ノート:阪和電気鉄道

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この項目を先日から編集して下さっているIPの方へ。質を伴った膨大な加筆に感謝申し上げます。

ここで失礼ながら、ご留意をお願いしたいことがあります。細かなご編集を多数繰り返されておられますが、Wikipediaは編集1回ごとの履歴が全て保存されるため、元々記事単体が巨大サイズになっているこの記事の場合、編集1回ごとに記録される履歴データ量が非常に大きなものとなります。リソース消費の抑制のために、項目毎に分割した小編集をお避けいただき、ローカルのエディタなどで編集した原稿を一気に投下していただくようなやり方を取っていただければ有り難いです。出来上がりの確認には「プレビューを実行」ボタンを利用できます。金沢 2005年9月25日 (日) 00:32 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

何か「阪和電気鉄道」の概念から離れる、あるいは必要以上に膨らみすぎてしまったように思えるのですが。車両関係と「黒潮号」はここから分割して独立記事にした方がいいような気もするのですけど・・・・。Shinkansen 2005年9月25日 (日) 10:38 (UTC)[返信]

また車両記事に関しては、自分としてはとりあえず「阪和電気鉄道の車両」という総合車両記事をたて、そこに移動させることを検討していたのですが。後、分立できるような内容になり次第、順次そこから更に分割していくという次第で。Shinkansen 2005年9月28日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

南海合併後の駅名改称時期について[編集]

阪和が南海に合併された際の駅名改称ですが、2003年2月の『鉄道ピクトリアル』などを見ますと、合併当初は「阪和~」がそのまま放置され、1941年8月1日にようやく「山手~」へ改称されたことになっているのですが、いかがなものでしょうか。阪和線の個々駅記述も合併と同時に改称したようになっているので、合わせて意見を述べさせていただきましたが。Shinkansen 2005年10月16日 (日) 17:28 (UTC)[返信]

Shinkansenさんが仰っている鉄道ピクトリアル2003年2月号の記述とは竹田辰男氏の「阪和線のあゆみ―創業から国鉄時代まで―」(p.23)ですね。合併当初はダイヤの変更もなく駅名も放置されていたという記述は2008年8月号の同氏の記事にもあります。
『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』(pp41-42)など、1940/12/1説(合併同時説)を採っている文献もあるのですが、南海鉄道発行の南海沿線厚生施設篇(1941年5月27日発行)には「山手線阪和濱寺驛」などと書かれており、1941年3月23日の日本工業新聞の記事でも未だ「阪和天王寺」が見られます。そして昭和16年の大阪朝日新聞に阪和→南海の改名案内が掲載されています。
  • 本線
    • 葛葉→高石町
  • 山手線
    • 阪和天王寺→南海天王寺
    • 阪和鶴ケ丘→南海鶴ケ丘
    • 阪和浅香山→山手浅香山
    • 阪和堺→堺金岡
    • 阪和葛葉→葛葉稲荷
    • 阪和岸和田→東岸和田
    • 阪和貝塚→東貝塚
    • 阪和砂川→砂川園
    • 阪和東和歌山→南海東和歌山
    • 阪和浜寺→山手羽衣
上記記事にある予定年月が一致することから、おそらくこの新聞記事が竹田氏の1941/8/1説の根拠の一つなのだろうと思います。--ButuCC+Mtp 2018年12月4日 (火) 18:53 (UTC)[返信]
(追記)『鉄道史料』第108巻を参照したところ、当時の大阪毎日新聞(上記サイトのものとは別)の改名に関する記事や(問題の1941年8月1日以前に発行された)「阪和天王寺」と記載された南海山手線時代の時刻表があるなど、一次資料が多数掲載されておりました。別件ですが名電山中駅等の「愛電→名電」の改名は合併後直ちに行われていなかったという事例もありますし、阪和の「合併後直ちに改名」というのは後世の誤認である可能性が高いと思われます。ですので、ある程度期間を置いて異論がなければ、上記出典による「1941年8月1日改名」に変更しようと思います。--ButuCC+Mtp 2019年1月6日 (日) 16:00 (UTC)[返信]
対応しました。--ButuCC+Mtp 2019年1月18日 (金) 15:17 (UTC)[返信]

天王寺-和歌山間の所要時間について[編集]

「そしてこの45分の壁は、1996年に特急「くろしお」等の120km/h運転による所要39分(表定速度94.3km/h)まで、63年間も破られなかったのである。」の部分ですが、私の記憶が確かならば特急「くろしお」号が381系に置き換わった1978年10月か、その直後くらいまでには既に天王寺~和歌山間を最速41分程度まで所要時間が短縮されていたのではないかと思います。しかし、参考文献が見つかりませんでした。このままでは不確かな記事であり書くことができませんので、どなたかご存知の方、ご確認を取っていただければ有難く存じます。

ご指摘ありがとうございます。手元の「鉄道ピクトリアル1987年12月号・2003年2月号」、および「関西国電50年史」(鉄道史資料保存会、1982年)などで確認してみましたところ、最速41分到達は1986年11月1日、同38分到達は1994年9月4日のダイヤ改正時でしたので修正を行いました。--HATARA KEI 2009年6月6日 (土) 19:15 (UTC)[返信]

泉北郡[編集]

阪和浜寺駅等の所在地、高石町は「泉南郡」ではなく「泉北郡」です(少なくとも戦後は)。

飯田 勝

鳳町が本線と支線で違ってますし私の明らかな凡ミスですね…。ご指摘ありがとうございました。--ButuCC+Mtp 2019年3月28日 (木) 14:48 (UTC)[返信]