ノート:長谷川町子

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気になったのでメモ

2008年5月28日 (水) 04:10の加筆の最後の一行が荒俣宏編『知識人99人の死に方』(角川ソフィア文庫、2000年)の長谷川町子の項目の最後の一行の細部を微妙に変えた「グレーな引用」。--219.99.105.95 2009年6月25日 (木) 15:05 (UTC)[返信]

wikipediaの内容にそぐわない過剰な文章量について[編集]

生い立ちの部分、自叙伝のような表記に偏っており疑問。wikipediaはあくまでも辞典であり、生い立ちを綴るものではないと考える。この提案に対しての意見を求めます。--220.213.76.43 2023年6月12日 (月) 05:49 (UTC)[返信]

コメント 手塚治虫赤塚不二夫と比べても表記や分量に問題はないと思います。個人的な感想では小学生時代のチャンバラごっこや男子生徒とのケンカなどのエピソードはもう少し要約してもいいかと思いますが、不要であるとも思いません。東京の女学校になじめず内向的になったエピソードはその後の漫画家人生にも影響を及ぼした(仕事の交渉はすべて姉にまかせる、同業の漫画家との交流がほとんどないなど)ので必要でしょう。--Sazanamiya会話2023年6月12日 (月) 12:54 (UTC)[返信]
自叙伝のような表現は個人意見が介入するので控えたほうがよろしいかと存じ上げます。個人とその周辺に関するエピソードなら特に問題はないと考えますが、女学校のエピソードは団体そのもの全体に対する印象なので、特に誤解を誘発しやすいため避けるべきであると考えます。--124.44.228.115 2023年6月12日 (月) 13:01 (UTC)[返信]
手塚治虫氏、赤塚不二夫氏の場合、長谷川町子氏に比べて発表作品数がかなり多く、関わった人物も非常に多いため、文章量、内容とも問題はないと判断しました。それから手塚氏、赤塚氏の出典には第三者の意見で書かれたものが多く引用されておりました。しかし、こちらでは明らかに自伝の引用が多く、明らかに問題があります。一例を挙げますが、法令に触れる行為をした人物が、自伝では「私は悪くない」と言ったからと言って、辞典に悪くないと書くのは様々な意味で問題になるでしょう。そうした問題が起こるので基本的には第三者の見解を載せるのが辞典では一般的です。--124.44.228.115 2023年6月12日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
自叙伝というのは「サザエさんうちあけ話」のことでしょうか。その本では小学生時代の腕白エピソードがいくつも書かれているのですが、女学校時代のエピソードがありません。書いているのは妹の長谷川洋子の「サザエさんの東京物語」と作家の工藤美代子による伝記「サザエさんと長谷川町子」、西日本シティ銀行のサイトに掲載されている同級生の証言です。つまり第三者によって書かれた「二次資料」となり信頼性は高いといえます。「女学校のエピソードは団体そのもの全体に対する印象なので、特に誤解を誘発しやすいため避けるべき」とはどういう意味なのでしょうか。--Sazanamiya会話2023年6月12日 (月) 13:57 (UTC)[返信]
横槍すまんが、西日本シティ銀行のサイトに掲載されている同級生の証言という出典はどこで示してるの?--124.44.105.250 2023年6月17日 (土) 08:27 (UTC)[返信]
出典の4です。サイトはこちら→https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/058/01.html--Sazanamiya会話2023年6月17日 (土) 15:26 (UTC)[返信]