ノート:王献之

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没年についてコメント[編集]

通常、日本の文献では王献之の没年は388年になっています。しかし、ウィキペディアの中国語版、日本語版ともに386年になっておりますので、疑問に思う方がいると感じ、コメントしました。私もはじめ疑問に思い、日本語版の履歴を見ましたところ、388年から386年に変更されていることを知りました。何をもってそのように変更されたのか、ウィキペディアの中国語版しか手掛りがなく、その真偽を知るため、現在、北京在住の中国人の書家に聞いてみました。本日、返事が来まして、「中国では386年を没年としている。どのような過程で日本において388年の説があるのか不明である。ただし、王献之の生年は短く、書作も少なく、考証は難しい。」との内容でした。よって、日本語版において、以前、私が(388年の異説あり)と追加しましたが、本日、それを削除しました。--岡部碩道 2008年2月5日 (火) 02:32 (UTC)[返信]

書風と書体について[編集]

「自由奔放な書風」が「自由奔放な書体」に訂正されましたが、書風に戻しました。鈴木翠軒は、「同じ書体でも甲の人の書いたものと、乙の人の書いたものとには一種変わった趣がある。(中略)この様な趣を一般に書風と呼んでいる。」(出典…鈴木翠軒・伊東参州共著 『新説和漢書道史』 P.60 - 61)と記していますので、この場合の書者の個性についての記述は、「書風」が正しいと思います。--岡部碩道 2009年3月19日 (木) 03:18 (UTC)[返信]