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ノート:筑摩野

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いや驚いた。散々なたたかれようである。立項趣旨と方法・経緯を述べましょう。冒頭に書いたように、「梓川以北が安曇野と呼ばれて定着しているのに比べると、この筑摩野はあまり使われない概念・呼称である」。したがって、使用例が少なく、「孤立」した印象を受けるかも知れない。そのことで、項としての存在価値が消失するのか? 立項したのは、「安曇野」との並立概念としてであり、参考文献に記した『松本まるごと博物館 ガイドブック』の36ページでも、「“筑摩野”と“安曇野”」という見出しのもとに説明が加えられているからである。立項にあたっては、なるべく直接の引用は避けた。ウィキに手を染めた初期に「川崎市女子職員内ゲバ殺人事件」を立項したところ、新聞記事の引用が多いとして項目そのものの削除を受けるなど、「痛い」経験もあるからです。今回の立項の方法としては、「安曇野」をいったんコピーさせていただき、それを加工するという方法をとった。真似をして「美術館・資料館」という見出しを作ったところ、山田さんに全面削除されてしまった。私も、項の中でのバランスということでは「美術館・資料館」という見出しを納得して作ったわけではないが、今後他の見出しが作られればバランスがとれるだろうと、「安曇野」を踏襲して足を踏み出したのでした。 さて、出典を求められた部分についてご説明しましょう。筑摩野の範囲ですが、実は『松本まるごと博物館』36ページとは、かなり違う。『松本まるごと博物館』が、西の端を「北アルプス」としているのは間違いであるし、『松本まるごと博物館』の引き写しではいけないので、範囲を変えずに表現を変えてある。「松本盆地はこの筑摩野と安曇野から成る」については、地図を見るなりすれば、そうとしか言えまい。現地を知っている者ならば、誰もが納得する。「それをウィキでは独自研究と言うのだ」と言われれば、何も言えません(抗弁しないけど、愚かな規則ではないかとは思う)。「相互の連絡は密ではなく、筑摩野としての一体は希薄である。むしろ互いに松本市を中心とする松本盆地の一部としての意識の方が強い」については、かつて彼の地(それも放射状交通機関の1つの途中)に住んだ者としての実感なので、まさに「独自研究」だ。でも、私が自伝にでもそう書いたら、「出典」になりうるのかな? 「(奈川と安曇は)山岳部分であるために(筑摩野には入らない)」は、「梓川地区」の独自性(松本市ではあるが、筑摩野でなく安曇野)を述べたついでに筆(キー)がすべって不要なことを書いたような、あってもよい記述のような気もする微妙な内容です。しかし、「山岳部分であるために野(盆地や平野)には入らない」は当たり前と言えば当たり前すぎて、出典が問題になる内容ではないと考えるのですが・・・。以上が私の釈明です。ご納得いただけるかどうか。それはさておき、いくつかの改良を加えていただき、ありがとうございました。--ジガンザン8108 2012年2月13日 (月) 01:32 (UTC)[返信]

まず、立項趣旨などについてご説明をいただき、ありがとうございました。その上で、いくつかご理解いただきたいことを申し述べます。
  • 要出典範囲を付けた趣旨は、記述が典拠を欠いている状態を指摘し、改善を促したいという考えからです。けっして「たたく」ことを意図したわけではありません。
  • みだりに引用するのが好ましくないというのはその通りですが、明確な定義を示している文献があるなら、参考文献にあげるだけでなく、何ページに記述があるといった所を明記して出典として記載していただくべきであると思います。
  • 「美術館・資料館」のリストを削除したのは、本文中にこの記事の主題である「筑摩野」との関連性が見出せなかったためです。単に松本市と朝日村の施設名を列挙しただけで、それが「筑摩野」とどう関係するかが明確ではないと考えました。「安曇野」の場合は本文中の記述に「美術館巡りを楽しむことができる」といったことが明記されており、現時点では必ずしも明確な典拠としては示されていませんが、このようなサイトも存在することから、「観光スポット」としての列挙に一定の合理性があると考えられますが、少なくともこの記事の初版の記述から考えると、「美術館・資料館」を列挙する必然性は欠けていると思います。
  • 独自研究についてのご意見は、共感できるものもあります。しかし、異なる「実感」をもつ編集者がぶつかり合う状況の上に記述は作られていくものであることもご理解ください。例えば、私は安曇野市在住ですが、松本市内に居住していたこともあり、当時も現在も広域農道〜サラダ街道はよく利用しています。また山形村(かつては研究上のフィールドでもありました)の知り合いには、波田病院の利用者も多くいます。「交通は松本駅を中心に放射状であるため」はともなく、「相互の連絡は密ではなく」とまで断言するのは、やや違和感を覚えます。
  • 「私が自伝にでもそう書いたら、「出典」になりうるのかな?」という点については、Wikipedia:信頼できる情報源や、こちらの議論などをご参照ください。
以上、ご理解をいたければ幸いです。その上で、私の考えを申し上げれば、「安曇野」の場合もそうですが、明確な典拠がない状態で、地域の範囲を明示するような記述は避けるべきであると思います。「安曇野」「筑摩野」が歴史的な「安曇郡」(南・北安曇郡)、「筑摩郡」(東・西筑摩郡)に由来する名称であるとしても、明確に定義されていた郡域と、(現在の「安曇野市」は別として)通称地名に過ぎない「安曇野」「筑摩野」が必ず重なるという必然性はあるかは疑問です。また「野」という表現が山間部を除くという解釈を導入するにしても、どこまでが「野」なのか(あるいは「平」のうちか)は明確ではないと思います。塩尻の北小野、奈良井宿などが「筑摩野」のウチかソトかで悩むことが建設的であるとは思えません。本来であれば、明確な定義を示している文献を複数示し、その定義が一致していないのであれば、複数の見方があることを説明するというのが、しかるべき執筆姿勢であると思います。
引き続き、ウィキペディアの原則をご理解いただいた上で、記事の改善に注力いただけるようお願い申し上げます。--山田晴通 2012年2月13日 (月) 05:41 (UTC)[返信]
  • さっそくいろいろご教示いただいて、ありがとうございました。「出典なし」「独自研究」については、「いずれ解消」でよいのでしょうか。私にとってのウィキ初期に立項した下原スイカには、立項直後に「独自研究」が振られましたが、そのままにしております。「下原スイカ」についての本はないし、そんな本を作る物好きがいたらそれは私だが、50万円の赤字だねというテーマ。「筑摩野」が出てくる本は、手元に『松本まるごと博物館 ガイドブック』しかありませんでした。
  • 「交通は松本駅を中心に放射状であるため、相互の連絡は密ではなく、筑摩野としての一体は希薄である。むしろ互いに松本市を中心とする松本盆地の一部としての意識の方が強い」につきましては、書くテーマがあまりなかったので、思いついて書いたものです。ただ、指摘されてみれば、私は団塊の世代で高校を出てすぐに上京しています。モータリゼーションが入り始めたころで、バス・電車が交通手段だったころの実情でしたね(高校に通うのには、筑摩野に相当する地区は篠ノ井線、朝日バス線、山形バス線、上高地線電車とばらばらだったけれど、安曇野は大糸線の電車1本に見えたのです。高校生の通学は今も同じでしょうが)。近く削除しましょう。
  • 「地域の範囲」につきましては、厳格な線引きが不要であるとのご意見には賛成です。しかし、百科事典的に説明する以上は、およその説明はあってしかるべきかと思われます。安曇野は、北をどこまで含ませるかがむずかしいのですが、筑摩野は幅を持たせた範囲設定はどちらかと言えば容易だと思います。ともかく、梓川が安曇野と筑摩野を分断することは明確で。南端の北小野、奈良井宿などは最も微妙な地域です。北西端で言えば、せいぜい新淵橋だと思いますが、その奥の島々集落までを含むという方がいても、私は拒否はしない。漠然とした範囲でよいでしょう。西側は、あの蕎麦集落「唐沢」が入るか入らないか(完全な扇状地で、傾斜した土地です)は、はっきりさせる必要もないでしょう。でも、範囲についてある程度の定義は欲しいです。「明確な定義を示している文献を複数示し、その定義が一致していないのであれば、複数の見方があることを説明するというのが、しかるべき執筆姿勢であると思います」は共感しますが、今回は残念ながら、そのような環境にありませんでした。ありがとうございました。--ジガンザン8108 2012年2月13日 (月) 08:35 (UTC)[返信]