ノート:芦原英幸

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投稿するに当たって [編集]

60.39.246.110氏へ

ご指摘の件ですが、梶原氏の前の話なら「最強」という言葉も公式には極真会館は言っておりません。漫画でも大山倍達のアメリカ遠征の頃ですから。極真会館が最強とキャッチフレーズを公式に出したのは、梶原氏の「地上最強のカラテ」です。あの頃は「実戦空手とか、ケンカ空手」と呼ばれていたはずですので、そちらに書き換えています。

また、お互いに編集しあっている箇所ですが、「伝統的」と「批判的な」は60.39.246.110氏の主観になります。意見を書くのではなく、事実を書いてください。この場合はレポートの内容が書かれているわけですから、「掲載された」だけで充分です。詳しくはWikipedia:中立的な観点をご一読ください。また、「伝統的」も読者により、捉え方が違ってきます。何が伝統的か曖昧です。詳しくはWikipedia:言葉を濁さないをご一読ください。

218.251.52.168氏へ

脚注に書かれた内容ですが、ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません。ですから、削除させて頂きました。詳しくはWikipedia:独自研究は載せないをご一読ください。

より良い記事にするためにもご協力お願いします。--GOLGOB 2009年8月17日 (月) 14:29 (UTC)[返信]


GOLGOB|GOLGOB様 へ
数代のパソコンで並行して編集しましたから番号が違いますが、基本となる文章を書いたのもまた、その後修正を加えているのも私(スッポン太郎)です。

貴方が設けた注釈をメッセージ的に使用したのは(削除されるのは予想してましたが)反省しています。 貴方がおっしゃる用に確かに「地上最強の空手」をキャッチコピーとしたのは梶原氏によるも一連の漫画や映画が世に出されたからですから、貴方の「ケンカ空手」という記述に同意します。

私は今現在も空手家を愛好していますが、昭和50年代前半にはなんばの芦原道場でお世話になりました。その後S館で指導員を務め、今では独自の小さなサークルで活動しており、大会等を通じて関西の各会派の皆様とお付き合いさせて頂いています。現在、芦原会館、正道会館、極真会館および、その傍系・分派に属する人たちも、当時の関西の空手界実情を知る人も少ないと思います。当時を知る者として、少しでも若い方々に正しい(語弊を覚悟でそう書きます)情報が伝わればと幸いに思っています。それが芦原英幸項を編集を始めたきっかけです。
移動での立ち方ですが、極真系では基本の立ち方とは削除された三戦立ちや騎馬立ちを差し、前屈や後屈立ちは基本の立ち方とは言いません。ですから、当時の芦原道場の呼称に従い、「古式」(伝統的な意味合いとして)と再修正しました。
またパワー空手55年12月号の感想文の件ですが、掲載の目的が芦原道場への批判にありますから、浜井氏のポジティブな印象の対比として、ネガティブとして書かれていれている事に着目して引用しました。ですからそこをカットしてしまうと意味がなくなります。(私の主観ではありません)
芦原氏と大山氏、また石井氏との確執にはドロドロした面もあり、書くことにも躊躇しましたが、出版物やインターネットを通じてある事ない事が噂になっているのを見聞きし、私の知ってる事を客観的に情報提供した方が望ましいと判断し、編集しました。
また極真会と芦原会館・正道館との基本稽古の違いは極めて客観的な記述であり、いずれかの機会にまた編集しようと思います。--以上の署名のないコメントは、123.219.13.200会話投稿記録)さんが 2009年8月22日 (土) 08:15 (UTC) に投稿したものです。[返信]
すっぽん太郎さん、お返事ありがとうございます。
>移動での立ち方ですが、極真系では基本の立ち方とは削除された三戦立ちや騎馬立ちを差し、前屈や後屈立ちは基本の立ち方とは言いません。
大山氏の著書「百万人の空手」では前屈立ちも後屈立ちも基本の立ち方に入っていますので、出典を明記しておきます。芦原道場でそのような言い方をしていたのであれば、注釈をつけて説明しないと不適切になります。ですから基本の立ち方とした上で、芦原道場では「古式」と呼んでいたと注釈をつけておきました。
この場は百科事典ですので、空手を知らない一般の読者が読むことも想定して編集することが重要であって、独自の考えに拘るのはWikipediaに反する行為です。
>また極真会と芦原会館・正道館との基本稽古の違いは極めて客観的な記述であり、いずれかの機会にまた編集しようと思います。
繰り返しになりますが、独自研究にならないようWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:出典を明記するして、ご記入される際には宜しくお願いします。
最後に別のお願いですが、ノートに記入の際には必ず署名「ペンマークのボタン」をクリックするか「~」を4つ付けてください。また、前の記入者と内容をずらし、分かりやすくするためにもご自身の文章の文頭には「:」を使用してください。詳しくはWikipedia:ノートページでの慣習的な決まりをご確認ください。--GOLGOB 2009年8月22日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
>また極真会と芦原会館・正道館との基本稽古の違いは極めて客観的な記述であり、いずれかの機会にまた編集しようと思います。
この件に関してもう1点書き忘れました。「>また~と思います」は果たして芦原英幸の記事に書くべきか芦原會館に書くべきか内容により、変わってくると思います。その点もご留意の上、ご記入お願いします。--GOLGOB 2009年8月22日 (土) 08:29 (UTC)[返信]


GOLGOB|GOLGOB様 へ

私も芦原氏(あえてここでは敬称は先生・先輩という敬称を用いるのは控えます)の写真が書き換えられた「100万人の空手」を持っていますが、そう立ち方が分類されていましたかね?技術書って読まないですから(笑) ただ、現実的に我々は基本(=基本稽古)の立ち方と言えば三戦立ちなどを指し、前屈や後屈立ちは移動(=移動稽古)の立ち方に分類します。 ですから、せっかくご配慮されて注釈を付けて頂いたものの、前屈立ちを「基本」の立ち方とする事には納得できません。 そもそも原文を書いたのは私ですから、こう貴方と膠着状態が続くのであれば、いっそうの事この文章そのものを削除してしまおうかと考えましたが、折衷的単に「立ち方....」としました。どうかご了承ください。

当時の芦原道場が全ての伝統的な立ち方を「古式」と言ったわけでなく、組手の構えの対義語的に使われました。平素の基本稽古での三戦立ちや、追い突きなどの移動稽古での前屈立ちではそう呼びませんでした。昔の芦原道場の稽古は現在の様にマニュアル化されていなく、先輩により特色のある稽古指導がされました。前田氏は伝統的な稽古が主流であったのに対し、中山氏は現代的な稽古をされました。その中山氏もたまに「昔の稽古も残しておく必要がある」と、思い出した様に後屈立ち手刀受けの移動稽古や、受け手が不動立ちで待ち、相手が前屈立ち下段払いから単発攻撃を加える様なクラシックな稽古をする日がありました。そういう場合に「今日は古式の稽古をします」と説明していました。(初期の正道館でも平安や太極などの伝統型を古式と呼んでいた様に記憶しています。)

実は当時から捌きの稽古もしていましたが、後に言われるほど「サバキ」という言葉は多用されていませんでした。石井氏は約束組手的な対人稽古は(今でいうサバキ)は一本組手と呼んでましたし、中山氏はなぜか「テクニック」と呼んでました。 中山氏は天才ですから何でも出来ましたが、構えは芦原空手のサバキ向きの構えでなく、ムエタイの様に拳を握り上腕(小手)を外側に向けて腕を回す「壁塗り」と言う構え方でした。ですから当時のなんばの道場生の多くはその構えを真似ました。 その構えを見た伊藤氏がよく「そんな猫みたいな構えは止めなさい」と指摘していました(笑)

噂になる一般道場生には教示されない「裏のサバキ」ですが、桝田(博之)氏(現・捌気新道)が芦原氏からホテルで教わったという、サバキを幾つか見せて貰いました。書物やビデオで公開されているサバキとは異なり、もっとコンパクトで危険な技です。 (芦原会館の方々が公表されていない事を、具体的に私がここで書くわけにはいきません)

貴方が削除された基本稽古の違いですが、確かにおっしゃるように芦原英幸の項目には不適切かもしれません。ただ、本文中の「芦原会館と極真会館との基本が違う...」という記述に対しての注釈としては意味があるかと思います。 ただ、私は一旦これでこの項の編集からひとまず手を引こうと思います。 まだまだ、ネタもあるのですが、やはり書かない方が良いと思われる事もあります。当時の大阪道場を知る今の芦原会館関西本部のメンバーでは岸(弟)氏ぐらいでしょう。上でも書きましたが、私の情報が昔を知らない人に何かの役に立てればと幸いに思います。--以上の署名のないコメントは、浪花のすっぽん太郎会話投稿記録)さんが 2009年8月22日 (土) 08:15 (UTC) に投稿したものです。[返信]


浪花のすっぽん太郎様。どうも議論がかみあっていませんね。浪花のすっぽん太郎さんの個人的な意見は尊重します。しかし、繰り返し申し上げますが、ここは百科事典を編集する場です。独自研究を発表する場ではありません。


>私も芦原氏(あえてここでは敬称は先生・先輩という敬称を用いるのは控えます)の写真が書き換えられた「100万人の空手」を持っていますが、そう立ち方が分類されていましたかね?技術書って読まないですから(笑)

>ただ、現実的に我々は基本(=基本稽古)の立ち方と言えば三戦立ちなどを指し、前屈や後屈立ちは移動(=移動稽古)の立ち方に分類します。 ですから、せっかくご配慮されて注釈を付けて頂いたものの、前屈立ちを「基本」の立ち方とする事には納得できません。


「百万人の空手」をお持ちでしたら、確認できますよ。そのために頁数も記載したのですから。元々この膠着は、浪花のすっぽん太郎さんが「前屈立ちと後屈立ちを伝統的」と表現したことから始まっています。既に申し上げたとおり、今回の文で「伝統的」という言葉を使うのは、「何を伝統とするのか明確でない」ということで、曖昧であることは申し上げたとおりです。「基本」という言葉は出典も明記し、明確です。私事ですが、これらの立ち方は、基本として教わっています。「移動稽古も基本の一つなのです」。ただ、これだけを記事にしても説得性がないので、私は「信頼できる情報源」を元に出典を明記しました。それを削除なさるということは「出典が明記された文章をいじること」であり、Wikipediaのルール違反になりますよ。それでしたら、出典の意味がなくなるので、前屈立ちと後屈立ちの文面そののを削除し、「当時の芦原道場が大会用の組手立ちで練習していた」のみ、残すのが適切です。ゆえに私が追加した注釈も脚注も削除し、文脈の前後が繋がるように訂正しました。
失礼ながら、浪花のすっぽん太郎さんはWikipediaをイマイチお分かりになっていないよう見受けられます。つきましてはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご一読ください。また、今まで私が内部リンクして読んでくださいとお願いした項目(信頼できる情報源、中立的な観点、出典を明記する、ノートページでの慣習的な決まり)も併せて今一度、読み返してもらえませんか。Wikipediaがあくまでも百科事典であって、ご自身の意見や主張を述べる場でないことをご理解ください。
繰り返しになりますがノートの最後には署名を必ずしてください。--GOLGOB 2009年8月22日 (土) 21:29 (UTC)[返信]