ノート:清水芳人

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「四修」、「飛び入学」[編集]

Wikipedia:コメント依頼/硫黄島で、こちらの記事に気が付いたので、いくつか指摘しておきます。

清水芳人が「四修」者であると書いているWikipedia:信頼できる情報源があれば、それを提示して記載すればよいと思います。ただ、「四修」ではわかりにくいという指摘もありますので、dipnoteで簡潔に解説するのもよいでしょう。いずれにしても、清水芳人が「四修」者であるとの記述がWikipedia:信頼できる情報源に存在していることが前提だと考えます。例えば、神立尚紀『戦士の肖像』、「戦士の肖像(4)清水芳人--「大和」は沈めども大和魂は死なず.」『本の話』(4), 70-73には、「四修」という記載はあるのでしょうか? また、秦郁彦『旧制高校物語』の「第三章 華の全盛時代 - 五 四修と五修の導入」では清水芳人への言及が為されているのでしょうか?その他の情報源でもかまいませんが。一方、「引き続き規定よりはやく飛び入学で4年から」という箇所にはWikipedia:信頼できる情報源はあるのでしょうか?--Takabeg会話2019年7月28日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

例えば、神立尚紀「戦艦大和」特攻を「思い付きの作戦」と痛烈批判した副砲長の無念には、「昭和4年、広島県立呉中学校(現・広島県立呉三津田高等学校)4年生を修了して海軍兵学校に入校。」とあり、「四修」とも「飛び級」とも書いてありません。--Takabeg会話2019年7月28日 (日) 15:11 (UTC)[返信]
私が持っている資料で確認できる部分を。(A)神立尚紀『戦士の肖像』「清水芳人 - 戦艦「大和」と大和魂」(文春文庫、2007年、334-348頁)から該当する文章を引用しますと「昭和四年、呉一中四年から海軍兵学校に六十期生として入校。」です。やはり「四修」とも「飛び級」とも書いてありません。(B)秦郁彦『旧制高校物語』の「第三章 華の全盛時代 - 五 四修と五修の導入」では「四修」への言及はありますが、清水芳人への言及はありません。--Pooh456会話2019年7月28日 (日) 15:19 (UTC)[返信]

戦艦大和会など[編集]

いらない情報かもしれませんが、『昭和史の天皇』第一巻、読売新聞社、350頁の記述によると、東海地区戦艦大和会の会長をつとめ、愛知県豊田市聖心町 (丁目・番地も書いてあります) に居住していて、東洋産業 (おそらく岡崎市の)常務だったようです。--Takabeg会話2019年7月28日 (日) 15:30 (UTC)[返信]