ノート:美しい国/過去ログ1

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パンフレット等に書かれたヴィジョンの内容説明が必要

パンフレットや書籍に書かれた首相の"ヴィジョン"の内容について、最低限でも概略程度は説明しておかないと項目として不完全。それを抜かしたまま、他の政治家の感情的な反応などだけを書いておくと、まるで低俗な週刊誌の記事のように、基礎になっている事実が何なのかどこにも記述されていないものになってしまう。百科事典の記事としては非常に問題。手元に資料を持っている人、とりあえず数行程度で要約を書いてみては?--Akarushi 2007年9月8日 (土) 13:20 (UTC)

低俗な週刊誌、とはMiwa.ss氏が追記した「フライデー」のような記事のことでしょうか?--Album 2007年9月8日 (土) 13:25 (UTC)
いや、特定の週刊誌のことは念頭にない。読んだこともない。週刊誌というものの一般論を述べただけ。誤解を生んだなら申し訳ない。ただ百科事典の常識として、名称の指す対象や概念の概略を前半で説明するのは必要と言っているだけ。他意は無い。--Akarushi 2007年9月8日 (土) 13:28 (UTC)
必要とお感じならば、出典を伴って追記してみて下さい。その前に、Wikipedia:検証可能性に目を通しておいて下さい。--Album 2007年9月8日 (土) 13:32 (UTC)

私は荒らしではありません。その反対です。

この項目は安倍晋三の提示する国家像に関する記事なのでしょう? ですのでこの項目に書くべきことは安倍首相の著書『美しい国へ』で展開されている概念や、その内容に対する人々の反応のはずです。それについて真面目に百科事典的に記事を書くべきです。 にご説明 内閣府の世論調査は、安倍晋三自身のヴィジョンとは直接の関係は無いでしょうから、「富士山の写真」はいくらなんでも根拠が無く、百科事典としては認められません。北海道の「美国町」の記事がここに書かれていてはいけないのと同じ論理です。

富士山の写真を載せては、独自の研究、「要出典」です。それとも、どこかに安倍首相の著書『美しい国へ』の内容が内閣府の世論調査と同一だという出典でもありますか? あるいは「美しい国」という概念は富士山の写真が伴わなければならない、と安部さんが著書で述べたり発言したりしていますか? 頭を冷やしなさい。いったん要出典としてコメントアウトします。--Akarushi 2007年9月8日 (土) 13:43 (UTC)

Albumさんによって追加された富士山画像
Akarushiさんに賛成です。2007-09-06T15:34:04の版でAlbumさんによって(画像追記。)として画像:Fuji_mt_s.jpgが追加されました。これはどのような理由があるのでしょう。「美しい国」と聞いて、Albumさんが「富士山」を連想されたということでしょうか。この画像は一度、Akarushiさんによって (写真は安倍晋三の説そのものではないので不可。) として除去されましたが、Albumさんは「編集歴の無い利用者による荒らし。」として戻した上で、2007-09-08T13:22:31の版で(世論調査に基づき、画像の拡大。)として、さらに拡大表示されました。
画像に説明が無く、また本文中にも「世論調査」の参照先の報道にも「富士山」という言葉はありません。安倍内閣が「美しい国」の象徴として「富士山」の名を上げているならその旨を書くべきですし、そうでないなら除去すべきでしょう。--miya 2007年9月8日 (土) 13:51 (UTC)
出典を付記いたしました。今、手元に「美しい国へ」もありますので、何でも聞いて下さい。--Album 2007年9月8日 (土) 14:25 (UTC)


いくらなんでも2007富士山世界文化遺産シンポジウムの時に代理人がムード作りのために発言した内容[1] を富士山の写真の根拠にするのはとてもじゃないが無理。これは、あくまでこの手の会や宴席で、流れに合わせた即興的な発言と判断するのが妥当。しかも代理人の発言。根拠とはなり得ない。(仮に、イメージ写真の掲載を認めるとしても)基本的に、本人が著書『美しい国へ』で展開されている概念や説明であるべき。

例えば見てごらんなさい。「美しい国づくり」プロジェクトのホームページの表紙[2]には4つの写真(扇を作る人新幹線合掌造り東京の高層ビル群)が掲示してありますが、富士山の写真は入っていません。 このページの表紙ぐらいは首相も自身の眼で確認していている可能性が高く、こちらのほうが安倍さんのイメージに近い可能性は高いです。ですが、扇、新幹線、合掌造り、ビル群の写真等、ちょっとでも関連がありそうなものをいちいち載せていたらキリがありません。百科事典としては認められません。美しいものなら日本に一杯あります。

やはり、富士山という選択は必然ではなく、Albumさんの固定観点でしょう。写真の選定が主観的なのです。 もしも仮にAlbumさんのような主観的な写真の掲載が許されるなどとしたら、逆に誰かが、安倍さんの言葉の端にでも現れた醜い単語、キーワードでもとらえて、それにまつわる醜い写真をこの項に貼ったらどうなります? それでもいいのですか? だめでしょう? 百科事典の良識に立ち返りなさい。

そもそも、百科事典というものは、政権構想や政治的な概念を説明するのに、基本的にイメージ写真は記載しません。Wikipediaの項目は、政治家や過激派やカルト団体の配布するパンフレットそのものではないのです。

Albumさんの写真貼付のような乱暴な行為を万一にでも許したら、過激派やカルト団体などが、該当する項目に勝手に主観的な美的なイメージ写真を貼った場合でも、それを認めなければならないことになります。ですから絶対に認められません。例えば、あなたの嫌いな団体(最近のAlbumさんの履歴で言えば、サイババ支援団体??)でそれが行われることを想像してみて下さい。サイババの項に、サイババも登場しない朝焼けの美しい芸術写真だとか、子供たちの満面の笑顔のポスターだとか?貼られてもいいのですか? 今記事を読んでみたら、当人が「無償で教育を提供すべきだ」とか言っているようでしょう? そうしたら"「無償教育→子供の笑顔」という論理が成り立つから、サイババの項に子供の笑顔の写真を貼って良いのだ"、という主張が通ることになりかねません。こういう論理が百科事典としては変だということは、Albumさんでも理解できるでしょう?

百科事典では、こんな論理での写真の掲載が許されてはいけません。Albumさん、いい加減に頭を冷やしなさい。富士山の選択に関してはやはりAlbumさんの主観の域を出ないので、コメントアウトします。

ところで、内閣府の調査の出典を付けたのは良い方向です。その調子で出典を付けなさい。ただし、現状でも言葉足らずです。「美しい国」と内閣府の調査の因果関係がわかる一文を(外部リンク先記載だけでなく)本文に簡潔に織り込んだ上で投稿するべきです。そういうことまで気を配りなさい。--Akarushi 2007年9月8日 (土) 15:23 (UTC)

続きはWikipedia:コメント依頼/Albumでやったほうがいいかもしれませんね。--miya 2007年9月8日 (土) 15:43 (UTC)
私からも、コメント依頼を是非お願い申し上げます。編集や議論の参加者が増えることは、とても良いことだと考えています。この項目自体へのコメント依頼も考えましょう。--Album 2007年9月8日 (土) 16:33 (UTC)

miyaさん。事実と異なることを書いてまでコメント依頼かけてくれとはお願いしておりません。仕方が無いので、こちらもコメント依頼をかけました。本文に根拠は書いてありますし、ノートでの回答もしています。miyaさんのような経験のある方が、この項目の為だけに昨日作成された新IDAkarushi氏と結託される理由は何でしょうか?--Album 2007年9月9日 (日) 01:21 (UTC)

  • /Miya -事実とは異なる記載をした上記コメント依頼。ノートでの異議にも答えています[3]。また、画像追記の根拠は本文に明示しています[4]。ただし「美しい国」のノートにおける議論の相手方であるAkarushi 氏の投稿記録を見る限り、この編集と議論の為だけにIDを取得する熱の入れようであり[5]、対応を検討しています。たぶん、この件は少し間を置いた方が良いのでしょう。
「結託」とは。。たまたま同じ意見になっただけです。その点に関しては、Akarushi氏がベテランであろうと新人であろうと関係ありません。ここは項目に関してコメントする場なので、利用者の行動については利用者のコメント依頼で書くべきでしょう。「本文に根拠は書いてあります」とおっしゃいますが、この編集がなぜ画像掲載の根拠となるのか理解できません(外部リンクの適否については後述)。再掲載の前に、どこがどう根拠になるか、明快に説明し、他の人の(あるいは第三者の)同意を得るべきでしょう。--miya 2007年9月9日 (日) 05:30 (UTC)
丁寧なコメントをありがとうございます。「根拠の提示がない」のではなく、「Albumによる根拠の提示らしき行動は認められたが、自分は理解できなかった。」ということでよろしいでしょうか?--Album 2007年9月9日 (日) 09:09 (UTC)
「Albumさんは『出典ある追記。』とお書きになったが、それは根拠の提示には見えなかった」ということです。--miya 2007年9月22日 (土) 08:57 (UTC) 追記:9/9にコメントを頂いていたことに気づかずお返事が遅れて申し訳ありませんでした。--miya 2007年9月22日 (土) 09:07 (UTC)
どういたしまして。私も他の方のコメントに気がつかないことが多々あります。そのことはべつにかまいませんよ。・・ところで、Miyaさんによる私のコメント依頼の文言は、管理者として悔いるところはありませんか?拙いながらも私は出典を示したのに、「出典を示さなかった」との、あのような形でのコメント依頼をすることを、私にも許容していただけますか?つまり自分が不充分だと判断した時点で、「出典を示さない」としてしまうことを。だから、未だに新たな出典を示すことを躊躇しているのです。新たに示しても、「私には根拠の提示に見えない」ということでまた新たなコメント依頼などになりませんか?・・Miyaさんによるコメント依頼の文言を修正していただければ、ここでの議論を続けたいと思います。--Album 2007年9月26日 (水) 15:12 (UTC)
ここでは記事の話をしているのであって、コメント依頼についての話をする場ではありません。Albumさんは既にmiyaさんに対するコメント依頼を出されているのですから、そちらでお話をされてはいかがですか。それに何より、ここでの話は最早miyaさんとAlbumさんのみの話では無いでしょう。たとえmiyaさんが認めなくとも、十分な出典ならば他の利用者の大部分が認めるでしょう。--Bellcricket 2007年9月26日 (水) 20:51 (UTC)
悔いる悔いないって言うのもおかしな話。Albumさん以外の誰も「世界遺産=美しい国」と認めている人がいないのが何よりも証明となっているでしょう。関係のない物を持ってきて出典として良いのであれば何を書いても良いということになってしまいます。それと皆が集まらないと出典を出さないというのもおかしい。本来出典は自己満足のための物でもないし、ましてや他の執筆者との駆け引きの道具でもない。出さないのなら非を認めるべきと思います。--220.152.28.71 2007年9月26日 (水) 21:50 (UTC)

まさかと思いますが産経の「首相は富士河口湖町の青木ケ原樹海を訪れ、修学旅行中の中学生らとエコツアーに参加。色紙をせがまれると、「美しい国 美しい富士山」と即興で書いていた。」じゃないですよね?まさかね…。きちっと万人が異を唱えないほど明確に謳われた資料を出して頂けるんですよね? --222.228.158.33 2007年9月27日 (木) 01:37 (UTC)

それは、きっと、これ[6]を指しているのですね。--Album 2007年9月27日 (木) 15:03 (UTC)
そんなこと書く暇があれば出典提示か非を認められるか、早く決断してくれませんかね…。動画も出典として認めないみたいだし…、有無を言わせぬ出典をね。--220.152.28.71 2007年9月27日 (木) 21:50 (UTC)
Miyaさんが、あなたの求めに応じて文言(Wikipedia:コメント依頼/Album[[7]])を修正されました。早急に約束を守るべきです。もちろん万民が納得する出典が出る物と期待しております。だだし、いつもAlbumさん自らが否定した方法をなぜか用いるという矛盾した手法をとられますが、今回はそういった矛盾はなしでお願いいたします。ご自身が否定的に述べた媒体や方法は用いないで有無を言わさない確固たる出典を明らかにして下さい。--220.152.28.71 2007年9月29日 (土) 11:46 (UTC)
申し訳ないけれども、Wikipedia:検証可能性のノートで、この「美しい国」に関連した先立つ議論があり、まずそれに対応させて下さい。動画の出典が否定されれば、次のフェーズに入ります。--Album 2007年9月30日 (日) 14:04 (UTC)

外部リンク

「富士山を世界遺産に」[8]という静岡新聞の記事を「美しい国」の外部リンクに置くことは、富士山の画像を掲載するためのこじつけのように感じられます。このリンクは、富士山日本の世界遺産には適切であっても「美しい国」には直接関係無いため不適切、よって除去すべきだと思います。--miya 2007年9月9日 (日) 05:30 (UTC)

miyaさんが「こじつけのように感じた」のは、私の責任かもしれませんね。調べて、「富士山の画像」に関する他の直接的な根拠も見つけたのですが、せっかくコメント依頼をしましたので、他の参加者の到来を待ってから披露したいと思います。前編集は説明不足で申し訳ありません。--Album 2007年9月9日 (日) 09:14 (UTC)
待つ必要は無いと思います。あのコメント依頼は利用者の行動に関するものであり、この項目の内容に関することはこちらでどうぞ。根拠があれば、提示をお願いします。--miya 2007年9月22日 (土) 08:57 (UTC)微修正--miya 2007年9月22日 (土) 09:07 (UTC)

富士山画像に関する出典再提出

大変お待たせして申し訳ありません。記載例と出典、そして想定される問答を提示致します。長々と議論がループしないよう、考えられる質問には先に回答を明示いたしました。(「Wikipedia‐ノート:検証可能性#非文献情報源の検証可能性について」において、関連した議論があります。)

記載例

下村博文内閣官房副長官の弁によって「美しい国の象徴」、とされた富士山。

出典

  • 出典1.「2007富士山世界文化遺産シンポジウム―日本の宝を、世界の宝に―」において、安倍晋三首相の代理で出席した下村博文内閣官房副長官が公式な立場で『「美しい国」、というコンセプトに合った、まさにその象徴が富士山でございます。』と発言(出典:NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議主催、静岡県、静岡新聞社・静岡放送後援)(静岡新聞『富士山を世界遺産に』のWEBページ記載の動画)
  • 出典2.「美しい国、日本」観光立国戦略[9]と、海外向け動画[10](富士山が最初と、最後に登場)
以下の1及び3は「美しい国」を解説するものではなく、2は「美しい国」と「富士山」の関連を示す情報がなく、いずれも出典とするには値しないと思いました。その上で、個別にも指摘します。
  1. 静岡新聞の記事は、「富士山世界文化遺産シンポジウム」での発言であり富士山について語られるのが当然である上に、美しいものの一例として富士山が上がっているに過ぎません。つまり、富士山が「美しい国」の象徴であるというコメントではありません。
  2. 観光立国戦略のPDFには、「富士山」という文字列は含まれていません。
  3. 英語で安倍さんが語る動画は、背景に富士山が入っていますが、その他のものもたくさん入っています。つまり富士山は「美しい国」の象徴や代表ではなく単なる一例となります。この理屈だと、金閣寺や伊万里焼やソメイヨシノが「美しい国」のイメージ画像であってもよいことになってしまいます。
--Tamago915 2007年9月30日 (日) 14:57 (UTC)

想定問答集

  • Q.「なぜ自ら否定している動画による出典を提出するのか?」
  • A.「Wikipedia:検証可能性のノートにおいて、動画の出典の可否をめぐる先立つ議論があり、その議論の中において、私が試みにこの「美しい国」の項目で『動画』によって出典を提出することを明記しているからです。また、それに対する賛意もあるからです。もちろん、きっぱり動画による出典の提出を否定するご意見を出していただいて結構です。」
  • Q.「Albumが動画によって出典を提出することは認めない!」
  • A.「では、他のIDによって記載すれば、富士山画像の追記で出典は動画でも良いのでしょうか?、ということになり、結局、議論がループするのでそれを言っても、今後のウィキペディアの役に立つ生産的な議論にはならないと思います。」
  • Q. 「百科事典に、イメージ画像はそぐわないのではないだろうか?」
  • A.「百科事典において、イメージ画像が使われることは多々あります。たとえば、市販の百科事典である『エンカルタ総合大百科』では、「」の項目でティッツィアーノの『聖愛と俗愛』の絵画がイメージ画像として使われています。また、我らがウィキペディアでも、「平和」の項に「平和記念公園の記念碑」がイメージ画像として使用されています。百科事典において、イメージ画像の利用は、特殊なことでは無いと考えています。
  • Q.「政治的な概念の説明に、イメージ画像はそぐわないのでは?カルトの場合はどうする?」
  • A.「単なるイメージに留まらす、自然は美しい国プロジェクトの『対象物』でした。しかも富士山は、動画による出典によって、その「美しい国の象徴」だと明言されています。
  • Q.「それは単なるサービストークで、関連性は薄い。当然除去されるべきでは?」
  • A.「仮に、関連性が薄い、というだけで出典を示しても除去されるのならば、もともと「関連性の薄い、出典すらない他の多くの記載」は、居場所を失うことになるのではないでしょうか。」

コメント

もう意地を張るのはやめてはどうか…というのが率直な感想です。検証可能性の方針と、Albumさんが上でおっしゃる「出典を示す」ということとは、何の関係もないということが、よくわかりました。

  • Q.1、2 に関して。動画の話はどうでもいいです。あれはAlbumさんの一人相撲です。
  • Q.3、4 に関して。当記事は安倍晋三の公約である「美しい国」について解説するものです。
    • 平和の項目では、平和の実現に関わる具体的な営為のひとつとして「平和祈念公園の記念碑」が例示されているのですし、『エンカルタ総合大百科』では、「愛」をテーマにした芸術表現のひとつが例示されているのです。
    • 富士山は、安倍の公約の実現に関わる具体的な営為の例示ではありませんし、またそれをテーマにした芸術その他の表現でもありません。要するに、この公約のイメージ画像でさえない、まったく無関係な画像です。
  • Q.5 に関して。関連性が薄いのではなく、関連性がありません。日本の政府が観光政策について立案、広報するときは当然、日本の代表的な山岳についても触れるでしょう。しかし、そのことが (何度も言いますが) 安倍の公約に関連性があるということにはまったくなりません。

申し訳ないのですが、Albumさんは今後、検証可能性の方針について語るのを控えていただきたいです。方針を振りかざさなくても記事は書けます。また、あまりにも方針の曲解と無理解が甚だしいまま意見を表明されましても、その無理解と曲解を正すためにコミュニティの資源を空費することにしかなりません。

「自分が間違っていた」と一言謝ればすむ、という考えかたもあるとおもいます。以上。 --Hatukanezumi 2007年9月30日 (日) 14:33 (UTC)

Wikipedia‐ノート:検証可能性‎から誘導されて来ました。

  • イメージ画像があってもよい、というのはその通りだと思います。何についてもイメージ画像があってもよいかというと、僕にはよくわかりません。この件についてはどうかというと、イメージ画像があってはいけないということはなさそうに思いました。
  • 画像は一般的に、説明的・描写的である場合にはイメージ画像と比べて異論が出にくいかと思いますが、この件について言えば、Albumさんが挙げた出典から察するに、Albumさんは美しい国という概念の例示にあたると位置付けられているようです。それならば、イメージ画像と比べてなお問題が少ないところだろうと、原則としては感じます。
  • ただ、挙げられた出典の解釈については、HatukanezumiさんやTamago915さんの指摘するような問題を感じます。つまり、それらの出典を持って、富士山が美しい国のひとつの好例にあたるとまで言えるのかというと、そうかも知れないし、非常に関連性が薄かったり、無関係であるかも知れない。そこまで大きな扱いをせずに、文中のどこかなり記事の最後なりで富士山に言及してそちらの記事にリンクを張るぐらいが適当なのであって、わざわざ画像を掲示するほどではないかも知れません。Albumさんがこの主題について詳しいのであればもっと説明をして頂ければあるいは多くの方が納得するということもあるかも知れません。
  • 一般に、典拠があればそれをどう解釈しても中立な記述ができるというものではありません。美しい国についての様々な資料の中においてみれば、美しい国の例としての富士山の重要性を指摘しているとAlbumさんの考えた上記出典はマイナーなものであるかも知れませんし、それらの出典に拠って富士山を大きくとりあげることは、美しい国についての少数意見(Albumさんと、他に少数の人だけが賛成する意見)をあたかも広く受け入れられるものであるかのように書いてしまうことになるかも知れません。
  • 僕は美しい国という概念について詳しいわけではありませんので、Albumさんの解釈が中立性を欠いた曲解になっている可能性が十分考えられる、という指摘にとどめ、実際のところどうなのか、適切なものであるか、許容範囲であるのか、といった点についての判断は控えたいと思います。富士山は美しいと言われますし、別に美しい国という概念があった場合にその好例のひとつであったとしても驚きはしませんが、同時に、投稿履歴をちょっと見た限りでは、どうもAlbumさんの出典の解釈を信じていいものかどうか気になる部分は他にもありました。。Tomos 2007年9月30日 (日) 15:24 (UTC)
同じくWikipedia‐ノート:検証可能性‎から来た者として、ここにぶら下げますが……何と言うか、失礼ながら、えらく本質からずれた方向に議論が進んでるなぁというのが第一印象でした。とりあえず現段階での意見としては、上のTamago915さん、Hatsukanezumiさん、Tomosさんと重複しますのでばっさりと省略します。で、この記事に関しては、最初から「美しい国」と「富士山」というコンテクストの切り分けをした上で、「総論」「各論」の区別をして記述していけば、もう少しスムーズに解決可能な問題だったんではないかなぁという印象を持ちました。
この記事に富士山の画像を載せるのであれば、画像掲載の是非を問う前に、まず「美しい国の象徴として扱われるもの」などという名前のセクションを設けて、そこを埋める文章を書くことから始めるべきだったと思います。そして、もしその節の筆頭として「富士山」が取り上げられているのならば(そしてその記述が検証可能性や独自研究排除などの記載基準を満たすなら)、そのセクションの部分に「富士山:美しい国の象徴として扱われるものの一つ」などという解説とともに、富士山の画像が載せられていたとしても違和感はありません。つまり「富士山」は「美しい国」というコンテクストから見ると、いわばその「下位」にあたる関連項目であり、「美しい国」という記事の総論ではなく、「各論」的な部分で扱われる種類のものだ、という位置付けになります。
もしそのような節と文章があるのならば、そのような解説とともに冒頭に富士山の画像を載せることも、場合によっては認められるかもしれません。例えば、他に「美しい国」の画像として相応しい、この記事における位置付けが「富士山」よりも大きいものが他に存在しないのならば。しかしそのような解説のための「地の文」がない状態で、画像だけを載せようというのは、そもそもの画像の役割を考えてないというか…また、その状態でいきなり「画像の出典」の方に話を進めてしまうあたりは、議論の方向性がずれてるなぁと思ったわけです。
そのあたり、きちんと議論を進めていけば、これは「画像の出典」などと言うような、特殊な事例に関する議論では全くありません。まず「象徴」に関する文章を書き、その記述の出典の正統性、中立性について議論すればいいというだけの、「ありふれた事例」でしかないと考えます。ありふれた事例ならば、ありふれた事例として話を整理すればよかったのに、そういった手順を踏まずに一足飛びにやろうとするから議論が混乱するのではないかと(Albumさんとは以前から何度か議論してますが、どうもそういう「特殊な解釈」に向かおうとする議論傾向があるように感じるので、その点を注意していただければなぁと思います……まぁ私も全然、人のことは言えないのですが)
一度、その「美しい国の象徴として扱われるもの」というセクションの中身にあたる記述を先に考え、それをウィキペディアに「検証可能性や独自研究排除を満たすものとして」記載することが可能なのか、またその記述に「富士山」の画像を説明として載せること、ひいては記事全体を代表する画像として採用することが妥当か、について議論する方がいいんじゃないかな、と思いますが。--Y tambe 2007年10月1日 (月) 08:52 (UTC)

仮に出典として認められても(個人的には条件付で載せても良いと思うが)少なくても出されている出典では画像の拡大まではする必要が無いと考えます。画像の拡大をしたという事はさらに出典はあるのですか?-- 2007年9月30日 (日) 21:57 (UTC)

  • Q1について
    • 自ら否定した動画を、賛意があるからとして提示するのは理解に苦しむ。なぜなら動画を視野に入れようとした人たちへNOといって横やりを入れたのはAlbum氏だからです(他には…?)。横やりを入れて分が悪くなる・他に提示資料がないから自分の言を反故にしたようにしか見えません。また、「関係のない出典を持って記載が行われてしまう」危険性には一切ふれないのも気になります。
  • Q2について
    • もともと動画反対はAlbum氏が言い出したこと。そのAlbum氏が別IDで正反対のことをすれば、多重アカウントの禁忌の使用法になる可能性があるのでは?
  • Q5について
    • 関連性が薄いというか関係のない資料と思います。要は出典の無い記事に限りなく近い。自分の都合でそれをOKにしたりNGにしたり…。その自分本位の判断がこれだけのコメントとして跳ね返っているとは思わないんでしょうか。人に対してルールを振りかざすのであれば、自身はもっと厳しくあるべきです。自分に甘いAlbum氏に誰が賛同するのでしょうか?--222.228.158.33 2007年10月1日 (月) 00:31 (UTC)
      • (コメント)誰が出したかに無関係に、純粋にこれが出典としてふさわしいかどうか考える必要があります。出したのが Album さんだったらダメで、他の人なら OK ということでは本末転倒だと思います。そちらのハナシは「コメント依頼」で解決すべきでしょう。--Panpulha 2007年10月1日 (月) 01:09 (UTC)
        • 自分でNGとした方法を自分の都合だけで反故にするのは、相手を信頼できるかどうかという点で重要な項目と思いますが。IPでもログインでも相手の顔が見れないこの空間で、行動をともにするにはある程度の相手への信頼がなければなりません。動画出典を”ヒマラヤの崖に咲く花””DVD化されたNHKのドキュメンタリーも、「論外」””「「低い世界」に合わせる必要はない”といっていたAlbum氏は、自己の主張を覆すのであれば唐突に行うのではなくきちんと自己の非を認められてからすべきです。これは検証可能性よりもっと基本的なことだと思いますが。--222.228.158.33 2007年10月1日 (月) 03:26 (UTC)
  • (インデント戻します)検証可能性や出典の信頼性などは、その提出者の人格や日頃の行いによって低くなったり高くなったりするものでしょうか。ましてや謝ったら出典として認めるなんてことになったらおかしなハナシだと思うのです。出典提出もして欲しくないのだったらブロック依頼するほかなかったでしょう。--Panpulha 2007年10月1日 (月) 03:57 (UTC)
    • 「出典の信頼性」ではなくAlbum氏自身の信頼性です。出典があるといっておきながらその出典は自身がNGとした媒体というのは明らかにおかしい。普通に考えてみて下さい。そのような手法を社会でとれば、一発で信用をなくします。そして出典提示をするなではなく、自身がOKを出している媒体で出典をすべきといっているのです。--222.228.158.33 2007年10月1日 (月) 05:01 (UTC)
      • 問題を切り分けてください。その話はWikipedia:コメント依頼/Albumですべきものです。1.富士山の画像が「美しい国」にふさわしいかどうか、2.動画が検証可能な出典であるかどうか、3.Albumさんの主張と行動に乖離がないか。これらは不可分ではないでしょう。--Tamago915 2007年10月1日 (月) 09:22 (UTC)

全く別の視点からの意見ですが、当該画像は本栖湖から眺めた富士山だそうですが、静岡県で開催された大会を出典として山梨県側からの写真を使うのはどうかなと思いますが。--安芸国 2007年10月1日 (月) 05:31 (UTC)


Q1,Q2については問題なしと考えます。これまで映像関係は出典としてふさわしくないと考えていたが、そうではないという仮定がなりたつならば、このような情報源があるとして、提出された、ということであれば、これを責めるべきではありません。

A3.には「百科事典において、イメージ画像の利用は、特殊なことでは無いと考えています。」とありますが、イメージ画像の利用は一般的なことでもないと考えます。抽象的な概念について、その概念を強固な結びつきで体現していて、かつ中立的な「イメージ」であれば掲載されることもあるでしょう。ただし、合理的な理由を示しての反対意見が提出された場合は、対話によって除去の理由を確認した上で、速やかに除去するべきでしょう。イメージ画像は、あったら役に立つこともありますが、なくても困らないものなのですから。

政治的な概念については、中立性を維持するのは難しいですが、イメージ画像があってもいいような場合はあると思います。しかし、この画像については、概念と画像との関連性が十分強いとは考えられませんし、掲載に反対する意見が多く提出されていますから、除去が適当だと考えます。

A5.「もともと「関連性の薄い、出典すらない他の多くの記載」は、居場所を失うことになるのではないでしょうか。」 とありますが、これは、その通り、居場所を失うことになるでしょう。ただし、提出されている情報源から得られる「富士山の画像」と「美しい国」の関連性は、かなり薄いですし、政治的な概念は論争になりやすい記事ですから、一般的な記事と比べて、より強固な関連づけが必要だと言うことも考慮する必要があるでしょう。情報源が何かというのが示されたうえで、その情報源は信頼できるか、情報源にあることと記述の間に整合性はあるか、また、その情報が書かれることが重要かどうか、百科事典の記述としてふさわしいかどうかといったことから、ウィキペディアに記載するか、除去するかが決まるわけです。また、無条件に居場所をなくしてしまってもいいというものではなく、方針を示し、出典を示すことはできないか、関連が薄いかどうかをその記事の執筆者コミュニティに確認した上で、最終的に除去するかどうかを判断するのが望ましいと考えます。--Ks aka 98 2007年10月1日 (月) 11:19 (UTC)

(コメント)論点がずれている方はどうか論争解決へむけての軌道修正をお願いします。いちおういくつか「美しい国」と「富士山」を関連付けると思われる資料をいくつか提示しますので、判断材料としてご参照ください。

「美しい国プロジェクト」における中西輝政氏の寄稿[11]
世界遺産にすらなれない富士山と失われかけている「美しい国、日本」と掛け合わせて論を展開。「美しい国」の象徴として富士山を掲げていると読み取る事が出来、出典と主張者を限定した言及は可能と考えられる。
「特定非営利活動法人グラウンドワーク三島」[12]の事務局長の話[13]
安倍首相を富士山に案内した際の所感として美しい国づくりの規範・モデルとして富士山自然環境の保全対策から始めるべきと表明している。
「美しい国」プロジェクト[14]の「美しい日本の粋」結果(PDF)[15]
2-4.「自然・景観」において、日本の美しさの象徴として「富士山」「桜」を挙げる意見が多いと紹介。ただし、イメージとして紹介するならば同時に桜も掲げるべきであると思う。

以上、簡単にしか調べてませんが、富士山画像掲載有無の判断になれば。私の意見としては出典元の明示、「富士山」と「美しい国」のかかわりを記事化されるなら画像掲載は賛成、単純な画像のみの掲載については反対の意を表明しておきます。--赤井彗星/2007年10月1日 (月) 12:11 (UTC)

提示された資料は、それぞれ出典となりうると思います(正直、Albumさんの提示されたものは「出典」にならないと考えていました)。ただ、「富士山POV」といえばいいのか、美しい国で富士山について言及するのが目的となってしまっている感もあります。
富士山は「美しい国」を象徴するものの候補の一つだとは思いますが、最善の候補かというと否定的です。記事の最上部に表示する絵としてはふさわしいとはいえないでしょう。
赤井彗星さんが提示されたアンケートの結果にも反映されていますが、富士山を含む「自然・景観」をあげたのは回答全体の9パーセントに過ぎません。上位には「気質・感性」「生活様式」「文化・芸術」があがっているわけですから、そういったところからも候補を出すべきでしょうし、このノートの最初のほうの議論でもあがっている、安倍氏の『美しい国へ』で示されているものがあれば、それが最適解に近いのではないかなと思います。--Tamago915 2007年10月1日 (月) 12:45 (UTC)
はじめのコメントと結論は変わらないんですが、その後すこし思い当たることがありましたので追記します (上の赤井彗星さんのコメントにも多少関連します)。
はじめのコメントで、この記事の趣旨は「安倍晋三の公約を解説しているもの」だと指摘しましたが、いっぽうで個人的な意見としては「これは公約にしてはちょっと変だ」という感想ももっています。「美しい」といった抽象的で漠然とした概念を政治の実現目標に置く、というのは、かなり奇異に感じられます (今では「られました」ですが)。
で、そういった抽象的で漠然としたものであるからこそ、さまざまな評者や論者が「美しい国」という文言にひっかけていろいろなことを言ったり書いたりできるのでしょう。上でAlbumさんが挙げた下村副長官の発言や、上で赤井彗星さんが挙げた中西の文章などは、そういったものだと感じます (もちろん、そういった論者の発言を記事中で紹介するのは、単なる羅列にならなければかまわないとおもいますが、だからといってわざわざ富士山の画像を載せる根拠になるとはおもえません)。
いっぽうでウィキペディアは百科事典ですから、「『美しい国』は、安倍政権が公約として掲げたフレーズである」という本筋から外れてはだめだとおもうんです。別に批判する必要はないとおもうんですが、記事の記述は結果的に「公約としてはちょっと風変わりなものであった」といった印象を残すものにならざるをえないでしょう (珍項目に推薦するほどではないとおもうが)。
逆に、そう考えてみると、Albumさんがかなり百科事典記事執筆の筋からはずれた画像掲載にこだわるのは、この記事があつかっている主題の醸し出すある種の曖昧さに乗じた悪のりであると見えないこともなく、やっぱり掲載に賛成できないのです。 --Hatukanezumi 2007年10月1日 (月) 12:59 (UTC)

えーと。Albumさんの「出典」についてまず形式論からコメントします。

  • 出典1について:この程度の脚注はつけておいてください。
「2007富士山世界文化遺産シンポジウム―日本の宝を、世界の宝に―」(NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議主催、静岡県、静岡新聞社・静岡放送後援、2007年2月15日、東京)での講演にて当時の内閣官房長官下村博文は「美しい国というコンセプトにあった、まさにその象徴が富士山といえる」と発言。発言を伝える動画は http://wms.shizuokaonline.com/wms/media/070215fujisan.wvx を参照。シンポジウムを伝える記事は ShizuokaOnline.com(静岡新聞社)記事 http://www.shizuokaonline.com/mt.fuji/20070216000000000019.htm を参照。両者とも2007年2月16日付
  • 出典2について:これもきちんと脚注をつけましょう。誰が(あるいはどの組織が)、いつ、どこで発表した資料なのかを明示ください。ULR一発で済ますのは、引用としては望ましくないです。それから「海外向け動画」については、示されたURLのページでは「現在この番組は公開されていません」でした。同ページ内にはいくつかの動画が登録されてましたが、そのどれでもなさそうです。

次に検証可能性へのコメント:

  • 出典1については、今は良いのですがWeb動画がいつまで保存・公開されているかについてかなり疑問が残ります。やはり、静岡新聞の縮刷版からの引用が望ましいですが、Web版の文章から察するに引用に適切な文章は無さそうですね。まあ、現時点ではとりあえず載せておいて「もっと良い出典があれば、お願いします」としておくんでしょうね。
  • 出典2の観光立国戦略のパンフは出典表記が出来ていれば検証可能性は満たしていると考えられます。政府刊行物ですから、何らかの形で保存されるでしょう。(内容的に問題がありますが、それは下記で述べます。)外国向け動画サイトは、さっそく削除されたみたいですね。やはり検証性には問題がありそうです。

次に内容へのコメント:

  • 出典1については、安倍内閣が唱えた「美しい国」の象徴の一つとして富士山に政府要人が公の席で言及したというもので、一次資料としてはなかなか良い資料です。ただ、二次資料ではありません。富士山関連のシンポジウムでのリップサービスに過ぎないのかもしれず、そのあたりは立証できません。富士山が「美しい国」の一番の象徴であると当時の閣僚達や役人達が広報していたという(二次)資料が望まれます。
  • 出典2の「観光立国戦略」は富士山の語句がどこにも無いので、内容として出典とするには不適格です。海外向け動画については、もはや見ることもできないのでコメントすらできません。

以上、形式のことはおいておくにしても検証可能性と内容から判断すると、出典1はあまり良い出典じゃないですけど暫定的に使えるかもしれず、出典2はまるでダメというところでしょうか。--おーた 2007年10月1日 (月) 14:21 (UTC)

  • (コメント)富士に関連する出典はみな、日本情緒の「美しい」を今回のプロジェクトの「美しい」にひっかけているだけです。直接的にはもちろん間接的とすら言い難いくらい薄い関係です。また、富士にゆかりのある人、ある場所でそういった(語呂合わせ的と言えばいいのか?)発言が出ることは普通です。これが他の日本情緒のあるところで行われていれば、別の物が言葉の上にのっていったでしょう。それに背景として使われたからと言ってそれを根拠にするのは問題があると思います。今後の記事で「関係があるとは思えない」出典で記事を作成することがまかり通り、検証可能性自体が意味のない物となるでしょう。Albumさんは非を認めると言う手段があったにもかかわらず、最後まで自己中心的な検証可能性をよりどころにされたことは残念でなりません。--220.152.28.71 2007年10月1日 (月) 21:58 (UTC)修正--220.152.28.71 2007年10月1日 (月) 21:59 (UTC)
  • (コメント)上記おーたさんのコメントとほぼ同様の理由で記事としては不適切と考えます。だからといってAlbumさんは非を認めるとか謝る必要は毛頭ありません。単なる勘違いと思います。誰かに黙って除去されても冷静でしょう。今後はここでの議論プロセスを参考に編集をされたらよいと思います。--FXECG 2007年10月1日 (月) 22:57 (UTC)
    • >単なる勘違いと思います
少なくとも勘違いではないと思います。勘違いであれば初期の段階で気付くはずです。少なくとも出典提示までかなりの時間がかかっており、コメントも寄せられ十分に考える時間があったのですから”単なる勘違い”ではないでしょう。--220.152.28.71 2007年10月2日 (火) 13:15 (UTC)

(コメント)いろいろなご意見をいただきまして、ありがとうございます。それぞれに尊いご意見で、皆さんに感謝しております。議論が落ち着いたところで、長らく求められていた書籍の出典を提出致します。--Album 2007年10月2日 (火) 15:47 (UTC)

さて、ここからは、自分の出した動画の出典に関する、私の私見です。
やはり、出典として、動画はダメですね。。。試みに出典として提出した「出典2」の動画は、提出した翌日に消失してしまいました。予想外のタイミングで、本当に驚いてしまいました。何人かの方は、安倍が富士山をバックに自ら拙い英語で観光アピールしている画像を見られたとは思いますが、それでも、全然出典として論外でしたね。「独自調査」、と言っても良いと思います。このような形での動画利用は全然不可、ですね。運営者がいるサイト自体とは違って、動画の存在は常に流動的です。いつでも差し替えられる素材でしか無いわけです。--Album 2007年10月2日 (火) 15:47 (UTC)
それから、「出典1 http://wms.shizuokaonline.com/wms/media/070215fujisan.wvx 」についても、これはたまたま無料ですが、もし有料動画だったらどうだったでしょうか?検証の為に、自分のクレジットカードの番号を打ち込めるでしょうか。新手の詐欺にも使われそうです。そして、今回はたまたまこの動画で「美しい国の象徴が富士山」という言葉が動画開始から1分以内に出てきましたけれども、これが2時間動画の後半に出てきたらどうでしょうか?また、「検証可能性」の方針でうたわれている「査読」が無いことも、やはり致命的だと気がつきました。
「検証可能性」のノートにおいて、「動画は出典として有効」とされた側の意見(私が反対する)に立ってみて、私のチカラの及ぶ限り(微力でしたが)、その視点で動画を出典として提出したわけですが、所詮、動画の悲しさか、「査読」もあるはずも無く、常に出来事そのままの一次情報となってしまいます。このような出典の出し方を認めてしまうと、YOU TUBEなどの投稿を出典として、百科事典としてのウィキペディアが壊れてしまうかもしれません。
実際に、提出したあとの出来事を総合すると、動画は出典としては使えない、というのが現時点での、私なりの結論です。--Album 2007年10月2日 (火) 15:47 (UTC)
あいかわらず牽強付会な主張をなさっておられます。
  • 有料か無料かが資料の価値を決めるわけではありません。資料収集には手間暇もお金もかかります。コストがかかることが典拠として価値がないとは、本末転倒なご見解です。
  • 問題となる「記述」が動画の最初にでてこようが最後にでてこようが、「記述」の価値にちがいはありません。というか、Albumさんは書籍をもとに記事を書くときに、全部読まないのですか。
  • 「動画は査読がないからだめ」というのは支離滅裂です。情報源の信頼性を確保する手段として査読制度はすぐれている、というだけのことであって、信頼性は査読の有無だけではかられるものではありません。有力な全国紙クラスの新聞であっても査読を受けていません (当然です) が、Albumさんは新聞記事はいっさい典拠に採用しないとでもいうのでしょうか。
  • Albumさんが動画を典拠に使いたくないのなら、使わなくてけっこうです。しかし、そのご自身の考えを他人におしつけることは、くれぐれもしないでください。
それとやはり、今回の問題は検証可能性にあるのではないとおもわれます。当記事にとって「富士山の画像」を大きくとりあげることが適切かどうか、という問題だとおもいます。
とにかくAlbumさんには、当分のあいだは検証可能性について意見を述べるのはやめていただきたいです。そんなことをしなくても記事は書けます。 --Hatukanezumi 2007年10月2日 (火) 16:15 (UTC)
寝る前に、一つだけ言わせていただければ、「ウィキペディアに記述できるのは出典があるものだけ」としているのは、私の意見ではなく、ウィキペディアの「方針」です。--Album 2007年10月2日 (火) 16:20 (UTC)
しかし、Albumさんのように関係がない物を出典として良いのであればどのみち検証可能性は有名無実化します。さらに自分に甘く他人に厳しい出典を求めるような方がいれば必ず軋轢が生まれます。--220.152.28.71 2007年10月2日 (火) 21:35 (UTC)
答えに窮すると「方針は絶対だ」と抽象的に叫んですまそうとするのは、およそウィキペディアでの方針というものに対する向き合いかたではありません。そういう態度は思考停止した原理主義であり、ウィキペディアのありかたそのものに反する態度だとおもいます。
ウィキペディアの諸方針は、いずれもコミュニティの合意によって成り立っているものとされています。ですので、「理由は説明できないがとにかくまもらなければならない」という方針はないはずです。このことは、利用者は、方針を理解しそれにそって行動するために、ひとりひとりが自分で「この方針が存在する理由はなにか」を考えなければならない、ということを意味するとおもいます。
さて、Albumさん。まだ気が済みませんか。残念ながらいまのところ、あなたの主張にみんなが「なるほどそのとおりだ」「自分よりもずっとよく理解している」と言ってくれることはなさそうです。重ねて言いますが、しばらくの間、この手の問題について意見を表明するのはおやめになり、他のさまざまなひとの意見を熟読なさるとよいとおもいます。
これ以上Albumさんの相手をしてAlbumさんに無駄な時間を遣わせるのもなんですから、当ノートでのコメントはこれまでとします。 --Hatukanezumi 2007年10月2日 (火) 23:02 (UTC)
なんか、albumさんの自説である「動画出典などもってのほか、絶対認めない」(Wikipedia‐ノート:検証可能性参照)のために、Albumさん自らわざわざヘタレた動画引用してみせたような印象を持ちました。なんか、大変に不愉快ですね。
そして「この動画を出典に使うのは不適切である、だから動画というものは出典に使えないのである」と主張なさるのは典型的な詭弁だということは、是非ご理解願います。詭弁の「早まった一般化hasty generalization」を参照ください。--おーた 2007年10月3日 (水) 13:35 (UTC)
今思えば、「動画で出典を示そうとしたこと」が、馬鹿げたチャレンジであったと思います。「Wikipedia:出典を明記する」に、動画の出典明示方法が出ていないことこそ、根拠にすべきだったのかもしれません。これは私に非があると思います。--Album 2007年10月3日 (水) 13:41 (UTC)
Wikipedia‐ノート:検証可能性から来ました。自覚すべきあなたの非はそこではありません。この場所に集まった意見とWikipedia:コメント依頼/Albumを読み直して下さい。その上でもう一度ご自分の欠点を整理し、議論に動員された方々に示して下さい。客観的な評価は十分に集まっています。
それができない、あるいはその客観から意図的に目を逸らし続けるようであれば、Album氏が百科事典の編纂に参加する事は無理だと思います。- NEON 2007年10月3日 (水) 15:00 (UTC)
  • (コメント)Albumさん、”「検証可能性」は、基本的に解釈の余地が少ない方針だと思うのですが、どうしてあそこまで意見が分かれるのでしょう。。参加者が毎日方針を読んでいるとは到底思えないのです。私には、多くの方が、方針自体を否定しているとしか思えません。。[[16]]”とおっしゃってますが、ココにいる方は皆方針を壊そうとする方々との認識なんですか?--220.152.28.71 2007年10月3日 (水) 21:58 (UTC)