ノート:箱根ターンパイク

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

道路概要の部分では「ほぼ全線が勾配のきつい坂道」と説明されていますが、箱根新道との競争では「カーブ、勾配とも比較的緩やか」と説明されています。矛盾した記述のように思いました。どちらが正しいのでしょうか。--おはぐろ蜻蛉 2007年2月20日 (火) 11:58 (UTC)[返信]

修正いたしました。田無稲子 2007年2月20日 (火) 19:12 (UTC)[返信]

関連項目について[編集]

石橋山の戦いにせよ小田原征伐にせよ、行軍のルートになっているということは、結局のところ、湯河原方面から箱根に至るルートの中で比較的勾配が穏やかで歩きやすいルートである、ということの反映に他ならないのではないでしょうか。そうであれば、ルートがほぼ一致するのは必然であり、特に関連項目に挙げる理由はありません。むしろルートの特性として本文中に記載されるべき内容と考えられます。 そういうわけで、出典が提示されなければこの二つは関連項目から削除するつもりです。また、箱根ターンパイクが石橋山の戦いや小田原征伐の行軍ルートとほぼ一致する、ということが明記された出典が提示されれば、脚注あたりに記述を移したいと思います。--Loasa会話2014年8月13日 (水) 02:36 (UTC)[返信]

箱根ターンパイクの設立について・・1960年?かは忘れたが、 元は東京急行電鉄社内で「東急ターンパイクプロジェクト」計画ができて東京(渋谷)から大阪までの自動車専用道路を造る計画だった。(日本国内だけでなく海外からも建設資金を集めるためのパンフレットが有った) そのプロジェクト準備室が分社化して「東急ターンパイク株式会社」設立。 ただし、当時の建設省でも東名高速道路(東京~大阪)を造る計画が有り、最終的に認可になったのは「小田原・早川~箱根・大観山とその先の延長線」のみになった。〔利用者(ポンタ)2021年12月19日}