ノート:解離性同一性障害/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改定案[編集]

「また、多くの多重人格をテーマとした小説や映画などを見ても分かる通り、その症状ばかりが好奇の対象となりやすく、この疾患のほとんどが幼児に対する性的暴行などの残忍な虐待を背景に持つことについては軽視されがちである。」の部分はいささか認識がずれていると思う。自己同一性(アンデンティティ)は文学や映画の最も重要な主題であるため、解離性同一性障害が題材として取り上げられるのは当然の話で、何も「好奇の対象」だけで取り上げている訳ではない。また、「トラウマ」や「PTSD」という言葉がワイドショーで何の注釈もなく使われるいま、解離性同一性障害を扱った小説や映画が幼児期の虐待を取り上げないとは考えにくいし、実際何らかの形でその部分を描いている場合が多い。従って世間はこの病気を面白がって見るだけでロクに理解していないといった論調は的を射ていない。改定案として「自己同一性(アンデンティティ)がテーマになることが多い文学や映画においては、症状の興味深さも手伝って解離性同一性障害を題材にするものがある。そのため精神医学で認知されてからの歴史が浅い割りに、解離性同一性障害の世間での認知度は高い。」--Rumhi 2005年8月4日 (木) 20:41 (UTC)


ご意見ありがとうございます。「実際何らかの形でその部分を描いている場合が多い」については「最近の」映画・文学についてはその通りだと思います。しかしその独特の症状がストーリー構成に大きな影響を与える一方で、疾患の残虐な背景にはあまり重点を置いていないものが多いような気がします。

#話はそれますが、私は小説や映画はあまり沢山観読する方ではありませんので、もし「このような疾患さえも生んでしまう児童虐待は世の中からなくなるべきだ」と思わせるような作品がありましたらぜひ教えて下さい。

また認知度についてですが、現状とても低い状態だと思います。経験としてですが、疾患の詳細や原因、DSM上の疾患名を知らない人はとても多いです。また懐疑論者も多く、ネットでもしばしば否定論や誤解(人間だれしも多面性がある、など)を見かけます。Wikipedia英語版などは懐疑色一色です。以上の理由で改定案には賛成できません。客観性のある指標も探したのですが中々みつからず、主観的な論調になってしまったことをお詫びします。

編集について。「主人格」の定義に誤りがあったので訂正しました。元の人格は「基本人格」ですが、これについてもいずれ加筆したいと思います。

本文中の「極希に、この「交代人格」と「主人格」が記憶を共有し、ある条件のみで人格が交代されるものもある。(世界で3例しか発見されていない)」について一旦削除いたしました。3例という具体的な数字の根拠が明らかでなかったためです。また、交代人格と主人格が記憶を共有する例は珍しくないと思います(両者の記憶が「等しい(完全に同一である)」ケースは非常に珍しいと思いますが、もしそういった意味でしたらすみません)。特定の条件でしか人格交代が「起こりにくい」例も多くあるように思います。Canadie 2005年11月7日 (月) 06:53 (UTC)

(無題)[編集]

初めまして。藍漸(アイゼン)と申します。先ず最初に二つの事をお断わりさせて頂きます。

1.私は数年前から現在も解離性同一性障害の方のサポートをさせて頂いております。従って主観的な意見になってしまうだろう事を先に陳謝致します。
2.私はサポーターという立場上、この内容につきましては完全に客観的立場をとれる環境に居りませんので現時点での内容の編集は控えさせて頂きます。悪しからずご覧の皆様方にご了承頂けますよう宜しくお願い申し上げます。

世間の目について[編集]

実際何らかの形でその部分を描いている場合が多い。従って世間はこの病気を面白がって見るだけでロクに理解していないといった論調は的を射ていない。」 についてですが、残念ながら事実理解してない方が多く居り面白がっている方も居ります。 ですが理解しろというのは正直不可能な話しだと思っています。受け入れてもらうしか無いのが現状であり、相変わらず人の多面性との混同が多く見受けられます。 それだけでなく、詐病と思っている方も少なくありません。私の様なサポートをしている側の人間が、色々と説明してやっとなんとか受け入れてもらえるといった感じなのです。 ネット上に於いてはこのサポートがほぼ不可能に近いのも事実なのです。 何故ならば、ネットという環境が解離性同一性障害を騙ろうと思えば非常に騙り易い環境だからなのです。 ですから私はサポートする側の人間として、言って良い範囲と言ったらマズイ範囲を明確に定めており、騙られる事によって解離性同一性障害を抱えておられる方々が感じる苦痛を少しでも減らす事に注力せねばならないのです。 理解してもらうだとか理解させようだとかそういう事は全く望まなくなっているのです。ただただ受け入れてもらえればそれで良いのです。 自分のアタマとココロ(精神)の事すら理解出来ないヒトが、他人の事を真の意味で理解出来るとは到底思えませんので。

書籍について[編集]

もし「このような疾患さえも生んでしまう児童虐待は世の中からなくなるべきだ」と思わせるような作品がありましたらぜひ教えて下さい。」 「ビリー・ミリガンシリーズ全巻(24人:上・下巻 23の棺:上・下巻)[ダニエル・キイス文庫(ハヤカワ書房)]」及び「"it"と呼ばれた子シリーズ全巻[ヴィレッジブックス]」こちらを観読なさっては如何でしょうか。 前者は解離性同一性障害についてであり、後者が虐待についての書籍になります。 両方とも文庫になっております。どちらを先に読まれても良いと思いますが、読むのであれば両方読んで頂きたく思います。

--藍漸 2006年1月16日 (月) 22:58 (UTC)

削除依頼[編集]

なぜ削除依頼中なのでしょうか?理由は明記されないのでしょうか?Shusugai

削除依頼の理由については、Wikipedia:削除依頼/神戸連続児童殺傷事件をご覧下さい。Canadie 2006年5月17日 (水) 17:36 (UTC)

出典の明記の必要性[編集]

交代人格は交代人格で「普段の自分(主人格と呼ばれる)」とは独立した記憶を持っている事がほとんどである。 >>根拠を示さない断定的表現が目に余る2006年7月16日 (日) 01:09 (UTC)

因果律が逆ですね。「主人格と独立した記憶を持つ交代人格がいる」のがこの疾患なのです(DSM-IV-TR/ICD-10)。ただ、そういった交代人格とは別に、主人格と記憶の大部分を共有する別の交代人格が現れるケースがありうるので断定的な表現を避け「ほとんど」としたまでです。「記憶の独立」に関してはほとんどのこの疾患に関する文献に明記されています。参考文献を参照して下さい。

患者のほとんどが幼児期に何らかの児童虐待を受けている<<要資料提示、資料を示さない断定的意見を削除

これも同様です。フランク・パトナムの調査では、この疾患の患者の100人のうち97人が幼児期に何らかの虐待を受けています。うち、性的虐待は87人です(Putnam, F.W. (1996) Diagnosis and treatment of multiple personality disorder. The Guilford Press ISBN 0471132659)。コリン・A・ロスや他の研究者も同様の調査結果を発表しており、このことはほとんどのこの疾患に関する文献に明記されています。参考文献を参照して下さい。

失礼ですが、当該記事は文末に参考文献を挙げていますので、次回「出典の明記」を貼る時は、最低限参考文献に目を通されてからお願いいたします。Canadie 2006年7月16日 (日) 03:09 (UTC)

出展を示すときは基本的情報を全て示すように。(まあこれは常識ですが)資料も一つの資料に依拠するのではなく複数クロス確認できる資料を示す必要あり。2006年7月16日 (日) 07:39 (UTC)

失礼いたしました。出版年を追記しておきました。足りない情報があればISBNも併記しておきましたのでそこから辿ってください。資料については上記書籍のほかに、本文中にも書いてある Deborah Bray Haddock(2001)、The Dissociative Identity Disorder Sourcebook、Contemporary Books、ISBN 0-7373-0394-8や服部雄一(1998)、多重人格者の真実、講談社、ISBN 4-06-269010-1などで確認可能です。Canadie 2006年7月16日 (日) 14:24 (UTC)

編集コメントをミスしました。解離性同一性障害の原因のほとんどが幼児期の継続的な虐待によるもの、そのうち性的虐待が多数を占めるということについては研究・調査の結果、研究者の間でコンセンサスが取れている部分であり、このことは様々な書籍で確認可能です。もう一度書きますが、無根拠だと断定する前に提示してある書籍を一度当たってください。よろしくお願いします。Canadie 2006年7月16日 (日) 14:31 (UTC)

現在は過度のストレスが原因?[編集]

僕自身、臨床心理学に詳しいわけではないのですが、松岡圭祐氏の催眠 完全版(角川)では多重人格が幼児期の虐待が原因というのは古い説で、現在は過度のストレスが原因だと考えられている。とあったのですが、どうなのでしょう。--Siek 2008年2月27日 (水) 12:15 (UTC)

解離性同一障害を扱った作品[編集]

項目から、クレヨンしんちゃん 上尾ますみを除外させて頂きました。クレヨンしんちゃんの登場人物一覧の項目の人物紹介によれば、同人物は『普段はおとなしいが、眼鏡をはずすと性格が豹変し、思っていることがすぐ口に出る粗野な女になる。これは近視で眼鏡がないとほとんど何も見えないらしく、何も見えないと怖さが軽減され何ごとに対しても強気になれるからと本人が説明している。』とあり、単に裏表が激しいだけで、解離性同一性障害とは全く異なるものであると判断しました。他にもあるかもしれませんので、ご気づきの場合よろしくお願いします。--Siek 2008年2月27日 (水) 12:33 (UTC)

最近、この項目が無節操に増えてきてる感があります。それで、「解離性同一障害を扱った作品」ではなく、「解離性同一障害を主題に扱った作品」に変え、多少なりと整理したほうがいいと思うのですが・・・・・。--FelMen 2008年9月12日 (金) 15:26 (UTC)

「解離性同意知性障害を取り扱った作品」の一覧について[編集]

そもそもこれは必要でしょうか? 思いがけず作品のネタバレを見てしまいショックを受けています。一応ネタバレスタブをつけておきましたが、もしできることならこの項目自体を削除していただきたいものです。--122.16.178.240 2009年2月19日 (木) 10:38 (UTC)

(除去あるいは一覧の分割化寄り)Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 医学#病気や怪我にかかった著名人、架空人物での意見の繰り返しですが、概要節の「症状ばかりが好奇の対象となりやす」いことを示す根拠としての価値があるかも、とは思うので、残すという考えもありだとは思いますが、その場合は分割(一覧部分の独立記事化)かなと思います。除去意見多数なら除去にも反対しません。アカウントの方であれば、左記のWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 医学#病気や怪我にかかった著名人、架空人物にもご意見いただけるとありがたいです。。--NISYAN 2009年2月20日 (金) 00:51 (UTC)

多重人格は作品の核心部分であることが多いため、作品の一覧の項目が存在するだけでも、それらの作品の価値を大きく下げかねません。「好奇の対象となる」"根拠"としての価値よりも、現存する作品群の情報の価値の方が重要視されると考えるため、この項目そのものの除去を希望です。(「多重人格は好奇の対象となる」と言われ、根拠が必要であるほどそれを否定する人間が多いとは思えません)

私もこの項目の必要性に疑問を感じます。只でさえ偏見の目で見られ理解されがたい病ですから、メディアの扱いは障害を抱えた方やそれに従事する方々にとって非常に失礼な作品が多数存在すると思います。もちろん世間一般に障害への真剣な理解を求めた医療ドキュメンタリー等は別ですが、大半は完全に好奇の対象にしかなっていないのが現状だと思います。以上の理由で項目の削除を希望致します。--高槻美紗緒 2009年6月25日 (木) 03:29 (UTC)

コメントありがとうございます。ひとまず除去の意見の人が出始めてきていて、(私含め)積極的掲載継続の人が出てきていないことから、このまま1週間ほど待って、掲載を希望する人が出てこなければ、除去で合意されたものと扱おうと思います。異論、掲載希望の方がいらっしゃいましたら、コメント、掲載希望理由をお願い致します。--NISYAN 2009年6月26日 (金) 17:57 (UTC)
少し遅くなりましたが、除去で合意が得られたものと考えますので、除去させていただきました差分。なお、考え直せば掲載が読者にとって有用であるといった意見や、「世間一般に障害への真剣な理解を求めた医療ドキュメンタリー」といった基準制定の上での掲載という意見がありましたら、改めて提案をお願いします。--NISYAN 2009年7月7日 (火) 16:34 (UTC)

カテゴリについて[編集]

カテゴリ「人格障害」への変更を取り消しました。解離性同一性障害#他の疾患との混同にあるとおり、人格障害(パーソナリティ障害)との混同にご注意ください。--Tzzzy 2009年11月26日 (木) 14:25 (UTC)

解離性同一性障害の全面リライトについて[編集]

これまでは日本中世史関連がほとんどでしたが、「解離性同一性障害」の全面リライトを行いました。

第一の理由は「解離性同一性障害が登場する作品」の項目です。 「ノート」にある「障害を抱えた方やそれに従事する方々にとって非常に失礼な作品が多数存在すると思います」という高槻美紗緒さんのご意見(2009年6月25日 (木) 03:29 (UTC))は私もその通りだと思います。 「ノート」を見るとこの項目の削除が議論され、合意に至って一旦は削除されたようですが、その後復活しておりそのことについての議論はノートには何もありません。 単純に削除したのではまた同じことの繰り返しになるでしょうから、全体を書き直して、精神科医らが認めている作品だけを「理解を助ける作品」としてあげ、そこに「ゲームやマンガに登場する多重人格によってDIDを語ることは偏見の助長にしかならない」としました。

当初は「身近な人の理解を助ける書籍」にあげた最初の3冊を「周囲の方々にとって必要な情報」とみなして、その範囲の情報だけでまとめるつもりでした。しかし「ノート」に残されている議論や2008年2月27日のSiekさんの質問などを意識しながら、色々と説明を加えて補強しているうちに広がってしまいました。本文が長くなりすぎないよう、また話の軸が拡散しないよう、詳細な学説などは極力脚注に追い出しています。一般的な理解のためなら本文だけで十分と思います。 (--Ktmchi 2011年5月10日 (火) 03:59 (UTC) 2011年6月8日 (修正)

「軽度または一時的な解離」について[編集]

2011年6月23日 (木) 06:21の 119.172.146.145さんの追記は、内容的にはおっしゃるとおりと私もおもいます。内容に関わる追記が出てきたことも嬉しいです。ただ「7.1.3 軽度または一時的な解離」は「7.1 正常な範囲」の一部なので「9.5 特定不能の解離性障害」の方でのべられた方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。---Ktmchi 2011年6月23日 (木) 03:16 (UTC)

「娘」・「息子」[編集]

2011年7月1日 (金) 20:41時点の113.197.45.128さんの修正は、「解離を生むストレス要因」の中の「関係性のストレス」についての記述で、「娘」であった部分を「息子」に直すものでしたが、何か理由があるのであればお聞かせください。---Ktmchi 2011年7月1日 (金) 13:23 (UTC)

Wikipedia:査読依頼 での議論[編集]

査読依頼ページが長くなりすぎましたので、こちらに議論の場を移動して、査読依頼 での議論をこちらにコピーしましたが、議論も終わったようなので、査読依頼ページよりコピーした部分を削除します。どのような議論であったかはWikipedia:査読依頼/解離性同一性障害 20110510をご覧下さい。もちろんこのページの「履歴」でも見られます。 ---Ktmchi 2011年11月8日 (火) 12:53 (UTC)

2011年7月31日差し戻しの理由[編集]

以下の1〜7の理由により2011年4月28日の版に差し戻します。(通常の日本語通り数字の順番は順位を表します) 査読依頼へのTrcaさんのご意見も読みましたが、現在の版に手を加えていくことは不可能に近いと考えられます。

1)解離性障害と解離性同一性障害の記述が混同されている上に、大半は解離性障害に対する記述です。「解離性障害」のページは別に存在します。総論としての「解離性障害」と各論としての「解離性健忘」「解離性遁走」「離人症」「解離性同一性障害」などを明確に体系化しなければ誤解を招きます。解離性障害に関する入門レベルの最近の出版物においても通常は説明がなされています。また、5月10日以降の版が残った状態では「解離性障害」のページとの整合性がとれません。

2)解離に対する根本的な理解が乏しいために、解離性障害の中で最も深刻な状態にある解離性同一性障害を十分に解説していません。4月28日の版の方が要点を抑えており、適切な解説になっています。

3)全体の構成が理解しにくく、文章が読みきれないほど長くなっています。百科事典として不適切な体裁になっています。

4)4月28日の版は古い情報であると指摘しながら(私はそうは思いませんが)、C-PTSDに対する記述は行なわないなど矛盾が見られます。その要因はPTSDとC-PTSDの違いを理解できないことにあり、解離性同一性障害の解説が不十分であることに通じています。ちなみにC-PTSDという診断に納得感を得ているのはDID当事者であり、私ではありません。

5)検証可能な出典の明記は確かに必要だと考えられます。一方で、文献の部分的な切り貼りを都合良く多用するだけでは出典の明記とは言えません。解離性同一性障害に対する調査を解離性障害に対する調査と併記したり、アメリカの原因究明に関する調査を日本の状況調査と同列に併記している現在の文章には問題があります。今回の査読依頼では、原本に書かれている内容は解離性障害に対する記述だと指摘しても、記述した方は認めませんでした。脳腫瘍の出典に癌全般の調査を引用しているようなもので、注釈を付ければ済むことではありません。

6)現在係争中の裁判において「いじめ」と「解離性同一性障害」の因果関係が争点になっています。「いじめ」と「解離性障害」ではありません。損害賠償請求された未成年の本名や現在の通学先までインターネット上に公開されています。正確で適切な記述が必要です。

7)5月10日の「全面」書き換えに対する指摘に対して、論点をそらした上に揚げ足取りのような質問返しをされたのでは、これ以上の議論は難しいと判断しました。

DIDに対してそれなりに知識と経験がある者として、5月10日の版を読んで、私は見て見ぬ振りができずに意見を述べました。4月28日の版が不十分であると考えるならば、十分な知識と経験を持った方々が「解離性障害」のページを含めて書き換える方が生産的で合理的な手法ではないでしょうか。以上です。--YamamotoU2 2011年7月31日 (日) 16:28 (UTC)

コメントYamamotoU2さんの最初の8項目のご意見(2011年7月8日)に対して、また2011年7月15日 (金)の10項目のご意見の個々に対してそれぞれ質問を行っていますが、まだお答えを頂いておりません。まずはそちらにお答え頂く方が先ではありませんか? それが「複数の観点を取り込んだ中立的な記事の作成」だと思います。
査読ページ【その他】において旧版へ戻しには第三者からも反対の意見が出ているにもかかわらず、旧版への執筆者でもなく、この件についてしか投稿記録が無い方がいきなり旧版へ戻すのはいささか強引に過ぎると思いますが如何でしょうか。ちなみに国際解離研究学会という団体は今は存在しません。リンクも切れてます。---Ktmchi 2011年8月2日 (火) 10:12 (UTC)


コメント最近の経緯を傍観しておりましたが、意見を述べる必要を感じましたのでコメントします。
「複数の観点を取り込んだ中立的な記事の作成」を拒否されているのは、Ktmchiさんですね。解離は防衛の破綻であるとの考えを変えずに「悪魔の証明」まで求めています。解離に関する常識的な解釈は、Ktmchiさんが掲げられている出典をご覧になれば十分認識できるはずです。世界の隅々まで探せば、どこかの誰かは「破綻」という言葉を使っているかもしれませんが、一人も使っていないことなど証明できる訳がありません。(解離の説明も「解離性障害」に載せるべきですが)他の質問も前提を無視していたり、文章全体で語られていることには触れていなかったりです。差し戻しについてYamamotoU2さんは7番目の理由も明確に述べておられます。
わたしも今回が初めての投稿ですが、ウィキペディアは様々な事柄を解説することが目的ですからいくつもの記事に投稿できるほうが不思議です。つまり、異なるジャンルでいくつもの記事を執筆しているほうが信頼性に疑問が生じます。普通の人はいくつもの専門性を持ち得ないからです。(ウィキペディアにおける事務的な内容などは別ですが)もしや、マニアでないと投稿や差し戻しができないというルールがあるのかな。
私もDIDに関する知識と経験がありますが、差し戻しが不適切だとは思いません。「解離性同一性障害」のページで「解離性障害」に関する内容が必要以上かつ曖昧に書かれているのですから、解離性同一性障害に解離性障害が含まれると受け取られるかもしれません。意欲があり専門性を備えた方が現在のページに検証を加えたり改訂を行なうか、「解離性障害」のページとともに更新するのが適切でしょう。
(この文章は私の意見ですので出典はありません。また、どなたかに回答を求めている訳でもありません。念のため。)--Nonohana 2011年8月6日 (土) 09:55 (UTC)

防衛機制の破綻と裁判の件[編集]

「悪魔の証明」とは凄い問題になってきましたね。本当に別の方ですか? Wikipedia:多重アカウントはご覧になっていますよね。

> 世界の隅々まで探せば、どこかの誰かは「破綻」という言葉を使っているかもしれませんが・・・

キーワードをあげておきましたが検索されなかったのでしょうか。世界の隅々まで探さなくともgoogleだけですぐに出てきます。 秋田大学の教授が「対外的防衛機制が破綻」と。また、東京女子医科大学の博士論文。ほかにも心療内科の医院の心身症の記述とか沢山。

精神医学・臨床心理学の世界では結構使われるフレーズなんです。「専門家」とか「DIDに関する知識と経験がある」とおっしゃる方がそれを知らないというのがとても不思議です。

ただし、「防衛機制の破綻」については、7月9日時点から「ここの云いまわしは確かに微妙です」と書いているように気にはなっていたところです。概要に書いた「それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり」と印象がぶつかりますので。ぶつかったもののどちらを取るかと云えば私も後者ですね。前者はほかの言い方も出来るかもしれません。もともと云いたかったことは「防衛機制ってなあに?」に近いニュアンスです。

「主人格」と「基本人格」については脚注の方に「主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもあるがこれは人による」と書いていますのでその部分を本文の方に移してもよいかと思います。


しかし「いじめ」の件だけはいただけません。 裁判とは「1490万円の賠償命じる、高2女子いじめ自殺訴訟で」のことですか。検索したらyoutubeにもニュースが出ていました。 学校側は「いじめそのもの否認し、また、いじめがあっても自殺との因果関係がないと争って」いるそうですね。「学園は即日控訴」とか。 ここで「いじめ」はDIDの原因となりうると述べることは判決には全く影響しません。症例も沢山あり既に常識だからです。

この裁判のことは「多重人格 いじめ」で検索して見つけたのですが、現在このキーワードでトップには「ニュース2ちゃんねる」でNHKニュースのコピーが。2番目に神戸大学付属病院の田中、安両先生の論文「解離性同一性障害(多重人格障害)の統合に至った一症例 ~「いじめ」を契機に発症したDID患者・・・」(1997年)があります。こちらはご覧になりましたか? 安先生は若くしてお亡くなりになりましたが、この両先生は解離の世界では有名な方です。

3番目にはDIDの方(服部先生のクライアントですので身元〈なりたがりかどうか〉は確かでしょう)が10年近く前に編集された「解離性障害の始まり」が出てきます。この方は
「『多重人格の原因』として一番に挙げられるもの。それはトップにも書いたとおり、『あらゆる種類の』児童虐待です。なぜここでわざわざ括弧閉じで『あらゆる種類の』としたかというと、『一般に虐待という言葉から連想されるもの』ばかりが『虐待』ではない、という意味合いなんです。それについては下項目へGO!」
として、表の中で「家庭内(いわゆる虐待)」「家庭外(いじめ)」と分類しています。

この裁判を知っていてなおDIDといじめの関係を削除させようとするとは、逆にYamamotoU2さんが被告の学園側、あるいはいじめた側に結果的に荷担することになりますが、それがお望みでしょうか。そうは思いたくありません。「DID当事者の恐怖、哀しみ、怒り、痛み、絶望、屈辱、喪失感に思いが至れば、「破綻」などという言葉は出てきません。」というYamamotoU2さんのお言葉は真に迫るものがあります。そちらがYamamotoU2さんの本心でしょう。裁判云々は口が滑っただけなのでしたらその部分だけでも撤回(削除)して下さい。そうして頂ければこちらもこの部分を削除します。

今後の控訴審はそんなことに左右はされませんが、この親御さんに限らず多くの方が「多重人格の原因は親の虐待だよ」とか「性的虐待もあったかも」とか散々陰口をたたかれてきたんじゃないでしょうか。10年以上前の本をチラ見した人とか、インターネットで多重人格の古い情報を検索した人はそう思うでしょうし、そうした娘さんや親御さんを快く思っていない人達は思うだけではなくそう言いふらすでしょう。とくにいじめを加えた側、見て見ぬふりをした者達は。自殺されたお嬢さんの苦痛はもちろんながら、残された親御さんのそうした風評への無念さはいかばかりかと思います。この件に限らずそういう風評被害を防ぐことも改訂の動機です。

おそらくYamamotoU2さんは、服部先生の『多重人格者の真実』と、和田先生の『多重人格』あたりをお読みになっているのでしょう。その破片が散見されます。しかし両方とも既に13年も前の本です。 改訂の初稿には「身近な人の理解を助ける書籍」として3冊をあげていました。 読みやすい順に並べると

こう言うとまた「それは解離性障害の本であってDIDとは関係ないと云われるかもしれませんが、例えば『わかりやすい「解離性障害」入門 』の帯の冒頭は「一人の中に複数の異なる人格が存在する(多重人格)」から始まります。ついでに言うなら私が出典に沢山出した「岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年」の正式な書名は『解離性障害―多重人格の理解と治療』です。解離性障害とDIDを分けて論じる人など見たことがありません。

そして『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』p.34 のタイトルは「発症の流れ① 発端は虐待や叱責、いじめなど」です。本文には「多重人格はほとんどが幼児期の性的・身体的虐待によって起こると考えられてきました。近年では、必ずしも虐待だけが原因ではないともいわれています。家族間のすれ違い、学校でのいじめなどによる発症例も報告されています」とあります。この本は最新の情報に基づきながら、イラスト付きで簡潔にポイントをまとめています。是非ともお読みになることをお薦めします。 ---Ktmchi 2011年8月11日 (木) 14:21 (UTC)


2011年7月31日差し戻しの理由<補足>[編集]

次元の低い言いがかりを付けて誹謗中傷を行なう方がいらっしゃいますので、先日の差し戻しの理由に文章を補足します。

1)『総論としての「解離性障害」と各論としての・・・「解離性同一性障害」を体系化』という文章を理解できない方がいらっしゃるようですが、これ以上正確な記述はできません。解離には様々な階層や症状がありますので、百科事典としては論理的で簡潔な説明が必須だと考えられます。また、解離性障害の本が解離性同一性障害とは関係ないなどという記述・主張は、私は一切行なっておりません。

2)「解離は防衛機制の破綻である」との主張に対して「解離は防衛行動そのものであり破綻ではない」と私は主張しました。「解離」に対する考え方であり、解離とは無関係な「防衛機制が破綻」という言葉がどこでどう使用されていようと何ら関係がありません。

3)解離性同一性障害の「原因」と「発覚した時点の状況」の違いを理解できない方がいらっしゃるようなので、明確に分けて説明します。

現在「原因」として考えられているのは「生物的な機質(脳などの特性)」「生活環境(機能不全家族など)」「継続的かつ重大な心的外傷(幼児・小児期の虐待など)」といった複合的な要素です。例えば、<幼児期に何年間も性的虐待を受けたからといって必ずDIDになるとは限らない。本人の脳の特性によってDIDにならないことも有り得るし、その後のケアによってDIDを防ぐことも有り得る。>ということです。ただし、「継続的かつ重大な心的外傷」が最も原因としての比重が高く、解離を定着させると考えられています。また、ある日突然DIDになる訳ではなく、幼児期の空想から解離への連続的な段階を経て小児期までに定着するもので、人格が形成された10代以降の体験だけでDIDになるとも考えられていません。さらには、生き残るために解離したのですから、解離を定着させた決定的な出来事を確定するのは非常に困難な作業となります。「あの時のこれが原因」などと簡単に特定できるような単純な障害ではありません。

一方でDIDが発覚するのは思春期以降が多く、小児期〜思春期に交代人格が活動していても、本人も周囲も気付かないまま過ごしていることが大半です。また、解離して何らかの役割を負う人格を作るようになった結果、思春期から大人への成育段階に新たな交代人格が作られることもあります。暴力や嗜癖などをきっかけとして思春期や成人後に交代人格が発覚しても、その「発覚した時点の状況(暴力や嗜癖など)」が「原因」になるわけではなく、すべての生育歴を各人格との対話によって明らかにできない限り「原因」の特定には至りません。生育歴の一時期において「いじめ」を受けていたとしても、両親の仲が悪かったとしても、それはそうした状況があるに過ぎず他の原因を排除する理由にはなりません。

「発症」という言葉を使用する医師がおりますが、周囲が確認できた段階は「発覚」と呼ぶべきだと私は考えています。一般的な疾患において「発症」は「病気の症状が現れること」を意味すると思いますが、DIDでは発覚する遥か以前から症状は現れているはずです。DIDは解離の進行結果だから「何歳で発症した」と特定する意味があるとは思えませんが、あえて「発症」を使うのならば、全生育歴を明らかにして主原因を特定した上で、最初に作られた人格自身の証言を元とすべきです。おそらく多くは幼児期〜小児期でしょう。(修正--YamamotoU2 2011年8月27日 (土) 07:11 (UTC)

4)日本ではアメリカよりも「性的虐待」が少ないと推測している解離性障害の専門家がいるようですが、それを証明できる調査は日本では行なわれておりません。一方で、子供の頃に性的虐待を受けたという自己申告による事例は無数に存在します。子供に対する性的虐待は発覚し難く、特に家庭内のケースが表面化することは僅かであると関連の専門家は推測しています。ちなみに、「専門家」のミスリードによって多くの被害者が発生していることは、薬害エイズ事件でも福島第一原発事故でも証明されています。著名であることは正しさの証明には成り得ません。

5)すべてのDIDにおいて親の虐待が関係しているとは言い切れないはずですが、情緒的な虐待(過保護・過干渉・支配・共依存)を行なっている親は、自分が虐待者だとは微塵も認識していません。こうした「関係性のストレス」によって子供は居場所を失い、親の前では「良い子」を演じるようになるので、自分は素晴らしい親であると錯誤することになります。

6)裁判は中立で公正でなければなりません。ウィキペディアは百科事典ですので偏った考えに基づいた文章では問題があります。上記3)4)のような説明がなく、「出典」と称して異なる方法や内容の調査を並列に扱い、都合良く文章を抽出している2011年5月10日以降の版では問題があると私は考えています。被告側に批判的な感情を持っている方がいらっしゃるようですが、なぜでしょう。これほど批判的な感情を持つ方が判決10日前に一方的な全面書き換えを行なったことが証明されました。原告側に感情移入している方に、今後も解離性同一性障害のページやノートに記述する資格があるのか疑問が生じます。

日本語の読解力や記述力が十分備わっていない方は、何度も文章を読み直して内容を適切に理解してから投稿しましょう。また、勝手な憶測だけで記述する行為は誹謗中傷であり、私のみならず多くの方々に不快感を与えます。私はこのような言いがかりを想定しておりましたので、自らウィキペディアに関わることは避けたかったのですが、他に問題点を指摘する方が現れなかったのでやむを得ず投稿しています。フェラーリを運転したこともないオタクが、フェラーリに関する膨大な出版物を読みあさって、フェラーリの蘊蓄を垂れるような行為はおやめください。(私はフェラーリオタクではありません。あくまでも日本語における比喩です。)--YamamotoU2 2011年8月20日 (土) 13:00 (UTC)

部分的に議論をすすめたいと思います[編集]

8月20日 3)の前半について[編集]

>例えば、<幼児期に何年間も性的虐待を受けたからといって必ずDIDになるとは限らない。・・・解離を定着させた決定的な出来事を確定するのは非常に困難な作業となります。「あの時のこれが原因」などと簡単に特定できるような単純な障害ではありません。

同感です。私も「解離を生むストレス要因」の中で「むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違うと考えた方が実情に即しており」と述べています。少なくともこの点では合意できると思いますが如何でしょうか。

「発症」と「発覚」については補足・修正して頂きましたので了解しました。この処多忙につき、こちらの応答が遅れたことをお詫びします。

>また、解離して何らかの役割を負う人格を作るようになった結果、思春期から大人への成育段階に新たな交代人格が作られることもあります。

この部分には誰も異論は唱えないと思います。

---Ktmchi 2011年8月25日 (木) 14:31 (UTC) 23:00修正 8月29日 (月)16:17 (UTC)修正


コメント 一旦書いた<8月20日 2)について〜「破綻」という言葉は使わないことにします。>を削除するとは呆れました。Ktmchiさんは何が何でも自分の主張が通らなければ気が済まないようですね。それとも誰かの指示を受けているのかな。私がYamamotoU2さんと同一人物だというのなら証明しなさい。反対意見に対して誹謗中傷を行なったのだから、それができないならウィキペディアから出て行きなさい。あなたがストーカーのような難癖を付けている限り、誰もこのページを改善しようとは思いません。
「悪魔の証明」の意味も知らないようですが、説明責任を表すのであって感情や程度を表す言葉ではありませんよ。何が「凄い問題」でしょう?「10年以上前の本をチラ見した人とか」と揶揄したり「13年も前の本」と批判するくせに、14年前の論文を根拠にするのだから矛盾も甚だしい。しかも「いじめを契機に」と書かれているのに。
私も憶測で書きましょう。裁判の原告側と通じているから、それまで日本中世史に関して山ほど書いていたKtmchiさんが、突然DIDの勉強をして都合のいい主張に書き換えたんでしょう?だから「いじめ」が5ヵ所に登場して主張を変えることがない。DID本人(主人格/交代人格)とは会ったこともないから解離を理解できない。Ktmchiさんが掲げている出版物を経験とともに理解していれば、あなたが書いているような文章にはなりません。「いじめがあったのに学園側が認めない」というKtmchiさんの憤りが、うっかり本音になって出てしまいましたね。いじめがあったかどうかなんてこのページには関係ありません。中学時代のいじめによってDIDを発症したことが自殺の原因だと裁判で認定されたこと、DIDに対する知見が十分でないと思われる精神科医が精神薬を処方して診断していることが問題なんです。DIDという診断に間違いがないなら希死念虜は根本的な原因に求めるべきで、誤診があったならば処方薬による副作用を疑うべきです。この裁判がDIDの常識からかけ離れていることは、普通に理解していれば誰もが思いますよ。--Nonohana 2011年8月28日 (日) 05:41 (UTC)


コメント ご安心下さい。2011年8月26日 (金) 22:53の修正は「より部分的に」はお答え頂く点を絞ることが目的で、発言を撤回するものではありません。8月11日 (木) 14:21 (UTC)での該当部分「前者はほかの言い方も出来るかもしれません」の方はそのままにしてありますし、実は8月8日段階から手元で書き直しを進めています。---Ktmchi 2011年8月29日 (月) 16:17 (UTC)

8月20日 4)5)について[編集]

>5)すべてのDIDにおいて親の虐待が関係しているとは言い切れないはずですが・・・

いや、すべてにおいて「親の虐待が関係」と主張されているのかと誤解をしていました。そうであることも、そうでないこともあるということでよろしいのですね。

> 4)日本ではアメリカよりも「性的虐待」が少ないと推測している解離性障害の専門家がいるようですが、それを証明できる調査は日本では行なわれておりません。

「親の虐待」の中で最も言語道断なものは、父親による娘への「性的虐待」でしょう。そんなこと滅多に無いと思いたいのが人情ですが、しかし日本でも世間で思われるよりもずっと多いように思います。障害の診断をうけていない人にも多いです。単に診断をうけていないのではなく、まったく障害とはならない人にもです。障害の診断をうけている人では性交疼痛障害はもちろん多いでしょうが、うつの人も多いと思います。(これらをwikipedia的に証明できる統計は皆無ですが。)

「性的虐待」がDIDの原因になることは少なからずありますが、「性的虐待」は必ずしもDIDを生み出す訳ではありません。 「原因」に対する「結果」は多様であると同時に、「結果」に対する「原因」も多様だと思います。これについてはご自身が5)において「・・・幼児期に何年間も性的虐待を受けたからといって必ずDIDになるとは限らない・・・」とおっしゃっり、更に「関係性のストレス」にまで言及されていますので、合意できると思いますが如何でしょうか。

> 4)・・・子供に対する性的虐待は発覚し難く、特に家庭内のケースが表面化することは僅かであると関連の専門家は推測しています。

何に対して、という処がまずありますね。性的虐待よりも多い児童虐待レベルでの報告を見ると、例えば「平成18年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数等」で虐待総数:37,323 内性的虐待:1,180・・・。 去年の12月に公表された平成21年度・確定値では虐待総数:44,211。 速報値なら昨年平成22年度分も公表されていて55,152件です。

ちなみに服部先生が「多重人格の真相」をお書きになった当時に公表されていた日本の虐待件数は4~5千人でした。それに比べれば既に10倍になっています。

これに対してなら誰しも「実態はそんなもんじゃ済まないだろう」と思うでしょう。スクールカウンセラー(臨床心理士)が認識したケースの中でさえ、児童相談所にまで持ち込まれたケースはそう多くはないと思います。 データに基づいて言えば、H20.4~H21.3までの1年間の虐待死亡事例64件の内、上記統計の元になる児童相談所が関わっていたものは7件10.9%だけです。

社会福祉協議会のこのレポートの中でも「わが国の虐待総件数を示すことは現在のところ難しい・・・」としています。 右肩上がりのグラフにも「虐待が増えている」と思う人より、「様々な取り組みによって把握できる件数が増えてきた」と思う人の方が多いでしょう。先の虐待死亡事例を考えると、増えた結果の5万件も、まだ実数の1/10かもしれません。日本でもアメリカでも虐待の実数は不明です。

実数は不明ながら、日米の状況の差を物語るものとしては、アメリカでは「女性の四人に一人は性的虐待を受けている」というものがあったと思います。何処で読んだのか忘れましたが様々な意見の中の最大のものでしょう。しかし日本で性的虐待が多いという人でもここまで言う人は居ないと思います。10人に一人だって大変なものです。

---Ktmchi 2011年9月4日 (日) 11:04 (UTC) 9月11日追記

【追記】
「女性の四人に一人は性的虐待を受けている」と何処に書いてあったかはまだ見つけられませんが、パトナムの『解離』の中にこういうものをい見つけました。1996年頃にアメリカで発表された複数の統計では虐待は年間140万~290万件(児)だそうです。後者は1996年の保健社会福祉省(HHS)のレポートです。この数は2002年には更に膨らんでいることが次ぎのレポートにあります。
平成15年度研究報告書・アメリカにおける児童虐待の対応視察報告書 「第1章 米国における児童虐待の実状と背景 1.児童虐待の実態」
  • 保健社会福祉省(HHS)によると2002年度の児童虐待は450万人(米国の人口は当時3億人弱)
  • 虐待による死亡事例数は1,400人で、76.1% が4歳以下
  • 虐待ケースは人口比で日本の約15倍
  • 虐待の内訳は、ネグレクト60.5%、身体18.6%、性的9.9%、心理6.5%、日本の場合(ネグレクト38%、身体46%、性的4%、心理13%、2002年度)に比べてネグレクトが圧倒的に多い。
なお、アメリカでは治安の問題から、小6までは家の外を子どもだけで移動することは禁止されており、州によってはこうした状況までネグレクトと見なされることも「ネグレクト」比率の裏にあります。
以上の情報をもっても、なかなか日米の実態比較は難しいのですが、ひとつだけ比較出来そうなものがあります。それは虐待死です。日本では死亡判定は医師しかできませんから必ず人の目に触れます。その虐待死亡事例は日本の1年間64件に対し、アメリカでは1,400件にも登ります。この比率を直接虐待の日米の差と見なすことは出来ないにしても、そうとう大きな社会状況の差があることだけは云えると思います。---Ktmchi 2011年9月11日追記
【更に追記】
「女性の四人に一人は性的虐待を受けている」と何処に書いてあったか、やっと判りました。岡野憲一郎先生の『解離性障害』p.130 にあります。出典は Finkelhor,D.(1990) : Sexual Abuse In the National Survey Of Adult Men And Women. Child Abuse and Neglect,17,67-70 だそうです。出版されたばかりの『続解離性障害』を読んでいたら前著の引用があってそれで気がつきました。『続解離性障害』ではp.69 です。
ちなみに1953年に発表された有名なキンゼイ報告にも24%(約四人に一人)という数字があるのですが、wikipediaには「4441人の調査対象女性のうち24%が性的に成熟する前の子供時代に性的虐待を受けており、家族の一員による近親姦的な性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であるという報告がなされた。」とあるものの、別の本には24%については「性的虐待」ではなくて別の表現だったのでキンゼイ報告の実態はよくわかりません。
---Ktmchi 2011年10月21日 (金) 13:36 (UTC)

ISH(イッシュ)について[編集]

ISHについてネット上でどういう言われ方をしているのかを見てみましたが、きちんと取り上げているものは見られないようです。なのでWiki上に項目を新たに作成して、そちらに情報をまとめておくことにしました。それに合わせて、こちらの記述も修正します。元々何が書いてあったかは履歴をご覧ください。ISHについて知りたいという方は内的自己救済者をご覧ください。---Ktmchi 2011年10月2日 (日) 08:15 (UTC)

Inner Self Helper:内部の自己救済者(ISH:イッシュ)を言い出したのはご存じの通りアリソン博士(省略するのが慣例ですが、個人的に尊敬の念を込めて)です。アリソン博士は「シビル」(邦訳:『失われた私』)のウイルバーとほぼ同じ時期にDIDに取り組んでいた精神科医で、今日につながるDID治療の草分けと言ってもよい方です。クラフトやパトナムが出てきたのはその後、ハートはもっと後ですね。

最初に申し上げておきますが、私はこの方の態度にはとても感銘を受け、個人的には尊敬しています。アリソン博士の本を読んだ方のほとんどは同じ思いを抱くのではないかと思います。 ただし、その説(学説)についてはどちらかというと異端に近い受け取られ方をしていました。 その理由は、宗教的な、はっきり言うと心霊的(スピリチュアル)なニュアンスが感じとられることです。 神戸大の故・安(あん)先生は「少し」と表現なさいましたが、私は「かなり」だと思います。

理性的自己(エッセンス)とInner Self(内なる自己)[編集]

アリソン博士は人間の心を「感情的自己」と「理性的自己」に分けて考えます。 「感情的自己」はプラトンの「rational soul(理知的な魂)」、西洋の伝統的哲学で云えば「心」ですが、アリソン博士はこれを「Personality(人格)」とします。「理性的自己」は同様に「Rational Soul(理知的な魂)」「魂」に相当し、これに「Essence(エッセンス)」という言葉を当てはめます。

アリソン博士が三條典男先生に語ったところによると「理性的自己(エッセンス)」は、例えて言えば「スタートレック」の「ミスター・スポックのようなもの」だそうです。ミスター・スポックの定番のセリフは「ジム、私には、そういう人間の感情のようなものはありません」です。私は大昔に見た記憶があるのでなるほどと思いますが、若い人にはこの例えは判らないかもしれません。

幼少期に心の傷を受けた子供の心はその「感情的自己」と「理性的自己」が分かれてしまうとします。 「別人格」は「感情的自己」が分かれてしまったものであり、「理性的自己(エッセンス)」がInner Self Helper(ISH:イッシュ)になると彼は考えました。 「ISHは多重人格者だけでなく、誰にでも産まれたときから存在している。ただ多重人格者の場合はISHが別の人格であるかのように見えるだけである」と言います。そしてISHは神の代理人であり、精霊であるかもしれないと。ここがポイントです。 「Inner Self」という熟語はある種の人たちによく使われます。検索してみてください。「Finding Your Inner Self」とか、あるいは類似のニュアンスのサイトが沢山出てきます。中にはそれをドメイン名にしているサイトまで。「内的自己」と表すよりも「内なる自己」と訳した方が似つかわしい感じがします。

「悪霊の憑依」「エクソシズム」[編集]

一方で「感情的自己」から分れた「別人格」とは更に別に、「悪霊」「邪悪な霊」が「憑依」していることもあるとも言います。 これは元々その人ではないのだから「除霊・悪魔祓い(エクソシズム)」するしかないと。 ネット上でISHを語る人は沢山居ても、こちらについて触れている人はほとんどいないように思います。アリソンが多重人格障害とDIDを別物とみなしていることも。 しかしそれらは「想像人格(IIC:Internalized Imaginary Companions)」も含めて、全てISHの発想から生まれています。

そして彼は自分がやってきたことはシャーマニズムの治療儀式に近いと言います。 本人は民俗学者や人類学者の用語を用いて「シャーマニズムの治療儀式」と言いますが、現代風に言い直せばチャネリングとかヒーリングです。 その是非はともかく、少なくとも精神医学の範疇からはみ出しています。

アリソン博士は「だから何だというんだ。私は患者にとって良いと思われることなら何でもするぞ!」とおっしゃるでしょうし、そういわれたら私も「御意!」と平伏すでしょう。しかしISHについて述べるなら、それらアリソン博士の特異な治療論全体(内的自己救済者をご覧ください)の中で述べなければ述べたことにはなりません。

他の治療者、パトナム以降[編集]

次ぎに、他の治療者はこのISHをどう見ているかです。アリソン博士はウイルバーと並ぶ草分け的存在ですから、後に続く治療者達はみな先輩アリソン博士の論文を読んでおり、少なくとも初期にはそれなりの敬意を払っています。 しかし彼らのほとんどは救済者人格、保護者人格は認めても、ISHについては懐疑的です(内的自己救済者をご覧ください)。 パトナムはアリソン博士の心霊的な言辞についてはについては、「困難な患者を相手に奮闘しているときの治療者は奇跡的な介入をやってみたいと願うものであり、この願望がISHには全知性があるという気にさせてしまうと私は思う」と述べています。

ネット上のISHと交代人格の分類[編集]

私が「交代人格」の例として書いた「主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格」「この子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格」が、世間一般ではISHと見られているように思います。 はっきり言うと、救済者人格、保護者人格とゴッチャになってるような。

私の立場は「交代人格は<元々のわたし>の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様」「治療者はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがあるが、一般化はできない」というものです。以下はネット上のDID患者さんのコメントですが、私も全く同感です。

「 これらの言葉は多分 DID発覚の段階に『治療側』が発見した患者の例と
 その治療を円滑に進める為のものだったんじゃないかな…と思います。」

あくまでも患者(またはクライアント)と治療者の1対1の関係でマッピングを行うべきで、先入観で固定化された「鋳型」を前提とするべきではありません。 治療者が自身の治療方針に基づいて分類を行うことは勿論アリです。だからアリソン博士が患者の中にISHを見いだして、それを治療の中心に据えることには誰も文句は言えません。 分類とその定義は治療者の数だけあるでしょう。しかし治療者にとって自分の分類は常に過去形です。当てはまらないケースに直面すれば治療者は自分の分類を見直すでしょう。「鋳型」にはそのフィードバックがありません。

なお、交代人格の分類で現在ネット上に流布されているものはパトナムの『多重人格性障害―その診断と治療』(1989年)第5章2節「交代人格の類型」からのものだと思います。 しかし1997年の『解離―若年期における病理と治療』までの8年間の間にパトナムは大きく変わりました(注記73をご覧ください)。 そのパトナムの結論とでもいうべき1997年の本では「各種各様の類型化が提案されてきたけれども、体系的なデータは無いに等しい。多重人格のタイプには、例えば子ども様人格状態群、怒れる人格状態群、護衛者たち、迫害者たちが見つかっており、これだけでも将来の研究のやりがいが保証されたようなものである」と述べています。 私はこれを「これ以上細かい分類は治療者にも患者にも無意味」と理解しました。

---Ktmchi 2011年9月18日 (日) ・・・02:36 (UTC) 10月2日更新

再び「いじめ」について[編集]

アメリカの資料での「いじめ」について[編集]

YamamotoU2さんは 2011年7月8日発言で

>「いじめ」がDIDの原因だと考えている専門家は世界にどれだけいるのでしょうか。・・・「日本の場合は、(1)いじめ、〜(4)家族や周囲からの身体的虐待、性的虐待」「日本においては(1)(2)を要因とする症例も多い。」と記述されていますので、4月28日の版に戻さないならば、(1)の根拠を詳細に明示してください。・・・このままでは「いじめ」が原因であるという、世界から笑われそうな記述が残ってしまいます。

とおっしゃいましたのでその件について。

「いじめ」は確かに私が上げた北米のDID統計には表面上出てきません。 しかし「いじめ」の英語はBullyingであり、虐待の概念(Abuse またはMaltreatment)のなかに含まれています。なお、リンク先は英語版wikipediaです。 DID関連の英語の著書を探せばいくつもあるのでしょうが、直近のものをひとつだけ紹介します。 直近も直近、昨日と今日(10月8~9日)、東京でフランク・W・パトナムの講演会がありましたが、そのスライドのなかにもBullyingが出てきました。スライドのタイトルはCumulative Trauma Increases Risk for Psychotic Sympoms in Children 「累積したトラウマは子供の精神病様症状を増加させる」というもので、Accident(事故)/Bullying(いじめ)/Maltreatment(虐待)/Bullying and Maltreatment(いじめと虐待) の4つの棒グラフを示し、「いじめ」だけよりも、「虐待」だけよりも、その両方を受けた場合の方がリスクの割合はずっと多いというものです。グラフは今年のアメリカの学会誌に発表された論文からのようです。世界から笑われることはありません。

なお「虐待」と翻訳されているものの原語は「abuse」と「maltreatment」ですが、前者は厳密には「濫用」、後者は若干ニュアンスの異なる部分もあるそうです。パトナムは『解離』で後者を用ていますが、訳者の中井久夫はこれを「非道処遇」と訳し「不適切処遇」では弱いとしています。

---Ktmchi 2011年10月9日 (日) 16:31 (UTC)


コメントKtmchiさん、1ヵ月以上経ちましたが証明できませんでしたね。私とYamamotoU2さんが同一人物だと。別人ですから当たり前ですが。
さっさと出て行きなさい!いつまでこのページに居座るんですか?DID本人と会ったことも無いくせに偉そうに文章を書くのはやめなさい!
控訴審が始まったら「いじめが原因」を主張するのだから、やはり原告側代理ですね。相変わらず解離性障害と解離性同一性障害を混同して「いじめ」を語っているし、百科事典の役割すら理解していない。頭が●いとしかいいようがない。「Dissociative identity disorder」のArticleにもDiscussionにも「Bullying」「Maltreatment」という言葉は使われていません。DIDの原因が「いじめ」だと記述されていたら、世界から笑われるのは当然です。論文を書きたいなら学会で発表しなさい。(返答不要!)--Nonohana 2011年10月12日 (水) 01:22 (UTC)


【追記】 Nonohanaさんはひとつだけでは納得されないようなので、ほかのものもご紹介しましょう。

クラフトの四因子論というのは私も書いていたし、そうでなくともご存じだでしょうが、その第二因子「子供の自我の適応能力を外傷的に圧倒する生活史上の体験」があります。 その中身に「通常報告されるもの(虐待やいじめ)以外の、最初の分裂に関わる特定トリガー」という区分が出てきます。つまり「虐待やいじめ」は「通常報告されるもの」です。

ISHを言い出したアリソンは1980年の自著 『「私」が私でない人たち』の中でこう書いています。

「原因には似通ってパターンがあるということだ。〈児童虐待〉もそのひとつである。・・・精神的・心理的暴力(いじめ)も含まれる。・・・片方の親は〈良い親〉で、もう片方は〈悪い親〉と見られている。・・・〈良い親〉が、子どもを〈捨てる〉といったことも多い。実際には、親が死亡したり、軍務についたり、あるいはいたしかたない別離なのだが、子どもにはそれが理解できない。」

「精神的・心理的暴力(いじめ)」の部分は原著ではpsychological or mental harassmentです。 従ってあなたのいうことを鵜呑みにして「いじめ」を抹消したりすると、そちらの方が「世界から笑われる」ことになります。

国内でDIDの方のサイトを見てみると、その治療者として服部先生と町沢先生の名前が良く出てきますが、その服部先生は『多重人格者の真実』 (講談社 1998年)「いじめ」の事例を約10ページに渡って書いておられます。町沢先生の報告は「日本での報告」5件のひとつにあげておきましたからご覧になっていると思いますが、これは『告白 多重人格―わかって下さい』(2003年 pp.24-30)から採ったものです。この本は絶版のようですが、ほとんど同じ内容を書いた前年の論文をネット上で参照することが出来ます。 立教大学コミュニティ福祉学部紀要第4号(2002年)に載った「解離性同一性障害(多重人格)の原因と治療について」です。 その63ページに

「アメリカの国立精神保健研究所の児童期心的外傷の回顧的報告の表をみると、アメリカにはいじめから生じたという報告はない。(Putnam, 1989...論文の誤植で末尾の参考文献にはちゃんと1986年とある)しかし筆者のデータでは12人もみられ、多重人格の外傷体験の26.1%と極めて高い率であることが特徴である」

と書いておられますが、国立精神保健研究所(NIMH)のパトナム調査ではいじめは虐待の中に含まれているだけです。 1986年のNIMHのパトナム調査が国内の文献で引用される場合、結構ネグっている部分がありますが、発表されたグラフには育児放棄約60%、その他の虐待40%弱、過度の貧困20%弱、トラウマなし約3%などがあります(約60%とか40%弱などと数字をはっきりできないのは本文に数字がないからです)。

DIDとなる原因について触れている症例や論文はそれなりに読んでいるつもりですが、「いじめはDIDの原因にならない」などという意見は見たことがありません。あなただけです。ここはwikipediaですから「俺がそう思うんだからそうなのだ」では話になりません。明示できる資料に基づいて論じてください。

というか、そもそもなんであなたがそんなに「いじめ」という言葉に固執されるのかがとても不思議です。どうしてなんですか?

---Ktmchi 2011年10月14日 (金) 14:48 (UTC)


コメント 相変わらずの勝手な解釈と切り貼りに呆れますね。私は勝手に「俺」にされてしまいましたしね。
「あなたが」書いた文章は「日本の場合は、(1)いじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などのネグレクト、(4)家族や周囲からの身体的虐待、性的虐待、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる。」です。日本語では(2)〜(5)は(1)に含まれません。親による情緒的な虐待は誰がどう読んでも(2)です。「周囲」ということは、学校での「身体的」な暴力は(1)ではなく(4)にあたるのですよね。
YamamotoU2さんは、『そもそも「いじめ」の定義はどういった内容でしょうか。〜曖昧な「いじめ」という概念で説明を行うこと自体ウィキペディアには相応しくないと考えます。』と質問しているのに、あなたは『「いじめ」については「学校や兄弟間のいじめなど」とカッコ書きがあります。』と引用したのですよ。しかも定義は述べていません。
さらには、『学校側は「いじめそのもの否認し、また、いじめがあっても自殺との因果関係がないと争って」いるそうですね。「学園は即日控訴」とか。 ここで「いじめ」はDIDの原因となりうると述べることは判決には全く影響しません。症例も沢山あり既に常識だからです。』と書いています。つまり、「学校のいじめがDIDの『原因』であることは常識だ」と「あなたが」主張しています。日本でも世界でも学会で発表したらいかがですか?私はそんな説にお目にかかったことはありませんし、あなたは文献で証明していません。
自分の主張を通すために、今頃になって何から何まで都合良く日本語の「いじめ」に含めても通用しません。自分の文章に責任を持ちなさい!
服部氏の「多重人格者の真実」には、学校でいじめられたことについて6行書かれているだけです。それも、原因として書かれている訳ではない。そういう状況があったというだけです。その後の文章は親による情緒的な虐待が中心です。しかも、服部氏が叔父による性的虐待を幼少期に受けていた可能性を指摘したら、母親が「そんな昔のことを掘り返して何になるの。人間はもっと前向きに生きるべきだ」と論点をすり替えています。親による情緒的な虐待が環境因子であり、叔父による性的虐待が主因の可能性は高いが、証拠を得ていないと説明しているのではありませんか。解離性障害や性暴力に対する知見のある者なら、この文章を読んで幼児期の性的虐待と高校時代の再被害を推測するのが普通です。
私が「いじめ」に固執しているのですか?誰がどう読んでも、あなたが「いじめ」という曖昧な言葉に執拗にこだわっているとしか見えないでしょうね。あなたには理由があるからね。「いじめ」があったのに学園側が認めないと憤っている「いじめ」裁判のためにウィキペディアを利用しようという理由が。
自分の主張を都合良く変えられたのでは、議論は成立しません。日本語をきちんと使いこなせないなら公の場に投稿するのはやめてください。いずれも既に指摘されていることです。マ●ターベーションは自宅でやりなさい。公衆の場でやられたら不快極まりない!--Nonohana 2011年10月15日 (土) 08:58 (UTC)


コメント先に進むまえに小分けに確認をしておきたいと思います。

海外のDIDの文献にも「いじめ」あるいはそう訳せる表現が複数に見られるということはよろしいですね。 つまりDIDについて記述している文章に「いじめ」が出てきたからといって、それだけで「世界から笑われる」ということはないということです。

Nonohanaさんは「それだけでじゃない」とおっしゃるかもしれませんが、それはまた次ぎの議論で。 ---Ktmchi 2011年10月16日 (日) 12:54 (UTC)

『多重人格者の真実』での「いじめ」記述について[編集]

次ぎは服部先生の『多重人格者の真実』についてですが。 Nonohana さんにおたずねします。
「学校でいじめられたことについて6行書かれているだけ」ですか? それは「いじめ」という言葉が出てくる2箇所目と3箇所目を含むp.122 の冒頭6行のことですか?
p.122の「幼稚園でいじめられて」を除くと全部で7箇所あるはずですが。Nonohanaさんのお持ちの本には無いのでしょうか。

1箇所目:

「Cさんの児童虐待は家庭内のいじめと学校のいじめが複雑に絡み合っていた。Cさんはそのいじめの犠牲者である。」p.121

4箇所目:

「・・・Cさんが話しかけても返事をぜず、存在しないかのように扱った。母親の無言の拒絶は子どもには耐え難い苦痛を与えた。母親はこうした「家庭内いじめ」を徹底して実行した。」p.123

5箇所目:

「家庭内いじめは姉の身体的虐待も含まれていた。姉は二面性があり・・・家庭内では暴力的になる。カッとなりやすい姉は、妹であるCさんをサディスティックに痛めつけた。髪の毛をわしづかみにして、家の中を引きずりまわし、殴ったり、胸や腹を蹴った。」p.124

6箇所目:

「Cさんは極度に人に気をつかい、相手の機嫌をそこねないように人の顔色を読むが、その態度は「家庭内いじめ」により形成された。」p.125

7箇所目:

「Cさんは虐待を覚えていない場合が多い。中学三年のとき、自分が小学校のときに書いたらしいノートを見つけて、愕然とした。そこには自分が級友たちにどんないじめを受けたかが細かく記録されていたからである。」p.131

私の持っている本は初版本で1998年4月15日発行す。この本の改訂版が出たとは聞いていないのですが。Nonohanaさんのお持ちの本の版数・発行年月日と、その本に上記の記述があるかどうか教えてください。

---Ktmchi 2011年10月17日 (月) 15:22 (UTC)


コメント あなたは「10年以上前の本をチラ見した人とか」「しかし両方とも既に13年も前の本です」と否定したんですよ。なぜ、13年以上も前の古い情報を根拠にするのですか。相変わらずの矛盾だらけに呆れます。あなたとは「議論は成立しません」と書きましたが、日本語が読めないのですか。このページやノートの異常な履歴が証明しています。
「あなたが」書いた文章は「日本の場合は、(1)いじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などのネグレクト、(4)家族や周囲からの身体的虐待、性的虐待、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる。」です。日本語では(2)〜(5)は(1)に含まれません。親による情緒的な虐待は誰がどう読んでも(2)です。「周囲」ということは、学校での「身体的」な暴力は(1)ではなく(4)にあたるのですよね。
YamamotoU2さんは、『そもそも「いじめ」の定義はどういった内容でしょうか。〜曖昧な「いじめ」という概念で説明を行うこと自体ウィキペディアには相応しくないと考えます。』と質問しているのに、あなたは『「いじめ」については「学校や兄弟間のいじめなど」とカッコ書きがあります。』と引用したのですよ。しかも定義は述べていません。
さらには、『学校側は「いじめそのもの否認し、また、いじめがあっても自殺との因果関係がないと争って」いるそうですね。「学園は即日控訴」とか。 ここで「いじめ」はDIDの原因となりうると述べることは判決には全く影響しません。症例も沢山あり既に常識だからです。』と書いています。つまり、「学校のいじめがDIDの『原因』であることは常識だ」と「あなたが」主張しています。日本でも世界でも学会で発表したらいかがですか?私はそんな説にお目にかかったことはありませんし、あなたは文献で証明していません。
自分の主張を通すために、今頃になって何から何まで都合良く日本語の「いじめ」に含めても通用しません。自分の文章に責任を持ちなさい!
服部氏の「多重人格者の真実」には、学校でいじめられたことについて6行書かれているだけです。それも、原因として書かれている訳ではない。そういう状況があったというだけです。その後の文章は親による情緒的な虐待が中心です。しかも、服部氏が叔父による性的虐待を幼少期に受けていた可能性を指摘したら、母親が「そんな昔のことを掘り返して何になるの。人間はもっと前向きに生きるべきだ」と論点をすり替えています。親による情緒的な虐待が環境因子であり、叔父による性的虐待が主因の可能性は高いが、証拠を得ていないと説明しているのではありませんか。解離性障害や性暴力に対する知見のある者なら、この文章を読んで幼児期の性的虐待と高校時代の再被害を推測するのが普通です。
私が「いじめ」に固執しているのですか?誰がどう読んでも、あなたが「いじめ」という曖昧な言葉に執拗にこだわっているとしか見えないでしょうね。あなたには理由があるからね。「いじめ」があったのに学園側が認めないと憤っている「いじめ」裁判のためにウィキペディアを利用しようという理由が。
自分の主張を都合良く変えられたのでは、議論は成立しません。日本語をきちんと使いこなせないなら公の場に投稿するのはやめてください。いずれも既に指摘されていることです。マ●ターベーションは自宅でやりなさい。公衆の場でやられたら不快極まりない!--Nonohana 2011年10月23日 (日) 11:53 (UTC)


コメントまずはNonohanaさんの方から。
最初の段落の後は前回と同じ文章に見えますが。
服部先生の『多重人格者の真実』の「学校でのいじめ、家庭内でのいじめ」という章には、Nonohanaさんおっしゃる6行以外にも5箇所に渡って「いじめ」という言葉が書かれているということはそれで良いですね?
ひとつひとつ確認をしていきますが、DIDを説明する治療者の本や論文に「いじめ」という言葉は、かならずではなくとも、わりと普通に出てくるというのが今回の確認です。
次ぎに「親による情緒的な虐待が環境因子であり、叔父による性的虐待が主因の可能性は高い」とのことですが、あくまで「性的虐待が主因」とおっしゃりたいのでしょうか。私もあくまでこの本を読んだ範囲での一般的感想ですが、あった可能性は高いように思いますが、しかし服部先生は「性的虐待が主因」とは何処にも書いておられないと思います。如何でしょうか。
後でコメントされたYamamotoU2さんはお気づきになっているようですが、服部先生は次ぎの章のp.135 で「情緒的虐待から多重人格になったのはCさんである」と書かれています。
p.196 では「感情表現を極端に否定されると解離が発生すするのは、Cさんのケースから始めて学んだ」とも書かれています。
この本は1998年4月発行で、その当時知られていた海外の統計(p.191)には「情緒的虐待」という言葉がありません。しかし最近の日本の症例には沢山出てきます。最近の本もお読み下さいと書いたのはそういうことからです。
他の点については順番に話題にしていきたいと思います。
---Ktmchi 2011年10月24日 (月) 14:52 (UTC)


コメントKtmchiさん、服部氏の「多重人格者の真実」で紹介されているCさんの事例は典型的ですね。
母親の情緒的な虐待は、娘が小学生になった段階で突然始まるわけではないでしょう。この世に生を受けた瞬間から、適切なコミュニケーションを得られずに乳児期〜幼児期〜小児期と成長しているはずです。本来ならば乳児であってもお互いの感情をやり取りし、母親を最初として信頼関係を獲得し、他者とのコミュニケーションを成立させていくのですが。
不適切なコミュニケーションが繰り返された乳児は、自分の感情を受け入れてもらえなかった結果として幼児期には自分の意志を表そうとはしなくなります。自分の中に本当の気持ちを伝えられる友達をつくり、心理的に抑圧されると逃避するようになります。これが解離の始まりです。そこに自分の尊厳を大きく損なう決定的な出来事が繰り返されて、解離することが常態化し、昇華できなかった感情が人格化します。その出来事に対する哀しみは希死念虜になり、怒りは暴力になり、自分を守ろうとして相手を操作する対人関係を身に付けるのです。
Cさんは母親の情緒的な虐待によって解離傾向にあり、幼少期に受けた叔父の性的虐待によって解離が定着して人格化したのでしょう。元々適切なコミュニケーションを学べなかった上に、言動に一貫性がなければ学校などの集団生活では摩擦が生じます。主人格は他の人格の活動を知らないのだから、虚言癖のある子にされてしまうでしょう。本人は一切嘘をついているつもりはないのに、実質的な嘘つきになるのだから周囲から苛められるのは必然です。
現在の主人格が知らない文章が残されていたことは、小学生ですでに別の人格が学校でのいじめを引き受けていたことを証明しています。姉が妹に暴力を振るっていたのは、姉も叔父から性的虐待を受けていた可能性を示しています。けれども、証拠がないから叔父の性的虐待が主な原因だと確定できません。
あなたが掲げている適切な「文献」を参考にすれば、以上の解釈になるはずです。この程度の仕組みを理解していない精神科医が日本には大勢いるから、解離を抑えようとして患者が薬漬けにされたり、発症と発覚の違いを理解できなくて勝手な原因を診断したりします。本当の原因を究明して各人格の感情を癒すことが必要なのに、歪んだ認識を前提としたのでは効果的な治療はできません。
私は最初に「いじめの定義」を確認しました。世界の専門家が疾患を説明するために「いじめ」などという曖昧な言葉を使わないのは当然ですから。あなたがいじめを定義しなかったのは、あるいは今も定義しようとしないのは「いじめ」を都合良く解釈したいからですね。これまでの文章を参照すれば一目瞭然です。あなたの現在の見解では、親の情緒的な虐待を「いじめ」に替えたんでしょう?兄が妹を強姦しても「いじめ」で、姉が妹に暴力を振るって怪我をさせても「いじめ」なんでしょう?。叔父が姪の性器をいじくり回したり、自分の性器を姪の口に突っ込んだりしても「いたずら」なんでしょう?
けれども、あなたは「学校のいじめが解離性同一性障害の『原因』」だと主張しているのですから、「いじめ」という言葉がどこどこに書かれているといくら引用したところで、あなたの主張を証明することにはなりません。すでに、あなたはDID当事者とは会ったこともない人物で、いじめ裁判に利用するという意図に基づいて、ウィキペディアの「解離性同一性障害」のページを一方的に「全面」書き換えしたことが判明しています。あなたがこのページに関わる資格がないことは十分すぎるほど証明されましたので、あなたが書き換えても私は元に戻します。北道倶楽部の岩田さんが書いているのかどうかも怪しいですがね。
相手をする価値もない文章にコメントするのは苦痛ですが、社会の多くの方々に間違った認識を与えないために記述しました。--YamamotoU2 2011年10月23日 (日) 22:39 (UTC)
コメントYamamotoU2さんへのお答えは長くなりそうですので、今回は服部先生の『多重人格者の真実』についての事実確認だけにします。
>「母親の情緒的な虐待は、娘が小学生になった段階で突然始まるわけではないでしょう。この世に生を受けた瞬間から、適切なコミュニケーションを得られずに・・・・心理的に抑圧されると逃避するようになります。これが解離の始まりです。」
この部分はおっしゃる通りです。次の段落「解離することが常態化し、昇華できなかった感情が人格化」もそうだと思います。
しかし次の「叔父の性的虐待によって解離が定着して人格化」云々は飛躍しすぎです。服部先生は何処にもそんなことを書いてはいません。YamamotoU2さんへのコメントにも書きましたが、服部先生はp.135 で「情緒的虐待から多重人格になったのはCさんである」と書かれています。
>「現在の主人格が知らない文章が残されていたことは、小学生ですでに別の人格が学校でのいじめを引き受けていたことを証明しています。」
そんなことで推測しなくともp.124には「母親の情緒的虐待のために、Cさんは四歳のときに最初の交代人格をつくりだした。前章で紹介したこども人格えりである」と書かれています。これは「叔父」による性的虐待があったのではと服部先生が考えている「小学校一年の夏休み」p.202 よりも2~3年前となります。
>「姉が妹に暴力を振るっていたのは、姉も叔父から性的虐待を受けていた可能性を示しています。」
飛躍しすぎです。YamamotoU2さんはどうしても「性的虐待」を持ち出したいように感じてしまいます。そういうことは服部先生は臭わせることすらしていません。「証拠がないから叔父の性的虐待が主な原因だと確定でき」ないというのはCさんについては似たようなことを書かれていますが、その姉についてはそういうことは全く書かれていないと思いますが如何でしょうか。Cさんについても服部先生が書かれているのは「性的虐待が主な原因」かどうかではなく「性的虐待」があったのかどうかです。「主な原因」という部分はYamamotoU2さんの創作です。
創作の一方で、全く無視されている点がありますね。「母親の多重人格である可能性」pp.128-131 という部分です。そうであればまさにYamamotoU2さんのおっしゃった「この世に生を受けた瞬間から、適切なコミュニケーションを得られずに乳児期〜幼児期〜小児期と成長」はドンピシャです。Cさんの姉が「反社会的人格障害の診断基準をほとんど満たす特徴」(p.125) をもっているということにも付合します。
更にCさんに性的虐待を行ったかもしれない叔父が、母方の叔父(p.202) だということです。すると母や叔父も加害者でありながら実は被害者であったかもしれないということになります。Cさんの事例は加害者がDIDであったかもしれないという事例ですが、親が自分は子供を虐待しているかもしれないと心配している患者(pp.185-187、およびp.236 )もいます。服部先生は医者ではないので患者というのはおかしい気もしますが。
このCさんの事例は「DIDは遺伝はしないが伝染はする」という顕著な例です。もっとも「DIDがDIDを」でなくとも良いのですが。「虐待が虐待を」の文献なら掃いて捨てるほどあるでしょう。ただし、「DIDの親はDIDである」ということは全くありません。
服部先生はp.146 で「経験によると、治療でもっとも犯しやすい過ちは・・・自分自身の目標、テーマを一途に追求することだ」。とおっしゃっています。これは除反応や統合に関する文脈もありますが、同時に「傾聴」に徹し、決めつけをすべきではないということでもあります。「いじめ」にはまったく触れませんでしたが、それはまたあとで。
---Ktmchi 2011年10月25日 (火) 15:23 (UTC)


コメント誰が服部氏が医師でCさんが患者だと書いたのでしょう?勝手な解釈はいい加減にやめてください。文章を読まずに単語だけ読んでる者がこの場に記述するなと言っているのが分からないのですか。私は「解離性同一性障害」について記述しているのであり、服部氏の出版物について解説している訳ではありません。次から次へと細かい階層に入って意味不明な難癖を付けるあなたはア○ペだね。中央大の教授みたいにはなりたくないので、これ以上あなたと関わる気はない!--YamamotoU2 2011年10月27日 (木) 02:08 (UTC)
コメント
>誰が服部氏が医師でCさんが患者だと書いたのでしょう?
「患者」と書いたのは服部先生です。私もそのまま踏襲して「患者」と書きましたが。ページ数を出しておきましたがお読みにならなかったのでしょうか。
p.187の最後の2行に「患者3名が親の記憶喪失と人格変化の両方を報告したことである。これは多重人格の症状である」と書かれています。まあ一般書ですからその方が読者には解りやすいかもしれませんが。
「服部先生が医師」とは服部先生ご自身も、私も、YamamotoU2さんも、誰も言ってはいません。
---Ktmchi 2011年10月27日 (木) 12:25 (UTC)

コメント

もっと問題は沢山残っているのですが、YamamotoU2さんが一番こだわっておられる「いじめ」の定義について前倒しします。 YamamotoU2さんが10月23日 (日) 22:39 の発言でおっしゃった通り、私は「いじめ」の定義をしません。ここはウィキペディアですから私が定義したら「独自見解である!」と怒られます。書くとしたら「○○ではこう定義している」「一般にはこうである」ということになります。しかしウィキペディアには既に「いじめ」の項目があるのですから必要があればそちらを更新します。ざっと読んだ範囲では更新の必要は感じませんが。
で、YamamotoU2さんが書かれた以下の部分は服部先生のものですね。

>親の情緒的な虐待を「いじめ」に替えたんでしょう?・・・姉が妹に暴力を振るって怪我をさせても「いじめ」なんでしょう?

実は私も服部先生が同じことを、「いじめ」とも、「身体的虐待」とも「情緒的虐待」とも書かれているので、いったいどういう分類なんだろうと考えました。どうも大人が子供に対して行う「身体的虐待」「性的虐待」が「本来の虐待」で、同世代が行うものは「いじめ」、そして「情緒的虐待」は大人が行っても、同世代(子供同士)が行っても「いじめ」、というような感覚で服部先生は使われているように思います。

DID等で言われる「虐待」は英語の主に「Abuse」の訳語ですから、姉妹では本来のAbuseではないし・・・、というのは解る気がします。段々意味が拡大されていって、「情緒的虐待」も「ネグレクト」含まれるようになったけど、母親の「情緒的虐待」は「いじめ」という言葉を使った方がしっくりくるということでしょうか。「いじめ」の定義は人によって、法律・条例によって、時代によって変化します。

「定義」「定義」とおっしゃいますが、例えばYamamotoU2さんは「性的虐待」の定義を明示できますか? あなたの考えではなくて、トラウマとか、Abuse(虐待)とか、DIDの世界での定義です。私の2011年5月10日 (火)の最初の版ではこう書いていました。

>多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー(Schreiber,F.R.)が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『シビル』である。性的虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書で(あ)り、16もの人格が認められた。

もちろん『シビル』の邦訳本『失われた私』は読んでいましたが、あれの何処が性的虐待なんだろうと思っていました。でもまあ歴史的評価を優先してそう書いたんですが、そのあとウィルバーが何をもって性的虐待と言ったかを他の文献で見つけて、「そりゃねぇだろう!」と「児童虐待」に書き換えました。

---Ktmchi 2011年10月27日 (木) 15:06 (UTC)

コメント

2011年10月25日 (火) 15:23 (UTC)の私のコメントで、

> このCさんの事例は「DIDは遺伝はしないが伝染はする」という顕著な例です。・・・「虐待が虐待を」の文献なら掃いて捨てるほどあるでしょう。ただし、「DIDの親はDIDである」ということは全くありません。

と書き、2011年10月27日 (木) 12:25 (UTC)のコメントで、服部先生の『多重人格者の真実』p.187の最後の2行に「患者3名が親の記憶喪失と人格変化の両方を報告したことである。これは多重人格の症状である」とあることを紹介しましたが、これについて補足します。

服部先生がこの本ので紹介した8名の内3名の親がDIDと疑われるというのは標本数の少なさから一般化は出来ません。はっきり言えば「たまたま」です。パトナムの1986年の統計報告では母親・父親ともにDIDは1%づつで、合わせても2%です。その1986年統計で多いのは父親のアルコール依存症21%と母親の精神分裂病10%です。もっとも当時精神分裂病と言われたものが、現在の統合失調症と完全に重なるかどうかは微妙なところです。おそらくその中にはDIDも含まれているとは思いますが、DIDが全員精神分裂病と誤診されたとしても、それは精神分裂病の中ではごく一部になります。 母親が精神分裂病(統合失調症)のケースでもっとも有名なのは『シビル』(邦題『失われた私』 本名は Shirley Arbell Mason )です。

逆にDID治療の結果、それが治まって、無事に子供も生まれてすくすくと、というケースは沢山あります。 「催眠療法などの技量を持たない日本の精神科医」(Wikipedia:査読依頼-YamamotoU2さんの2011年7月8日発言)とか「この程度の仕組みを理解していない精神科医が日本には大勢いるから」(YamamotoU2さん 2011年10月23日 (日) 22:39 ) というような決めつけはDIDの方を治療から遠ざける結果にもなりかねません。

NonohanaさんもYamamotoU2さんも、どうしても「性的虐待」に結びつけたがるように思えてしまいますが、様々な集計報告・統計報告にあるように、そうであることもそうではないこともあります。 Nonohanaさんのご発言ですが「DID本人と会ったことも無いくせに」とは、ご自分は「DID本人と会ったことがある」ということでしょうか。 治療者とも思えませんので、身近にDIDの方がおられるということでしょうか。

岡野憲一郎先生監修の『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(2009年)の p.67 には、周囲の者がやってはいけないこととして、3つあげています。

  • 症状の背景になんらかの虐待があると決めつける
  • 本やインターネットの中途半端な情報を信じ、見よう見まねで「治療」を試みる
  • 興味本位であれこれと問いかけ、別人格を呼びだそうとする。

また、柴山雅俊先生は、『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (2007年)p.195 において、

  • 「周囲の人たちが陥りやすいあやまちのひとつは、出版されている多重人格の書物をたくさん読み、患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入していること」

を指摘されています。この2冊は是非ともお読みになることをお薦めします。この2冊は没入に気をつけて書かれていますので。

最後に、YamamotoU2さんの発言の最後の「あなたはア○ペだね」とはアスペルガー障害のことですか? 障害に関する議論の中で他の者を中傷するのに関連する障害名を使うとはびっくりしました。

---Ktmchi 2011年11月5日 (土) 04:48 (UTC)

再度の全面リライトについて[編集]

2011年5月に一度目の「全面リライト」を行いましたが、今回はその再提出です。前回の版については、Wikipedia:査読依頼/解離性同一性障害 20110510において、2011年7月15日 にYamamotoU2さんが旧版への差し戻しを宣言し、唯一の第三者意見として2011年7月17日にTrcaさんが「4月28日の版に戻すのは反対」との意見表明をされたにもかかわらず、2011年7月31日に全面リライト前の4月28日版に戻されました。以降数ヶ月に渡り議論を重ねてきましたが、やっと収束しましたので、再度全面リライトを行います。ただし、差し戻し前の版ではなく、大幅な書き直しを行っています。

前回全面リライトを行った第一の理由は「解離性同一性障害が登場する作品」の項目です。 前回も書きましたが、「ノート」2009年6月25日の高槻美紗緒さんのご意見は、私もその通りだと思います。 「ノート」を見るとこの項目の削除が議論され、合意に至って一旦は削除されたようですが、いつのまにか復活しています。 単純に削除したのではまた同じことの繰り返しになるでしょうから、全体を書き直して、精神科医らが認めている作品だけを「理解を助ける作品」としてあげ、「ゲームやマンガにも〈多重人格〉が登場するがそれは実際のDIDとは全くの別物である」としました。どう別物なのかは本文を読んでいただければお判りになると思います。

もうひとつ。「解離性同一性障害の患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に児童虐待を受けている」というような決めつけはすべきではないというのが、現在の治療者のコンセンサスだと思います。岡野憲一郎先生も、周囲の者がやってはいけないこととして「症状の背景になんらかの虐待があると決めつける」をあげています。あのジュディス・ハーマンですら1980年代~1990年代前半について「トラウマの記憶を浮上させさえすれば病気が治るかのごとく、児童期虐待の可能性を積極的に追い求めすぎるきらいのある臨床家も出てきたように思われる。近親姦の問題はあまりにも強烈な感情を引き起こすため、臨床家といえども共感的で受容的な好奇心という専門家としての基本姿勢から、どちらかの方向へ逸脱してしまうのかもしれない」と書いています。

章の構成は前回とは大幅に変え、本論(概要,1,2,3)、各論(1,2)、付論(1,2)としました。特にDIDの身近におられる方などがDIDを理解するためには、本論の4つの章を読んでいただければ十分かと思います。全体では長文ですが、ここまでなら1/3以下の長さです。かつ、そこまででも完結するように書いたつもりです。各論以降は必要に応じて、必要な部分だけご覧になるのでも良いと思います。付論まで含めた本文は全体の2/3以下で、あとは「参考文献」「注記」「出典」等です。細かい情報は極力「注記」に追い出しています。

付論(1,2)はかなりマニアックな話題です。前回はさらりと済ませていたのですが、今回の議論で、世の中には1980年代の北米統計に絶対的な信頼を寄せ、それに比べて日本の精神科医らは・・・というような感覚をお持ちの方がいるように感じましたので、北米統計の時代背景を前回よりもきちんとまとめたつもりです。ただしそういう感覚をお持ちでないなら無視して頂いてかまいません。

付論まで含めた本文は全体の2/3以下で、あとは「参考文献」「注記」「出典」等です。細かい情報は極力「注記」に追い出しています。最大限の情報をという場合には「注記」も含めてご覧ください。

---Ktmchi 2011年11月14日 (月) 13:40 (UTC)


2011年11月15日差し戻しの理由[編集]

前回の差し戻しから根本的に文章は直されていません。 議論すら成立しないのですから、議論は終息しようがありません。 DIDだと最初から判明する当事者は、ほとんどいないでしょう。様々な状況や症状を何年もかけて確認して、初めてDIDを考察するのが論理的な手順です。 従って、最初から幼児期の虐待を決めつけること自体が不可能です。誰も誘導していない虐待の記憶が浮上してくるのが、解離性障害です。 相変わらず自分の主張に都合が良い部分だけ抽出しているのですから呆れます。 何ひとつ経験がなく、文字を読んだだけで理解している気になっている者には、到底理解できないでしょうが。 しかも、「学校のいじめがDIDの『原因』であることは常識だ」などという個人的な感情だけで、全面書き換えを行なっているのですから認めようがありません。 --YamamotoU2 2011年11月14日 (月) 23:04 (UTC)

コメントYamamotoU2さんの 2011年10月23日 (日) 22:39 (UTC)発言に対する、私の 2011年10月25日 (火) 15:23 (UTC)の指摘については言及がありませんが、お認めになったと理解してよろしいんですね。これは服部先生が『多重人格者の真実』でお書きになったことの事実確認だけで、ページ数も示していますので、他の方も本さえ持っていれば、あるいは図書館ででも簡単に確認出来ることですが。---Ktmchi 2011年11月16日 (水) 11:28 (UTC)

保護依頼終了[編集]

2011年11月15日 (火) 07:45‎にYamamotoU2さんが2011年11月8日 (火) 23:30時点の版に戻されましたが、同日 19:22‎に私ktmchiが2011年11月14日 (月) 23:13‎の版に戻し「保護依頼」を行いました。その後、2011年11月18日 (金) 00:23 (UTC)にウィキペディアの管理者cproさんから「YamamotoU2さんは多重アカウントの不正利用を理由にブロックされました。・・・ひとまず編集強行の心配はなくなったものとして依頼を閉じます」と「保護依頼終了」が出されました。よって「保護依頼」タグを外します。

なお、Nonohanaさんが 2011年10月15日 (土) 08:58 (UTC)であげた私の旧版の記述、

>日本の場合は、(1)いじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などのネグレクト、(4)家族や周囲からの身体的虐待、性的虐待、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる。

という部分の出典は『こころのりんしょう a・la・carte(特集)解離性障害』Vol.28 No.2 p.215 Q&A集Q5 「解離性障害はどのような原因で起こると考えられていますか?」 です。YamamotoU2さんも、Nonohanaさんも(多重アカウントらしいのですが)出典を確認されなかったようです。そこにはこう書かれています。

>解離を生じる具体的なストレス要因としては以下の事柄があげられます。(1)いじめ(学校や兄弟間のいじめなど)、(2)人間関係のストレス(両親が精神的に子供を支配している場合など)、(3)虐待(家族や周囲からの虐待。性的・身体的虐待に限らず、徹底した無視、育児放棄などの行為もトラウマ体験になります)、(4)事件・事故(殺傷事件や交通事故などを間近に見体験したショックから発症することもあります)。

この号の編集は岡野憲一郎先生、柴山雅俊先生、奥田ちえ先生のお三方で、このQ5のページを書かれたのは野呂浩史先生です。

Nonohanaさんは続けてこう書かれました。

>親による情緒的な虐待は誰がどう読んでも(2)です。「周囲」ということは、学校での「身体的」な暴力は(1)ではなく(4)にあたるのですよね。

(2)は岡野先生の「関係性のストレス」のことを指しているので、情緒的虐待を含む「対人関係の外傷 (interpersonal trauma) 」とは別の概念です。これは岡野先生の『解離性障害』(2007) p.133 で明記されています。

YamamotoU2さん+Nonohanaさんは「ブロック」によりコメント出来ないようですから、こちらも意見は差し控えて事実関係の提示のみに止めます。ただ、一言だけ付け加えるなら、ここでの私のテーマは「いじめ」ではなくて、「ストレス」と「レジリエンス(回復モデル)」です。 「解離」に限った話ではありませんが。

---Ktmchi 2011年11月18日 (金) 17:15 (UTC)

「解離の資質」について[編集]

Izayohiさんは2011年12月3日 (土) 01:42に「解離性同一性障害」の「解離の資質」を「解離の性格傾向」に変更されましたが、意図をお聞かせください。 「資質」は辞書的には「生まれつきの性質や才能。資性。天性」ですので、この方が適切だと思うのですが。 ”クラフト (Kluft,R.) の四因子論は「性格傾向」と「要因」・・・”では意味が通じないと思います。「解離の資質」はクラフトの四因子論の第一因子を指しており、その中身を代表するものは「催眠感受性」です。またクラフトより後の最近の研究では「レジリエンス・解離しない能力」で触れた「コルチゾールに始まり、セロトニンを含む11の生理学的ファクター」も含まれ、かつ遺伝的な脳の一部分の大きさまで含みます。それらは「内的素質」「脆弱性因子」と言われることはありますが、「性格」とは違うと思うのですが如何でしょうか。---Ktmchi 2011年12月6日 (火) 10:55 (UTC)

資質についてですがググればおわかりのとおり(参照"資質")遺伝的意味をもつ場合と後天的能力等を含む外来語の翻訳語として使用されている場合がかなり多い(この言葉はもともと科学用語ではなさそうなのでそういう状況になっているようです。くわしくは私が近日作成予定の同項を御覧ください。)のでふさわしくないと考えたからです。ちなみに催眠感受性の英語版en:Hypnotic susceptibilityには遺伝的な記述は現在ないようにみえること(英語は不得手なもので)、英語版en:Fantasy prone personality中では空想傾向はTrait であるとされ、それはTrait theoryで説明されています。この理論の記事の日本語版は現在ありませんが、日本では「特性論」「特性理論」と訳され、該当のTraitは「特性」と訳されている(参照Trait theory 理論)こと申し添えます。また Phenotypic trait (遺伝的形質)のTraitの訳語は形質であり日本の家畜の論文等では「資質」と「形質」は区別されて記述されるのが普通のようです(参照遺伝 形質 "資質")。もちろん遺伝的な原因が解明されているなら「遺伝的形質」のほうが学問用語でふさわしいので、遺伝要因を追記して修正されるのであればそれに同意いたします。--Izayohi 2011年12月7日 (水) 20:20 (UTC)


「性格傾向」についての言及がありませんでしたが、解離性障害で「性格傾向」という用語が使われたことがあるのでしょうか。解離性障害の専門書を数冊調べてみましたが、索引に「性格・・・」というものはひとつも見つかりませんでしたが。もしあるのであれば、その書名とページ数を教えてください。内容を確認します。
次ぎに、人格が交代すれば「性格」まで変わってしまう解離性同一性障害で「性格傾向」とはいったい何を指しているんでしょうか。
以上お答え下さい。

  • 「資質」の妥当性については引き続き議論を進めていくつもりですが、章の名称が「性格傾向」では中身とあまりにも乖離しますので、一端「内的素質」に変更致します。この用語は亡くなられた安克昌先生が1997年に『精神科治療学』第12巻 9号で発表した論文「解離性同一性障害の成因」において、クラフトの4因子論を紹介したときにもちいた用語です。安先生は日本におけるこの障害への取り組みで、草分けともいえる方で、クラフトの4因子論のきちんとした紹介も、おそらくこの論文が最初だと思いますので、その意味では「由緒正しい」用語です。ただし私は「資質」と言った方がタイトルとして簡潔で解りやすいと思いますが。

---Ktmchi 2011年12月9日 (金) 17:03 (UTC)

申し訳ありません。性格傾向については私の間違いなので修正していただいて結構です。資質についてはここ数日のうちに「資質」記事をアップしますので、それをご覧になってくださいまし。--Izayohi 2011年12月9日 (金) 18:20 (UTC)
上記で修正の意味は「内的素質」へ変更という意味だったのですが説明がたりなかったようですね。どうしても「資質」を記述されたいようですがそれは独自研究に該当であると思います。出典を求めます。--Izayohi 2011年12月12日 (月) 18:05 (UTC)
これはビックリしました。友好的に終わったと思っていたのですが。出典ですか? 貴方の書かれた「資質」に書いてあります。それも一番冒頭の1番目に。『広辞苑』、『大辞泉』でも『大辞林』でも同じだそうですね。「素質」も調べてください。同じことがことが書いてあります。デジタル大辞泉では「生まれつきもっている性質」とあります。この2つは同義語です。これで十分です。「素質」は良くて「資質」はいけないというのは意味が判りません。---Ktmchi 2011年12月13日 (火) 11:52 (UTC)


お聞き届け下さり感謝致します。

クラフトの4因子論ですが、大きく分けると「元々もっている性質」「外力」「環境」となります。クラフトの時代の一番の関心は「外的な力」で、それは「心的外傷」とされていました。しかし同じように「心的外傷」を受けても、障害になる者もならない者もいる。「外力=心的外傷(今はストレスに拡大)」以外のものも考えないといけない。「元々もっている性質」や「環境(身近な者の保護・愛着)」のファクターも考えねば、というようなものです。従って、クラフトが第一因子にあげた中のひとつ、催眠感受性から「資質」という分類が生まれた訳ではありません。「外力」以外の因子の分類です。

Izayohiさんは「学術用語」にお詳しいようですが、精神医学とか臨床心理学の分野では「用語」はそれほど確たるものではありません。精神医学でも臨床心理学と重なる分野は、実験で証明出来るものではなく、そもそも中心自体が常に揺れ動いていますので。DIDでは中心も中心「人格」という言葉を見てください。DSM-IVの定義で「人格」という言葉を廃し「同一性」という言葉で定義するようにしたにも関わらず、みんな平気で「別人格」という言葉を使っています。「統合」と「融合」も人によって意味が逆転します。精神医学の世界でもセロトニンメラトニンの意味を逆に使われたら大混乱ですが、生理学的ファクターで定義された用語以外については、その文脈の中で意図が伝わり易い用語を選ぶのが一番適切と思います。私が安先生のように「素質」という言葉ではなく「資質」という言葉を選んだのは、同じように「生来の」というニュアンスでありながら、「素質」には一般にプラスのイメージが強いと思ったからです。

  • 以下は余談です。「遺伝」に関してはテンカンは今でも、統合失調症は昔は遺伝と考えられていましたが、DIDについては古くから否定されています。テンカンの場合の「遺伝」でも「左利き」のようなはっきりとした遺伝ではありません。あくまで生理学的ファクターの大きさであって、こうした生理学的ファクターは遺伝する可能性があるというぐらいのものです。私が「遺伝的な脳の一部分の大きさまで含み」と書いたのは具体的には脳の一部の海馬のことです。少し前まではDIDを含む外傷性障害では海馬の縮小が観察される(ことがある)といわれていました。しかし最近、PTSDで海馬の縮小が観察された患者の内一卵性双生児を抽出して、障害の無いその兄弟を調べたら、やはり海馬は有意に小さかったという研究が複数出てきたというものです。すると海馬が小さいのは「外力=トラウマ」の結果ではなくて、遺伝的な生来の性質なのかもしれないと。しかしクラフトが第一因子を考えたころにはそんなことは全く知られてはいませんでした。私だってそんなことを知ったのはつい最近なんですから。

---Ktmchi 2011年12月11日 (日) 14:54 (UTC)

資質アップしました。まことに拙い中途半端なもので要修正で申し訳ありませんが、とりあえず御覧ください。学術用語に関して私は特段詳しいわけではありませんが、日本における特徴として研究者ではない人の使う言葉と乖離した用語の使用(良い面もあります)や「誤訳」・学問間で同じ原語に異なる和訳用語使用(通約不可能性、翻訳不可能性)などの問題があることは存じています。ですから最初に用語を決定する際には慎重にお願いしたいのです。また今後の研究により遺伝の面が解明がすすむと思われますがそのような進展経過も記事にすべきであるとは思います(難しいですけど)。--Izayohi 2011年12月11日 (日) 20:20 (UTC)
おっしゃることは良く解ります。以下は雑談ですが、海外の書籍や論文の翻訳ものを読むときも苦労しますよね。翻訳される方はもっと苦労されているんでしょうが。単純な例では名前のカタカナ表記で「この本に書いてあるブローンて誰だ?」と思っていたら他の本にブラウンと書いてある人と同一人物だったとか。そこまで単純でなくとも、ここにこの言葉は不適切じゃないの? と思うことも確かに時々あるように思います。自分の文章だってそんなに自信がもてる訳ではありませんし、用語には気を付けたいと思います。---Ktmchi 2011年12月12日 (月) 09:12 (UTC)

コメント[編集]

「解離の資質」について独自研究か否かについて客観的第三者の方にコメントしてもらったほうがよさそうなのでコメント依頼をいたしました。--Izayohi 2011年12月18日 (日) 20:59 (UTC)

コメント:当方の見解は、以下のとおりです。--Izayohi 2011年12月18日 (日) 20:59 (UTC)

追加です。--Izayohi 2011年12月20日 (火) 21:15 (UTC)

  • 解離という用語は解離 (心理学)があり、解離性同一性障害とは異なるため「解離の資質」はまぎらわしく不適切であること。


上の行までがIzayohiさんの投稿です。
さて、「解離という用語は・・・解離性同一性障害とは異なる」とのご意見ですが、両方の記事の内容をちゃんと読んでおられるのでしょうか。どこがどう異なるのか解りやすくご説明ください。
ついでに申し上げるなら、単語はその文脈の中で意味をもってきます。 「解離」についての直近の専門書は翻訳本を除き、以下の2冊です。お読みになることを強くお薦めします。
(1)柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)
(2)岡野憲一郎 『続解離性障害―脳と身体から見たメカニズムと治療』 (岩崎学術出版社 2011年9月)
---Ktmchi 2011年12月21日 (水) 12:49 (UTC)

Ktmchiさんの発言から1か月経ちましたが他の方からのコメントはありませんでした。当方は解離、解離性同一性障害について詳しくはありませんので「解離」についてもよく理解できないところからこれ以上の議論は困難であるところから以上でとりあえずは終了ということでどうでしょうか?--Izayohi 2012年1月20日 (金) 19:01 (UTC)
了解しました。---Ktmchi 2012年1月23日 (月) 11:16 (UTC)

過去ログ提案[編集]

ちょっと、長くなってしまっているので、ここまでのやり取りを問題がなければ過去ログにしたいと思います。如何でしょうか。--Shinya1739会話2012年7月15日 (日) 11:55 (UTC)

異存ありません。---Ktmchi会話2012年7月16日 (月) 01:41 (UTC)