ノート:欧陽脩

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改名提案[編集]

「欧陽修」を日本語版ウィキペディアで全文検索しますと、41件ヒットし、「欧陽脩」では、49件です。同一百科事典内での統一を図りたいと思いますが、以下の理由から「欧陽脩」に統一したいと考え、改名提案します。

原田種成(はらだ たねしげ、1911年 - 1995年、元大東文化大学教授・中国文学専攻)は、『漢文のすゝめ』の「第2章・諸橋大漢和辞典』編纂秘話」の中で、1935年の『大漢和辞典』の校正の様子を次のように記しています。

「欧陽脩」は「欧陽修」と書いてあるものも多く、版本の字も決定する材料にならない。しかし、詩や文章の作者の名がまちまちではならないから協議の末、「修」は「おさめる」意。「脩」は月(肉)があり、干し肉の意で、「束脩」の語があり、「長い」意もある。そしてが「永叔」だから、「脩」に決めることにした。後年、昭和48年(1973年)12月、台北を訪れ、故宮博物院で欧陽脩自筆の書翰を見たとき、「欧陽脩」と自署してあったので、私たちの決定が正しかったことを確認できた。

また、白川静の『字統』には、「欧陽脩は字は永叔、脩と永と名字相対の義をとる。」とあります。

「脩竹」(長くのびた竹)のことを「修竹」とも書きますので、「脩」と「修」は通用されていますが、そもそも別字で、「脩」の新字体が「修」という関係はありません。

中国でも「脩」の簡体字はなく、「脩」と「修」の関係は日本と同じようです。現在、中国版の記事は「修」になっていますが、そのノートに、「本人が書いているを尊重すべきでは?(趣意)」という提案が、2010年12月13日に書かれています(が、いまだこれについての意見は出ていません)。

参考文献

--岡部碩道会話2012年4月27日 (金) 06:20 (UTC)[返信]

報告 一週間経過しましたが、反対意見がありませんでしたので改名しました。--岡部碩道会話2012年5月6日 (日) 08:57 (UTC)[返信]