽の種類(ジャンル)
音楽家(作曲家と演奏家)
音楽家(大衆化と音楽産業)
の部分を
音楽の種類(ジャンル)
- 「邦楽」
- これより下部で、雅楽、民謡、邦楽、歌謡曲を網羅
- 「各国の音楽」
- これより下部で、シャンソン、タンゴ、インド音楽などを網羅
- 「西洋音楽(or クラシック音楽)」
- これより下部で、グレゴリオ聖歌(宗教音楽時代)~現代音楽を網羅
- 「ポピュラー音楽」
- これより下部で、ジャズ、ロックなどを網羅
音楽家
- 「邦楽」
- これより下部で、雅楽師、民謡歌手、邦楽家、歌謡曲関係者を網羅
- 「各国の音楽」
- これより下部で、シャンソン、タンゴ、インド音楽関係者などを網羅
- 「西洋音楽(or クラシック音楽)」
- これより下部で、グレゴリオ聖歌(宗教音楽時代)~現代音楽の音楽家を網羅
- 「ポピュラー音楽」
- これより下部で、ジャズ、ロック音楽関係者などを網羅
ということでしょうか?
それとも、
音楽の種類(ジャンル)
音楽家(作曲家と演奏家)
音楽家(大衆化と音楽産業)
を消して、
- 「邦楽」
- これより下部で、雅楽、民謡、邦楽、歌謡曲を網羅
- 「各国の音楽」
- これより下部で、シャンソン、タンゴ、インド音楽などを網羅
- 「西洋音楽(or クラシック音楽)」
- これより下部で、グレゴリオ聖歌(宗教音楽時代)~現代音楽を網羅
- 「ポピュラー音楽」
- これより下部で、ジャズ、ロックなどを網羅
に換える、ということでしょうか?
TS 2003/3/24
■区分案2
すいません、わかり難かったですね。おおむねTSさんが挙げられた二番目の方です。
例えば、「西洋音楽」>西洋音楽内のジャンルについて&ジャンルのリスト、になります。
そして今ある「音楽の種類(ジャンル)」「音楽家」の記述の適当な部分を「西洋音楽」「各国の音楽」「ポピュラー音楽」内に移動してはどうでしょうか。snufkin 15:17 2003年3月24日 (UTC)
◎区分案について
- 私もいろいろ考えましたが、snufkinさんの提案されているようなメタジャンル(適切な用語を思いつかなかったのでメタジャンルと勝手に命名しています。ここだけの用語ですが)に分け、その下で分類したメタジャンル毎に適切な分類を行うという方法が良さそうに思います。
- この方法ですと、メタジャンルに最適な下位の分類を行えます。例えば、クラシックだと作曲家や演奏家、作品ジャンルなどの分類が行われると引きやすいですし、ポピュラー音楽だと(元の意味の)ジャンル→ミュージシャンというような分類がわかりやすい、というように。さすがに「各国の音楽」はまず地域で分けるのが良さそうですが。
- 課題としては、特定のジャンルをどのメタジャンルに入れるか、というものが出てきます。たとえば、シャンソンは「各国の音楽」か「ポピュラー」か、といった話ですね。特定のミュージシャンに着目すると同ジャンルでも行先が違ったりします。
- もっとも、こういう媒体ですからひとつの記事に二つの親記事からリンクすればいいだけなので、余り気にせず大雑把に分類して、あとからリンクや説明を追加すればいいでしょうね。
- sphl 08:19 2003年3月25日 (UTC)
レコード(CD)の扱い
- 一応項目を改めて書きます。区分の話が終わってからとも思いましたが、トップの区分と関わりますので。
- 作品や演奏の記述とリンクさせてディスコグラフィカルな記述(要するにCDやレコードの紹介)があったほうが良いですが、現状のいき方だと各メタジャンル(前項目の用語ですみません)内で処理する方向でよいでしょうか。
- 各細目(作曲家、作品、演奏など、ジャンルによって最適な記述場所が変わるでしょう)などで言及した上で、各メタジャンル毎に「ディスコグラフィ」(あるいは「CDリスト」)として一覧表の項目を立てておくと使いやすいと思います。但しリストのメンテが別途必要です。何かレコード(CD)の紹介である旨の擬似マークアップ(例えば《CD》とか)があると検索しやすいですね。
- sphl 08:19 2003年3月25日 (UTC)
>Snufkinさん
「反西洋音楽中心主義」的観点から、言わせてもらうと、
まず、ジャズ・ロックなどを含むポピュラー音楽という区分は西洋音楽に属すると言えないでしょうか?
すると
西洋音楽(クラシック)
西洋音楽(ポピュラー)
という二つの西洋音楽の区分ができることになります。(西洋音楽の区分が二つも存在することになる)
また、邦楽を各国の音楽からなぜ独立させているのでしょうか?どうしてSnufkinさんの案では各国の音楽からタイの音楽が独立していないのでしょう?どうしてケニアの音楽が独立していないのでしょう?
なぜ西洋音楽と邦楽を優遇するのでしょうか?偏っているのではないでしょうか?バランスの良い記述になっていないのではないでしょうか?
それから「各国の音楽」と言う区分について。
音楽は国によって分かれていないのではないでしょうか?
デンマークとオランダ、インドとパキスタン、カンボジアとラオスの音楽は巨視的観点から眺めるとかなり似ていると言えないでしょうか?すると国ごとに分けているのはどういった意味で分けているのでしょうか?
逆に中国の音楽は一国のなかでかなり多様ではないでしょうか?同じ中国内に住む漢民族の音楽とウイグル族の音楽はかなり違うのではないでしょうか?国単位で分ける区分に意味はあるのでしょうか?
もうひとつ。
同じリストにモーニング娘とシェーンベルクを列記することによって開けてくる世界もあると思います。
Sphlさんがおっしゃったように、「各ジャンルに閉じた記事を書くとはなっから興味の無いあるいは知らないジャンルの記事が百科事典の閲覧者の目に触れにくくなり、気に入った項目周辺を読むという楽しみかた」ができません。
>Sphlさん
Sphlさんの「使いやすい」は西洋音楽が優遇されていて満足である、という表明に過ぎないのではないでしょうか?Sphlさんの「使いやすい」は反西洋音楽中心主義的立場の人間には「使いにくい」となります。
Snufkinさんのところにも書きましたが、Sphlさんのいうところの、「引きやすい・分類がわかりやすい」というのは、「各ジャンルに閉じた記事を書いてしまうと、はなっから興味の無いあるいは知らないジャンルの記事が百科事典の閲覧者の目に触れにくくなり、気に入った項目周辺を読むという楽しみかた」ができない、という事態を引き起こすことにならないでしょうか?
それから、どの「メタジャンル」に入れるか、ということですが、
ある特定のジャンルは必ずある一つの「メタジャンル」に属さなければならない、ということではなく、複数の「メタジャンル」に属させたらよいと思います。
TS 2003/3/25
■区分案3
TSさん、ご意見ありがとうございます。
「西洋音楽(or クラシック音楽)」を独立したメタジャンル(便利な言葉!)にしたのは、この括り方が日本の一般的な認識と一致すると思ったからです。明治以降の悪しき音楽教育故などと、とかく批判の多い認識ですがその点を押さえておけば実際的だと考えました。
この括り方にしても、古楽器の楽曲、欧州各地の舞曲などはすっきり収まりません。グレゴリオ聖歌とバロックを直に結びつけるのも無理があります。近代以降のソ連・東欧音楽の位置付けもやっかいかもしれません。
日本で「西洋音楽(or クラシック音楽)」というと何だか美しく完結した印象がありますが、実際は長い時間をかけて欧州各国、ちょっと離れて中東の要素を取り込んだものなので「各国の音楽」という立場から再構成することはもちろん可能です。
しかし、綺麗に全て収まる括りはありえないことから、日本の現状を考えた上の妥協点だと理解していただけませんか。
百科事典の使いやすさについては、Sphlさんが書かれたように適時リンクを貼ることで保たれると思います。また、メタジャンルの数も利便性を考慮して決めればよいのではないでしょうか。
4つに限定する理由はありませんから、直感的に分かりやすい名称であれば2、3追加する手もありますね。snufkin 15:07 2003年3月25日 (UTC)
個々の記事の中では中立的な視点が望ましいですが、できあがったそれぞれの記事が平等な扱いになるのかどうかは記事の内容や読みやすさ次第で、いろんなところからリンクが張られたり、活発に更新/充実していくところに重きが置かれていく、と言う流れになるのは当然のことかと思います。
「同じリストにモーニング娘とシェーンベルクを列記することによって開けてくる世界もある」は百科事典的な書き方とは思えません。いろんな内容をごった煮にする最近の雑誌や折り込み広告的な書き方ではないでしょうか。あるものをじっくり観察、記録して、それぞれの特徴ごとに系統立てたり分類したりしてその本質にせまる、という今は亡き博物学を集めたものが百科事典です(私の思い込みかもしれませんが)。もちろん、ごった煮のコラム的記事があっても私はいいと思いますが、ウィキペディアの主題はあくまで百科事典でありそれぞれの事実の観察と記録、であり、各分野、項目ごとに閉じた記事を書くべきではないでしょうか。
基本的にはSnufkinさんの最初の案に賛成です。西洋中心になってしまってはいるものの、人の好みの種類をかなり忠実に再現しているようにみえるからです。そのうえで、個人的には、TSさんが使いやすいと思われる分類の仕方に興味があります。音楽のジャンルや技法や歴史や作曲家などの各記事の内容は同じものを使用できると思うので、西洋音楽中心に分類した音楽反西洋音楽を中心とした音楽の分類などの項目で、分類の仕方だけをかえた物を用意するのがおもしろいとおもいます。suisui 16:59 2003年3月25日 (UTC)
- suisuiさんの直上のコメントと重複する部分もありますが...
- 「使いやすさ」の評価は、もちろん使い手の立場(知識、理解度、偏見などでも同じことです)に依存します。残念ながら、(例えば)雅楽や中央アジアの音楽を研究あるいは愛好する立場からの使い勝手を想像することは私には困難です。しかし、ある程度想定される立場(Wikipediaの意義から言って、専門的な音楽研究者の立場というよりも、一般的な音楽受容の嗜好、になるでしょう)で想定される使い勝手を、複数の参加者で提案しあうことで、ある程度使い物になる構造が実現できると思います。Wikipediaのありかたとしてはそれが相応しいのではないかと思います。
- 「使い勝手(ユーザビリティ)」の確保は、形式的には以下のような例えで考えられると思います。
- 個々の記事(項目)は「ファイル」
- 記事を分類してそれによりある限定された立場の体系を構築するのは「インデックス」
- 「ファイル」は共通とし、いろいろな「インデックス」を用意する。つまり、「ファイル」を指す複数のポインタ(あるいはalias, symbolic linkでもお好みで...)を用意する。
- 「西洋音楽中心」主義のインデックス
- 「反西洋音楽中心」主義のインデックス
- 何らかのテーマに沿ったインデックス(普段接していないジャンル/国/時代の音楽にも分け入っていけるようなものがあると良い)
- などなど
- これまでの議論では概ねこういう方向に収斂しつつあるようですし、実際私の理解する限りでは、Wikipedia全般に渡って不文律的にこういう傾向が見られるようです。
- ところで、国別分類は現実の国民国家の国境に正確に依存する必要はないでしょう。「18世紀のドイツやイタリア」などといってもどこが境界か曖昧でしかありませんし。若干漠然とした「~地方」というような意味合いで良いかと。一般的(学問的というより世間の、です)な認識を示し、より深く追求する立場の人向けの注釈記事を用意する、ということで良いと考えます。
- 日本の音楽を別途抜き出すのは、習慣ということでよいのではないかと思います。Wikipediaの他の項目でも「日本の~」「世界の~」という立項は広く行われています。「日本史」「世界史」という分類があるように、自国の話題をより詳しく特別扱いするというのは、割と一般的な傾向です。分類により国粋主義に陥ることがなければ良いのではないかと思います。必要な場合、個々の外国の音楽との関わりは適宜記事を作って補えますから。
- sphl 03:11 2003年3月26日 (UTC)
>Snufkinさん
西洋音楽(orクラシック音楽)というくくり方は、日本の一般的な認識で実際的である、という書きようからは、このくくり方で何が悪いんだ?という開き直りのようなものが感じられます。
「綺麗に収まるくくり方はありえない」
私も一つのジャンルを複数の「メタジャンル」に属させれば良いのではないか、と書きました。きれいにおさまるくくり方をしましょう、ということを問題にしているのではなくて、くくり方の中でなぜ西洋音楽が他と比べて突出しているのか?と言っているのです。それに対する答えが「日本の現状だから」というのは私の立場からは開き直りのようにしか思えない、という事を想像してみてほしいです。
>Suisuiさん
分類に完璧はありえないのではないでしょうか?なぜなら、現実は、世界は複雑怪奇で、どこに属させたらよいのかわからない、難しい例外が必ずと言っていい程出てくると思うので。
つまり、常に「分類をしていくこと」はある一定の特定の偏りを持たざるを得ない、(分類作業を終える、という事はどこに属させたら良いのか難しいものをどれかのインデックス・「メタジャンル」に属させるということなので)そこに一定の思想や立場や考え方があらわれてしまう、系統立て、分類自体にある特定の立場・思想・考え方がにじみ出ざるを得ない、ある特定の思想・考え方の押し付けにならざるを得ないのではないでしょうか?
平等に、バランス良く、色々な立場の事を勘案していこうとすると、いつまでたっても分類作業自体が終わらないので、結局の所、分類を終えようとすると、独断と偏見に基づいてやっていくしかないのではないでしょうか?。
そこで、だから私は「ゆるい」分類をすれば良いのでは?と提案をしました。どこに属させたらよいのか判断の難しい「ファイル」「記事」を単数でなく複数の「インデックス」「メタジャンル」に属させたら良いのではないでしょうか。(一つのファイル・記事を一つのインデックスのみに属させようとすべきでない)
そして独断と偏見の弊害を少しでも薄めるため分類リストの観点は多様で多数あってしかるべきではないでしょうか。その意味でモーニング娘とシェーンベルクを一つのリストに収めてもいいのではないか、と言っています。それは「ごった煮」ではありません。そして興味のある項目の周辺項目に触れる、という楽しみ方もできます。
モーニング娘とシェーンベルクを列記する「音楽家のリスト」しか認めない、と言っているのではありません。二つが分かれるリストもあっていい。二つが共に載るリストもあっていい、と言っています。
Suisuiさんのいう、私が使いやすいと思われる分類の仕方は、すごく偏っているので皆さんにとって使いにくいでしょう。でももし私の分類が偏っていて使いにくいだろうなぁと想像出来るならSuisuiさんの、Snufkinさんの分類もやはり一定の方向に偏っているんだと言うことを想像してほしいです。
>Sphlさん
バランスの良い記述をするということより使い勝手を優先させる、と言うことでしょうか?
Suisuiさんも「音楽のジャンルや技法や歴史や作曲家などの各記事の内容は同じものを使用できると思う」と書いておられますが、Sphlさんのいう「ファイル」は本当に共通化出来るのでしょうか?
例えば、音楽家に共通のテンプレート・書式は作れないのではないでしょうか?
宇多田ヒカルの記事の書き方を標準にして「ミュージシャン名・本名・生年月日・経歴・ディスコグラフィ」などと言う書き方をアフガニスタンの音楽家に当てはめ、記事を作成すると、ディスコグラフィの項目に何も書けない、空欄になってしまいはしないでしょうか?このことはアフガニスタンの音楽家にとって著しく不利ではないでしょうか?なんとなく才能のないミュージシャンである、と言ったような誤った印象を与えてしまいはしないでしょうか?逆に日本のポピュラー音楽のミュージシャンの記事に「何回政治家の主催する儀式・儀礼・セレモニーに呼ばれたか」と言う項目があってもあまり意味がないのではないでしょうか。
「雅楽や中央アジアの音楽を研究あるいは愛好する立場からの使い勝手を想像することは私には困難」
ようするに「あなたも私の立場・考え方に従え!」と命令しているに等しい行為、言い方のように感じました。
もちろん私の方もみなさんに「私の立場に従え!」と言っているに等しいわけですが。
色々な立場・考え方・意見のせめぎあいを通して良い記事をつくっていくべきではないでしょうか?
無批判だと、どんどん、どんどん特定の方向へ偏ってしまうように思います。
「反対の立場を想像するのが困難」は開き直っているように感じました。
多数が勝ちなのでしょうか?多勢に無勢なのでしょうか?
TS 203.140.69.40 12:24 2003年3月28日 (UTC)
私ははじめから、「いろんな見方でのインデックスをつくる」と言うつもりで書いていました。いろんな見方のいろんなインデックスがあって、そのなかに西洋音楽を重視したインデックスや、ポピュラーのことしか考えていないインデックス、西洋音楽以外を中心とした(なんといっていいのかわかりませんが)インデックスなどがある、と言うつもりで書いたのですが分かりにくかったかもしれません。すみません。内容的にはsphlさんとTSさんが書かれていることと違いはないとおもいます。それでもTSさんは反対でしょうか?西洋音楽が重視されたインデックスが存在すること自体が許せないでしょうか?
TSさんにはすこし誤解されてしまったようですが、議論のための議論はここでは避けます。すくなくとも、自分の意見に従え、などとはこれっぽっちも思っていないことだけご理解頂けるとうれしいです。平常心で書いていますし、平常心で読み返せます。
意見の交換も、実際こんなもんだ、とつくってみたほうが分かりやすいと感じています。同時に、ある程度まとまった数がない記事のテンプレートとか、インデックスをつくったり考えるのはあまり建設的ではない、と思っています。皆、誰もが完璧な設計などできるわけがありません。設計は大事ですが、設計の前の試行錯誤こそ大事だなあ、と感じているからです。いろんな人の考えが入って、実際につかって、改良して、だんだんと楽しくて使いやすいものになると考えています。こう言う抽象的な話こそ議論のための議論なのかもしれませんが。suisui 17:17 2003年3月28日 (UTC)
■TSさんが提案されている具体案と他の方々、自分のアイデアはぶつかっていませんね。偏りに自覚的であれ、という主旨だと理解します。snufkin 21:22 2003年3月28日 (UTC)
TSさん
バランスの良い記述をするということより使い勝手を優先させる、と言うことでしょうか?
Suisuiさんも「音楽のジャンルや技法や歴史や作曲家などの各記事の内容は同じものを使用できると思う」と書いておられますが、Sphlさんのいう「ファイル」は本当に共通化出来るのでしょうか?
例えば、音楽家に共通のテンプレート・書式は作れないのではないでしょうか?
- それほどがんじがらめに決める必然性はないと思います。有用な記事はあっちこっちから参照されて、それに応じて記事を修正されたり書き加えられるでしょうし、最初から書いたほうがよければ、例えば既存の記事への参照をしつつ(それは必須ではないかもしれませんが)、新しい記事を起草すればよいだけです。書式も、Wikipedia全体に統一をとるためのもの(スタイルガイドにあるような)を尊重すれば執筆者の自由でかまわない。要するに、必要な項目を必要に応じて書けばいいと思います。
- 同じ用語が、ジャンルが異なるために違った意味合いを持つことは考えられますが、それは併記したり「曖昧さ回避のページ」にする方法がすでに確立しています。ホームページなどのように異なる認識をうまく整理している例もあります。
ようするに「あなたも私の立場・考え方に従え!」と命令しているに等しい行為、言い方のように感じました。
- 別に命令しているわけではなく、「私にできるのはここまでですから、別な見方は他のひとよろしく」という話です。だって、ここはWikipediaですから。そのために、複数インデックスの例も挙げてみたわけです。
色々な立場・考え方・意見のせめぎあいを通して良い記事をつくっていくべきではないでしょうか?
- Wikiの手法だと、「議論して決定→それに従って一斉に書く」というのではなく、「いろいろな人がワイワイやっている間に自然に出来上がっていく」というのを目指しているのだと解釈しています。だからこそ、誰でも気軽に参加でき、偶々その人が持っている知識を他のひとと共有できるメリットが出しやすいわけです。
- もちろん、今回のように短期的に方針をきめて調整することは意義あることだと思います。しかし、時がたち、新たな参加者が増えたりすればまた違う方向にいくことは十分あると思います。
- 結局、プロセスはともかく、「色々な立場・考え方・意見のせめぎあいを通して良い記事をつくっていく」ことに変わりは無いのではないでしょうか。
sphl 03:25 2003年3月29日 (UTC)
>Suisuiさん
「西洋音楽が重視されたインデックスが存在すること自体が許せない」
そんなことはありません。反対しません。
「誤解」、「内容的には違いはない」
そうですね、わたしの理解力が足りませんでした。
「意見の交換も、実際こんなもんだ、とつくってみたほうが分かりやすいと感じています。同時に、ある程度まとまった数がない記事のテンプレートとか、インデックスをつくったり考えるのはあまり建設的ではない、と思っています。皆、誰もが完璧な設計などできるわけがありません。設計は大事ですが、設計の前の試行錯誤こそ大事だなあ、と感じているからです。いろんな人の考えが入って、実際につかって、改良して、だんだんと楽しくて使いやすいものになると考えています。」
漫画という項目はそのやりかたで膨らんできましたが、うまくいっていないような気が・・・
>Snufkinさん
これから、具体例が増えていくにつれて、ぶつかっていくかもしれません・・・
TS 2003/3/30
■メタジャンル4つ追加してみました。TSさん、ぶつかったらその時またすり合わせをしましょう。今回は色々気づくところの多いやりとりだったです、感謝。snufkin 11:51 2003年3月30日 (UTC)
>Sphlさん
「いろいろな人がワイワイやっている間に自然に出来上がってい」って、「総体として客観的なまとめ方が
でき」ていっていないような気がします・・・「客観的」になるには時間がかかるのでしょうか?それとも「客観的」なまとまりは、原理的に不可能なので期待しないほうがいいのか・・・
>Snufkinさん
わたしの方こそ、色々気づくところの多いやりとりだったです、感謝。
TS 2003/3/31
音楽の一部(主に種類について)と音楽のジャンルはほぼ同じ内容なので、どちらかに一本化した方がよいように思えます。G 14:28 2003年4月14日 (UTC)
今までの諸提案を受けとりあえずまとめました。snufkin 15:17 2003年4月14日 (UTC)
あつい議論の中、こんなことを書くのもナニなのですが、演奏の録音・再生とは別に、楽器の自動演奏(ピアノ等)とか、オルゴールとかはどういう項目をたてるべきでしょうか?0null0 05:31 2003年9月29日 (UTC)
- 洋の東西を云わずとも、現代音楽の場合に3要素などないものさえあります。私はそれになじみがあるので音楽として聞くことができますが、理解しない人には雑音でしょう。・・・と、云いつつ私自身も「音楽」と呼ぶのに少々抵抗はあります。どうしても西洋音楽を中心として義務教育を受けて育った影響ですね。ハードロックを指して雑音という人もいますね。様々な形を取った音と響きのパフォーマンスと云うべきか?その中にメロディーが主体のもの、音色が主体のもの、リズムが主体のものが含まれるだけでしょう。個人個人の趣味趣向であるので、いろいろな例を併記するしかないですし、東洋だ西洋だ言い争いするのは、ちっちゃく見えます。
「フォークミュージック」->「民族音楽」について、「フォークミュージック」がフォーク・リバイバルを指して戦後の新曲を指すようにも見えることから変えたと思いますが、むしろ民族音楽も作曲者不詳でない古い音楽もたくさんあり、かつ伝統の文脈でコンテンポラリーに作曲してる人もたくさんいるので、相対的には元の方がより正確と思えるので戻しました。 Kozawa 06:17 2003年11月24日 (UTC)
- 「フォークミュージック」=「民族音楽」(直訳)ではないのですか? 記事中の使われ方からも、そうとらえましたが。いわゆる戦後のフォークソングとは別物でしょう。 Tapio 06:38 2003年11月24日 (UTC)
- フォーク・リバイバル以降で意味の付加されたものを除く本来の「フォークミュージック」は「民謡」です。民族音楽といえば、民謡だけではありません。民族の伝統スタイルを守っていて新曲を作る伝統音楽は珍しくないと思いますが。 Kozawa 07:13 2003年11月24日 (UTC)
w:Folk musicの訳は、民族音楽とするのが良いと思います。英文記事をみるとかなり幅広く、日本語の「フォーク」ではS&Gなどのフォークソングの意味に引きずられるし、「民謡」では伝統音楽的意味が強すぎます。音楽業界では最近はこの分野を「フォルクローレ」と呼ばれることが多いですが、この場合はラテン系民族音楽の別称的な意味で使われています。包括的な用語としては「民族音楽」が適当だと思います。True Light 07:52 2003年11月24日 (UTC)
w:Folk musicの記事のタイトル訳の話に限定するのであれば、フォーク・ロックなど(まさにS&Gの記述も)あるとおりで、日本語の「民族音楽」という単語では不足で、フォーク/フォークソングと訳すしかないと思います。日本でも、音楽業界での記述に関してはフォークを広い意味に使うことも珍しくはないと思いますし。今までのいずれの候補単語も、広い意味や違う意味を含んでいて、ベストではない中で選ぶことにはなるのでしょうが。 Kozawa 08:09 2003年11月24日 (UTC)
結構こだわりますね。「民族音楽」というかw:Folk musicの側にすでに、ポピュラー音楽の一分野の意味も負荷されている、という記述もあるので、Kozawaさんの意見によれば、これもこの文脈では使えないですね。別案としてw:Folk musicも消して、民謡だけ残すというのはいかがですか。この音楽の履歴を辿ると、旧の記事では民謡だけだったのですから。True Light 08:21 2003年11月24日 (UTC)
「本来、作曲者不詳の自然発生的な音楽であった。」の部分の記述については、ひとまず結論を支持します。その他の記事も含めたこの単語の用法についても広範な合意は無理でしょうから、多数決的に決まったものに異議を唱え続けるつもりはありません。
とりあえず、フォーク(・ソング/・ミュージック)という単語は「幾つかの意味がある」と捉えるのが自然で、文脈で意味範囲が変わっても問題ないと思いますが、「民族音楽」は「フォーク・ロック」を「民族音楽ロック」のようには使えないと思います。私の認識の範囲では、日本にフォークという用語が入って以降むしろ英語のfolkの意味が広がった側面もあるように理解してまして、今の英語のfolkとフォークという単語とを単純に一致させるのは無理かと思います(フォークリバイバル以後に日本に発生したジャンルの「フォーク」は英語の「folk music」の文脈にはあまり入ってこないでしょうし)。民族音楽にしてもフォークソングにしても、比較的新しい民族音楽の扱いがやや曖昧(日本においても、英語圏においても)なので、参考までに、論点として、たとえば
- 戦後作曲された多くのフラメンコはフォークソング/民族音楽どうか?
- エンヤのケルツはフォークソング/民族音楽か?
- ピアソラの作曲したアルゼンチン・タンゴはフォークソング/民族音楽か?
というのは、議論の前段階として、自分の中にあるフォークソングや民族音楽といった単語の範囲(イメージ)を明確にする一つの参考になるかと思います。 Kozawa 08:35 2003年11月24日 (UTC)
言葉の意味は辞書によって決まるのではなく、使われ方によって決まる。という現実は避けようがないですね。「フォーク」という日本語は確かに「赤い鳥」、「かぐや姫」、「吉田拓郎」あたりのシンガーソングライターが歌っていた歌のジャンルに定着してしまっています。現在の音楽業界が「フォーク」を嫌って「フォルクローレ」を使うのも意味あることでしょう。英語のw:Folk musicではKozawaさんの疑問のリストは全部包括して入れているみたいです。True Light 09:04 2003年11月24日 (UTC)
- 混乱が収まった感がありますが、ちょっと補足を。そもそも「民族音楽」と「民俗音楽」は同じなんでしょうか? 某事典によれば「民俗音楽」は「民間に伝承されてきた音楽。創作者がだれであるかは問題とならず、遊技や民俗芸能などと密着して存在している場合が多い。」ですから、戦後作曲されたものはそもそも民俗音楽ではありません。民族音楽かもしれませんが。 Tapio 12:23 2003年11月24日 (UTC)
- 「民族音楽」と「民俗音楽」、違うはずです。民族音楽はWebで大辞林を引いても
載っています。ぐぐっても両方数万件出てきます。実際に使われる場面では混同や ら意味のゆらぎやらを多く見ることができるかと思いますが、民俗と民族ははっき り意味が違いますので、違う用語でしょう。民俗の定義からいえば、民俗音楽は当 然Tapioさんが示した意味になります。 Kozawa 12:40 2003年11月24日 (UTC)
- では、「民俗音楽=Folk music」なので、最初「フォークミュージック」→「民俗音楽」とすべきだった、ということですね。広辞宛には「民族音楽」しかない…… Tapio 12:53 2003年11月24日 (UTC)
人の手によらない演奏は自動演奏と呼ばれている。 だと、鳥の囀りが自動演奏の部類に入ることになる。それは不自然なので 真に機械だけによる演奏は自動演奏と呼ばれている。としておきます。
放送大学の講義を出典とする場合
[編集]検証可能性を考慮すると、放送大学の講義を出典とする場合は放送授業ではなく、テキスト(印刷教材)に基づくのが望ましいと思います(ただし、放送授業の内容がすべてテキストに採録されているわけではありません)。放送大学のテキストは公立図書館ではあまり所蔵していないようですが、リクエストによる対応は可能だと思います。
放送授業を出典とする場合、初回放送日は大学に問い合わせることが可能ではないでしょうか。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年5月3日 (月) 06:09 (UTC)
音楽の3方面について
[編集]さきほど音楽の3方面について要出典タグをつけされて頂きました。この点について記述します。この言葉はそれほど一般に言われる言葉か疑問に思いました。無論、作曲・演奏・鑑賞という3つの立場があることに異論はありません。純粋に"3方面"という言葉だけです。検索しても、WIkipedia関係以外では、ほとんどヒットしません。音楽の授業等、一部の分野で使われる言葉でありましたら、ご確認の上、出典を明記するか、その旨わかるように編集をお願いします。--ticky(会話) 2013年2月16日 (土) 21:49 (UTC)