ノート:酷道

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主な酷道の基準について_2007年[編集]

複数の利用者によって随時追記されている状況ですが、ここである程度の基準を設けるべきではないでしょうか?
例えば「酷道の特徴」にある条件に合致する、私が出典に挙げたような「書籍で実際に用いられている」、ことを基準にするといった具合です。--Sanjo 2007年9月13日 (木) 09:42 (UTC)[返信]

というか独自研究に見える様な気がしますが…。--目蒲東急之介 2007年9月22日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
書籍(といっても単車用の道路地図ですが)に使用されてはいるので、「酷道」という単語自体は正式な言葉としてもみてもよろしいかと思われます。以前テレビ番組「タモリ倶楽部」内でも(あくまでもマニアからそう呼ばれているという紹介ですが)「酷道」という単語は取り上げられています。
次にその具体的な路線ですが、出典とした道路地図(収録範囲・九州7県+沖縄の8県)では旧国道265号のみです。「タモリ倶楽部」内でも類似した路線が挙げられていますが当項目のリストの一部のみの紹介で、「タモリ倶楽部を出典としても一部は出典なし」の状態となる路線も数多くあります。--Sanjo 2007年9月23日 (日) 00:34 (UTC)[返信]

報告 一切議論がない上に出典が明示されなかったため、全面的に除去いたしました。復帰する場合は現時点で出典のある国道265号「のみ」でお願いします。--Sanjo 2007年11月18日 (日) 12:58 (UTC)[返信]

書籍掲載を条件にした場合[編集]

横からすみません
書籍に記載されていることを条件にすると、Sanjoさんがされたようにごく一部のみの記載になってしまい、例としてあまり意味がないものになってしまいます。また、ツーリングマップル自体が酷道の記載を目的として記載されたものではないため、厳密に解釈すると、信頼された情報源とはいえないような気がします。私としては、酷道における情報が集積され、一定の条件が満たされた道について、信頼された情報源と認め、記載したほうが良いと思います。 もしくは、例として全く載せない代わりに、信頼できない(検証可能性の無い)サイトと定義されてしまうことを断った上で、酷道にについて詳しいと思われるサイトをいくつか掲示してほしいです。--219.105.41.43 2007年11月23日 (金) 14:04 (UTC)[返信]

さらに横から失礼。今更感・素人感漂いますが…。
そもそも「酷道」って言葉自体俗語で定義が完全に可能な言葉ならまだしも、酷道自体定義不明確な状況では、当然人によって(通過難度・道路状況等)定義も変わるでしょう。であれば、当然酷道として挙げられる根拠も曖昧にしか提示できなくて当然だと思うのですが。であれば、「その人が酷道だと思った」…ないしは「酷道の特徴」の項目のうち、ひとつでも満たされていれば、それは酷道という定義で良いのではないかと考えます。また、219.105.41.43さんの記入された、後半部分のような対案を敷いた上、いくつかを例出として掲載するという形でも良いかと思います。
以下完全に余談(なので返信不要)ですが、カーツーリストとしての私個人が一番納得行かないのは何かというと、悲しいことに「主な酷道」欄をばっさり削除されてしまった点です。この項目こそが、wikipedia内における「酷道」という項目の最大のエッセンスであり、最大の情報データベースとして機能していた部分だというのに…。酷道という項目の中で、定義域以外の記載に不満があって削除してーよーって人は、実際に現場に行かれては如何でしょうか。多分その気も失せますから。
あとwikipedia全体の風潮として、余所の項目でもまま見られるのですが、ここ最近の風潮として、完全に定義されてそれを満たしている項目しか乗せられないという話であれば、市販の百科事典には無い何かにwikipediaのカタルシスを求めている多くの人は、「なんだまた削除厨の仕業かよ」とため息をつき、wikipediaに募金するのを辞め、ブリタニカ百科事典を買いに書店に走るでしょうね。編纂作業としてやってる事に差がないのなら商用品の方が正確な情報を得られますから。--60.62.16.4 2007年11月27日 (火) 09:06 (UTC)[返信]
ウィキペディアはデータベースじゃないんだよね。あくまで節の1つに過ぎない、酷道の一覧・リストなんてのは、別にないならないで構わないんですよ。参考文献もなく、ファン達が勝手に言ってるだけのようなものであればね。最大のエッセンスでもなんでもない、百科事典なのだから、一番重要なのは概要部分に決まっていますがな。そこに血道をあげるのは大きな誤りです。後、ウィキペディアと紙の百科事典には何ら変わりはありませんよ。そこらへんを勘違いしている方が、wikipediaとブリタニカ百科事典との信頼性の差を広げるような行為に加担してしまっているのでしょう。--61.86.44.252 2010年3月13日 (土) 14:40 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── こちらは書籍を出して言葉自体はあることを示したのですが、他ユーザーが同様の作業をなさなかった(少なくとも九州以外のツーリングマップルでも使用されている可能性はあるにもかかわらず、です)上にテンプレートで告知したにもかかわらず1名以外は意見表明をせず(はっきり言って全除去後の発言には「今更感」が強い)追加を続行したという経緯があります。2か月経過していることも考慮した結果です。
あくまでも私論ですが、主要地方道を含んで過去に私自身が通過した路線だけを挙げても「酷道」に該当するのは以下のとおりです。九州、それもせいぜい南側の3県でこれだけ挙げられますので、47都道府県では……? というのも理由の一つです。

  • 国道265号の小林市須木から椎葉村中心部まで
  • 国道388号の大部分
  • 熊本県の県道17号
  • 熊本県の県道28号の南阿蘇村久石以東
  • 宮崎県の県道26号の照葉大吊橋以西
  • 宮崎県の県道27号
  • 鹿児島県の県道72号

ちなみにこれ以外にも国道445号など山間部の路線を挙げれば幾らでも、一般県道を含めたら膨大になると考えられるのは容易です。
ウィキペディア上では本来出典なしで例示するのは危険なのですが、外部リンクである程度示しておくこと、または国見峠を例にして具体例を説明することは十分考えられる手です。そして、ウィキペディアはデータベースではありません。--Sanjo 2007年11月27日 (火) 11:07 (UTC)[返信]

横からすみません、あれだけweb上で載っている情報を「独自研究はのせない」というシールを貼ってしまう識見は大した物です。(検証可能性にふれるのなら、まだわかりますが)
もちろん、上の原則はwikipediaの品位を保ち続けるために必要かとは思いますが、あまりにも杓子定規に適用するにも問題ではないでしょうか。以前、例に挙げられていましたが、「信頼できる情報源がありません」と記載した上で乗せておくとか。大体、ニッチな分野について独自研究ってだれかどう決められるのでしょうかねぇ。
学問としてないものは全部駄目なのでしょうか。有名な科学者でも㌧でも本を出すときがままありますが、そのまま採用するんですかね〜と疑問がいくつもわいてきます。
もちろん、学者として追求していない人を編集者として想定した場合にWikipediaの縛りは有効であることも認めますが、制約を多くつけたにせよ、その縛りからの逃げ道もまた用意する必要があるのではないでしょうか。--219.105.41.61 2008年1月13日 (日) 00:40 (UTC)[返信]

「酷道」条件のピックアップ[編集]

酷道の概念をネット上で検索し、その中から複数ある条件をピックアップしてみまたした。

  • 国道にもかかわらず中央線が無く、普通車同士でも離合困難な箇所がある。
  • 国道の峠にもかかわらずガードレールやカーブミラーの無い峠がある。
  • 国道にもかかわらず指定区間の3割近くが重複区間で、トレースが極端に難しい。
  • 国道に指定されている区間内に年間を通して車両が通行できない箇所がある。
  • 国道上にあまりにも通行を困難にする難所が置かれている。(国道421号コンクリートブロックや国道477号百井別れなど)

個人的にも上記の5項目のいずれかを満たしていれば十分酷道と呼べると思うのですが、いかがでしょうか? -- 2008年1月13日 (日)08:24以上の署名の無いコメントは、219.105.41.61(会話履歴)さんによるものです。

いい定義だと思いますが、3番目、トレースが極端に難しい道を「酷道」と呼んでいるケースの場合、トレースが困難な理由は重複区間の存在よりも、想像を絶するようなルーティング(広い道の途中から突然1車線の路地に分岐するなど。R101の秋田県内やR477の滋賀県内区間など)が原因ではないかと。また、4番目、登山国道(R289)や階段国道(R339)を「酷道」と呼んでいる例は見たことがありません。車が通ることを初めから拒否しているような道は当てはまらないように思われます。--210.199.211.249 2008年1月28日 (月) 00:36 (UTC)[返信]
Wikipediaで定義づけるのはやめたほうがよろしいかと。それと署名の偽装はおやめください。--Sanjo 2008年1月28日 (月) 07:16 (UTC)[返信]
署名の件すいません。コメントを書くのにあたり、まだ慣れていなかったもので方法を間違えていたようです。失礼いたしました。
本題ですが、酷道や点線国道、階段国道といったような道路はただの国道や県道などと違って、管理している人がイコール専門家というわけではないですよね。このような場合、最も専門家と呼べる人たちは誰かと考えた場合、酷道を実際に走破しているマニアの人になるのではないでしょうか。実際酷道を走破することを主な内容としたHPは多くありますし、またオフ会なども多数行われています。このような人は他に仕事を持っていたり、学生だったりする為、酷道走破の書籍を発刊することは難しいでしょう。wikipediaにはネット上の掲示板の項もありますし、この際出典はなくとも「信頼できる情報源はありません」とした上で、酷道の一覧を載せるというのが無難かと思います。
(--125.207.9.194 2008年1月30日 (水) 23:31 (UTC)[返信]

井戸端での別議論からたまたま派生してここへたどり着いたのですが、なんというか・・・。とりあえず、WP:VWP:NORWP:CSをよく読まれて理解された方がいいかと思います。特に出典に関しては、「例えウェブ上であっても、何も載せないよりはマシ(独自研究から離れる)」ので、実際に「酷道(あるいは険道とかその他)」と呼ばれている事例を、なるべく信頼できる情報源から見つけ出して載せるべきです。そうでない場合は、「出典のない独自研究」として除かれるべきでしょう。その他、指摘したい点が山ほどあるのですが、全て指摘してても仕方ないので、まずは方針の熟読をされるべきでしょう(その上で必要であれば指摘しますが)。--青子守歌 2008年2月6日 (水) 23:04 (UTC)[返信]

私感[編集]

しかしまぁ…何ですね。

例えば「一般的に「国道」というと、地域の幹線道路として道幅が広く歩道もあり、適切に整備されたような道路が連想されるが、「酷道」はそのようなイメージとは正反対の道路である」と、現在これを書き込んでいる現在の版にあり、無論このノートで指摘を寄せている皆様の目が入った状態で記載されていますが、「国道は道幅が広く適切に整備されている」という事象の根拠、出自は何でしょうか。これはあくまでイメージですから、各人によってとらえ方は異なるでしょう。私の感覚では、酷とは言わないまでも歩道が狭く、あるいはないことで歩行者の通行が著しく困難な国道もあるように思います。これもイメージです。従って中立的な観点から見て適切とは思えません。よって適切な出典が示されなければ程なく削除致します。この造語は、そういった「国道」の「イメージ」に対して韻を踏んで用いられている傾向にあるのかと存じます。従ってその一方が記述できないのであれば、言葉の意味をなしません。よってその「イメージ」を、信頼できる情報源により確固たる事実であると証明できなければ、記事自体の削除も視野に入れたいと考えます。また何より、「酷道をゆく」という書籍ひとつを論拠として記事が作成されていますが、これは著しく偏った出自によるものであり、多方面からの検証が不可能で好ましくありません。「酷道の特徴」として数点が挙げられていますが、これはどこからの出自でしょうか。脚注がついていませんので不明です。もし該当書籍からの転用であれば、これは全くもって著作権の侵害です。即刻除去せねばなりません。またWeb上からの出自であれば、これは個人が任意で作成したものであると考えられるため、当所の出典、論拠としては不適当です。独自研究はこのサイトに記述することはできません。

…とまぁこんなことを言っていれば少なくとも学術的な部門を除いては何も書けませんね。いみじくも「書籍の劣化コピー」と仰られていますが、それしかできません。と申しますが書籍の劣化コピーだったらそれこそ著作権の侵害ですね。これを本当に厳格に守ったとすればこのサイト自体の存立が危ういですね。どれだけの記事で、完璧に守られているのでしょうか。一体…。ルールというものはそれはそれで厳格に存在せねばならない存在です。しかし、現実に社会の中で運用していくためにはある程度の暗黙の了解と言いますか遊びしろといいますか、そういう部分が必要ですね。Wikipedia:五本の柱の五本目は、(まだ正式運用でないにしろ)、そういう意味合いがあるのでは。それを拡大解釈してしまうのも罪ですが、逆に厳格に締め上げることもまた罪のように思います。Wikipedia:著作権にあっては、「百科事典の記事や他の著作を読んで、それをあなた自身の言葉で再構成し、ウィキペディアに提出することは完全に合法です。」との見解があります。例えば著作権侵害にならないために、こういう形でそれをかわし、成り立ってきたのでしょう。「あなた自身の言葉」といいますが、その言葉を人間が覚えるにあたって何らかの著作物を読んでいるわけで、そういう意味では転用ですね。また。「他の著作」とありますが、それが全部「査読」を経たものなのか定かではないですね。人間の記憶はそこまで完全ではありません。そんな事をいちいち覚えていないでしょう。それは誰かの話であったり、自分で見聞きしたことかもしれません。それならば、アウトでしょうね。

「こういう議論はよそで」と仰られるかもしれませんが、この記事において、このノートでの議論の末現在の形になっていることについて感じたことですので、ここに書いています。もし返信いただけるのであれば「よそで」ではなく、皆様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。--yamanamann 2008年3月19日 (水) 13:20 (UTC)[返信]

書き忘れていましたが、もちろん「程なく削除」等は私はしません。元々、もう少しはっきりとした記述にしようと思って編集ボタンを押そうとして3つもある注意書きにに目が留まりノートを見て、編集をやめた次第です。出先の記述にあわせてあるものと思いますのでその本を持っていない私が触るのは怖いので、怖いというかしてはいけないので。おそらく。それほど隅々まで規定規則を理解しているわけではありませんので、編集するなんて恐れ多い、です。--yamanamann 2008年3月19日 (水) 13:40 (UTC)[返信]
信頼性が高いと考えられるものは後ろに参考某と書き、低いと考えられるものは本文内に「某は某と書いている」と注意して書き、信頼性が低すぎるなら省き、出典がわからない(orない)ものは書かない。査読されていると考えられるものは当然優先度があがり、個人のwebサイトなどはよい情報源とは言えないだろうから省かれることが多いが「なにもないよりはマシ」。
定義がない、はっきりしない物はwikipediaの項目としては不適であり、wikipediaでそれを定義するのは独自研究の最たるもの。自分で調べたことを書くわけではないから、言及されることが少ない(資料が少ない)記事は必然的に記事が薄くなるし、出展が偏ればいい記事にはならない。そういう記事をどうにかしようとする意気込みはいいのだが、各人がそれに該当すると思った物の名前を羅列してデータベース化し、肥大化した羅列を整理しようとしてノートページで定義を考えるのは間違い。危険思想だ。資料が整うまでstubのまま残すとか、いっそ削除するとか、他の記事の一項目として生かすとかがwikipedia的対応だろう。
他の著作物から「事実」を抽出して再構成して使うことは広く行われていて「参考」と書いてあるのがこれに当たる。元の著作物独自のものをルールに沿って直接持って来て使うのは「引用」。「事実」に著作権が認められると、算数の教科書に1+1=2とさえ書けなくなり、全ての百科事典、全ての辞書、殆どの書物が廃版になる。法律の穴とかそんな話ではない。人の知識は、自分が体験したものと人が体験したものの伝聞であり、wikipediaでは客観性を保つために前者は排除し、後者に誰からの伝聞かを添えて書く。wikipediaの間違いの大部分は修正されれば済む、失敗を恐れて編集に参加しないのが間違い。ルールに沿うように努力し、間違いは正されればよい。偉そうに書いてるけど、私だってきっとどこか間違っている。
削除厨だなんだと言われても、ルールを曖昧に適用しすぎると、すぐ2ちゃんねるやアンサイクロペディアになる。現にノートで定義を作成して、それに沿ったものの名前を列挙する記事や、有名人の発言を逐一書き込むような記事が跋扈している。気に入らない人はルールを変えるか、自分で作るか、既存のものを購入してもらうしかない。wikipediaにwikipedia以外のものを求めてもリターンはない。
亀な上に乱文長文失礼 --しかくいまる 2008年6月30日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
私のほうが2倍遅い亀になってしまい恐縮なのですが、私へだけのレスではないと存じますが、言及していただいた部分、ありがとうございました。そもそもここは、さまざまな場所から知識を寄せ集めてくる場所であることを忘れた文章であり、感情的に過ぎた部分があったことをお詫びいたします。ただ今読み返しても、「あなたは規則をわかっていない。私はわかっている。よって私が正当であなたは従うべき」という論調に傾いている流れを感じ、このままでは「1+1=2」「空は青い」とも書けない様な息苦しさを感じ、疑問に思い、あえて極端な文章を書いたものです。のりしろを百畳敷きにして好き勝手やることは許されませんが、のりしろを切るはさみを使える人が1ミリとして「さあこれで貼れ。出来なければ許さない」というのも何だかなと…。そんな思いは書かれた方にはないのでしょうが、私はそう感じてしまいました。web上で発生、あるいは広まったような事柄で、出典の形のないものの扱いは難しいですね。こういう時代になって、何か良い落としどころがあるといいのですが…空が青いのは知っている人が多いけれど、「何某によればどうであるため空は青い」と書くべく努力するのが本来ですね。私はもうあまり書くこともありませんが。でも「1+1=2」に出典つけるのは難解だ… --yamanamann 2008年11月27日 (木) 15:41 (UTC)[返信]

改名提案_2008年1月[編集]

済み改名提案は取り下げられました。--Yumoriy会話2024年1月31日 (水) 14:42 (UTC)[返信]

提案ですが、酷道と言うタイトルを「悪路」として記事内容も一部変更すると言うのはどうでしょうか?「悪路」と言う言葉の方がどちらかと言うと良く使用されている筈ですし。--目蒲東急之介 2008年1月31日 (木) 01:21 (UTC)[返信]

  • (賛成)削除しても良いような独自研究ですが、存続するなら記事名を「悪路」にし、俗語として「酷道」を説明するべきでしょう。「酷道」だと国道しか指さないようですし。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年1月31日 (木) 06:29 (UTC)[返信]
(コメント)一応、一企業も「悪路」を使用しているみたいですね(悪路走行テストコースを有する鹿島道路も公式に「悪路」を使用)。--目蒲東急之介 2008年1月31日 (木) 06:45 (UTC)[返信]
  • (コメント)酷道と悪路とは別概念ではないでしょうかね。いずれにしても先行研究のない概念なので項目として成立させるには非常な困難が伴うでしょうけれども。いや、まだ悪路の方は応用地質学や機械工学(自動車工学)の分野で概念化されてるようではあります。ただ、これも積極的な規定がなされてるというよりは単なる所与条件として扱われてるだけのような気もします。ともかくも、両者を同一視することは、かえって独自の研究になるおそれなしとしないように思いました。--shimoxx 2008年1月31日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
  • (コメント)私も酷道は悪路とは別概念ではないかと思います。悪路に改名した場合、どのような内容(定義、分類など)を加筆される予定でしょうか。きちんとした定義が書けるのであれば、改名ではなく悪路の記事を新規作成した上で統合提案するという手もあると思います。--Blazer 2008年2月2日 (土) 02:10 (UTC)[返信]
「酷道」と悪路が同一でないのは承知しています。前者を記事名とする問題は以下のとおりです。
  1. 正式な名ではない。新聞や公文書で使われる場合、かぎ括弧付きや(「酷道」)や俗称扱い(いわゆる酷道)である。
  2. 国道しか指さない。2008-01-31T01:22:28 版には以下の記述がある。

    なお、酷道と同じような特徴を持つ県道のことを「険道」(険しい道)あるいは「嫌道」(嫌な道)、府道の場合は「怖道」(怖い道 超酷道レベルの場合は腐道(腐った道))、国道旧道の場合は「泣道」、市道(もしくは私道)の場合は「死道」、町道の場合は(跳道=悪路で飛び跳ねるような様から)、村道(損道自動車が壊れる)と呼ばれる。またあまりにも酷い場合は「超酷道(又は超腐道、超険道など)」と呼ぶこともある(国道418号など)。

    まさかこれらの俗語ごとに記事を作るわけには行くまい。
  3. 基準が無く、独自研究にとどまる。
「要整備国道」とか何とか、公式名が無いものでしょうか。 --TAKASUGI Shinji (会話) 2008年2月2日 (土) 18:02 (UTC)[返信]
当方も公式名がどうなのかを改めて調べて置きます。--目蒲東急之介 2008年2月3日 (日) 13:12 (UTC)[返信]
酷道という呼称・概念は、道路愛好家の間から自然発生的に(おそらく1990年代頃)発生したものであり、何らかの公式呼称・公的概念というものではないでしょう。それゆえに本項の取り扱いでTAKASUGIさんや目蒲さんが苦慮なされているお気持ちは十分理解できます。ただ、悪路と酷道の取り扱いはまた別のお話ではないかと思います。
酷道という概念は厳然として存在しているわけで、何らかの形でウィキペディアに書くことはできないかなという気がしています。問題はその概念のありような訳で、そもそも現状の「酷道とは○○な道のことである。」という定義がおかしいですよね。そんな定義はどの信頼できる情報源にも書いてないのですから。例えば「酷道とは、○○な道路を指して一部の道路愛好家によって提示された呼称・概念である。愛好家たちは、酷道を○○や○○であると考えている。彼らによれば、多くの場合、酷道は次のような特徴を持つとされている。・・・」というような書き方で対応できないでしょうか。現状だと酷道というものが客観的に存在している、と読みとれてしまいますけれども、一部の愛好家の間に酷道というものが存在しているのだ、という内容に書き換えることで、独自調査への抵触を避けられるのではないかと思っています。
あと、来る2月20日に『酷道をゆく 日本全国の「酷い国道」を走る!!』(イカロス出版)という書籍が発売されるようです。ひょっとすると、この本が信頼できる情報源になり得るかも知れませんね。--shimoxx 2008年2月3日 (日) 15:23 (UTC)[返信]
ようやく書籍(ISBN 4863200250)として扱われるようになりましたか…。Amazonの紹介内容から記事としても十分執筆できる内容にはなれそうです(ただし同書籍の劣化版となりそうな)。改名云々はとりあえずここまで待つべきでしょう。「酷道」の名称自体は1991年のツーリングマップ九州版で確認できますので、その辺の書籍の造語かパソコン通信時代の掲示板辺りが初出なのかな、と思います。--Sanjo 2008年2月3日 (日) 16:05 (UTC)[返信]
出典…… ということでひとつ見つけました。『五ヶ瀬町史』(宮崎県五ヶ瀬町、1981年)の513頁に、国道218号の峠のひとつ(現在は旧道、名称は後日調べてきます)が「酷道」として記載されていました。確かに「俗語」としてはメジャーといえるのかも……。--Sanjo 2008年2月8日 (金) 10:55 (UTC)[返信]
  • (コメント)出典は重要なんですけど、メジャーな俗語を何をもって認めるのかというのは考えないといかんと思いますけどね。本が出たならOKなのか?本で使われたらOKなのか?ネット上で使われているスラングは書かれているのに古くからの俗語はソースがないなら改名されないといけないのか?これに限った話ではないのであくまでコメントにしておきますが、ここにも通じる話だと思いますので。誰かうまいこと考えてください。私は考えられない、考えられなかったのでかつて俗語がBANされるのを見送るしかなかったですけどね。--MD242 2008年2月23日 (土) 06:44 (UTC)[返信]
そういう話の議論はWP:Vでやってはどうでしょうか。まぁ、私の見解を述べますと何を持って「メジャー」とするのかはなはだ疑問ですし、もしソースがない事を書きたいならウィキペディアではなく他のサービスで書けばいいのでは?(検証可能性を満たさない記述はjawpには要らない)--青子守歌 2008年2月23日 (土) 07:23 (UTC)[返信]
申し訳ないがよく読んで。ソースが既に有ったんですよ。もう本が出版されていますからそれがソースになるんでしょうけど、出版が初ソースではないことはちゃんと読んで。何を持ってメジャー?それこそ議論の場であなたがやってくださいよ。あなたの考えるメジャーとはというたたき台と共にね。--MD242 2008年4月6日 (日) 17:11 (UTC)[返信]
横から失礼、ソースがあればソースを示して書く、無いなら書かない。それだけのことで、メジャーかどうかは意味が無い。ネットスラングの一部はもう既得権益としか言いようがないだけの話。先にこちらで定義すると、後からこちらを参考にした「参考資料」が出てしまう可能性があって非常に危険なんだけどね --しかくいまる 2008年6月30日 (月) 10:59 (UTC)[返信]

(インデント戻す)とりあえず「酷道をゆく」を基に加筆修正してみました。「悪路」という名称は国道101号や170号、324号の例からすると不適切のように思えます。ただ、内容的にやはり「劣化コピー」になるのは否めないようです。--Sanjo 2008年2月23日 (土) 13:50 (UTC)[返信]

  • (反対)改名反対です。酷道と悪路は別の概念だと思います。悪路というと舗装がまだされていなかったり、されていても路面が荒れていたり、といったことの方に重点があると思います。未舗装ではあっても道幅が広くまっすぐで平らな道は、悪路ではあっても酷道にはならないと思います。酷道は走るのをためらうような道です。ですからR170などは渋滞がひどいから酷道です。それから険道まではいいますが、死道・損道などはあまり見ないかも知れません。酷道・険道は、国道・県道ならもうすこしマシな道ではないかという期待が裏切られるから、そのように書かれるものと思われます。村道などには最初から期待しません。「酷道・県道」でもいいかもしれませんが、代表で「酷道」のタイトルでも構わないと思います。--Lumi 2008年3月22日 (土) 07:59 (UTC)[返信]

報告 皆様ご投票ありがとうございました。協議の結果、改名提案後に出典が発売され、それに基づいて大幅修正されている事もあり、一定の要件は満たしたと判断し、改名提案を取り下げにします。--目蒲東急之介 2008年3月28日 (金) 17:12 (UTC)[返信]

酷道の例について[編集]

わかって書かれているとは思うのですが 国道157号線が「ほぼ全線を通じて悪路」というのはおかしいのではないでしょうか。いわゆる酷道区間は全体の1/3程度ですし石川県内では幹線道路ですし岐阜県内でも交通量の多い道路ですから。--以上の署名のないコメントは、123.48.87.190会話/Whois)さんが 2008年3月4日 (火) 18:45 (UTC) に投稿したものです。

明らかに「酷道をゆく」には記載されていませんし、当該編集(2008年2月26日 (火) 06:50 JST版)全体が同書籍には記載されていない事柄であるため(微調整の上)差し戻しました。--Sanjo 2008年3月5日 (水) 09:41 (UTC)[返信]

出典の偏りについて[編集]

酷道の例を見ると、東北地方の道路がまったくない気がするのですが。中日本、近畿に偏りすぎていると思われます。もっと出典例を増やせないものでしょうか? --Sadaharu 2008年3月6日 (木) 05:47 (UTC)[返信]

東北地方(新潟は含まず)は101と458号くらいですね。偏りは出典が「酷道を行く」のみであるが故の現象です(現に九州も265と324だけで、388など265に匹敵する路線が紹介されていません)。他に「酷道」を扱った書籍があるのならば私が知りたいくらいです……。
ただ、定義部分の脚注のように「ツーリングマップル」や郷土史に「酷道」という用語が登場することがあります。出典例を増やすとすればこの辺から強引に持ってくるしかなさそう、だというのが正直な感想です。--Sanjo 2008年3月6日 (木) 09:42 (UTC)[返信]

旧道(元:酷道)の画像は不必要か?[編集]

七之輔さんが石榑峠道路の開通によって国道指定から外れた石榑峠の画像と、大峠道路の開通によって国道指定から外れた大峠の画像をコメントアウトされていますが、必要ではないのでしょうか?「旧道」という記述を加筆する必要はありますが、画像には何も問題がなく、バイパス開通によってコメントアウトされただけです。--国道559号線 2011年4月17日 (日) 12:51 (UTC)[返信]

コメント 石榑峠についてはご指摘通りですが、利用者‐会話:七之輔で私が述べたのは、大峠についてはテキストのコメントアウトがしてあったため、今回の421号石榑峠で同様措置を実施した点です。本項の履歴でもこの過程はご確認できると思います。さて、石榑峠の画像ですが、「酷道」の何たるかを説明するのには極めて有意ですが、肝心の当該箇所が現在では「酷道」から外れてしまっているので現状では無用と考えます。但し、121号・421号の記述復帰の合意が得られた場合は別です。--七之輔/e56-129 2011年4月17日 (日) 13:14 (UTC)[返信]
コメント 横から失礼します。現状がどうであろうと、『「酷道」の何たるかを説明するのには極めて有意』であれば掲載すべきではないでしょうか?逆に言いますと、Wikipediaはデータベースではありませんから、「酷道」の各路線(の画像)を全てフォローすることを目的とする必要はありません。また、現時点でどうかという視点は当該項目主体(酷道)の特筆性の説明にはあまり必要ではありません(むしろ、過去の状況こそ有用な記述となる場合もあります)。--Si-take. 2011年4月18日 (月) 02:14 (UTC)[返信]