ノート:濱野成秋

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議題①「このページは本当に必要か」[編集]

ーあらかじめにー Wiki初心者なので、どう議論をすれば良いか分からないので、とりあえず議論点を記しておきます。

①「この人物についての出典は適切なのか?」ということです。

この人物についての出典を見たところ、絶対的なのは「本を出版している」ということです。それ以外は、この議論執筆者の私「でばら」がネットで調査しましたが、「慶應大卒」や、「東大、早大講師」など全て確認できませんでした。そもそも出典として記載してあった「Jimdo」のページ「 https://hamano.jimdo.com/ 」で確認したところ、まず問題点として「ほぼ全て」出典確認できない、客観性皆無のプロフィールでした(個人的に)。 ※ここから「」は引用・強調の意味です。

まず、「濱野成秋(はまのせいしゅう)は本名濱野成生。」とありますが、出版本を調べるとの違いもあり、同一人物か確認できませんでした。「大阪堺市丈六に誕生。ポストモダン作家。心理小説。戦争文学。(略)」とありますが、出生は出典皆無で、心理・戦争に関する出版は(もし同一人物だと仮定するなら)合致すると思います。(「日本の、次の戦争」や「日朝、もし戦えば」など出版多数のため)なお、これを読む方はまず確認していただきたいのは、モダンポストモダンの評論学・歴史学・文学・倫理学など様々な観点からの差についてです。

まず、このモダンと言うのは中世の封建社会を脱した西欧諸国がウエストファリア条約などローマ教皇、つまりキリスト宗教学から脱した事に起因するのです(関係ある話なので話の最後まで読んで下さい)。西欧は科学・理性的に蒸気や貿易をする様になり植民地政策に乗り出し、インドやベトナム、中国、日本をオリエンタリズム(否定的)を持ち、東洋と名付けました(西欧はキリスト圏なので、彼らから見て古代ローマやキリスト教の栄えたエルサレムが中央であり、東にある国々に対しては好感・差別的意識を持って東洋(オリエント)と名付けました。西欧人の大半が、キリスト圏でない人間は感性で動いているので、野蛮であり、科学的精神を持ち合わせていないので未開・劣っている文化である と思っていました)。ここで東方を未開の地として差別意識を持ち、身分制支配の元に第二次世界大戦後まで、本国が豊かになり植民地が貧しくなる植民地政策をします。また、西欧内では市民革命や資本主義の台頭、国民国家の形成、社会主義(マルクスの資本論)が登場し、それぞれが対決、第一次世界大戦が勃発します。

ここでポストモダンの登場で、そもそもインドや日本など東洋がなぜ劣っていると言われなければならないか?なぜ二回もの世界大戦を繰り広げてしまったのか?理性と感性はどちらが良いのか?資本主義の膨張が大戦を生んだのか?とフランクフルト学派やレヴィストロース、フライトなど心理学、倫理学など多くの学問から研究されます。そして、国民国家という国家に縛られた、もしくは民族の違い、言語の違いなど本当に境界線・優劣の違いがあるのか?などという疑問が浮上し、それらモダンの過ちを解決しようとするため考え出されたのがポストモダン(主義)なのです。現在のナショナリズムでは無い、またはそれを超えた、グローバル・情報化など国家間の枠組みを形成し、多様性から生じた争い・差異を無くそうとするのも、それなのです。

話を戻して、濱野さんは戦争・心理学的に出版してはいますが、全くポストモダン主義をお持ちでないと推断できます。そもそも、ポストモダンは作家として書くのではなく、評論学的分野から描かれるので、全く対象が異なります。

前述のことを踏まえると、プロフィールの「審美的心理小説で同郷の与謝野晶子の影響を受ける。リアリズム文学だが文体は浪漫調で描きつつ現代社会のパラダイムを実存と不条理で構築。」は別に浪漫調で書きポストモダン的に書きたいのは分かりますが、彼の出版本を見ると「ユダヤ人の〜」や「日本の〜」とあり、全く国を意識して書かれてると推断できます。「批判精神は(中略)過去戦ではなく近未来戦で、(中略)時空超克の警鐘作家だが不条理は多極的」では近未来的精神で批判するのは、まだ理解できますが、時空を超えた考えで我々に警鐘を促すというのは、到底理解できません。なぜ現代人の我々が未来人を分かりきった(ここで重要なのは、その観点から考えて説明する のでは無くて、「超克」とあるので未来人を全て理解した上で と解釈できます)(そもそも、警鐘作家という造語を作らないで欲しいですけどね。Wikiじゃ無くてもプロフィールは辞書的(ディノテーション)を重視してますから。)上での説明が出来るのか、不思議です。 また、「文体は谷崎潤一郎、堀辰雄、三島由紀夫の耽美派。野口雨情、北原白秋、西条八十に通じリリカルな絵画調」とあり、著名人物を挙げることで自身のプロフィールを強固していると思われます。そもそも、前述のような精神で文体は詩人的な文章が書けるわけない、つまり文章が破綻してます。絵画調というのは一般的に絵画でのみ使用する言葉なので全く無意味です。そもそも、ポストモダンを説明する上で文体をその様には出来ません。 また、「戦後の進駐軍」などの説明から、戦後の混乱を生きているとコンテクスト的に分かりますが、前述の谷崎や北原は大正・戦前期などの人物なので、影響を受けないこともないですが、ポストモダン作家 として出版されてる本の題名から全くその意を感じられません。つまり、一番重要な「ポストモダン作家」として全く違うと思われます。

以上のことより、このプロフィールの資料的価値は無いように思われます。 (また、濱野氏は他のプロフィールも自身で作成しているので、出典として挙げられるものが全くございません。これを読む皆さんにお願いですが、前述のことがあるので もし出版した本から出典を挙げる場合には、出版社と事実確認をし、大学講師を務めていると表記もしているため、各大学と事実関係を調査して頂きたいです。

以上より、
②「この人物のWikiページは必要か?」ということです。

長くなりましたが、皆さんのアドバイス・ご協力をお願い致します。なお、私はほぼWikiをいじることが無いので、意見などを求められても反応を返すことが出来ません。よろしくお願いします。 でばら会話) 2019年11月5日 (火) 17:44 (UTC)

説明があまりにも冗長で分かりにくいのですが、入念な調査をなされたようですね?どの程度の労力を費やされたのかは想像できませんが、ひとまずお疲れ様です。
ポストモダン文学などについては門外漢であるため私に専門的な助言はできませんが、ご意見を拝見したところ、この記事は出典を確保できないため削除対象ではないか、ということで宜しいでしょうか。冒頭の定義文すらも怪しいとのことであれば、削除を検討する余地はあるかと思います。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2019年11月6日 (水) 07:48 (UTC)

Marine-Blueさんのおっしゃっている通りで、この人の定義すら怪しく(まぁ一部は事実だと思えるんですが…)、出典は自作のプロフィールで、そもそもwikiのページを削除すべきでは、というのが私の意見です。 でばら会話) 2019年11月6日 (水) 08:39 (UTC)

コメント オフィシャルサイトで自称されている出身地、本名などを疑う理由はあまり感じられません。濱野成生の別名に浜野成生があることはWebcat Plusで確認できます。また、著作リストそのものは単純な事実であり、これを広告宣伝とするのは少々強引ではないですか。Wikipedia:特筆性 (人物)#創造的な専門家の基準に合わないということで削除依頼をすることには反対しませんが、議論無しで記事を破壊するのはおやめください。--Strangesnow会話) 2019年11月6日 (水) 20:18 (UTC)
(追記)ダイヤモンド・オンラインの記事では「警鐘作家の濱野成秋氏は東京大学研究員を経て早稲田大、一橋大、京都外語大、日本女子大などで教鞭を執ってきた。」と紹介されています。日本女子大学の教授であったようで(参考)、日本女子大学学術情報リポジトリを参照すると、濱野成生教授記念論文集(日本女子大学英米文学研究,44,v-vi (2009-03-20))では濱野成生が筆名:濱野成秋として文芸書を執筆したことやその経歴が紹介されています。定義としてアメリカ文学者が正しいのか、作家が正しいのかはちょっとわかりません。--Strangesnow会話) 2019年11月6日 (水) 20:47 (UTC)

Strangesnowさんの言うとおりですね。確かに強引なところがありました。すみませんでした。
しかし、Strangesnowさんが編集した後の今現在のページを見る限り、著書の題名が羅列してあるに過ぎず、広告宣伝では無いにしてもこのページの意義が感じられません。また、編集された際、出典として出された(https://hamano.jimdo.com/ )は最初の議題の①「この人物についての出典は適切なのか?」で示した通り、全く意義を持たないと私は思います。もう一度書きますが、明らかな自作の造語を使用したり、客観性のない内容の場合は出典として相応しくないと思います。(会話でばら会話) 2019年11月8日 (金) 20:59 (UTC)

返信 でばらさんへ。お疲れ様です。記事そのものの削除は、記事から全文を除去したり、定義を消したり、著作リストを丸々除去したりする編集とは別の話です。先にもお伝えしましたが「このページの意義が感じられません」とお考えであれば、Wikipedia:削除依頼に提出されてみてはいかがでしょうか。恐らくはケースEとしての提案になろうかと想像します。
濱野成秋オフィシャルウェブサイトの記述の全てを信頼できるとは考えられませんが、出身地などは過度に利己的な情報ではないので出典として使えるものでしょう。独特な作風や主張をもつ作家のようですが、作家自身が主張する自己評価やスタイルと、出身地などの単純な事実は切り離して考えたほうがよいのではないですか。明らかな自作の造語~などのご指摘は「日本の作家。大阪府堺市出身」の出典へと当てはまるものとは私には考えられません。ただ、この文への出典にするのであれば「日本女子大学英米文学研究 44巻,v - vi」のほうがより適切かなと思ってます。(あとから見つけたものなので、そのうち差し替えるかもしれません)--Strangesnow会話) 2019年11月9日 (土) 11:52 (UTC)