ノート:范曄

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「無神論」節の問題点[編集]

「無神論」の節は中国における唯物史観を前提とするものであり、特定の立場からの叙述を避けるべきであるとするWikipediaのルール上問題があると考えます(本項目は中文版Wikipediaを翻訳したものであるとも思われ、記事全体がGFDL違反の可能性もありますが、今回は問題としません)。

この節は出典が一切示されていませんが、ほぼ同旨の文章が白寿彝氏主編『中国通史』第5巻・中古時代・三国両晋南北朝時代・下冊(上海人民出版社、1989年初版)pp783-784にみえます。そこでは范曄が『後漢書』において、西域伝・襄楷伝・桓帝紀の論で仏教やその信徒であった桓帝を批判したこと、「天命論」に反対した例として李通伝の論で讖文を批判したことや、図讖を批判する張衡の上疏をかれの本伝に収録することで賛意を示したことなどが述べられています。

これらは本項目の「無神論」節と趣旨を同じくするものであり、この節の典拠であると考えられます(ただし李通伝の論の日本語訳は原文と同じ意味を示しているといえるのか甚だ疑問ではあります)。

さらに『中国通史』には上記箇所に続けて「『後漢書』中の無神論・反天命思想は疑いなく進歩性を有していた」などと述べられています。前近代の人物の態度を仏教や讖緯に対する批判とみなし、これを「無神論」と称して「進歩性」を見出そうとするのは、中国における唯物史観に顕著にみられる見解であると思われます。

このように特定の立場を前提として叙述された「無神論」の節はWikipediaのルール上不適切であると考えます。ご異論のない限り、近々「無神論」の節を削除させて頂きます。なお、以上の卑見は唯物史観そのものを批判する趣旨ではないことを念のために申し添えます。--Fish40会話2013年2月26日 (火) 15:16 (UTC)[返信]

10年近くご返答がないままになっていた項目ですが、重要なご指摘ですね。
こちらについてはご指摘のとおりと思われます。仏教批判については、白寿彝氏は唯物論的な思想を范曄が持っていたというふうにしたいのでしょうね。顧頡剛氏の『中国史学入門』(研文出版)によると『後漢書』を毛沢東が評価したことがあったそうですので、中国の学界としては毛沢東語録によって范曄の唯物論性を重んじているのでしょう。
ちょっと個人的にはこじつけのようにも思われる説ですね。唯物史観によるゆがみとでもいいましょうか。
ただ、一応中共でも一流の学者の説ですから出典明記の上「現在の中国の学界では唯物史観に基づいてこう考えている」というふうに書いておこうと思います。
日本の学界でこれについて言及しているものがあるはずですので(中国仏教史の大家塚本善隆和尚がなにか書いておられると思うのですが)、後日探して追加したいと思います。
ただ、范曄の反天命思想については本田済『漢書・後漢書・三国志列伝選』平凡社の解説にも出ております。これは白氏の論に続けて『後漢書』中において2度も「夫天道性命,聖人難言之」(李通伝の論)、「蓋天道性命,聖人所難言也」(桓譚伝に引く彼の上疏)と、『論語』子罕第九の「子罕言利與命與仁。」を引いているところを追記しておきたいと思います。たしかに日本語訳は明らかにおかしいですね(范曄の原文がかなり分かりにくい上、范曄はあまり見ない漢字を平気で使うので訳しにくいところではありますが)。吉川忠夫・渡邉義浩氏らの訳文を参照してみます。ただどちらにせよ個人的に時間がなくすぐすぐはできないですね。--常陸のクマさん会話2023年12月17日 (日) 01:45 (UTC)[返信]
応急措置として拙訳と出典明記をしておきました。そもそもこの項目、中国語版の履歴不継承と思われるよくわからない部分がかなりありますね。--常陸のクマさん会話2023年12月17日 (日) 02:04 (UTC)[返信]