ノート:芹沢博文

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改名提案[編集]

記事名を「芹澤博文」から「芹沢博文」に改名することを提案します。理由は日本将棋連盟の公式サイトや公式系統図では「芹沢」表記となっているため。--TempuraDON会話2014年1月30日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

  • 賛成 連盟が「芹沢」表記を使用していますので、改名に賛成します。生前から連盟刊行の将棋雑誌でも「芹沢」表記だった記憶しています(参考)。--Floter会話2014年1月30日 (木) 18:58 (UTC)[返信]
  • (賛成)(コメント)阪田三吉のように、歴史学の領域に片足を突っ込んでいて表記そのものが論争のテーマとなりうる人物ではありません。詳しく調べては居ませんが文献書籍の上でも「芹沢」表記のものが圧倒的に優勢であると思います。仮に「芹澤」表記を維持したいのであれば、本人の生前の意向などについてしかるべき文献書籍で出典を挙げるべきだと思います。--倫敦橋 (Londonbashi)会話) 2014年1月31日 (金) 14:27 (UTC)(ご指摘を受けて、一部のコメントを除去。賛成意見も一時撤回。--倫敦橋 (Londonbashi)会話2014年2月2日 (日) 22:03 (UTC)[返信]
  • 反対 私が確認した中では芹澤表記での著書が多数派です(『芹澤の最新戦法』『芹澤の詰め将棋』『芹澤の急戦将棋』『芹澤の実戦将棋』『芹澤の基本将棋』『芹澤の駒落将棋』『王より飛車が好き』『八段の上 九段の下』『人生、くそ度胸!』『芹澤博文の娘よ』等)。さらには、当初芹沢表記で刊行されたものの改訂にあたって芹澤表記へと改めた書籍が多数存在する(例えば前掲『芹澤の最新戦法』)ことから、芹沢表記を採用した文献が存在するのは当時の出版社における常用漢字の制約が厳しかったからであると推定できます。本名も芹澤であり、連盟の表記(及び一部の文献の表記)は単に常用漢字に準拠したものにすぎません。--Fewagkjawl会話2014年2月1日 (土) 01:26 (UTC)[返信]
  • コメント>芹澤表記での著書が多数派です
    その点は私と違いますね。
    まず、1974年に出された「単純明快棒銀戦法」は「芹沢」名義であり、芹沢は出版社は日本将棋連盟です。日本将棋連盟の表記と言えます。
    >当初芹沢表記で刊行されたものの改訂にあたって芹澤表記へと改めた書籍が多数存在する
    とのことですが、改訂の例としてあげた『芹澤の最新戦法』(および『芹澤の駒落将棋』まで)は1977年のことですよね? この年以降に「芹沢」表記で出された書籍が多数存在します。例として「××八段の八めん六ぴ」(1982年6月)「ぼくんちは萌黄色」(1984年5月)、「芹沢博文の破天荒盤外記」(1984年11月)、「王より飛車が好き」(1984年12月)、「どんと失敗 どんと成功」(1986年5月)、「1986年7月(上下)」(1986年7月)、「振飛車破りの棒銀」(1986年8月)、「ハメ手撃破戦法」(1986年8月)、「依って件の如し」(1986年10月)、「指しつ刺されつ」(1987年5月)、「相懸り基本戦法」(1987年12月)などあります。これは「芹沢」から「芹澤」に変えたけど、再び「芹沢」に変えたと解釈できないでしょうか? 
    また「芹澤」名義の書籍の例で上げられたもので一番最後に出されたのは「芹澤博文の 娘よ」(1985年8月)ですが、それ以降に「芹沢」名義の書籍は8冊7冊あります。
    >芹沢表記を採用した文献が存在するのは当時の出版社における常用漢字の制約が厳しかったからであると推定
    推定であるなら、日本将棋連盟の登録時に本人以外や家族以外の人間(師匠など)が「芹沢」と表記され、その内に「芹沢」が将棋界ではスタンダードとなり、本人名義の書籍でも当初は「芹沢」とし、改訂などで一時期は「芹澤」とするなどし「芹沢」「芹澤」表記が混在する時期もあったが、1986年以降の晩年は自分の書籍でも「芹沢」で通すようになったとしたほうが自然だと思います。--TempuraDON会話) 2014年2月2日 (日) 16:08 (UTC)(修正)--TempuraDON会話2014年2月5日 (水) 05:26 (UTC)[返信]
  • コメント「芹澤表記での著書が多数派」という部分については、「私が確認した中では芹澤表記での著書が多数派」と訂正いたします。全著書を確認したわけではないので、失礼しました。どちらが多いのか確定させるのは困難かも知れません。
    >推定であるなら、日本将棋連盟の登録時に本人以外や家族以外の人間(師匠など)が「芹沢」と表記され、その内に「芹沢」が将棋界ではスタンダードとなり、本人名義の書籍でも当初は「芹沢」とし、改訂などで一時期は「芹澤」とするなどし「芹沢」「芹澤」表記が混在する時期もあったが、1986年以降の晩年は自分の書籍でも「芹沢」で通すようになったとしたほうが自然だと思います。
    この点については、芹沢→芹澤→芹沢と変遷したと考えるのは不自然に思えます。単純に出版社ごとの違いではないでしょうか。
    • 芹澤本人の意思:本名の芹澤をできるだけ使いたいが、出版社が常用漢字への書き換えを主張した場合にはそれに従う
    • A出版社:できるだけ常用漢字を使うとの制限があったので(本人存命中は一貫して)芹沢表記
    • B出版社:当初は常用漢字を使うという制限があったので芹沢表記だったが、後にこの制限をなくして芹澤表記に改訂
    • 1986年から翌1987年にたまたまB出版社からの出版はなかった(芹澤は1987年に死去)
こう考えるのが一番自然でしょう。実際に芹澤表記へと改められた『芹澤の最新戦法』は高橋書店から出版されていますが、その後は高橋書店で芹沢表記の著書を出版してはいないように見受けられます。
なお、芹沢表記の例として挙げられている書籍をすべて確認したわけではありませんが、少なくとも「王より飛車が好き」(1984年12月)については芹澤表記であると認識しています。もし、誤りであれば訂正をお願いいたします。--Fewagkjawl会話2014年2月4日 (火) 10:48 (UTC)[返信]
>少なくとも「王より飛車が好き」(1984年12月)については芹澤表記であると認識しています。
確かにこれは表紙は「芹澤」でした。訂正します。--TempuraDON会話2014年2月5日 (水) 05:26 (UTC)[返信]
国立国会図書館サーチでは「芹沢」表記ですが、奥付が「芹沢」だったりはしませんか? 国立国会図書館で「芹澤博文」を検索するとほとんどが「芹沢」になっているのですが、これは信頼できないのでしょうか。--アルビレオ会話2014年2月6日 (木) 08:31 (UTC)[返信]
コメント国立国会図書館サーチでは全書籍殆どの書籍が常用漢字の「沢」に変換されているようです。著者名どころか例えば『芹澤の最新戦法』などはタイトルまで「芹沢の―」に変換してあります。--Fewagkjawl会話2014年2月6日 (木) 11:28 (UTC)[返信]
国立国会図書館サーチの「大国魂神社」検索結果では旧字体のものもあり、字体はそのまま登録されていると思っていましたが、常用漢字に変換されているものもある、ということですね。まあ「坂田三吉/阪田三吉」の場合とは異なり、「芹沢/芹澤」は本来同一の文字の別字体なので、変換されること自体はそういうものだとわかっていれば良いのですが。--アルビレオ会話2014年2月7日 (金) 03:15 (UTC)[返信]
  • (賛成)余計な論点を増やしてしまい申し訳ありません。Wikipedia:記事名の付け方の冒頭にある「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。」という精神に立ち戻り、また「正式名称」とは必ずしも正字や旧字表記を意味するものではないという理解にたった上で、現時点では「芹澤」よりも「芹沢」の方が望ましい(少なくとも、「その記事へのリンクを作成しやすいもの」に該当する)と判断しました。なお、「芹澤博文」でGoogleの画像検索をすると、「芹澤」表記の文献もかなり見受けられることが分かります。特に『芹澤博文の娘よ』が「芹澤」表記なのは重要なことだと思います。故人や遺族の意思が判断できるようなものがその本に含まれていないでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi)会話2014年2月9日 (日) 14:51 (UTC)[返信]
    • コメント過去の議論ですがWikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ10#日本の歴史人物名の漢字表記をご覧ください。明確な結論は出ていませんが、最終的にはこの議論中で言及された東條英機福澤諭吉若槻禮次郎濱口雄幸小磯國昭宮澤喜一の各記事名は全て戸籍通りの表記に落ち着き、現時点でもこれらの記事は旧字体表記を維持しています。略字体のほうが望ましいという場合には、他の例とは異なり「当該人物(芹澤博文)の場合には略字体のほうがふさわしい」という根拠が必要だと考えます(そのような個別事情がないのであれば、東條、宮澤などと同様に本名である旧字体での表記とすべきだと考えます。)。日本将棋連盟の表記がその根拠であるという意見には、(坂田三吉とは違って一貫して連盟の棋士であっただけに)一理あるように思えますが、そこまで絶対視すべきものではないでしょう。なお、遺族の意思としては「銀座一丁目新聞」に芹澤かずこさんが2001年1月20日から2006年3月20日まで5年間146回の連載で一貫して「芹澤」表記を用いています。Web上の記事であり、また比較的最近の記事ですので、出版社ではなく本人の意思で「澤」を選択した結果でしょう。なお、この方は芹澤博文九段の妻(本名・芹澤和子さん)です(こちらを参照)。 --Fewagkjawl会話2014年2月10日 (月) 11:21 (UTC)[返信]
      • 本名・芹澤和子さんが「芹澤かずこ」名義を使ったように、本名・芹澤博文氏が将棋では「芹沢博文九段」として活動していたケースも考えられますので、時と場合によって使い分けていたことも考えられます。『依って件の如し』の表紙は自筆に見えますけれど、こちらは名前も「芹沢」とありますね(違っていたら申し訳ありません)。廣津久雄九段のように日本将棋連盟でも旧字体を使っているケース[1]もあるので、連盟が全て常用漢字に準拠しているわけではありません。そもそも「絶対視すべきものではない」というのはFewagkjawlさんの私見に過ぎず、説得のある理由が求められます。--Floter会話2014年2月11日 (火) 13:40 (UTC)[返信]
        • 日本将棋連盟の表記を絶対視すべきものではないことの根拠は、Wikipediaのガイドライン上どこにも「日本将棋連盟の表記を絶対視する」あるいは「人物の記事名においては所属団体の表記を絶対視する」とのルールが存在しないからです。「連盟の表記を絶対視すべきである」というFloterさんの主張こそが私見に過ぎず、説得力のある理由が求められます。なお、この件については坂田三吉における議論と同様の議論を繰り返すことになってしまうため、Floterさんの考えた「連盟の表記を絶対視すべきである」という独自ルールに説得力のある理由が存在するのであれば、是非ともノート:阪田三吉#「坂田三吉」への改名についての方に提示していただきたく存じます。--Fewagkjawl会話2014年2月12日 (水) 10:10 (UTC)[返信]
          • 日本将棋連盟の棋士は、日本将棋連盟に登録した名前で活動しているわけであり、全員が戸籍名で活動しているわけではありません。沼春雄七段や女流棋士の一部は旧姓を棋士として活動しており、そのまま記事名になっています。本間爽悦九段や田中魁秀九段は本名が別でしょう。松田茂役九段、伊藤果八段も戸籍まで変えたかどうかは不明ですが、名前を変えています。いずれにせよ、所属の棋士が使っている名前、すなわち日本将棋連盟への登録名が使われています。これはWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に該当します。ここでいう「信頼できる情報源」とは、棋士が所属している「日本将棋連盟」に当たるのは言うまでもありません。また上に書いたとおり旧字体を使われている廣津久雄九段のケースがあるので、常用漢字・旧字体云々は根拠になりません。--Floter会話2014年2月12日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
            • 沼春雄七段、女流棋士の一部、本間爽悦九段、田中魁秀九段、松田茂役九段、伊藤果八段、いずれも他の文献類で同様の表記を行っているため、これを記事名とするのが適切です。日本将棋連盟への登録名ではなく、他の文献類でどういった表記をしているかが重要であり、芹澤博文では「芹澤」、坂田三吉では「坂田」がこれに当ります。「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」における「信頼できる情報源」に文献類が該当するのはWikipedia全体において合意されたルールでしょうが、日本将棋連盟がこれに当たるというのは、Floterさん独自の見解に過ぎません。--Fewagkjawl会話2014年2月12日 (水) 12:43 (UTC)[返信]
              • プロが所属して活動している公式団体を「信頼できる情報源」に当たらないというのは初めて聞きました。私には考えられません。文献類を挙げるというのなら、芹沢博文名義が圧倒的に多いですよ。『将棋世界』や『将棋マガジン』、『近代将棋』に毎月「芹沢」名義で載っていました。師匠名義なら今でもあるかも知れません(これは確認していませんが)。ちなみにG-Searchによる新聞記事検索では、「芹澤」名義は本日現在までで0件です。「芹沢」名義は180件です。著書については、下に書きます。--Floter会話2014年2月12日 (水) 13:36 (UTC)[返信]
                • プロの所属団体が信頼できる情報源に当たるとしても、それは文献類に優先するものではありません。なお、国立国会図書館の検索などでは旧字体の「澤」が新字体の「沢」に変更されていることがあるため、単純に検索結果を鵜呑みにすることは危険だというのは、先に指摘した通りでが、G-Searchによる検索についても、旧字体が新字体に書き換えられているという可能性はありませんか(是非ともご確認いただきたいところです)。--Fewagkjawl会話2014年2月12日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
                  • いや、文献類でも圧倒的に「芹沢」名義が多いことも指摘しているのですが、それは無視ですか。G-Searchの検索ですが、廣津久雄九段の場合、「広津」と「廣津」で検索結果が出てくるので、書き換えられているという可能性はほぼないと思われます。余談ですが将棋と九段のand検索をすると、「広津」1012件、「廣津」6件です。--Floter会話2014年2月12日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
                    • 無視してはおりません。「著書については下に書きます」とのことでしたので、(2014年2月12日 (水) 14:06 (UTC)の時点で)下に書いています。もちろん、文献類で芹沢表記が圧倒的多数派であるならば芹沢博文に改名すべきです。なお、「廣津久雄九段の場合、「広津」と「廣津」で検索結果が出てくるので、書き換えられているという可能性はほぼないと思われます。」という点についてはできれば他の根拠をご提示いただきたいです。なぜならば、国立国会図書館の検索では旧字体での検索結果も出てくるものの、一部の書籍だけが新字体に書き換えられているため、G-Searchにおいても同様に一部のみが書き換えられている可能性もあるためです(アルビレオさんとのやり取りを参照してください)。それから、私の勘違いであれば申し訳ありませんが、あまり感情的にならず、冷静にご対応いただけませんか(「いや、~、それは無視ですか。」という表現が感情的になっているように私には見えたというだけであり、誤解であればすみません)。--Fewagkjawl会話) 2014年2月12日 (水) 14:40 (UTC)補足--Fewagkjawl会話2014年2月12日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
                      • G-Searchの件ですが、「書き換えられている可能性」があるのなら、逆にそれを探して下さい。書き換えられたケースが見つからないのなら「可能性はない」としか言いようがありません。「書き換えられている可能性がゼロ」を証明するのは不可能です。--Floter会話2014年2月12日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
      • ご指摘の過去ログは「~*日本の歴史人物名では常用漢字を用い、常用漢字がない場合は、正字を用いる。」という文言を含む提案があって、それが採用されなかった、という以上の趣旨はないと考えます。少なくとも芹澤(芹沢)博文は現時点では「日本の歴史人物」とは言えないでしょうね。また、いくつかの人名について「全て戸籍通りの表記に落ち着き、現時点でもこれらの記事は旧字体表記を維持しています。」なのは、単に改名提案が現時点までなされていないだけでしょう。--倫敦橋 (Londonbashi)会話2014年2月16日 (日) 07:30 (UTC)[返信]
  • 親子など家族でも名字の表記は違う場合がありますので、仮に妻が戸籍上の名字を使っていても、夫と妻は別人格ということでいいと思います。
    Floterさんの言う通り、「芹澤博文の 娘よ」(1985年8月)の後に出された「依って件の如し」(1986年10月)の表紙はタイトルと著者名は印字ではなく直筆ですが、著者名の表記は「芹沢博文」でしたね。私はされた「依って件の如し」(1986年10月)の表紙はタイトルと著者名は著者自身の直筆と考えるのが自然だと思います。--TempuraDON会話2014年2月12日 (水) 06:49 (UTC)[返信]
直筆の字面から文字を決定するのはかなり危険です。活字などでは「澤」を使うが、手書きでは「沢」を使うこともあります。例えば最高裁判所の入り口の文字は一見「髙」(はしご高)に見えますが正式名称では常用漢字の「高」です。元々漢字としては旧字体の「澤」と常用漢字の「沢」は同じ文字の別字体なので、「芹澤博文」も「芹沢博文」も両方とも正しい表記でしょう。とは言えWeb上のデータとしては別の文字コードなので、記事名にはどちらかを選ぶ必要があるわけですが。私はどちらを記事名にしても良いと思っていますが、もう一方もリダイレクトと記事の導入部で記載しておけば十分です。--アルビレオ会話2014年2月12日 (水) 08:00 (UTC)[返信]
アルビレオさんご指摘の通り、「沢」は「澤」の略字体です(つまり「澤」を省略して書いた字体が「沢」です)。したがって、手書きの字体が「沢」に近いとしても、それは本来「澤」であるところを手書きだから省略して書いただけであり、活字体では「澤」を用いるということも一般的な使い分けであろうと考えます。芹澤博文九段が著書の活字での表記で「芹澤」表記を主に使用していたならば、活字表記であるWikipediaの記事名もそれに倣うべきでしょう。なお、「坂」と「阪」は異字体ではあるものの略字体の関係にはないので、坂田三吉が手書きで「坂」を用いていたことは、活字体でも「坂」を採用すべき根拠となり、記事名として「坂田三吉」を支持する理由となり得ます。(なお、こうした理由から芹澤博文を「芹沢博文」と表記すること以上に、坂田三吉を「阪田三吉」と表記することには大きな問題があります。)--Fewagkjawl会話2014年2月12日 (水) 10:10 (UTC)[返信]
なるほど、アルビレオさんが言われるとおり、本人の直筆の字面で判断することは危険だと言うことがわかりました。有り難うございます。--Floter会話2014年2月12日 (水) 13:36 (UTC)[返信]
  • コメント 著書数と名義についてですが、国会図書館の検索とAmazon、それに個人HPではありますが「棋書ミシュラン」に書影が載っていますので、それを調べればだいたいわかります。判明分で改訂版を除き上下本を1冊でカウントすると「芹沢」名義は22冊、「芹澤」名義は10冊、不明4冊と、「芹沢」名義の方が倍多く、多数派です。「芹沢」→「芹澤」名義に変更(1977年)したのは、高橋書店から出ている6冊です。それ以降の「芹沢」名義の著書は15冊(北辰堂の改訂版6冊含む)、「芹澤」名義は4冊です。--Floter会話) 2014年2月12日 (水) 13:36 (UTC)高橋書店の件追記--Floter会話) 2014年2月12日 (水) 13:57 (UTC)カウントミスを修正。--Floter会話2014年2月12日 (水) 15:10 (UTC)[返信]
  • (コメント)>芹沢表記を採用した文献が存在するのは当時の出版社における常用漢字の制約が厳しかったからであると推定
    著者名が「芹沢」でも、文章中に「澤」という漢字が使われていたら、「常用漢字の制約が厳しかったから」という言い訳は通用しないのではないでしょうか? --TempuraDON会話2014年2月14日 (金) 01:59 (UTC)[返信]
  • 現状で唯一反対票を入れられているFewagkjawlさんの根拠が「芹澤表記での著書が多数派です」ということでしたが、調べた限り「芹沢」表記の方が多数派であることが確認できており、反対票の根拠がなくなっています。他の文献類を入れても、月刊誌である『将棋世界』『近代将棋』『将棋マガジン』がありますから「芹沢」名義の方が圧倒的に多いです。G-Searchによる新聞記事検索では、「芹澤」名義は2014年2月12日現在で0件、「芹沢」名義は180件です。デジタル版 日本人名大辞典でも「芹沢」名義です[2]。著書・文献類でも圧倒的に「芹沢」が多いことが確認されることから、改名に何の問題はないと判断できます。現状のこの認識に反論がなければ、1週間後には改名してもよいのではないでしょうか。--Floter会話2014年2月28日 (金) 14:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)>芹沢表記を採用した文献が存在するのは当時の出版社における常用漢字の制約が厳しかったからであると推定
    「芹澤博文の 娘よ」(1985年8月)の後に出された「依って件の如し」(1986年10月)は本のタイトルが手書きで「芹沢博文」であり奥付の著者名の「芹沢博文」であり、本の文中でも自分のことを「芹沢」「芹沢博文」と表記しています。しかし、194ページでは自分以外の人名(漫画の登場人物名)について「沢」の文字ではなく「澤」の文字が使われていました。このように著者名を「沢」としているのに本の文章中に「澤」という表記を使っている場合、著者名に「澤」を使わない理由として「当時の出版社における常用漢字の制約が厳しかったからであると推定」では説明ができません。
    私もFloterさんに同意する形で「芹沢博文」に改めて賛成の立場を取ります。--TempuraDON会話2014年2月28日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
  • (コメント)改名しました。--TempuraDON会話2014年3月10日 (月) 05:03 (UTC)[返信]